2009年8月25日 (火)

市町村もヤフオク

twitterをやっていると色んな情報が入ってくる。
会津若松市もtwitterをやっているのだが、そこからの情報がおもしろい。

会津若松市 (aizuwakamatsuct) on Twitter

今回はなんと、公売情報が流れてきた。

[会津若松市]公売情報トップページ — 会津若松市ホームページ

会津若松市役所ではヤフージャパンが提供したインターネットオークションシステムを利用して市税等の滞納により差押さえた財産の公売を実施します。

てことで、土地と中古車1台、掛け軸ひとつがヤフオクで公売に。
うーむ。
平成2年式のホンダNSXが100万円って、ちょっと高くない?

で、リンクをたどると、ヤフオク官公庁ページを発見。
こんなものがあるとは知らなかった。
ほかにも
プール丸ごと売ります (町民プール 50mプール 9コース 夜間照明あり) : 矢吹町 公有財産売却 Yahoo!オークション
だの
非売品パチンコ販促パンフレット・プロモーションDVDセット(エヴァンゲリオン) : 東広島市 インターネット公売 Yahoo!オークション
なんてのが。
エヴァのDVDは300円だ。
何というか、300円のヤフオクより、市役所の人にその分別の仕事をしてもらった方がいいような気がする。

しかしなー。差し押さえの中古車って、乗る人いるのかな?
やっぱり業者が転売目的に購入、てところなんでしょうか。
などと妄想しながらヤフオクを見ていると時間が無限に過ぎ去っていく。
くわばらくわばら。

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2009年8月21日 (金)

神戸牛に負ける

AA垂水グループ、よかったです。
色んなグループがあって、色んな仲間がいて。
でもみなAAの原理を実践しようと努力しているんだなぁと思った。
アウェイだと、ぼくも地元ではしにくい話も素直に出来る。
行ってよかった。

話変わって。
きょうの晩ご飯は,これだけは食べようと心に決めていた神戸牛ステーキ。
下調べしたらホンマモンの神戸牛は相当に高いらしく、コースで15,000円とかザラ。
さすがに手が出ないので、も少し安くて美味しい神戸牛のお店を探してみた。
厳選の結果,選んだのがここ。
和牛フィレステーキの真髄「神戸A-1」

行ってきました。
食べてきました。神戸牛ステーキ。
ムチャクチャ美味かったです。

が。

食べらんないの。
霜降りがすごくて。

一口目、天国のようにとろける美味しさ。
二口目でお腹いっぱい。
三口目からは脂身の多さで胸がいっぱい。
自慢じゃないが、その気になればこのカオル,人の倍は食える。
先日は寿司バイキングで寿司40貫を平らげてきた。えへん。
それが、あこがれの神戸牛ステーキは半分でギブアップ。
あああ・・・。

美味しかったです。メチャクチャ美味しかったです。神戸牛ステーキ、神戸A-1、すばらしいです。
けど自分はもうステーキを食べきる力がない。パワーレスなり。
今回の神戸出張のハイライトだっただけに,この結末は何とも残念。
あすはやっぱり明石焼きにしよう。。。。

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2009年8月20日 (木)

神戸は遠かった

神戸は遠かった。
そして暑かった。
もう汗ダグ。
遅い昼食はアヤしいカレー店。味は可もなく不可もなく。
100円増の大盛りを頼んだら巨大なボリュームで驚き。
着くなり17時から21時までぶっ通し研修会。
2時間で集中力が限界に達する。
あとはもうiPhoneでtwitterいじったり空想にふけったり。わざわざ出張しているんだから集中せねばと思うんだけど、無理。
いまはホテルでヤマザキパンを食べ終えたところ。
あすはなんか美味しいもの食べるぞー!
友だちが勧めてくれた明石焼きを探してみよう。

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2008年11月23日 (日)

霞ヶ城の紅葉

まつけんさんのブログに触発された。
二本松の霞ヶ城公園に紅葉を見に行くのだ!
・・・と思ったが、やはり仕事で行けなかった。ざんねん。
代わりに妻がひとりで写真を撮ってきた。

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うーん。なかなかきれいだ。
きょうは変わりやすい天気だったけど、晴れ間も見えたようだ。
菊人形も今日でおしまい。
そろそろ本格的に冬ですね。実感が湧かない、気分的にはまだ9月下旬くらいなんだけど。

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2008年10月18日 (土)

山形でも走る

山形に出張で来ている。
朝イチで高速に乗り、山形市街地のイベントホールへ。
今回は大きな勉強会なので、ぼくは話を聞いているだけだ。プレゼンだの会議だのの東京の勉強会と違って大いに気楽だ。
今回は出張費も出た。わーい。
勉強会はつつがなく午後4時に終了。きょうはどこにも出かけずホテルでゆっくりしよう。
貯まっていた資料に目を通し、たっぷり知識を吸収してプレゼンを作ろう。
そう思っていたのだ。が。
終了間際、本社トップにつかまる。東北の他県の参加者は多いが、わが福島県からはわずかに6名しか来ていない。マズイ。このあとは懇親会だ。他県より参加者が少ないのは本社トップのメンツに関わる。
に、逃げなければ。
が、まったく視線を外さないままニコニコと本社トップの笑顔が近づいてくる。逃げられない。。。
「懇親会に出なさい」
顔は笑っているが目がおっかない。
はい・・・。

さいわい懇親会まで2時間ほど時間が空いた。
いちどホテルにチェックインし、ウェアに着替えてシューズのひもを締める。
夕暮れの山形、市街地を走り始める。
部活帰りだろうか。大勢の中高生が歩いている。柄の悪そうな子があまりいない。みなまじめそうだ。
しばらく走ると、有名な文翔館に出た。

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有名な建物のはずなのに、すぐ前で子供がボール遊びをしている。ほかにも散歩したり話し込んだりしている人多数。何とも言えないまったり感。
もうしばらく走っているとさらにおもむきのある建物に出た。


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何とも言えないレトロな建物。仰々しい印象はなく、町の風景に溶け込んでいる。
そこからさらに走って、例の馬見ヶ崎河川敷に出る。
暑くもなく寒くもない空きの夕暮れ、空の広い川沿いの道を走る。
風景と自分が一体になったような気がする。
ランニングをやっていてよかった。そう思った。

1時間ほど走ってからホテルに戻り、またネクタイを締めて会場に戻る。
それにしても、知り合いのいない退屈なパーティというのは苦しいものです。立食のお料理をつついても味がゼンゼン分からない。数少ない知り合いも早々に帰ってしまい、ついに本社トップ、ナンバー2、ぼくの3人だけになってしまう。く、苦しい。ひたすら本社トップのおそば仕えに徹する。ワタシはビール注ぎ人形デース。とほほ。

2時間弱で懇親会は終了。長い2時間だった。
その後、クールダウンのために山形市内をクルマでうろついてみた。
なんて言うんだろう。夜が夜らしい気がする。闇が濃い気がする。
クルマを降りてみると、子供のころにかいだ夜のにおいがする。ついぞ忘れていた夜のにおい。
山形、住んでみたくなりました。雰囲気のある町です。

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2008年8月26日 (火)

竹富島

竹富島は、石垣島から高速艇で10分ほどの距離にある小島だ。
wikipediaによれば、周囲は約8キロほど。
島の中心に集落があり、昔ながらの古民家が建ち並ぶ。道路は白く輝く珊瑚の砂。
赤瓦の古民家と珊瑚の石垣、珊瑚の砂。美しい島だ。


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集落の外周と港の近辺はわずかに舗装道路が整備されているが、村の中は完全に昔ながらの風景。
古民家、石垣、白い砂。電柱さえも木でできている。
名物の水牛のバス?に揺られて村の道を進んでいくと、何とも言えないノスタルジーを感じる。
こんな南の島の風景は初めて出会うはずなんだけど。

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水牛の観光バスを降りて、自転車で島の中を見て回る。
気温は35度。汗だくだ。でも都会の暑さと違って、きつくない。体力も気力も根こそぎ奪われていくような暑さじゃない。日陰に入ってペットボトルの水を飲むとさわやかな風を感じる。
そしてなぜだろうか、空気の色がほかの島とまったく違う。
赤はくっきりと赤く、空は時間によって角度によって、全く違う深さの青を見せてくれる。
いちどデジカメのシャッターを切り始めるときりがないくらいだ。

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島の西側に突堤がある。その名も「西の桟橋」。
遠浅の海の向こうに、西表島が見える。
沖縄では見飽きるほど海を見てきたのに、ここから見る風景はとても美しい。
空と海の広さにあらめて感動。

どんなに周囲に雲がなくても、西表島の上には必ず雲がかかっているんだそうだ。
なんだかキングコングの島みたいだ。

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島で一番高い見晴台に上ってみた。
見晴台と言ってもそんなに高くない。せいぜい学校の校舎の3階くらいだ。
それでも古民家の屋根が連なる様子がよく分かる。

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午後7時を過ぎて、やっと日が暮れ始める。
日中の観光客が帰った後は、島の人と宿泊の観光客しかいない。
西の桟橋には観光客が集まって、日が傾いていくのをじっと座って見つめている。
ビールを飲みながら文庫本を読む学生。
犬を連れた島の女性。
蟹を追いかける子供。
みなが見守る中、やがて西表島の方、雲の間に日が沈み始める。

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不思議な光景を見た。
雲の切れ間から夕日が差し込み、天使のはしごが見える。
それが空をぐるっと回って、反対側まで縞模様になっているのだ。


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夕焼けでも夕暮れでも青空でもない、不思議な色の空。
マジック・アワーと言うんだろうか。初めて見た。こんな空。
あ、写真に写っているのはワタクシです。

写真には撮れなかったけど、夜がまた美しいんだ。
集落のメインストリートにはわずかに街路灯が灯っているが、横道にそれるといきなり真っ暗な闇。
静かで、草むらをわたるひそやかな風の音しか聞こえない。闇と静寂の中で、少し怖い気持ちになってくる。
でも目が慣れてくると、驚いた。
満天の星空。輝く月。白く浮かび上がる珊瑚の道。
降るような星、月、夜空、闇、静寂、すべてが美しいんだ。

きっとまたここにくる。そう思ったよ。

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2008年8月17日 (日)

石垣の海はきれいだった

昨日の夜半は雨が降っていたけれど、朝にはすっかりあがって快晴。
きょうは待望のダイビング。
いや、楽しかったです。
去年の沖縄も美しかったけど、石垣の海は本当にきれい。
色とりどりの珊瑚礁、大小さまざまの熱帯魚。透き通った海水。
マンタポイントには連れて行ってもらえなかったけれど、カクレクマノミもたくさん見れたし、何よりもきれいな海を潜っているだけで大感動。
妻のアトピーも調子が良く、夫婦二人、楽しく潜れました。

今回お願いしたのは、フジマリンサービスというダイビングショップ。
去年のCカード取得以来はじめてのファンダイブ。不安いっぱいだったけれど、気さくなガイドぶりで不安を取り除いてくれたのでした。
ファンダイブの女性二人、われわれ夫婦の4人での少人数ダイブ。
楽しかったです。

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2008年8月16日 (土)

石垣島に着いた

朝福島空港を出て、午後3時には石垣島に着いているんだから今の時代すごいもんだ。
ジャストの経由便の席が取れず、一本遅らせた。それなのに、東北の我が家から日本の最南端付近に日が暮れる前についている。感覚としては東京のちょっと先に来たくらい。名古屋に行った時の方が遠い感じがしたのに。
福島空港は小雨の降るぐずついた天気だったが、石垣島は快晴。

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通りに並ぶ家々のあちこちにシーサーが置いてある。
おもしろいのは、一つとして同じシーサーがないこと。ひょうきんなのがあり、どう猛なのがあり。
いい顔のシーサーが青空をバックにたたずんでいたので撮ってみた。


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町の看板に躍る文字が、見知った日本語のはずなのに、妙にふだん使っている言葉と位相がずれている。
「やきそば」だとばかり思ってよくみたら「やぎそば」だった。

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やぎ汁、やぎそば・・・そうだ、山羊料理も名物だったんだ。
こうもふつうに山羊料理の看板が出ているとは。ちょっとカルチャーショック。

さてさて、あすは待望のダイビング。
実に1年ぶりだ。機材のセッティングの仕方も潜り方も、すっかり忘れている。
「キンスイサン」とか、単語レベルでかすかに記憶しているのみ。ヤバ。
予習予習。と。

迷ったあげくにMacBookを持ってきた良かった。
こうして石垣島からもブログを書けるとはね。科学は進歩したよ。いやはや。

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2008年7月 2日 (水)

夏休み計画中

ただいま夏休みを計画中。
1年のうち、いちばんの楽しみだ。
同僚が産休に入る関係上、今年は夏休み取得可能期間が異様に短い。
サマソニの直前か直後しか空いていない。
考えた結果、サマソニが終わったらそのまま東京に泊まって、翌朝から旅行に出かけることにした。
今年も沖縄に行きたい。どうせ行くなら八重山諸島に行きたい。
石垣の海に潜って、マンタを見たい。
西表島から牛車に乗って島渡りをしてみたい。
どうせなら那覇にも泊まって、AAミーティングにも出てみたい。
うーん。
全部実現しようとしたら10日くらいかかりそうだ。
じっくり考えて、旅行のポイントを絞ろう。本島はあきらめて、八重山だけにするか。ううむ。
楽しみだな。

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2007年9月28日 (金)

旅行が終わり、ミーティングに出席する

楽しかった沖縄旅行もおしまい。
飛行機が落ちることもなく、台風で足止めを喰らうこともなく、あっさり予定通り帰ってきた。
きょうからまた仕事。
リフレッシュしたんだ!きょうからまた張り切って仕事だ!
そう思ったのもつかの間。
仕事がつらい。旅行の日々とのあまりのギャップに、身体もこころも順応できない。しまいには昼ごろから胃が痛くなってきた。

それでも何とか1日が終わり、夜はAAのミーティングに。
沖縄ではスケジュールの都合が合わずにミーティングに出ることができなかった。1週間ぶりのミーティングだ。
仲間の話を聞き、自分の話をする。
いつもと変わらないミーティングの風景。だけどきょうのミーティングはなんだか知らないが、とってもこころに染みた。
久しぶりに仲間に会えた安堵感か。いや、それもあるけれど、ちがう。
沖縄でゆったりできた時間とミーティングには、同じ種類の何かがある。何かに包まれているような安堵感。
職場では、たとえ休憩時間でもそんな気持ちにはなれなかった。
それだけ自分は、職場では気持ちが張りつめているのだろう。背伸びをしている、面子や体裁を気にしているといってもいいかも知れない。後ろ向きなことを言ったり動揺をあらわにすれば、周囲のスタッフに影響する。疲れたりダウンしかけている時も、そうそう本音を吐けない。
そんな風に、職場ではどうしても心の底から安心して気持ちを開くことができない。

ミーティングに行ってホッとした気持ちになるのは、そういった職場のストレスから解放されるせいもあるんだろう。もちろんミーティングは自分を見つめ、正直に、素直になる場所だ。依存症からの回復のプログラムが醸し出す空間は、結果的にとても居心地がいい。
気持ちが落ちつくのは、そのせいもあるんだろう。


「お入り」と彼女が言った、「あんたに嵐からの隠れ場所をあげるから」
-BOB DYLAN, SHELTER FROM THE STORM-

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2007年9月27日 (木)

沖縄美ら海水族館、森の中の喫茶店

9月26日
引き続きレンタカーで観光の日。
早起きして、沖縄美ら海水族館に出かける。那覇からクルマで2時間ほど。
沖縄の道路は車が多いせいなのか、距離のわりになかなか進まない。
それでも真っ青な空の下のドライブは楽しい。
水族館は、ビックリするくらい大きな水槽の中に、巨大なジンベイザメやマンタが悠々と回遊していた。
ジンベイザメの体長は12Mほどだろうか。ものすごく巨大。
マンタもそれに負けないくらい巨大。おお、おお。
サメやマンタも驚いたが、サンゴがたくさん水槽に並んでいたのにもビックリ。
色とりどりのサンゴの合間を熱帯魚がじゃれているのは、海中の風景そのままだった。
イルカショーもおもしろかったです。

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イルカも良かったけど、その背景の海と空の美しいことと言ったら。いいなあ。沖縄。

それにしても、街のあちこち、ビルのそこかしこ、どこにでもシーサーがいる。
バリに行った時にも、名もない道祖神の像があっちこっちにあったけど、まさにそんな感じ。
最初は取っつきにくかったシーサーだが、だんだん慣れてきた。
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あっちこっち写真を撮っていると、日差しでだんだん疲れてきた。
クルマで少し移動して、本部町の喫茶店「藍風」へ。
山の中、緑に沈むように位置する喫茶店。

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ケーキセットをいただきつつ、絵はがきを書く。
スポンサーや自分の両親、妻の実家に手紙を書いていると、あっという間に時間が過ぎていく。
暑いはずなのに、緑をくぐって届く風はとても涼しい。
まったりと時間が過ぎていく。

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そうこうしているうちに日没。
夕食をとったレストラン、「カサラティーダ」から日没を見る。
息を呑むほど美しい日暮れ。
妻と並んで、言葉も忘れて日が沈むのを見ていました。070926okinawa05


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2007年9月26日 (水)

首里城、首里そば、ひめゆりの塔

25・26日の二日間は観光の日。もうすみずみまで、どっぷりと観光。
25日はレンタカーを借りて首里城へ。
石畳に熱帯の花の咲き乱れる、きれいな遺跡。
琉球の歴史を知るにつれ、「そうか、琉球の人にとって日本人は侵略者なんだ」という、何とも不思議な感覚が込み上げてくる。

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消滅した琉球と言う国のことを考えながら、美しい首里城の遺跡を散策。空の青、雲の白、ブーゲンビリアの赤、自然の色合いがくっきりしててとてもきれい。


お昼は行列のできる「首里そば」へ。まだ回転して30分も経っていないころなのに、すでに10人以上が待っている。

首里そば(大)、およびじゅーしい(混ぜご飯)を頼む。美味なり。
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その後、付近の石畳の小道を散策。
沖縄の裏道は、ただ歩いているだけで楽しい。いや、もともと裏道好きで、小さい路地を歩くのが好きなだけなんですが。

日が暮れる前に、妻のリクエストでひめゆりの塔へ。

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詳細はまたあとで書きたいが、いやすごかった。ひめゆりの塔記念館。
戦争とは、これほど狂った行為なのか。何と悲惨でむごい行いなのか。
あまり気乗りしないで行った場所だが、ものすごいインパクトを受けた。
近ごろ9条を変えろとか旧日本軍は民間人に自決強要をしなかったとかムチャクチャを言っている輩がいるが、どうせ言うならぜひひめゆりの塔の前で言っていただきたいと思った。
とにかく戦争反対。絶対反対。

沖縄の歴史と戦争について考えた一日でした。

ところで、晩ご飯を食べに言ったお店のメニュー表。

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ラーメン450円。
みそ汁500円。
いいねぇ。いいよ、沖縄。

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2007年9月24日 (月)

砂辺No.1その2

ダイビング講習、二日目。
7時20分ホテル発。正直きつい。きのうの疲れが取れてない。
それでも機材を装備して海に入ると、目の前の景色にすっかり心を奪われてしまう。
きょうは緊急スイミングアセントとコンパスの実習。あとフィンピボット。
コンパスの使い方がイマイチ良く理解できず、なんと同じ班4人のうち、自分だけやり直し。しかも4回も。
でも、一生懸命教えてくれているんだな、と思うときつく感じない。じっさい、いざという時にコンパスが使えないとたいへんなことになるだろうし。あやふやにせず、しっかり教えてもらった方がいい。
4回目でどうにかコンパスをパスする。
(フィンピボットってのは、こういうことです)
呼吸で身体を浮き沈みさせる技。これで中性浮力を維持して、水中で態勢を保つ。
これもあまりうまくいかなかったが、まあ何とかパス。

実習はこれでおしまい。
オプションでファンダイブを1本追加。
いままではあくまでスキル講習が中心だったので、あまりサンゴの生えているところには行かなかった。
最後のファンダイブで、インストラクターさんは思いっきりきれいな景色に連れて行ってくれた。
見渡す限りのサンゴ。ソフトコーラル。
色とりどりのきれいな魚たち。
実習でバタバタしていたちょっと先に、こんなきれいなポイントがあったとは。
体長5ミリにも満たないような、生まれたばかりのちいさなカクレクマノミも発見。おおニモだニモ。
魚の群れに交じって泳ぎ、鮮やかなサンゴ礁の上を自由に渡っていく。
沖縄に来て良かった。。。

実習が早く終わったので、有が宝町にしょくじがてら観光に出かける。
やちむん通りを歩いて平和通りを抜け、国際通りへ。
やちむん通りは沖縄の古い家並みが並び、あちこちにシーサーが飾ってあった。


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ちょっといかついが、味わいの深い造形だ。
途中、自販機の上にトカゲを発見。てっきり自販機の看板のレリーフかと思って触ってみたら、急に動き出した。

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その後、国際通り裏の「かつを飯 苗」という食堂で晩ご飯。
名物のかつお飯、苗サラダ、お刺し身、グルクンの唐揚げ、てんぷら盛り合わせなどをいただく。
どれもたいへん美味しい。
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飲み物にシークワーサーのジュースを取ったのだが、とっても美味しかった。
デニーズのシークワーサージュースしか知らなかったのだけど、本場沖縄のは柑橘系の甘味と酸味が絶妙。かぼすを絞ってさらに味がきりっとなる。
美味しゅうございました。
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さーてダイビングの講習も終わったし、あすから張り切って観光だ!
・・・と思ったら、デジカメが壊れてショボン・・・。
あと、講習したお店のブログにさっそく写真がアップされていました。おお、早いなー。

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2007年9月23日 (日)

沖縄、砂辺NO.1

沖縄に来ました。
朝9時台の飛行機で羽田を発って、那覇へ。
那覇空港に着いたのが午前11時半ごろ。そのままダイブショップのクルマに案内され、ダイビングショップへ。
クルマでおよそ1時間。途中でローソンを経由して、昼食は車中でローソンのパンを食べる。ほどなく砂辺No.1というポイントへ到着。そのまま海洋実習。

実習。

実習。

また実習。


終わってホテルに帰ってきたのが夜9時近く。

いやー。
ダイビング教習がこんなにしんどいとは思っていませんでした。
車中でハンドサインや本日の実習内容などのブリーフィングを済ませ、着くとすぐにウェットスーツに着替える。そのまま海岸沿いの道路でBCジャケットやレギュレータのレクチャー。
ウェットスーツのすそから汗がだらだら流れてくる。
レギュレータとボンベの接続、水中での呼吸法、レギュレータが外れた時の対処法、バディ(一緒に潜る仲間)のレギュレータが外れた時の対処法。など。など。
ようやくレクチャーが終わり、浅瀬に移動して1本目のダイブ。
一本目のダイブが終了した時点で相当にヘトヘト。
海中での動きはやはり慣れていない。それに加え、水面に浮かんでレクチャーを受けていると、波に揺られてだんだん気持ち悪くなってくる。
岸に引き上げて休憩しているとすでに夕刻。きょうの教習はここまでか。やれやれ面白かったけど疲れたな。
そう思っていたら、2本目のダイブを敢行。

すべての実習内容を終えて海上に上がってきたら、すでに日の入りギリギリ。
それから実習生(われわれも含めて8人)が順番にシャワーを浴び、荷物の整理をし、クルマに乗る。
いやはや。面白かったけど疲れた。

帰りの車中ではわれわれ以外の6人が全員疲れ果てて寝ている。われわれ以外はみな20代前半だ。
元気が残っているのはわれわれ夫婦くらい。おお、日ごろのランニングで体力がついたせいかも。

ホテルにチェックインして食事に出かけたりしていると、あっという間に日付が変わりそうになる。
あすは7時20分集合。うう。

海中から見上げる空はきれいだった。
海の中は自分の呼吸の音しか聞こえなくて、いろんな熱帯魚が泳いでいて、現実と切り話された別世界だった。
カクレクマノミも発見。妻はバランスを崩し、カクレクマノミ2匹を蹴り上げそうになる。これこれ。
海ヘビの一種だろうか、細長いにょろにょろした生き物も見つけた。
沖縄に潜りに来て良かった。
海上に浮かんで、いままさに没しようとする夕日。
海と太陽と夕日がとてもきれいで、その瞬間は疲れなんてどこかに吹っ飛んでしまったよ。

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2007年9月22日 (土)

きょうは羽田、あす那覇へ

仕事の重力を振り切って職場を脱出。ゲッタウェイ!きょうから夏休みです。
一年間、待ちに待ったバケーション。やった!ことしはフジロックにいけなかった分、めいっぱい楽しんでくるつもり。
きょうは羽田近辺のホテルに前泊。あす朝いちばんの飛行機で那覇に行きます。

今回はMacBook持参。
重たいから持ってくるつもりはなかったんだけど、ケータイの充電もできるし動画も撮れるし、思い切って持っていくことにしました。
今回ほとんど下調べらしい下調べをしていないから、使い慣れたMacBookでネットができた方が良いしね。

それにしても、同じマシンで同じような作業をしていると、ふと自宅にいるような錯覚に陥る。
イカン。なにか「遠くにきた」っぽいことをしなければ。

夕食を食べに出たホテルの近く、とあるラーメン店。


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ラーメン大学。まぁありがちな名前だ。
しかしそれを略語にするのはどうか。ラー大。

ああきょうはこんなネタしかない。あす早いのでもう寝ます。

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2007年8月21日 (火)

ダイビングのライセンス2

受講したのはわれわれ夫婦、若い女性二人組。若いカップル。合計6人。
30を越えているのはわれわれ夫婦だけである。あとはどう見ても20代の若者たちだ。
講義が始まる。
浮力の話、深度と体積と密度の話。物理の初歩だ。何せ数百ページもの分厚い教科書を1日でこなすため、先生の話も要点だけ。テキストの要点をかいつまんで、どんどん進んでいく。
最初の小テスト。問題を飛ばし読みし、解答の選択肢も飛ばして読んですらすらっと答を書き込む。
一番速いのはオレだ。オレに決まっておる。
そう思って顔を上げたら、カップル男がすでに余裕で終わっていた。終わった上に、彼女に耳打ちして答えを教えていたりする。むっ。
そう思っていたのもつかの間、女性二人組もあっという間に小テストを終えた。あまり熱心に講義を聴いていたようには見えなかったにも関わらず、だ。

やるな。こ奴ら。

しかし、講義が進むに連れてさらに能力差は明らかになっていく。
RDPと言う計算板を用いてダイビングプランを試算するセクション。ぼくは先生の話を聞いても、いまひとつ理解できない。しかし、ぼく以外のメンバーはまったく悩むことなく先に進んでいる。
がーん。
勉強ごとは得意のはずだったのが・・・。

お昼を回ってからは、若い女性二人組は明らかに飽きている。講義にもビデオにもまったく集中していない。
カップルの方はそれ以上で、女の方が男の髪の毛をなでていたり、互いに何か耳打ちし合ってはくすくす笑っていたり、ほとんどまともに聞いていない。おいおい、あんたら、先生のすぐ前でしょうが。
それでも単元テストはすらすらと書き進み、ミスもない。
ヒッシこいて集中しているぼくの方が、あきらかに理解力が低いのである。

計算板を用いた問題は、先生に何度か質問してある程度理解できた。
最終テスト。
カップル男はあっという間に答を書き終わり、先生に解答用紙を見せに行った。満点で合格。
その後カップル女のところに戻り、あろうことか自分の答えを写させている。
カップル女、もちろん全問正解。
それから女性二人組が席を立ち、先生に解答用紙を見せに行った。ひとりは2問間違いで、もうひとりは多少不正解が多かったものの、合格。
最後に残ったのがわれわれ夫婦である。

妻、50問中49問正解。自分、50問中45問正解。

あああ。明らかに講義に集中してない若者たちよりも、さらに飲み込みが悪い自分。
なんつーか。年齢を実感しました。
勉強ごとは得意だと思っていたけど、20代の若者が新しい物事をあっという間に覚えて使えるようになっているのを見ると、年相応に頭が固くなっている自分を痛感しました。
カップル男はIT関連の仕事のようで、秀才風ではあったけど。
ああしかし悔しい。丸一日勉強して、いちゃいちゃカップルよりも成績が悪かったことが悔しい。
うーんうーん。

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2007年8月20日 (月)

ダイビングのライセンス

ダイビングのライセンスを取ることにした。
海のきれいなところに旅行すると、必ずオプションにダイビングの項目がある。
いままで2回潜った。バリのムンジャンガン島とオーストラリアのグレートバリアリーフ。とてもきれいだった。信じられないくらいの別世界だった。
でもライセンスがないと、毎回「体験ダイビング」だ。
ダイビングの基礎的なレクチャー、装備の名称、ウェットスーツの着方、ハンドサインなど、同じガイダンスを毎回受けることになる。長い長い説明のあと、ほんとうに短い時間だけダイブ。
2回目ですでに、同じレクチャーの繰り返しに飽きてしまった。
体験ダイビングを卒業して、もっと海中の世界に近づきたい。
今年の夏はダイビングのライセンスを取得することにした。

いくつかライセンス取得ツアーを探した。
どこもだいたい4日間の日程だ。学科講習で半日ないしまる1日を費やす。
せっかく海のきれいなところまで行って講義で1日を費やしたくない。
探してみると、学科講習は事前に東京で済ませてしまえるツアーがあった。

きのう、その学科講習を済ませてきた。
新宿西口にあるダイバーショップの一室。
丸一日講義、ビデオ、単元ごとの小テストの繰り返し。最後に本試験を行ない、50問中38問正解すれば合格。

受講資格は「15歳以上」だと言う。ま、ラクショーでしょう。
と甘い考えでいたのが悪かった。
つづく。

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2007年7月30日 (月)

仙台の写真

口頭試問だってのに、仙台にランニング用のウェアとシューズを持参。
早朝5時ごろから2時間ばかり、観光がてらあちこち走ってきました。
写真を何枚か。

070728sendai01


早朝の仙台の町、歩道も広くて走りやすかったです。早朝なのにケバいおねいちゃんがたくさん路上にいたのにはビックリ。


070728sendai02


青葉城址から見下ろす仙台の町並み。
朝焼けに照らされる高層ビルが美しい。
市街地から20分ほど走っただけでこんなきれいな風景。いいね。仙台。


070728sendai03


お約束、伊達政宗公。
眼帯してたかどうか、確認するの忘れた。

美味しいお店もライブハウスもあってジョギングコースも起伏に富んでいる。自然がきれい。
いいね仙台。引っ越しちゃおうかな。

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2007年1月14日 (日)

またまた仙台

きょうは仙台で講習会。
東京でいつもの会議も開催されており、どちらに出席するか迷う。が、今回は仙台の方に出ることにした。
妻と二人、高速バスで仙台へ出かける。ぼくが講習会の間、妻は街をぶらぶら。
仙台はなにかのお祭りらしく、サラシ姿の男達が街のあちこちを練り歩いている。
暖冬とはいえ1月。見ているだけで寒そうだ。


Omaturi


せっかく仙台に来たので、ちょっぴりぜいたくをしてランチを張り込んだ。
kitokitoと言う、魚料理の美味しいお店。
ここの料理は絶品なのだ。
広い天井とゆったりした間取りの店内には、水が流れている。静かで、耳障りな音楽も流れていない。落ちついたお店でランチを食べ、リフレッシュ。


Kitokito

今回はランチコースを選択。
前菜盛り合わせ、魚料理、メイン、デザート。
写真は前菜。まぐろのカルパッチョ、鮭のテリーヌ、イカの明太子和えの3種盛り。
どれも素材本来の美味しさが引き立っていて、とても美味しい。ほうじ茶がボトル(?)で出てくるのも良い味を出している。
あ、グラスに注いであるのはオレンジジュースね。


Kitokito2

講習会自体はほとんどレジメをなぞっただけで終了。それでもたっぷり2時間かかる。
さいわい雨も雪も降らず、無事に行って帰ってこれた。
帰りはフォーラスで友人の誕生プレゼントにマフラーを購入。
良い一日でした。
それにしてもkitokitoの料理は絶品なり。ノロウイルス騒ぎで魚料理のお店はたいへんらしい。めげずにがんばって欲しいものです。

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2006年11月 4日 (土)

渋谷に行ってきた

日帰り出張から帰ってきた。
夕方やや時間があったので、渋谷に行ってきた。
渋谷に行くのは数年ぶりだろうか。
もともと「人が多い」「道に迷いやすい」という印象で、建物などあまり細かいところは覚えていない。
今回もやはり人が多く、そしてやはり道に迷った。
2階建てバスが走っていたのにはビックリ。
Deckerbus


たしか本家ロンドンでは治安上の理由だったかで廃止になっていたはず。
日本でこんなものにお目にかかれるとはね。

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2006年7月20日 (木)

仙台の横丁

仙台にはちいちゃい横丁があちこちにある。
飲み屋から定食屋、牛タンの店などが、わずかばかりの敷地にぎっしりと詰め込まれている。
表通りからふと道をそれると、まったく雰囲気のちがう裏町が広がっている。
こざっぱりとした表通りと、ゴミゴミしてて昭和の香りのただよう裏手の横丁。

ちなみに、あるお店の店先でこんなのを見つけました。

Yokochou02


ざっと見ただけで100種類以上はある・・・。
ちなみにこれはメニューの2枚目。ほぼ同じくらいぎっしり書き連ねたメニューが、もう1枚あります。
お店のひとはメニューの品名と値段、憶えているんだろうか。ナゾ。

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2006年6月27日 (火)

仙台SHIPS cafe leaf&beansのケーキに驚くの巻

仙台の話のつづき。
アップルストアに行ったとき、近所のカフェでお茶を飲んだ。
SHIPSの1Fに出来たカフェ、leaf&beans。

SHIPS

ここのチーズケーキがすごかった。
食べても食べてもちっとも減らない。
Cheesecake


ピンボケの写真で分かりづらいけど、かなり巨大。豆腐1/2丁くらいの大きさ。いや、それよりもさらに背が高いか。
巨大かつ、密度がハンパではない。ずっしりと、みっちりと、重い。
食べているうちにだんだんお腹がいっぱいになってくる。残そうか。残すまいか。ケーキを食べ切れずに残すなんてもったいないことはしたくない。でもこれを完食するのはチト難事業だ。
周囲を見渡すと、同じようにケーキセットを食べている女性客が多い。み、みんなほんとにこれ、食べ切れているの?
妻はストロベリータルトを注文した。
これもまた巨大だ。Strawberrytarte


それでもチーズケーキよりはまだ小さい。こちらは夫婦で分けあって完食。
ふとまわりを見渡すと、驚いたことにほかの客たちはみなケーキを食べ切れず、残したまま立ち去っている。右。左。そのまた奥。みな半分くらい残している。
それを見た瞬間、なぜか妙な闘争本能が沸き立ってくる。周囲は全滅。残るはわれ一人。ここで残してなるものか〜!

結局、何とか完食。しかしこちらも無傷ではすまなかった。お腹が重たい。まっすぐ歩けない(ちょっとおおげさか)。これから仕事だと言うのにすでに眠い。勝利の代償は大きかった・・・。

きょうくん。
腹も身のうち。
・・・以前、まったく同じフレーズを書いたような憶えが・・・。
気のせいだよね。ピース。

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2005年11月27日 (日)

仙台でリフレッシュの巻

仙台でいちにち遊んできました。
とあるバーゲンに行ってビジネスシャツとネクタイ、パンツを購入。
あとは街をぶらぶらと歩いて、お菓子や笹かまぼこをちまちまと。
仙台、町中に行くのは久しぶり。AAの集まりでは時々行くけどほとんど公民館に直行・直帰だからねー。
そうそう、とても居心地の良いカフェを発見。
ココログで見つけた仙台版夫婦善哉で紹介されていたTHE LOVING ROOMというお店です。
autumnsweets
仙台版夫婦善哉さんで紹介されていた、秋のsweets盛り合わせ。
絶品なり・・・。
チョコバナナチーズケーキ、柿、パンプキンプリン、カシスのアイスクリーム。それに線状に延ばしたアメが乗っかっているの。味も絶品、見た目にも美しい。
この日は秋のsweets盛り合わせは最後のひと皿だとかで、妻とぼくとでひと皿。それにミニバナナパフェを追加。
お店もとても落ち着いた雰囲気。モルディブなどのアジアンリゾートの写真集がさりげなく置いてあったりして(ソネバフシも載っていた)、イイ感じ。店内はボサノバが薄くかかってて、テーブルもゆったり配置。ソファやイスもアンティークな感じ。
sweets盛り合わせを食べてお茶を飲んで写真集をぱらぱらとめくっていたら、あっという間に時間が過ぎ去っていきました。
こういうお店、近くにあったらいいのになー。
いやー、リフレッシュできましたよ。
Christmas
街はもう、あちこちでクリスマスの飾り付け。
日暮れごろはイルミネーションがきれいで、つかの間の非日常でした。
また行きたいなー。
うぉし、またあすからがんばろうっと。

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2005年6月13日 (月)

南の島でゴロゴロしたい

sonevafushivilla01
旅行から帰ってきてまだ一週間も経たないのに、SONEVAが懐かしくなってきた。
思えばひたすらゴロゴロしている日々は最高のぜいたくでありました。なんせ、1日10時間近く寝ていたもんなぁ。
ほかのゲストが8時を回っても食事に来ないのを見て「みんなゆるんでるなー」などと思っていたら、最後の方はぼくたちがいちばん遅く朝食を食べていた。11時ぎりぎりにレストランに来て、駆け込みで朝ご飯。
ヴィラに戻ってゴロゴロ。昼寝。またゴロゴロ。昼寝アゲイン。さすがに飽きてきて適当な時間に起きて自転車で島を回っているとあっという間に夕暮れ。暮れていく太陽を眺めてヴィラに戻り、適当な時間に晩ご飯を食べる。
で、いちにちがおしまい。
ザッツ、シンプルラーイフ。
そうそう、よもや使うことなどないだろうと思いながら持参した懐中電灯。非常に役に立ちました。
日が暮れてからの移動は非常にあたりが暗く、おまけにときどき道々の照明が途絶えているところがあって、かなりスリリング。真っ暗なジャングルの中、懐中電灯の明りを頼りに自転車を転がしていくのはとっても非日常な体験。考えてみたら、真っ暗やみなんて日ごろ体験できることじゃないもんなー。
あー。
何だかもう2年も3年も前のことのような気が。
思い出が遠ざかって行くぅぅぅっ!
南の島、カムバーック!
あいわなゴロゴロえびーでーっ!ゴロゴロゴロゴロおーるでいろーんぐっ!

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2005年6月10日 (金)

SONEVA FUSHIの沿革

SONEVAFUSHI(ソネバ・フシ)はもともとはちがう名前の島だった。
ここに、ソヌーとエヴァーソンという夫婦が登場する。まだ若さの残照が十分に残っている年代の、白人の夫婦だ。
ソヌーはかねてより、素敵なリゾートへ連れていって欲しいと言う宿題を出されていた。はじめソヌーは、エヴァをインドのゴアに連れていった。
が、そこはエヴァのお気に召さなかったようだ。どこかくつろげる、すばらしいリゾートはないものか。
そこでソヌーはエヴァのために、モルディブにリゾートを作ることにした。
エヴァを満足させることができるなら、きっとそこは素敵なリゾートになるにちがいない。
1980年代の半ばのことだ。
当時のモルディブは、外国籍の個人にリゾート建設の許可を出していなかった。
モルディブの人間か、ごく限られた国際的な業者にのみ許可を出していた。もちろんソヌーに許可は下りなかった。
それでもソヌーはあきらめず、モルディブ当局に粘った。
最終的には−ソヌーがすでにほかにホテルの権利をいくつか持っていたことも幸いし−現SONEVAFUSHIにリゾートを造る許可を得た。
彼らのポリシーはふたつ。
1.完全な快適さとプライバシーが得られること。
ヴィラと呼ばれる家屋にゲストは宿泊するが、この家屋は十分な距離を持って建てられなければならない。ミスターまたはミス・フライデーという従者を通じて、ゲストの望みは速やかに満たされなければならない。またたとえば、スタッフはスタッフ同士で話をするときでも英語をしゃべらなければならない。ゲストに理解できないことばを使うのは「フェアではない」からだ。
2.環境を破壊しない。
特筆すべきことに、彼らはすでに「自然にノー・ダメージでリゾートを建築することは可能である」と言う理念を持っていた。1980年代の半ばにこの理念を抱いていたことは、ぼくは尊敬に値することだと思う。
いまでこそCSR(Corporate Social Responsibility−企業の社会的責任)などと言うことばは当たり前になっており、企業が環境に配慮を払うのは当然の責務とされている。が、当時はリゾートと言えばすなわち環境破壊だった。ソヌーとエヴァは、環境は絶対に破壊しない、という理念を最初から明確に保っていた。
このふたつの理念に基づき、90年代の半ばにSONEVAはオープンした。ソヌーとエヴァの名前を取り、SONEVAFUSHI(FUSHIは環礁の外側にある大きな島、の意)と名付けられたであろうことは想像に難くない。
ソヌーとエヴァの理念は、今も十分に保たれている。
この島で暮らしていると、驚くほどプラスチック系のゴミが出ないことに気がつく。出るプラスチックゴミと言えば、フィルムの包装など、ひたすら日本から持っていったものだけだ。
建物は木と漆喰と葉っぱでできている。道路は土で、その上をスタッフもゲストも裸足で歩く。彼らが持ってくる書類もホチキスは使わず、パンチ穴を開けた紙を細い荷造りヒモのようなロープで結んであるだけだ。ゲストの荷物を運ぶのも運搬用の自転車か、電動カート。さらに自前の農場があり、ここで供される食材のかなりの部分がその農場から生み出される。電気と水はなるべく節約するよう、ゲストにも求められる。電気と水はこの国では貴重品だ。どちらも飛行機を使わないと供給できない。そして電気を抑えた分、SONEVAではまばゆい照明もうるさいBGMもない、ゆたかでしずかな夜の闇を感じることができる。
SONEVAがやっていることは、とてもコストのかかることだ。
コンクリートの巨大ビルディングを建てて集中管理のエアコンにした方が安上がりに決まっている。農場のスタッフの人件費を考えたら、食材など空輸した方が手間もコストもかからないに決まっている。電動カートなどより中古の自動車を買った方が安いに決まっている。じっさい、ここのスタッフは350人ほどだと言う。ヴィラの数が60ちょっとだから、単純にヴィラひとつあたり2人のゲストと考えても、SONEVAがどれだけコストパフォーマンスの悪い施設かが分かる。
にも関わらず、彼らはイージーな方法を選択しなかった。コストダウンよりも環境を選んだ。
これは、繰り返しになるけど、1980年代半ばの企業家の理念としてはたいへん先進的なことだ。
ぼくは彼らの姿勢に共感を感じずにはいられない。この、ヒッピーのコミューンの発展系みたいな自給自足のリゾートで、ぼくたちは思いきり自然を満喫し、取れたての自家製野菜を食べ、快適にハネムーンを過ごすことができた。
ここにいるだけで、ここを造ったひとたちが何を考え、何を望んでいたのかが分かるような気がする。何よりも、P嬢をはじめとしたスタッフの上品で生き生きとした表情や振る舞いを見れば、ここがいかにうまく機能しているかが分かる。P嬢ほか、メインスタッフは24時間住み込みだ。2か月で1週間程度のやすみがもらえるらしいが、それ以外はずっとソネバに詰めている。それでも彼女たちはゲストに献身的なサービスを尽くし、笑顔とユーモアを忘れない。要するに、楽しくやりがいのある職場じゃないとやっていけないはずなのだ。
この文章のもとになった「six-senses cook book」
このほんの表紙見返しに、ソヌーとエヴァの写真が載っている。
SONEVAFUSHIのみどりの小道の木漏れ日で、それぞれ自転車に乗った二人が笑いかけている。40歳手前くらいだろうか。ソヌーは丸い眼鏡をかけて髪がやや後退していて、知的な笑顔を浮かべ、自転車を漕ぐ手を休めている。エヴァはその隣で、白いサンドレスに身を包んで朗らかに笑っている。あざやかな白いサンドレスとおんぼろ自転車の対比がユーモラスだ。
この本は結局購入せずに、SONEVAでいちど読んだだけだ。
それでもソヌーとエヴァ、裕福で屈託が無く、彼らの持てる資産と能力を正しいことに使いたいと願っている善良な白人夫婦。
彼らの笑顔は記憶の中に焼き付いている。

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2005年6月 9日 (木)

SONEVAFUSHI RESORT ニュースも靴もない国

モルディブで、SONEVAFUSHI RESORTと言うところに泊まってきた。
首都マーレに着いたのが深夜。
そこで一泊し、翌早朝に水上飛行機でSONEVAに出発する。
1時間ほどでSONEVAに到着。
モルディブはどこも、基本的に一島一リゾートになっている。SONEVAもその例にもれず、その島丸ごとひとつが「SONEVAFUSHI RESORT」になっている。
水上飛行機からボートに乗り換えて島へ向かう途中、布の袋を渡される。
「NO NEWS NO SHOES」。
この島にはニュースも靴も必要ありませんよ、ニュースも届かないし靴も履かない、現実と隔絶した生活を送ってください。この施設のコンセプトを象徴するフレーズ。
われわれはボートの中でその袋の中に靴を封印し、以後、じっさい靴を履かなかった。
ゲスト一組に対してひとりの執事がつく。
この島はロビンソー・クルーソーを意識して作ってあり、ロビンソンの従者になぞらえて「ミスター(またはミス)フライデー」と呼ばれる。
われわれにはPさんと言う、若い女性の執事がついた。
以後、食事の案内や各種アクティビティの手配など、すべて彼女に頼むことになる。
またとくに頼むことがなくとも、顔を合わせるたびに「たべものはどうですか?」とか「あすは天気が良いと良いですね」とか、なにくれとなく話しかけてきてくれる。異国で萎縮しているわれわれにとって、彼女の存在はとても大きかった。

SONEVAはシーズンオフのせいもあり、とても人が少なく、静かだ。
わずかに数名のゲストもひっそりと滞在しており、顔を合わせることはほとんどなかった。メインレストランで1〜2組のゲストに出会ったが、われわれと顔を合わせるとあいさつをかんたんに交わすものの、それ以外は自分たちのテーブルでささやくように会話しているだけだった。
この「ささやくように話す」というのがこの島の流儀らしい。
ウェイターもルームアテンダントも上品に微笑み、ささやくように英語を話す。
静かな島。
静かなスタッフ。静かなゲストたち。
唯一の例外がミス・フライデー(ゲスト・リレーションズ・オフィサーと言うのが正式な役職名らしい)のP嬢だけで、彼女だけは元気いっぱいに話しかけてきた。
途中で音楽の話になると、「わたしのCDを貸してあげる」と言ってヒンディー・ポップのCDを貸してくれた。
それからしばらくは、部屋のCDデッキでメランコリックなそのCDを聞き続けた。

部屋はゲスト一組につき一家屋になっている。
「ヴィラ」と呼ばれる、木と漆喰とヤシの葉っぱで作られた住まい。ソファとクッションがあちこちに置いてあって、目の前の砂浜と海が見える。裏手は半屋外のシャワーとバスタブになっていて、太陽の光の中で入浴ができる。
この島はほんとうにしずかだ。
鳥の声、沖を行く船のモータの遠いうなり。風と波の音。
それ以外にほとんど物音は聞こえない。
TVをつけるが、もちろん番組なんて映らない。ここのTVはDVD視聴用だ。TV番組なんて映らない。
ニュースも靴も必要ない国。
目を閉じると、太陽が降り注ぐ音まで聞こえてきそうなくらい。

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2005年5月24日 (火)

モルディブ

つぎの日曜からいよいよモルディブ行きだ。
しかし、旅行の準備をなーんもしていない。実家からスーツケースをイッコ借りてきたのみ。
(^0^)/キャハハ
水着?うーんどこ行っただろ。
えーと、パスポートはとりあえずあるから良いっか。航空券その他はまだ届かない。
デジカメ、メモリカードが足らんなぁ。
フィルムのカメラも持って行くから、フィルムとフィルムバッグ。うちにないから買ってこなくっちゃ。
そうそうそもそもスーツケースももうひとつ買ってこないとおみやげがはいらんなぁ。
えーとえーと・・・・

あああっ!

ま、間に合わんっっ!!

おおおお、おちつけ落ちつけ・・・まだ間に合う、まま、まだ間に合う・・・。
とりあえずモルディブの下調べだ。
モルディブポータルサイト

そうか、公用語はディべヒ語って言うんだー。
イスラム国なんだね。チップはどうするんだろう。ベッドメイクイッコにつき1ドルか。ふむふむ。
・・・とか言っている間に準備をしなくっちゃ!
ああ〜〜!パニックだよパニック!
おお、落ち着け落ちつけ。
AAの精神を忘れるな。
受け入れる落ち着きを、受け入れる落ち着きを・・・・

・・・って受け入れてる場合じゃない〜!

行動だ行動!

スーツケース買わなくっちゃ!

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2004年7月18日 (日)

淡い恋とロック喫茶

引き続き職場に拘束中です。
ちょくちょく現場から呼び出しがかかり、マツケンのサンプリング作業は遅々として進まず。
ソフトの操作になれてきただけでも良しとするかねー。

ナゴヤの話のつづき。
千種、というところにぼくの通っていた予備校はあった。
そこから地下鉄で一駅、徒歩で10分ほどのところに今池というエリアがあった。パチンコ店と郵便局の本局とマッチ箱みたいに小さな赤提灯と風俗店が建ち並ぶ、おかしなエリアだった。
ちょっとサヨクがかった文芸系の映画館があったり、コクトーやボードレールやバタイユが充実した小さな本屋があったりと、60年代のアンダーグラウンドのかおりが残っているエリアでもあった。
予備校でも寮でもぼくはひとりの友達も作らず、せっせと今池に足繁く通い、行く当てもなくうろついていた。
「時計じかけ」という名のロック喫茶を偶然見つけたのも、そんなときだった。

時計じかけでは「ロックを聴く」以外のいっさいの作業が許されなかった。
その店は雑居ビルの地下一階にあった。ぼろぼろの急な階段を下ると、分厚い真っ黒な扉の向こうから重低音が伝わってくる。
扉を開けると、いきなり闇だった。その店には照明というモノがほとんどなかった。さほど広くない店は中2階と1階のふたつのエリアに分かれていて、それぞれ4人がけのテーブルが4つほどあった。テーブルの上に薄暗い白熱灯がぶら下がっていたが、なぜかものすごく暗く、手元の本もろくに読めないくらいだった。
そして常に轟音でロックが流れているので、会話をすることもできなかった。席に着くと店員がオーダーを取りに来るのだけど、大声で注文をしないとかならず聞き返された。
そこはすぐに、寂しさと不安を沈めることができる唯一の場所になった。
時計じかけは、間違いなく硬派のロック喫茶だった。ちゃらちゃら話をしたりロックを聴く気のない客はいなくていい。そう言う雰囲気がそこかしこに漂っていた。たまにカップルが紛れ込んできたが、彼らは例外なく、大音量に負けじと大声で話をし、そして不意に訪れる曲間の静寂で、ほかの客から白い目で見られた。テーブルにはそれぞれ大学ノートが置いてあって、思春期丸出しの気恥ずかしくなるような文章が並んでいた。ふしぎなことに、その店にはほとんど客が入っていなかったにもかかわらず、大学ノートにはいつも新しい書き込みがあった。ぼくもすぐに、店の暗さにもめげず、ノートにせっせと書き込みをするようになった。
その店では洋楽、それも60年代から70年代のシリアスなロックしかかからなかった。50年代のスリーコードのロックンロールがかかることもなければ、80年代のコンピュータミュージックがかかることもなかった。だれも知らないようなマイナーなバンドの曲が流れ続けていた。そこでぼくはいくつものすばらしいミュージシャンを知るようになる。ケイト・ブッシュ、トム・ウェイツ、デビッド・ボウイ、モット・ザ・フープル、エリオット・マーフィ、コックニー・レーベルなどなど。デビッド・ボウイは「レッツ・ダンス」以降のモダン・ポップ路線しか知らなかったので、シリアスな表現者としての楽曲には接したことがなかった。地下の真っ暗な闇に沈んで轟音の「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」を聴いていると、暗い夢見心地のきもちにさせてくれた。モット・ザ・フープルのうたう「すべての若き野郎ども」のせつないメロディに日々の不安を忘れることができた。ナゴヤの厳しい夏の暑さも、時計じかけの暗闇には届かなかった。コンクリートの壁に囲まれて、ぼくはロックに首までどっぷりと浸かっていた。

ぼくの注文はいつも同じ、アイスミルク。時計じかけと言えば、やっぱりミルクでしょう。
キューブリックの映画「時計仕掛けのオレンジ」では主人公は麻薬入りのミルクを飲んでいたからね。
時計じかけの厨房には数人のバイトが交代で入っていたけれど、その中にたったひとりだけ女の子がいた。そのうちに何となく顔見知りになった。といっても爆音のロック喫茶で会話のしようもなく、ぼくには彼女に話しかける勇気もなかった。「そのうち話でもできたらいいな」と思っているだけだった。それでも、ぼくのナゴヤでの一年間、彼女の笑顔だけがぼくの支えだった。ときどき様子を見に来てくれる叔父の一家をのぞけば、ぼくに笑顔を見せてくれたのは彼女だけだった。

あれは淡い恋だったのでしょう。

あっという間に一年間が過ぎ、ぼくは大学に合格し、ナゴヤを去ることになる。
あんなに大嫌いだった寮も、いざ去るときには妙にせつない気持ちになったからふしぎだ。そして何よりも、時計じかけとバイトの彼女にもう会えなくなると思うと胸がうずいた。
思い切って声をかけた。食事に誘った。ダメもとだったけれど、意外なことにオーケーの返事が返ってきた。
デートらしいデートはナゴヤでしたことがなかった。着る服もなく、ぼくはいつものぼろぼろのブラックスリムジーンズにTシャツ、上着代わりの長袖シャツで出かけた。
どこでなにを食べたのかも思い出せない。どんな話をしたのかも。ただもうやみくもに緊張していて、かちかちだった。別れ際、彼女がおもちゃのピアノをくれた。大学の合格祝い、そしてナゴヤを離れる記念品だという。
そのトイピアノは、いまでもぼくの部屋に飾ってある。鍵盤を叩くと、調子はずれだけど立派に音がする。トイピアノといっしょに電話番号が書かれた手紙も入っていたけれど、引っ越ししたり新しい彼女がつきあったりしたときに隠したりしているうちに、いつのまにかなくなってしまった。大学に合格してから1年くらい経って、思い切って電話したことがある。そのときにはもうすでに立派なアル中になっていて、泥酔状態での電話だった。それでも、その電話番号が不通になっていたことははっきり憶えている。甘ったるい感傷にひたっていて後ろ向きな自分とちがい、彼女はどこかへ向かっている。そう思うとすこしさびしいようなうれしいような、ヘンな気持ちがした。

ただ一回のデートのさいご。
別れ際に彼女にキスをした・・・ような気がする。彼女の身体が意外に柔らかかったのを憶えている。ただそれがほんとうにあったことなのか、どうしても思い出せない。あの当時の、そしてその後のアルコールの海の中での山ほどの妄想のひとつのようにも思える。だけどそれが事実かどうかなんて、どうだって良いことだと思う。あの当時、ナゴヤの街のうだるような暑さの中を時計じかけに通い続けたこと。不安と孤独を感じ続けたこと。轟音のロックに身を潜め続け、そこだけが安息の場所だったこと。彼女の笑顔に助けられたこと。それはもう、それだけが。まぎれもなくほんとうのことなんだから。
ほんとうのことなんだから。

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2004年7月13日 (火)

カオスの町、大須

oosu01.jpg
名古屋の話の続き。
もちろん思い出めぐりだけではなく、勘光もしてきました。ちょびっとだけどね。
ナゴヤ。
見るべきところがあるようで、でもなかなか思いつかない。
観光ガイドを見たら、ぼくの知っている町とはずいぶんとちがっていました。
水族館?そんなもんあったっけ?
地下鉄もこんなにいっぱい路線があったっけ?名城線と東山線と、あと1,2本あっただけのような。
そもそも、名駅にどでかいツインタワーができていたのにはビックリ。
デパートの屋上のグルグル回るスカイレストランは、老朽化のためか無くなっていました。
18年も経てば、そうだよね、何もかも変わっちゃってるよね。

と言うワケで、あんまり期待しないで行ってみた大須。
以前は街中にお茶とお線香のにおいが充満した、お年寄り向けの街でした。
その中にぽつりぽつりと輸入盤屋や若者向けの小物屋が散発的に立っていると言う、のんびりしたところ。
地下鉄の駅前には大須観音を祭るお寺があって、街中がそのにおいに包まれていたっけ。

今回行ってみたら、エライ変貌していたのでビックリしました。
なにせいきなり中華街はできているわ。
街中に若者向けの衣料品点が立ち並んでいるわ。
そこいら中にアジアングッズの店、露店、良く分からないシシカバブだか鶏の丸焼きだかの店。
なぜかむかし懐かしのシブいグッズの店も増えてるぅ!
何よりも、のどかな街だったはずが、老若男女がひしめきあうたいへんな繁華街になっていたのには驚き。
年寄りの街のはずなのに・・・・。
ふと入った喫茶店はなぜか店員さんがイタリア語で会話しているし。全員日本人なのに。
そこでお茶を飲んでいたら、突然ミドリ色のセルフレームの眼鏡をかけた60歳くらいのおじさんが入ってきて、パイプを吹かしながら若い店員と談笑。
まるで南米の避暑地にまぎれこんだような、あまりにも唐突な風景。
外に出れば片言の日本語のアジア系のお姉ちゃんが「サトイモ入りシェイク」なる飲み物をにこにこしながら売っているし。
となりに座っていた、まったくお店とは無関係そうなおじさんが「美味しいから飲んで行け」と唐突に勧めるし。
バリや香港の路地裏のふんいきが、まさかこんなところで体験できるとは・・・・。
おそるべし、大須。
「大日本帝国Tシャツ」だの「ラメラメのユニオンジャックタンクトップ」だのが堂々と立ち並んでいるのはきっとこの街くらいでしょう。
思わず笑っちゃう、あるイミ癒しの場所だったのでした。
思い出巡りツアーでちぃっとばかしへこんでいたんだけど、大須で元気が回復!

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2004年7月12日 (月)

ナゴヤ再訪

gashin01.jpg
7月9日から3日間、仕事で名古屋に行ってきた。
ナゴヤ。
高校を卒業してからの一年間、じつはナゴヤで浪人生活を送っていた。
なんではるばる名古屋まで浪人をしに行ったのかというと、単なる手違いでそうなっちゃっただけなんだけど。
そう言うわけで今回のナゴヤ、実に18年ぶりの再訪です。
19歳から20歳の、人生でいちばんせつない時期。ただのひとりの友達もできずに、たっぷりと孤独を味わった一年間でした。
18年前と言えば、1986年。バンドブーム前夜。
ストリートスライダースが大ブレイクし始めた時期で、シオンがラジオで「新宿の片隅から」と言う番組をやっていた。
まだバンドブームは始まっていなくって、バンドをやっている連中のワケの分からない熱気がそこら中にあふれていた。
シリアスで形而上的なバンドがいっぱいあった。
ヒットチャートではロックを気取った渡辺美里や中村あゆみが幅をきかせていた。
そんな時代。

高校時代につきあっていた一学年下の彼女がいたが、今ひとつ盛り上がらないまま彼女を置いて名古屋に出てきた。
電話代も高くて、直に話すこともできなかった。ナゴヤからぼくの地元に電話をかけると、あっという間に100円玉が公衆電話に消えていった。
面会室のたった一台の電話はTVのすぐそばにあって、おおぜいの浪人生がいつもだべっていた。
とても恋人と微妙なニュアンスの話ができる環境じゃなかった。
何通も何通も手紙を書いた。
だけど返事はろくに返ってこなかった。
そのうち友人から、彼女がほかの男性と仲良くしていると聞いた。
すぐにも飛んで帰りたかったけれどもちろんそんなことはできなかった。

寮の生活はとても厳しかった。
毎晩、寮長の見回りがあった。その時間に寮にいないと親元に連絡が入った。
寮の塀には鉄条網が張り巡らせてあった。
もちろん外敵の侵入を防ぐためではなく、寮生が脱走を企てないようにするためだ。
その証拠に、鉄条網は道路にではなく、内側に反り返っていた。
ナゴヤには母方の叔父夫婦が住んでいた。
だからどうしても見たいライブがあるときは、その叔父の家に外泊すると偽った。
もちろんライブが終わっても寮に帰るわけにはいかない。
栄の噴水公園で、朝が来るまでタバコを吸っていた。
深夜喫茶に入る度胸もなければお金もなかった。ポケットの中はいつも小銭ばかりだった。
真っ暗な夜が紫に変わり、やがて夜が明けていくのを見ていた。
先輩とつきあっている彼女のことを考え、ロックンロールのことを考え、自分の将来のことを考えていた。
良い考えなんてひとつも思いつかなかったけど。

18年ぶりに、その寮を見に行ってきた。
まわりの風景はずいぶん変わったけれど、寮のあるあたりはすぐに分かった。
臥薪寮。
たきぎの上に寝て復讐を誓う、すごい名前の寮だ。なんで受験が復讐なんだろう?
でも自分にとって受験は、あざ笑った高校の教師に対する復讐だったから、この名前はぴったりだった。
寮は、とっくにつぶれていた。
正確に言うと、半分は閉鎖されていて、半分の棟はどこかの女子大の寮になっていた。
ぼくが住んでいたラブホテル沿いの部屋は、封鎖された半分だった。
窓の外の手すりも非常階段も、ペンキが剥げて茶色い錆だらけ。
学生どころか、ひとの住んでいる気配はまったくなかった。
女子大の寮になっている部分もほぼ同様で、いずれ完全に閉鎖されるのは時間の問題だろう。
ふしぎなことに鉄条網だけは健在で、そこだけが18年前とまったく同じだった。
だれも住んでいない寮から学生が脱出するのを防いでいた。
あの疑いに満ちた目をした初老の寮長はどこに行ってしまったのか?

寮の目の前には赤茶けた線路が延びていて、夏の日差しを受けて焼けついていた。
その上を、けたたましい音を立てて地下鉄が通り過ぎていった。
それを見ていると自分の髪が長く伸びてきて、たすきにかけたかばんには予備校のテキストが詰まっているような気がした。
今池のロック喫茶に行けばまたあの子に会えるような気がした。
18年の歳月なんてなんの意味もないような気がした。
寮に続く坂道を駆け戻ればすぐに、自分の部屋と自分の名札が待っているような気がした。
うすい壁、四畳半。日に焼けた畳。
ぼろい学習机の上にはウォークマン、ミチロウ、じゃがたら、ジョニー・サンダース、パティ・スミス、ルー・リード。友部正人。
あのころの自由と不安な気持ちを、ぼくはこの写真を見るたびに思い出すんだろう。

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