2024年1月26日 (金)

ナゴヤ再訪 2024〜臥薪寮の消失〜

年月を経るとさまざまなことが変わっていく。

環境も変われば、自分も変わる。

自分が変わることのひとつに、過去の記憶が薄れていくことがある。

もちろん忘れられないこともたくさんある。

たとえばぼくが浪人時代、名古屋で過ごした一年間。

時計じかけの闇にひそんで何度も聞いた爆音のケイト・ブッシュ、ジョイ・ディビジョン、エリオット・マーフィー。

その一方で、細かいディテールはどんどん失われていく。

思い出そうとその場所を訪れようとしても、すでにその場所は失われてしまっている。

失われた時間と同様に。

 

久しぶりに名古屋を訪れた。

5日間の出張で、仕事先は東山線の終点からバスで30分ほどのところだった。

帰り際、東山線で名古屋駅に向かう道すがら、ふと思い立って上社駅で降りた。

1986年、昭和61年。

ぼくが浪人時代に住んでいた予備校の寮、河合塾臥薪寮はちょうど一社と上社の中間にある。

東山線が地下から地上に出ると、まっさきに左側にあらわれてくるのが臥薪寮だった。

 

上社駅で降り、スーツケースを引っぱって高架線沿いを歩く。

途中、陸橋で高速道路を横切る。Img_4476

高速道路、当時はあったのだろうか。憶えていない。

10分ほど歩くと、やがて見知った坂道の一帯にたどり着いた。

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臥薪寮は、もうどこにも見あたらなかった。

寮のあった場所はマンションが建ち、敷地の一部は分割されたのだろうか、個人住宅になっていた。

ぼくは裏手の道路に面した部屋に入居してて、そこから道路をはさんで迎え側にはラブホテルが建っていた。

そのラブホテルもなくなっていて、代わりに瀟洒なマンションが建っていた。

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有刺鉄線で入寮者の脱走を阻んでいた高い塀も、もちろんなくなっていた。Img_4488

寮の向かい側の公園には、近所のマンションの住人だろう、若い母親と子どもたちの声があふれていた。

すさんだ雰囲気の予備校の寮とラブホテルが並ぶ場末の空気は、どこにもなくなっていた。

 

ぼくはしばらく行ったり来たりして写真を撮り、少しでも当時の面影を思い出そうとした。けどまったく雰囲気の変わったその一帯から、当時の空気を思い出すのは困難だった。

うろうろしているとマンションの住人らしき母親にうさんくさそうな目で見られ始め、ぼくはいごこちが悪くなってその場を立ち去った。

当時と同じ空、昭和61年と同じ強烈な太陽。

でもそこには高層マンションが、はじめからそこにあったかのように立っているだけだった。Img_4499

巨大な西日が、冬だというのに真夏のような日射しを投げかけていた。

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自分のブログの過去記事を引っ張り出してみる。

ナゴヤ再訪: カオルとぼくと仲間たち

ちょうど20年前。2004年の記事だ。

そのころにはまだ臥薪寮の建物は残っていた。

過去記事には、寮の面会室の公衆電話、疑いに満ちた目をした初老の寮長、狭い寮の部屋のことが書いてある。

でも、過去記事を読み返してもそういった風景はもうよみがえらない。

記憶をたどっても、そこはがらんとして何もない。

 

でも、当時の感情はまだ残っている。

孤独と空腹、自由と不安。

なけなしの小銭でロック喫茶「時計じかけ」にこもっていた日々。

高校の教師を見返すために机にかじりついて解いていた問題集。

蹉跌と涙。

日々は戻らないが、夢と感情はまだここにある。

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2023年12月21日 (木)

さよなら名古屋シネマテーク

名古屋シネマテークが閉館した。

http://cineaste.jp/

上記リンクはいずれ死んでしまうと思われるため、スクリーンショットを撮っておく。

 

Photo_20231221164901 

スクショの掲載が著作権のたぐいに触れるようであればコメントにて指摘していただきたい。

 

記事に寄れば、閉館は2023年(今年だ)の7月23日。

閉館の理由は、赤字の拡大。

徐々に赤字が増し、2020年3月時点で危険水域に。

政府や行政の支援があって何とか継続していたが、2022年に政府・行政の支援がなくなったのが契機となり、閉館に至ったとのこと。

最後の上映は、原一男監督作品集だったようだ。

「ゆきゆきて、神軍」など、世相をえぐるドキュメンタリーを撮り続けた監督だ。

シネマテークらしい最後だった。

 

ぼくが名古屋で浪人していた1986年(昭和61年)、今池には今池文化と呼べる何かがあったように思う。

シネマテークでは実験的な映画が来る日も来る日も上映されていた。

成瀬巳喜男も小津安二郎もゴダールもルイス・ブニュエルも「愛の嵐」も、みんなシネマテークで初めて観た。

近くにはウニタ書房があって、アンダーグラウンドな香りの書籍がたくさん並んでいた。

バタイユの本をドキドキしながら買ったのを憶えている。

ロック喫茶「時計じかけ」、ライブハウス「ハックフィン」。

今池地下のピンク映画館。

当時、あの界隈には革ジャンに鋲を打った金髪モヒカンのパンクスもふつうに歩いていたし、路地裏には職業のよく分からない人たちがたむろしていた。

田舎から出てきたの浪人生の思い込みかも知れないが、街全体に猥雑なエネルギーがあったように思う。

 

シネマテークがなくなってしまうのは、とてもさびしい。

名古屋を離れてもう数十年が経つけれど、出張で名古屋を訪れる際には時間を取ってシネマテークに行くようにしていた。

あのちいさな映画館がもうないのは、あのころの今池がもうなくなってしまったようで、とても寂しい。

 

今池の街を歩く。今池交差点のあたりの風景も、すっかり変わってしまった。路地裏を歩いても、時計じかけへの道順ですらもうよく憶えていない。

それでも自分の原点の一つが、自分の中のたいせつな何かの残滓がまだあそこに落ちているような気がする。

やり場のない思いを抱え、予備校の寮を抜け出して深夜徘徊していたあのころの残滓が。

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2017年1月24日 (火)

新大統領就任式、取り残された人たちの声

2017年1月20日、大統領の就任式を見てきた。
会場はワシントンDCの中心地、国会議事堂とその前に広がる広大な敷地、ナショナル・モールである。
チケットを持ってれば国会議事堂でオバマやトランプを間近に見れるのだが、市民権がないとチケットが取りにくい。
と言うことで、ナショナル・モールの広大な緑地帯で就任式を見た。

ワシントンDC市内は何重にもフェンスが張られ、すべての交差点を軍が警備している。
Isisもテロ予告しているし、まあ当然の措置だろう。

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歩行者の導線を制限しているため、最寄り駅からナショナル・モールへは、大きく迂回路を通らなければならない。そしてチェックポイントで手荷物検査を受ける。
手荷物検査は厳しいと言えば厳しく、甘いと言えば甘い。
すべてのバッグは徹底的に検査される。デジカメは係員の前で撮影して見せて、偽装品でないことを証明しなくてはいけない。スマホ、タブレットも同様。小包の類いは、爆弾の可能性があるため持ち込み厳禁。
その一方で、ポケットの中身などはチェックされなかった。これで大丈夫なのかと思う。
まあ、大統領やVIPからは遠いからなのかも知れないが。
チェックポイントを通過して会場に入ると、中はガラガラ。思った以上に人がいない。
が、これはチェックポイントの荷物検査が厳重なこともあるだろう。事実、ぼくと妻は1時間以上行列に並んでやっと会場に入れた。
ぼくたちよりあとに並んだ人たちは、式の半分以上進んでからようやく中に入れたと思う。

巨大スクリーンに、前大統領の顔が浮かんだ。
いくつかの引き継ぎの儀式のあと、新しい大統領のスピーチがはじまる。
ゆっくりと話し、単語も分かりやすい。画面下には字幕も出る。おかげで内容がよく分かった。
会場にいるのは、ほとんどが新大統領の支持者だ。みなおそろいの赤いキャップをかぶり、思い思いのアメリカ国旗をモチーフにした服を着ている。

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スピーチが進む。
いままでアメリカの主体はワシントンだった。ワシントンDCの少ない人たちが国の意志決定をしてきた。それをいま、あなたたちに返すことを私は約束する。
沸き上がる歓声。
これからはアメリカが第一だ。なぜ自国の富を、ほかの国にまっさきに分け与えないといけないのか?私はアメリカのしあわせを優先する。
こぶしを突き上げ、USAコールを繰り返す支持者たち。

ここにいると、自分の立ち位置を考えざるを得ない。
新大統領のスピーチは、もちろん保護主義的であり、一国主義であり、前大統領の国際協調路線とは意を異にする。
しかし、この大統領を支持する人たちは、アメリカの国際活動の割を食って自分たちが損をしていると、腹を立てている。
富が余っているならほかの国に分けるのもいいけど、自分たちが職を失い、世帯収入が下がり、あるいは収入の伸びから取り残され(アメリカはここ10年で物価も賃金も上がっている)、以前ならできた仕事も移民に取られている。なぜなのか?政治は俺たちを見捨てるのか?
彼らの叫びは、ぼくにはそう聞こえる。

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客席がひときわ大きな歓声を上げたのは、新大統領がアメリカ各地の名前を挙げたときだ。
ネブラスカ、デトロイト。どちらもラストベルト、つまりかつては工業地として繁栄し、いまは衰退した地域である。
新大統領が予想を覆して得票したのも、ラストベルト地帯だ。
これらの地域は衰退の波に呑まれ、貧困と失業にあえいでいる。かつてはアメリカの繁栄の象徴だったのに、いまは企業が工場を移転し、広がる廃工場の風景の中にたたずんでいる。
しかしそう言う人たちの不満の声は、ともすれば人種差別と揶揄される。
アメリカには色んな人種が混在している。中でも「中産階級未満の白人」は事情が特殊だ。
彼らは白人であるがゆえに、人種がらみの不満が言えない。不満を言えば、白人による差別ととらえられてしまう。
デトロイトなどは特に、かつては自動車工場で繁栄していたにも関わらず、いまは米国有数の犯罪都市だ。日本に自国の自動車産業がつぶされた、あるいは移民に仕事を奪われたと感じるのも致し方ない面がある。
新大統領は、この層の支持を得た。
ネブラスカやデトロイトのような地域、ここの人たちを自分は見捨てないと、彼は声を強めた。

ぼくは日本人で、アメリカに車を売っている国から来ている。
ぼくから見れば、むちゃくちゃな保護貿易をしかけたり、相手のおごりで国境に壁を作れと言ったり、特定の宗教の信者に背番号を義務づけるような公約はとても受け入れがたい。多くのリベラル層からも、新大統領はすこぶる評判が悪い。
しかし彼を支持する人たちの声なき声、彼の政策に怒りとともに大きくうなづく人々。星条旗を身にまとい、新大統領に熱い視線を投げかける人々。
そこにぼくは、アメリカの光と影を見たように思う。

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2016年7月12日 (火)

ローン・ウルフ型とローン・パック型のテロ

ここんところ、物騒な事件が相次いでいる。
フロリダ州オーランドではナイトクラブで50人以上がテロの犠牲になった。ルイジアナとミネアポリスでは警官が丸腰の市民を射殺し、それに怒った若者が警官7名を射殺し、立て続けに血なまぐさい事件が続いた。
日本大使館からも、在外邦人向けの注意喚起メールが届いている。いわく、週末に人の集まる場所に近寄るな、デモを見かけたら興味本位で近寄らず、身の安全を確保せよ。
ニュースを見ていて思うのは、銃による事件は非常に唐突だと言うことだ。
平和な日常のある瞬間、突然銃撃が始まり、あっという間にまわりが死んでいく。同僚が死に、友人が死ぬ。楽しいドライブの最中に、となりの恋人が突然に血まみれの死体に変る。二度と戻ることはない。
そういうことが日常的に起こりうるのだということを、一連の事件は見せつけた。

きょうの朝刊で、となりの州でテロを企てた男が逮捕されたというニュースを読んだ。
犯人は、テロのターゲットとなる建築物を撮影していたところを捕まったという。この男は、Twitterでイスラム国への共感や、テロを思わせる発言をしていて当局から目をつけられていたそうだ。
先日同様に逮捕された男の、どうやらシンパらしい。二人組、いわゆるローン・パック(孤立部隊)型だろう。

昨今のテロリズム事情は、悪化しているように思う。
皮肉なことに、イスラム国の本体が弱体化するとともに、オーランドの事件のようなローン・ウルフ(一匹狼)型、あるいはローン・パック型のテロは増えている。
彼らは組織化されず、イスラム国との直接の関連もない。なにせ一人ないし数名程度なので意志決定は早く、活動を事前に察知することも困難だ。

組織化されていない、イスラム国への共感を示す、一人か二人のテロ活動。防ぎようがないと思う。

テロとの戦い、と言う言葉をはじめて聞いたのは、ジョージ・ブッシュ政権の時だろうか。ぼくが最初にこの言葉を聞いたとき、かすかな疑問をおぼえた。われわれはテロリストとそうでない人を、いったいどのように区別するのだろうか。
たとえ銃を持たなくとも、潜在的なシンパ、例えばテロリストに自分名義の携帯電話を貸す人はテロリストだろうか。それを黙認する家族もテロリストだろうか。
あるいはまだなんの行動も起こしていないけど、こころの中でアメリカや西側諸国にはげしい嫌悪感を感じている人は、潜在的テロリストだろうか。

テロリスト、テログループ、イスラム国、そういった人や集団は、われわれとはちがう、狂気の集団。奴らをやっつければ悪は消え、世界は平和になる。そんなカリカチュアライズされたイメージを、テロとの戦いという単純な言葉の影に感じる。背景にあるのは、非常に単純な善悪観、二分法だ。ハリウッド映画、たとえばエアフォースワンのように「悪いテロリスト」と「それ以外の善意の人たち」がはっきりと別れていれば、こんなに楽なことはない。
でも現実には、テロリストとそうでない人との境目は非常にあいまいだ。悪人をやっつければ世界に平和が訪れるというのは、アメリカという超大国がずっと昔から持っていて、そしてずっと失敗し続けているマインドセットだ。幻想と言ってもいいだろう。

今回逮捕されたローンウルフ型の犯人は、アメリカ人だ。彼の先祖は中東の出身かも知れない。名前も先祖にあやかって中東風の名前がついている。でも、アメリカで生まれ、アメリカの市民権を持つものはすべてアメリカ人だ。もし犯人の父母が中東出身だからと言う理由で、彼をアメリカ人ではないと断じれば、アメリカはアイデンティティを失うだろう。この国ではネイティブ・アメリカン以外の人間は、すべて移民か移民の子孫なのだから。
つまり、イスラム国やテロとの戦いは、どこか遠くにいる悪いテロリストが攻撃してくるのではなく、いまやアメリカ人がアメリカ国内でアメリカ人に銃を向け、引き金を引く。そういうものすごく分かりにくく、あやふやな戦いに変質してしまった。
潜在的テロリストとは、アメリカ中に散在している「こころの中でイスラム国への共感を抱いている者」「こころの中でアメリカを憎悪している者」たちだ。そんなものを一人残らずあぶり出すことが可能なのだろうか。
テロとの戦いとは、いまや内戦ですらない、「人の心のありよう」という、観念的で内面的な問題になってしまった。

今回、となりの州で未遂犯が捕まった事件は、Twitterのつぶやきが決め手だった。しかし、不用意なTwitter使用が逮捕につながると報道された以上、同じ手は通用しないだろう。残りのローン・ウルフたちは黙って銃を手に入れ、現場を選定し、引き金を引くだろう。
アメリカはどうするんだろうか。
最適解は分かりきっている。銃を規制すること。そして中東出身者やイスラム教徒への風当たりや弾圧がないように呼びかけること。調和と平和の方針を強く打ち出すこと。
でもおそらく、銃による大量殺人が起こるにつれ、銃の購入は増えるだろう。そして某大統領候補のように、イスラム教徒排斥を公言する人も増えるだろう。
疎外され、不当に差別されていると感じれば、それは怒りにつながる。アメリカ社会に対する不満や怒りが募り、そこに簡単に自動小銃が入手できる環境が加われば、あっという間にローン・ウルフ型テロリストのできあがりだ。

なんとなくなんだけど、オーランド事件の犯人や今回となりの州で捕まった犯人は、崇高な理念を持っているようには思えない。イスラム国へのシンパシーなんてのは後付けで、結局は社会に対するフラストレーションが犯行の直接の原因ではないだろうかと思う。
アメリカに来て感じるのは、この国の独特のコミュニケーションスタイルだ。
この国では、みずからコミュニケーションを求めるものにはみな応えてくれる。しかし、コミュニケーションを求めない人、コミュニケーションが不得手な人、内向的で人に話しかけられない人には冷たい。
いや、冷たいというのとはちょっとちがうな。
自分からアクションを起こさない人、人に話しかけない人には「誰も気がつかない」のである。そこにその人がいること自体が忘れられ、あたかも存在しないかのようにあつかわれる。もちろん、誰も悪気はない。悪気はないんだけど、黙っているだけで誰かが気にかけてくれる、などということはあり得ない。
そういう社会にあっては、積極的に人と関わるのが苦手な人は、あっという間に社会からこぼれ落ちて行ってしまう。人が生きていくためにはなにがしかのアイデンティティが必要だ。そしてイスラム国は、周囲を憎む者にその怒りの正当性を与え、イスラム原理主義(ですらないのだけど)という新しいアイデンティティを与える。そして、テロリストが生まれていく。
突き詰めるところ、オウム真理教に惹かれていった若者たちと共通した心理なのではないだろうか。
だとしたら、銃規制とともに、テロリスト予備軍へのサポーティブな働きかけが必要だと思う。
ちゃんと仕事があり、話し合える家族や友人がいて、社会に参加している実感が持てれば、人混みに向けて銃を撃つなどと言うことはなくなるのではないかと思う。
甘い?そうかも知れない。しかし少なくとも、イスラム教を弾圧したり、イスラム風の名前を持つ者を白眼視すれば、今後ますますローン・ウルフたちは増えていくだろう。そして安価で軽くて精度が高い銃の販売は、次の大量殺戮を引き起こすだろう。
平和的な解決策が執られることを願ってやまない。

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2016年5月14日 (土)

アメリカの食べ物

たまには食べ物の話題など。
アメリカに来る前はこう思っていた。
「アメリカの食べ物がまずいなんて、昔の話。これだけグローバル化が進んでる時代なんだから、どこでも美味しいものが食べられるだろう」
去年シアトルに出張したときも、食べ物がまずいという印象はまったくなかった。ホテルの食事もレストランも、美味しかった。世界は確実にグローバル化しているのである。

だが、いざ生活をしてみると現実が見えてくる。
まず第一に、外食代は高い。前にも書いたかも知れないけど、ちょっと軽く食事をするだけで13ドルくらいする。それにチップと税金が上乗せだ。

第二に、日本のような「定食」がない。せいぜいマクドナルドのセットメニューくらいだ。
席に着く店でメインディッシュにコーラにサラダなんて頼んだら、余裕で30ドルは行く。夫婦二人で60ドル。とても気軽に行けない。
安い店を探すと、必然的に中華かピザ、ハンバーガーなどに行き着く。あとはベーグルとか、どこにでもあるチポトレ(メキシカンの店)か。和食は高くて食べられない。
ああ、大戸屋がなつかしい。吉野家、松屋、サイゼリヤ、デニーズ。

第三に、コンビニがない。
いや、あるのはあるんだけど、品ぞろえが悪い。日本のような優秀なコンビニスイーツなど望むべくもない。オレオクッキーとかコーラとか激甘ドーナツとか、そんなんばっかりである。やれやれである。
シアトル滞在中の印象は、あくまで旅行者だったからなのだろう。
いざ住んでみると、アメリカの食生活のバリエーションの少なさに驚く。

だが、そんなアメリカでも美味しいものはもちろんある。
筆頭がハンバーガー、ホットドッグだ。これはもう、アメリカの国民食と言っていいだろう。
どこで食べても、外れがない。いまの流行りは値段が高く、ハイクオリティなもの。
写真は、うちの近くの某有名ホットドッグ。厳密に言えばチリドッグか。

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ぷりぷりのソーセージに、挽肉たっぷりアツアツのチリソース。付け合わせのチップスもさくさくしていてとてもうまい。
値段は4ドルくらい。大きさ的にはもうひとつ食べられそうなくらいだけど、重たい食事はちょっと、というときにうってつけだ。

写真二つ目は、ニューヨークに行ったときに食べたファイブナプキンバーガー。

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写真で見るとよく分からないが、お皿もフレンチフライも、そしてもちろんバーガーも巨大。
でも肉汁たっぷりで、ボリューム満点。上のバンズが重ねてないのは、自分で好みのケチャップやマスタードをかけて食え、と言うことなんだろう。
ちなみにファイブナプキンの由来は、食べるときに肉汁がこぼれすぎて、ナプキンが5枚必要になるから、出そう。なるほど。
好きなだけ塩こしょう、ケチャップとマスタードをかけてかぶりつく。肉汁がマスタードとともに流れ落ちる。手がべたべたになるけど気にしない。

郷に入れば郷に従え。
よその国にケチをつけても始まらない。安くて美味しいものを探しに行きましょう。

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2016年4月22日 (金)

車内百景

アメリカは自由の国である。
どれくらい自由かと言うと、電車に乗るだけでごきげんにエキサイティングな人たちに会える、そのくらい自由である。
きょうは、アメリカの電車の中で出会った自由な人たちについて書き記したい。

1.車内で爪を切る人
ある日の午後、電車に乗っていると後ろの席からパチン、パチンと言う音が聞こえてきた。後ろを振り返る。おばさんが一人、背中を丸め、淡々と爪を切っていた。もちろん爪はその辺に飛ばしっぱなしである。自分の服に飛んでこないことを祈りつつ、目的地に着くのを祈るのであった。

2.車内で懸垂をする人
ぼくの住む地域の電車は、基本的につり革というものがない。代わりに、電車の天井付近に金属の棒が設置してある。電車の背も低いため、基本的に立っている人はこの棒か、ドア付近に設置してある垂直の棒につかまる。天井の棒は、もちろんかっこうの懸垂棒である。きょうも調子に乗った若者が仲間とともに懸垂を繰り返す。がんばれ。アメリカ人は太りやすいから、今のうちに運動の習慣を付けるんだぞ。

3.スマホのスピーカーで音楽鑑賞をする人
日本では昔から「ヘッドフォンの音漏れ」が話題になっていた。音漏れしない構造のヘッドフォンも開発されてきた。しかしここはアメリカ。ヘッドフォンどころか、スマホの内蔵スピーカーから堂々と音を出して音楽鑑賞をしている人がいる。10回電車に乗ると、1回くらいは出会う。
もちろん、うるさい。スピーカーから音楽鑑賞をする方はクラシックやアンビエントミュージックなんて聞かない。ビートの効いたEDMかヒップホップである。
あまりうるさい時は注意しようかと思わないでもないが、ここはアメリカ。先日も電車内で射殺事件があったばかりである。
ちなみにその射殺事件、若者が若者を撃ったんだけど、理由が「目が合ったから」であった。
目撃者によれば
「お前、さっきからオレのこと見てるけどオレのこと知っているのか?あ?」
「え?なに?何のこと?」
「バーン」
といういきさつだったそうだ。目が合っただけで撃たれるご時世、若者の音楽鑑賞の邪魔などしようものなら、どんな目に遭うか分からない。駅に着くまでの数十分を騒音に耐えて命が長らえるなら、こんなにたやすいことはない。
と言うことで、ひたすら耐えるのみ。まあ、タクシーに乗ったってラジオが流れてるもんね。

4.ラッパー乗務員
次の駅の案内や車内の注意事項は基本的に乗務員がマイクで放送する。が、どうもちゃんとしたマニュアルがないようなのである。一定の共通パターンはあるものの、乗務員によってアナウンスはバラバラだ。中にはノリノリのラップ調で車内案内をしてくれる乗務員もいる。これは楽しい。
が。
最初の数駅のラップで興奮しすぎてしまい、だんだんテンションが下がってくる乗務員もいる。
駅が経過するごとにラップのテンションが下がり、ついには次の駅の案内すら投げやりになってしまう。
だから最初に飛ばしすぎるなと言ったろうが!
乗客の心が一つになる瞬間である。

5.ラッパー構内アナウンス
乗務員に較べて、駅の構内アナウンスはあまりファンキーなことはない。決まった文句を読み上げるだけである。が、ここはアメリカ。
先日、電車を待っているとどこからともなくゴキゲンなビートが聞こえてきた。駅の構内スピーカーからであった。良く聞くと、音楽ではなく口ドラム、いわゆるヒューマンビートボックスだ。
どうも駅員が練習中で、スピーカーのスイッチを切り忘れたらしい。
電車が来るまで、口ドラムはずっと続いていた。ひたむきな練習を繰り返している様子がダイレクトに伝わってきた。何ごとも練習が大事だよね。うん。

6.車内でサキソフォーンを吹く人
これはイベントの帰り。車内でサキソフォーンを吹く人に出会った。ミュージシャンらしい人がまわりの乗客に請われて、サキソフォーンを吹き出した。
上手い。さすがである。しかし、近くでロックコンサートとアイスホッケーの試合が終わったばかりの時間帯。車内は立っている人もたくさんいる。この状況でソプラノサックスを吹くのはどうなのか。
演奏をリクエストした人たちは手を叩いてよろこんでいるが、ほかの人たちは割とクール。と言うかムッとしている。
さすがに空気を察したのか、途中で楽器をしまうサックスおじさん。何とも言えない沈黙が車内を支配する。

7.番外編 駅および電車そのもの
電車が時間通りに来ないのはまあふつうなんだけど、どこの駅でもエスカレーターがしょっちゅう故障している。そのたびに止まったエスカレーターを、えっちらおっちら登らなくてはならない。駅によってはものすごーく深い地下にプラットホームがあるため、地上に出るころには太ももがぱんぱんになっている。
故障のアナウンスなんて、もちろんない。「ご迷惑をおかけします」なんて台詞ももちろんない。エスカレーターに差しかかったら、単に動いていないだけ。
それでも誰も文句を言わない。みな淡々と止まったエスカレーターを登りはじめる。大人の対応だと思う。あるいは「そういうものだ」と最初から思っているからか。期待がない分、失望もないのかも知れない。

そんな大人の対応のアメリカ市民であるが、電車のドアが開かないときはさすがに少し感情がぶれるようだ。
駅に電車が到着する。でもドアが開かない。じっと待っているうちに、電車は次の駅を目指して発車する。こういうことがしばしばある。
ドアの前で待っていた乗客の顔が失望に歪み「オゥ…」「ダムン」などの言葉がもれる。中には軽くドアを蹴る乗客もいる。
それでも大半はあきらめて(あきらめるしかないんだけど)次の駅で降りて折り返しの電車に乗る。
こう言う体験を何度かすると、電車が駅に着いてドアが開くかどうか、すごくドキドキする。
しばしの沈黙の後にドアが開くと、それだけでこころの底から「良かった」と思える。
電車のドアが開くだけで安堵の気持ちが湧いてくると言うのは、良いことなのか悪いことなのか。

そして言うまでもなく、しょっちゅう運行は乱れる。都市部の電車にもかかわらず、「次の便は25分後」なんて案内が電光掲示板に出ていたりする。あきらめてベンチに座ると、2分後に電車が来たりする。メチャメチャ。
日本の鉄道会社がこんなことをやったら叩かれそうだけど、ここではこんな状態がずっと続いている。いままでもそうだったし、これからもきっとそのままだろう。
適当でも何とかなるという、一つの証拠にはなる。のかな。

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2016年2月12日 (金)

Maybe禁止令

となりの部署に親切な人がいて、ときどき話をしに来てくれる。
いまの仕事はひたすらパソコンに向かっているだけなので、なかなか周囲とコミュニケーションが発生しにくい。大歓迎である。

で、先日彼女と話をしていたときのこと。内容はぼくの業務と、それに関する日本の状況などだ。
しばらく話をしていたら、彼女が突然、真顔でこう言った。

「maybeという語は使うな。その言い方をしたいのならI’m sureを使え」

突然のメイビー禁止令。
理由は分からないが、ネイティブの彼女が使うなと言うのであれば使うべきではないのであろう。
そう言えば、maybeと言う語は、自分とは関係のないことを話すときに使う、という受験英語の記憶がよみがえってきた。
帰ってからwebで調べる。やっぱりそう書いてある。
明日は雨になると思うよ。だったらMaybe it will be rain tomorrow.でいい。
が、明日は仕事が終わると思います。をMaybe I will finish my work tomorrow.(分かんないけどあした仕事が終わるんじゃないかな)では具合が悪い。
Maybe our company will increase our sales in next quarter.(分かんないけど来期は社の売り上げが伸びると思います)とかね。

学校教育のせいにするわけではないが、ぼくが学生の時は、maybeは「たぶん」と習った。言いやすいし、日本語では「たぶん」を使う機会はものすごく多い。謙遜というか、強い断定口調を避けるため、8割方確定していることでも「たぶん」「おそらく」を多用する。必然的に、日本人が英語を話すときにmaybeが使われる頻度は多くなる。
しかし、まわりのアメリカ人のトークを聞いていると、maybeはあまり出てこない。それどころかperhapsもprobablyも出てこない。I’m sureはちょくちょく出てくる。
でも、いちばん多いのはふつうの文法、つまりただの言い切りだ。
「来期の売り上げは倍増すると思います」だったら The sales in the next season is expected to be double.となり、ごちゃごちゃmaybeだのprobablyとか文頭や文末につけない。先の話をしているんだからあくまで不確実だと言うことはみんな分かっている。

そう思ってmaybeを使わないようにしてみると、いかに今まで自分がその言葉を多用していたかが分かる。ここ数日は、maybeと言いかけて「メイ…うぐっ、ぷ、ぷろばぶりー」と言い直すことがしょっちゅうだ。
英語を学ぶと言うことは新しい言語を学ぶことなんだけど、こういう「和製英語」を切り離していくことも必要なのである。
(と言い切ってみる)
教えてくれた彼女にはほんとうに感謝です。

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2016年1月25日 (月)

東海岸、ブリザード吹き荒れる

先週の火曜日あたりから大雪のことは話題になっていた。
同じブースの同僚から「スノーストームが来るよ」とは聞いていたが、あまり事情が飲み込めていなかった(飲み込める英語力がなかった)。
が、20日水曜日あたりから事情が急変。過去最大級のブリザードがやってくる、州も郡も非常事態宣言になるらしいとの情報。
木曜日、ついにオフィスのおばちゃん(正式な役職名が分からない)から「あすは職場に来るな。来ても帰れる保証がない。食料と生活必需品を買って家にこもっていろ。とにかく来るな」と脅された。
おばちゃんはまだ穏やかな天気にもかかわらず、スノーブーツとダウンコートというスキー場みたいな格好をしてぼくに脅しを書け、そのままお昼には帰ってしまった。完全に休む気満々だ。

と。ふとまわりを見渡す。
ほとんど誰も出勤していない。いつにもまして静かなオフィスだと思っていたら、おばちゃんだけでなく、みなスノーストームに備えて欠勤しているのである。
ただならぬ事態である。
あわてて仕事を切り上げ、買い物に出かける。
たいへんなことになっている。スーパーに人が詰めかけている。様子は定かでないが、ふだんは混み合わないスーパーなのに駐車場にさえ入れない。
何とか食料品などをそろえ、引っ越し荷物の中から懐中電灯を引っ張り出す。
テレビでもwebでも、厳戒態勢を呼びかけている。
こんな感じだ。

・外出するな。道路は雪で封鎖される可能性が高い。電車もバスも金曜の午後から止まる。乗客と従業員の安全が最優先だ。
・食料品、懐中電灯、電池、ラジオを用意せよ。
・電気が止まるかも知れない。防寒着を用意せよ。
・水道が止まるかも知れない。水を用意せよ。
・一酸化炭素中毒に気をつけろ。火を使った煮炊きは推奨しない。
・何かあったら911(日本の119)に電話せよ。
・今回の暴風雪はシャレにならん。とにかく外に出るな。落ちた電線で感電するぞ。

てなことで、金曜日の朝から完全にインドア態勢に入る。
果たして金曜の午後から天候が荒れ始め、土曜日から日曜日にかけて暴風雪が吹き荒れた。
さいわい水も電気も止まることなく、無事に冬の嵐は去った。
やれやれ。

日曜日、外に出てみる。
見事な雪の山ができている。雪を握ると、固まらずにさらっと指の間から流れ落ちる。パウダースノーだ。
立ち並ぶ洋館。漫画みたいなつらら。見慣れた風景だ。まるで猫魔やグランデコにいるかのような錯覚をおぼえる。そう言えばスポンサーといっしょに、安比にも行ったっけ。ずいぶん遠い昔のような気がする。

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妻とふたり、カメラをぶら下げて表通りを歩く。
よく晴れた日曜日。車はほとんど通らない。いつもは人でにぎわう大通りも、きょうは人影もまばらだ。
不思議な気がする。現実じゃなくて、夢の中の風景のようだ。
たまにはこんな日もいいね。

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2015年12月17日 (木)

食べ物がデカい!の巻

渡米してからというもの、外食の回数がぐっと減っている。
理由はふたつ。
ひとつは、単純に値段が高いから。
こちらの外食は、カフェテリア形式の安めのお店でもだいたい一人一食10ドルから12ドルくらいかかる。日本円にして1,200円から1,500円くらい。そうそう気軽には食べれない。
もうひとつは、量がハンパないから。
タコスのお店でタコスとコーラとトルティーヤチップのコンボで9ドルちょっと位なんだけど、タコスが腹ははち切れるくらいのボリュームで出てくる。
アメリカの人たちはこんなのふつうに食べているのか?!
驚いて周りを見渡すと、二人で分け合って食べていたり、包んで家に持ち帰ったりしている。そうか、そうだよね。さすがにこんな量は食べられないよね。
しかし。
アメリカ人でも食べきれないくらいの量が一人前というのは、ちょっといかがなものか。
半額にして量も半分にするのがフツーの考えではないのか。
うーん。

日本の定食が懐かしい。大戸屋が恋しい。
多くもなく少なくもなく適度なボリュームで、小鉢やらミニサラダがついているのはすばらしい。

ちなみに日本食も売っているんだけどやたら高い。スーパーの総菜売り場で寿司セットが売られているが、15ドルもする。日本のコープの寿司セットと同じような中身と量なのに、円に換算すると3倍もする。あああ。とても買えない。
あとケーキ類も基本スポンジばっかりである。アメリカ人はカップケーキとかドーナツとか、粉もんが大好きだ。日本みたいにクリームやフルーツがたっぷり入ったケーキはあまりない。
写真は、その貴重な日本風ケーキを売っているスーパー。
なぜオレオをケーキに載せるアメリカ人。
日本で言えばハッピーターンを大福に載せるような暴挙だぞ、それ。
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2015年12月16日 (水)

洋服が縮んでいくの巻

たまには気軽なネタも書きましょう。
アメリカは文化や風習に加え、さまざまな環境が日本とはちがう。
たとえば、洗濯物を外に干す習慣がない。洗濯物は、室内の乾燥機のドラムに入れてごんごんと回すのである。
ぼくのアパートメントにも洗濯機と乾燥機がしつらえてある。アメリカのアパートメントは洗濯機、乾燥機、冷蔵庫は備え付けの場合が多い。数年程度しかいない外国人にはありがたい習慣だ。
で、乾燥機を使って洗濯物を乾かすんだけど、これがまた驚くほど洋服が縮む。
妻のルームウェアはすそが床に着く長さだったんだが、いまやクロップパンツ。くるぶしよりも上にすそが来てしまっている。
ぼくの衣類も、どんどん縮んでいく。Tシャツもズボンも、洗うたびにぴったりサイズになっていく。
Tシャツなんて、いまやほとんどチクビの形が浮いて見えるではないか。

これはまずい。

まあ、いい点もある。日本でオーバーサイズで着にくかったTシャツも、数回洗濯すればジャストサイズになる。でもそういう場合はごく少数で、大多数の洋服はどんどん縮み、サイズが合わなくなってくる。
外に干すわけにはいかない。そもそもうちのアパートメントにはベランダがない。あったとしても州の決まりで外干しはダメっぽい。
コマッタ。

こんなこともあろうかと、日本から洗濯物干しを4つばかり持ってきた。洗濯ばさみがたくさんぶら下がっている、ふだんわれわれが日常的に使うアレである。ちなみにアメリカでは売ってない。
よかった。これを鴨居に引っかけて洗濯物を干せば問題ない。OK。

が。
アパート内に鴨居がないんである。
ドア枠はあるんだけど、上部分に洗濯物干しを引っかけるだけのスペースがない。アメリカの製品は、たいがいのものは無駄に巨大に作ってあるのに、こういうところだけなぜかスリムに作ってある。
むー。

結局、縮んでは困るもの(Tシャツやズボン類)はむりやりに自然乾燥。縮んでも許容できるもの(下着や靴下など)は乾燥機と、分けて干している。ありがとう妻よ。
乾燥機自体がはじめてなんでよく分からないんだけど、日本の乾燥機は縮まないんだろうか?
まあ、こんなにおもしろいように縮んでいく話は聞いたことがないんで、きっとだいじょうぶなんでしょうね。メイドインジャパン。

アメリカ人よ、もうちょっとお手柔らかに乾燥機を作ってくれ。
一抱えの洗濯物が20分で乾くとか、なぜそんなに強力なのだ。
多少時間がかかってもいいから、縮まないように乾かしてくださいよホント。

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