2022年3月20日 (日)

自分を守ることは恥ずかしいことではない

無理の利かない歳になってきた。

職場の泊まり込みがきつい。以前は休日は月のうち2日程度なんてこともザラだったけど、いまは休みがないと明らかに疲弊する。

まあ、もう50代半ばだもんね。30代と同じ働き方ではきついに決まっている。

決まっているんだけど、代わりになる人がいない。職場の性格上、ぼくの部署の誰かが24時間常駐していないといけない。

30代のころとはちがうところにいるんだけど、事情を抱えていて夜間休日対応ができない人が部署に多いのは変わらない。

でも、だからといって休日が月に2日なんて働き方をしていたら、この先自分が病んでしまう。

 

がんばって黙って働いていたらまわりがいつの間にか認めてくれるということは、おそらく期待できない。

助けて欲しいときは助けて欲しいと言わないと、伝わらないのだと思う。

卑屈にならず、怒らず、あきらめず、助けてくださいと言う。

むずかしいけれど、それができなければ潰れてしまう。

 

自分の身を守ることは、恥ずかしいことではない。

自分は無力だ。一人の力で出来ることは、せいぜい一人分とちょっとだ。

自分一人で職場を背負おうなどというのは、ヒロイズムに酔っているに過ぎない。

だから助けあう。助けあうためには、ひとを助けると同時に、自分もひとに助けを求める必要がある。

 

分かっているんだけど、そういう当たり前のことがなかなかできないのは、やっぱりまだまだ回復が足りていないんだね。

ステップを踏んでいきましょう。

と、誰もいない連休の職場で考えるわけです。

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2022年2月26日 (土)

異様に寒いし風邪ひくし

日本海側の冬は寒い。

関東にいたころも、もちろん冬は寒かった。福島はもっと寒かった。アメリカ東海岸も極寒だった。

でも、体感的にはいまがいちばん寒い気がする。

理由はかんたん。住まいの風通しが良すぎるから。築50年は過ぎようというこの古いアパートに、断熱という概念はない。

どんなに暖房をガンガンつけても、室内温度は12度から上には上がらない。

あまりに酷使しすぎたせいか、エアコンはとうとう暖風を送らなくなってしまった(泣)。

いまはガスストーブとコタツ、そして重ね着だけが頼りである。

コタツから出ると一気に寒さが襲ってくるので、コタツから離れられない。

本を読むと、ページをめくる指がかじかむ。

寝るときは意を決して布団に潜るが、布団の中は氷のようである。

シャワーを浴びるたびに、ヒートショックで死ぬのではないかという予感が脳裏をよぎる。

ブルブルブルブル。

 

まあでも、ここに住んでいると四季の移り変わりがよく分かる。

冬が厳しい分、春の訪れはほんとうに輝かしい。木々も空も輝いているようだ。

いままでに住んだどの土地よりも、自然が身近にある。

 

とは言え、寒いのは耐えがたい。

ついに2日ほど前から風邪を引いた。いまどき面倒なのは、ただの風邪だと言うことを証明するために検査をしなくてはいけないことである。

さいわいPCRにてコロナは陰性。でも、だからといって風邪が治るわけじゃない。

「あったかくして、ゆっくり休んでくださいね」周りの人たちはみなそう言ってくれる。ありがたいことである。

しかしながら「あったかくして」というのがそもそも無理な環境なのである。

はやく春が来ないかな。

 

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2022年2月14日 (月)

生活の中で12ステップを使う

12ステップは生活の中で実践してナンボ。
そうは思うんだけど、実際に使えているのかどうか分からないときも多々ある。
ときに自己憐憫が強く出ることもある。
仕事が煮詰まってくると「なぜ自分だけが」とも思うし、それだけ責任のある仕事をまかせられているのだとも思う。でもオフの予定が仕事で次々と潰れていくのは、とても気持ちが落ち込む。

手放す、というのはとてもむずかしい。
自分の感情を手放す。恨み、怒り、自己憐憫はとても手強い感情だ。それが正当性を持っているときは特に。
正当な恨み、怒り、自己憐憫は自分の身を滅ぼす。正しいだけにブレーキが効かない。そして恨みや怒りや自己憐憫の感情それ自体が、二次的な問題を作っていく。
すると、最初の問題と自分の感情がつくりあげた問題がない交ぜになって、解決ができないような困難な事態に陥っていく。
じっさいに、身近でそう言う場面を何度か見てきた。

自分以外の問題は変えようがない。職場に要望を出して改善するにせよ、時間がかかる。
ただ、職場の問題は変えられなくても、自分の受け止め方を変えることはできる。
考えてみたら、問題それ自体より、そのことで自分の頭をいっぱいにしている時間の方が相当に長い。変えようのない問題に思い煩っている時間の方が、はるかにもったいない。

自分の外側の問題は、天気や季節のようなものだ。理由もなくやってくる。
自分にできるのは精いっぱい対処をすること。そして負の感情で頭をいっぱいにしないこと。
自分ができること、楽しいこと、安らぐことに集中すること。時間がないときは特に。
そうは言っても、難しいよね。

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2022年2月 4日 (金)

会議は踊る

午後2時から8時間半、ぶっ通しで会議でした。
だいたい一会議2時間、4会議連続。疲れました。
そのときそのときで知恵を振り絞って会議をするんだけど、あれだね、最終的には一つめの会議の内容はすっかり忘れている。
議事録って大事なんだなーと、あらためて思いましたよ。

しかしコロナ禍になってリモート環境が整ったのはいいんだけど、リモートも善し悪しですね。以前だったら遠隔地や予定ニアミスの会議は必然的に不参加だったんだけど、リモートだと参加できちゃう。
ぼくも断れない性格だから、「家で晩飯が食いたいから不参加」という決定ができない。結果的にフラフラになって帰宅し、翌日のパフォーマンスが下がる。
よろしくないですね。

しかし、日本人って放っておくと無限に働くんだね。夜8時開催の会議ってふつうにクレイジーだと思うんだけど、みんな淡々と出席している。メンタルやられないんだろうか。家に帰って家族とご飯食べたいとかテレビ見たいとかダラダラくつろいで談笑したいとか本読みたいとかミーティングに行きたいとか思わないんだろうか。
おそるべし、ニホンジン。

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2022年1月27日 (木)

日本海ライフ

いまの住所は日本海沿い。
ここに来て、冬が暗いのに驚いた。関東にいたころには乾いた冬の晴れ、やわらかな冬の日差しが好きだったのだけれど、ここに来てからは晴れ間にあえることはほとんどない。
12月から2月までの3ヶ月間は、ほとんどくもり、ないし雪か雨。
常に空から何かが降ってきている。そして寒い。

まあでも、アメリカも寒いっちゃあ寒かった。暗いっちゃあ暗かった。
冬のニューヨークにも何度か行ったけど、基本的にひどく寒くて曇天ないし雪だった気がする。
写真は2018年3月のブルックリン。帰国直前のころだ。

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このときはブルックリンのカフェを何軒かはしごして歩いて、靴がずぶ濡れになってひどく寒かった記憶がある。
でも、どんなに寒くても屋内に入れば暖かいし、濡れた靴や服もすぐ乾くんだよね。
石やレンガで建物を作っているのと、あとセントラルヒーティングがどこもしっかりしているせいか。

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同じ日のカフェ内。みんな楽しそう。
ちなみにここはPartners coffeeというカフェで、ロバート・デ・ニーロ出演の「マイ・インターン」にも登場する。

コーヒーが美味しくて、居心地の良いカフェです。

さて、日本海沿い。
たしかに曇天は曇天だけれど、ぼくは楽しく過ごしている。
考えてみたら、四季がこれほどダイナミックに変化するのは日本海側の特徴じゃないだろうか。厳しい冬と感動的な春、初夏の田んぼに盛夏の日差し。山いっぱいの紅葉。
都会には都会の、日本海側には日本海側の良さがある。
楽しみながら暮らすのみ、です。

それにしても冬はランニングができないのは参ったね。

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2022年1月24日 (月)

SNS離れ

SNSが登場したときには、ご多分に漏れずぼくも手を出した。
もともとニフティサーブでパソコン通信(知ってる?)の掲示板に出入りしていたんだけど、それもとおい昔の話。SNS、おっかなびっくりで開始した。

Twitter、おもしろかったです。
mixiは何が何だか分からないうちにどこかに行ってしまった。あれはいったい何だったんだろう。
Facebookはいまでも書き込んでいる。でも頻度は激減した。

たしかFacebook登場当初は世の中(ネットの中)は盛り上がっていて、猫も杓子もFacebookだった。いままでネットに縁のなかったおじさんたちもたくさん流れ込んできた。で、あちこちのサイトに「Facebookの始め方」「マナー」が並びはじめた。
「はじめての方は1日に1回の書き込みを心がけましょう。そうしないと他の方に気がついてもらえません」「文章だけでは目にとまりません。なるべく写真を撮りましょう」てなことがあちこちの「初心者マナー」サイトに書いてあって、疑うことを知らない純真なおじさんの一人であるワタクシは、せっせと写真を撮り、1日1回の書き込みを心がけていた。人と会う機会があれば写真を撮ってFB。ご飯を食べればFB。きれいな風景を見たらFB。
振り返ってみれば、やりたいからやっていると言うよりは「いまオレは流行のFacebookをやっているんだ!」という謎の空気に有頂天になっていたんだと思う。

でも、そんなに続かないよね。まいにち写真を撮ってFacebookに上げるのって。
けっこうな労力だもん。コメントが来たらすかさず返答。これも初心者マナーサイトに書いてあったけど、かなり労力を要した。
中には返答に困るようなコメントもあって、そう言うコメントに限って関係を無下にしたくない人だったりして、悩んだものだ。
そうこうしているうちに文章を書いてウェブに表現すること自体がだんだんおっくうになって、というよりネガティブな気持ちが高まってきて、Facebookはほとんど休眠状態になった。このブログまでも更新が止まった。

こういう風になっているのは自分だけなのかなとも思ったけど、考えてみたらFBフレンドのほとんどが同じような状態だ。一部のアクティブなユーザがひんぱんに書き込んでいるけど、たぶん自分のフレンドの2割くらいだろう。8割方はぼくと同様に沈黙している。ただ見ているだけ。

Twitterはあまりに殺伐としていて、読んでいるだけでネガティブな感情が湧いてくる。もちろん有益な情報や卓見も混じっているんだけど、それを探し当てるまでの時間と感情的な疲弊感がもったいない。
いまは自分の感情を守るためにほとんど見ないようにしている。

次に何がくるのかはまだ分からない。分からないけれど、きっとまた次の波が来るんだと思う。YouTubeは消費するだけだから、やっぱりどこかで飽きが来る。
たぶん頭の良い誰かが、次の流行をしかけてくるだろう。

でもねー。
流行り廃りに乗っかってみても、結局は人間、自分が出発した場所に帰ってくるんだと思うんだよね。
ぼくはいま紙の本で小説を読み、有線ヘッドフォンで音楽を聴き、遠くの人と相談したいときはなるべく電話を使うようにしている。
Kindle、ワタクシには合いませんでした。Bluetoothヘッドフォンはペアリングに手間取ることばかりで、有線の音質と便利さを再発見しています。メールは相手のリアクションが分からないのでここ一番と言うときは電話で相談の方が手っ取り早いことが分かりました。

じゃあSNSをやっていたことは無駄だったのかというと決してそんなことはない。
やっぱり通過してみないと分からないことって、たくさんあるよね。

SNSを忘れ、スマホを手放し、LPレコードの音楽を聴きながら紙の本を読む。
13歳の時と同じだけど、それでいいんだと思う。
ピース。

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2021年12月 2日 (木)

それにしても東京は晴れてる

それにしても東京は毎日晴れてますね。

毎日まいにち、よくもこんなに晴れが続くものだと感心するくらい。

雪も降らなければ雨も大して降らない。降ってもすぐ止む。一日中曇天なんてことはまずない。

こりゃあ関東平野に首都ができるわけだよね。人が集まるわけだよね。地価が高騰するわけだよね。

日本海側の自然も好きだけど、まあ関東平野の方が暮らしやすいですわな、フツーに考えれば。

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まあ、たまに遊び(や、今回は出張です)に来ているからこんなことを言えるわけで、じっさいここに住んで暮らしてみれば、傍目にはわからない苦労もあるんでしょうね。満員電車とか。どこに行っても人混みとか。

それでも都会の真ん中に緑が多いのはとても良いです。日比谷公園とか、雰囲気良いよね。

どれどれ、冬場もときどきは東京にきて、日光浴をするとしましょう。ずっと日光を浴びないと、やっぱり考えがシリアスになってしまいます。

それにしても日比谷公園にベビーカーを押して来る若い母親たちは、一体どこに住んでいるんだろう?

周囲は外務省とか農水省とか、省庁のでかいビルばかりだぞ。不思議なり。ナゾなり。

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2021年12月 1日 (水)

走ることと歳をとることと受け入れること

日本海側に引っ越してきて何が不便かというと、冬場はほとんどランニングができないことだ。

日の出が遅いのは別にかまわないんだけど、とにかく天気が悪い。

だいたいが雨か雪かあられか、あるいは強風だ。ほぼ太陽が見えない真っ暗な空から常に何かが降っているもんだから、ランニングのしようがない。たまに(週に1回くらい)何も降らない日もあるんだけど、そういう日に限って仕事で走れなかったりして、やたらフラストレーションがたまる。

去年の冬は大雪も手伝って、12月中旬から3か月間、ほぼ走れなかった。で、ようやく天気が回復して走り始めたら、いきなり転倒。

これはめげる。

怪我が治って本格復帰と思ったら、今度は膝が痛い。そりゃそうだ、4ヶ月もランニングのブランクが開けば、ほぼ非ランナーと同じである。

ペースも遅い。今までは調子が良ければキロ520秒ペースで15キロくらいは走れたが、今年の夏・秋はついにそのペースまで回復しなかった。今はキロ6分で13キロを走るのがせいぜいだ。

歳をとるということは、こういうことなんだろう。

今までできていたことが、だんだんできなくなってくる。去年できたことが今年はできない。そして次の年は、さらにできなくなる。

気持ちが萎縮する。新しいことにチャレンジしづらくなる。できない自分を見たくない。ぶつかりたくない。

コンフォート・ゾーンにとどまるのは心地よい。

歳をとることやできないことに直面するのは誰でも嫌だから、できることだけをやり、一緒にいて心地よい人たちだけと過ごす。そうすれば困惑することもないし、できない自分に直面して落胆することもない。

だいたい50を過ぎれば、それなりに職場でも長老あつかいされる。30代の頃のように、頭ごなしに説教されたり否定されたりすることはほとんどない。居心地の良い人たちだけに囲まれた、心地よい世界。

でも、それでは良くない。それはますます老いを加速し、自分のできることを狭めるだけだ。

頭の硬いジジイになんてなりたくない。

世の中はますます知らないことだらけだし、初めてぶつかることだらけだ。自分のちっぽけな経験なんて対して当てにならない。

新しいことを知っている人、新しい何かを持っている人には積極的に教えを乞うこと。年下だろうがキャリアが若かろうが関係ない。

無知な自分をさらけ出して、新しいことを学ぶこと。

ランニングだって、パフォーマンスが下がった自分を見なくて済むようにするのはとても簡単だ。明日から走るのをやめればいい。誰も止めない。ただ自分があきらめればいいだけ。でも、それじゃあおもしろくない。

 

AAで学んだことの一つは、常に勝ち続けたり、成功し続けることはできないということだ。人はいつか負け、ニューカマーの後塵を拝する。

大切なのは勝ち負けの土俵から降りて、自分が何を学び、人に何を手渡せるかを考えることだ。そして負け続けたとしても、成長し続けること。

ランニングのパフォーマンスが下がり、仕事で新しい人に追い抜かれ、ひと月前に出会った人の名前を思い出せない。ギターは下手くそのまんまだ。

それでもいいんだと思う。あきらめずに踊り続けること。

踊り明かそう、日の出を見るまで。

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2021年11月29日 (月)

ブログ再開、冬の東京の朝

2021年11月29日、冬。
午前5時。東京のホテル。
暗い中で僕は目を覚まし、部屋の灯りをつける。
炭酸水を飲んでスクワットとシットアップを行い、MacBookProの前に座る。
最後にブログの記事を書いてから、長い時間が経った。
色んなことがあった。
変わったこともあるし、変わらないこともある。
やり遂げたこともあるし、手つかずのまま放り投げた課題もある。
そして確実に時間は流れ、僕も周囲の人々も歳を取った。

  20211129-053225   ぼくはいま、日本海側の某県に住んでいる。
アメリカ留学時代の課題は、ついに終わらなかった。
その代わりここで新しい仕事に取り組み、新しい人々と知り合った。
AAに参加する機会はめっきり減ったが、今でも自分はAAメンバーだと—少なくともそうでありたいと—願い続けている。

50代を迎えて体調も変化した。
何もしていないのに肩の不調はおさまらないし、視力も下がってきた。
歳を取ると言うことはきっと、こういう細かい不調が積み重なっていくことなんだろうと思う。
でも変わらないこともたくさんある。
ロックはいまだに大好きだし、新しいことや楽しいことには胸がときめく。
何よりも、AAで学んだ多くのことを日々の暮らしで実践しようと試み、ある程度はうまく行っている。そのことは僕にとって、とても意義のあることだ。
謙虚さや謙遜を学び、意見の食いちがう人たちとも対立せずに相手を理解しようと努めることは、ビジネスの場面でも大いに役立ってきた。
どんなに正しいと思っても、自分の考えはしょせん自分の考えに過ぎない。どんなに正しかろうと、相手には相手の正しさがある。立場の数だけ正しさがあるし、もちろん利害だって食いちがう。
そう思えるようになるにはとても時間がかかった。
でもいちど相手を理解することを第一にしようと決めたら、交渉ごともうまく行くことが多くなった。
多くの場合、相手もガードを下げて協調的になった。
もちろん中には、こちらが相手を尊重してもファイティングポーズを崩さないひともいる。
でも、世の中とはそう言うものなんだろう。相手に腹を立てるのは筋違いだ。なぜなら、自分だってかつてはそうだったのだから。

いまは出張で東京に来ている。久しぶりの関東は天気が良い。日本海側の曇天の冬とはおおちがいだ。空が晴れてて青いだけでうれしくなる。恵まれていると感じる。


さてそろそろ、ウェアに着替えて走りに出かけよう。朝日を浴びてスロージョグに出かけよう。お気に入りのプレイリストは、80年代のヒットソング。きっとこれも、死ぬまで変わらないんだろうな。

と言うわけで、何度目かのブログ再開宣言です。
どこかでまた途切れるかも知れないけれど、気長におつきあいください。

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2020年8月30日 (日)

時間は有限

またまたお久しぶりです。
みんな、元気ですか?ぼくはボチボチです。
忙しくもあり、充実しており、でも目標にはまだまだ遠い状態です。
ソブラエティは続いています。感情のソブラエティは、うまく行ったり行かなかったり。

近況報告。
コロナの影響は、あまりありません。テレワーキングも自宅待機もありません。ほぼいつもどおり。
県外に行く用事はなくなりました。これはありがたいです。少し前はほぼ毎週末ごとに東京に出張に出ていたので、その時間をまるまる自分のために使えるのはうれしいです。
でも、ウィークデイの日常業務が多すぎて、週末はたまったペーパーワークの処理で終わります。
仕事は責任と業務量がハンパなく増え、ちょっとどうにかしないとと言う感じ。
できないことを「できません」と言うのは、ほんとうにむずかしいです。
交代人員のいない弱小企業なので、ぼくが「できません」と言えば、そのプロジェクトはその時点で終了せざるを得ません。

ギターは弾いています。
ギターヒーローたちはどんどん過去の谷間に埋もれていき、新しいギターヒーローはなかなか生まれません。
でもそれはそれ。自分が楽しく弾ければそれでよし。

ジョギングは、6月に肉離れを起こしてしばらく休養していました。
身体が故障するとメンタルも下がってダメですね。
ようやく肉離れが治ってきたと思ったら、こんどは連日の酷暑でとても外に出られない。
秋の訪れを待つしかないです。

忙しく日々は過ぎていき、年月は移ろっていきます。
ここ半年ほどで学んだことは、多忙を理由にしていたら何も自己実現はできないと言うこと。
やりたいことに時間を割き、やらなくてもよいことは最低限の時間だけを割くか、あるいは思い切って切り捨てること。
あれもこれもはできない。
他人や周囲の要望にすべて応えようとしていたら、それで終わってしまう。
時間も気力も有限。
優先順位をつけ、無為に過ごす時間を最小にすること。

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