2026年1月15日 (木)

2026年(令和8年)年頭のあいさつ

そう言えば今年はまだ年頭のあいさつを書いていませんでした。

昨日は老いるショックの話を書いたけど、さっそくこれも老いるショックですね。

 

さてさて皆さま、明けましておめでとうございます。

令和も8年目になりました。まさに光陰矢のごとし。自分の感覚では、つい2年ほど前に令和になったばかりのような気がするんだけど。おっかしいなー。

生活は、とくに変わったことはありません。相変わらず仕事はつらいけどまあボチボチ。

昨年は入院して胆のうを取るというイベントがあったけど、今年は何もなく健康に過ごせることを祈ってます。

昨年はあまりに個人ベースの仕事を受けすぎてバーンアウトしかけたので、今年は「断る勇気」、これを大事にしようと思います。

安請け合いしたあげく、結局依頼元の期待に応えられずギクシャクすることもありました。

こちらも「忙しい中を無理して引き受けたのに文句を言われるなんて」と、陰性感情がわき上がったりします。

自分の能力を超えて要求に応需しようとすれば、お互いそうなるのは当然だもんね。

初手に「今回のオファーは辞退させていただきます。ご期待に添えず申し訳ありません」が言えるかどうか。これが大事ッス。

それで依頼が絶えるようなら仕方なし。

ほかの人が代わりに脚光を浴びるの当然のことだし、良いこと。

 

定年までの年を数えてみる。今年を含めてあと7年。

定年が楽しみで仕方がない。

もちろん食っていかなくてはいけないので仕事はするけど、いまの役職は早く降りたいのです。

もー時間外の会議は多いし休日はなくなるし、一面識もない人のトラブルシューティングをしなくちゃいけないし、色んな人から無理な課題を出されて逃げられないし、課題に取り組んだら別な部署からヤな顔されるし、しんどいことこの上なし。

あとオンライン会議さー、みんな時間外にやるの止めようよ。

「調整さんの結果、参加者が全員揃う木曜日の21時から会議を開きます」って正気ですかー。寝る時間ですよー。

おっと愚痴になっちゃった。

AAは、今年はもう少しミーティングに参加したいですね。ホームグループもちょくちょく行きたい。片道300キロの運転はなかなかたいへんだけど、それだけの価値はある。

やっぱりミーティングを離れていると、どこか自分の考えが歪んでくるのが分かります。視野が狭くなるというか、自分一人の考えになりがちっていうか。

仲間の話を聞いて我が身を振り返る時間はたいせつ。

人生の先行きが見えてくるほど、その貴重さが身にしみます。

 

あとはとにかく健康、家庭ですね。ギター弾いたりブログ書いたり本読んだりジョギングしたり奥さんと出かけたりする時間をちゃんと取りたいと思います。

てなことで、今年も無理せず元気に行きましょう。

ブログを読んでくださっている皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2026年1月14日 (水)

老いるショックに出会う

ぼくが敬愛して止まないみうらじゅん師匠。

近年の名言に「老いるショック」「老けづくり」がある。

老いるショックとは、日々の老化現象を笑い飛ばしてしまうためのキーワード。

老けづくりは、歳を取ったら若作りではなく、むしろ年齢相応かそれ以上の「老け」感を積極的に打ち出していこうというコンセプトである。

いいなー。

老いるショック、もう毎日ですよ。

先日も、社内報に載せる短いエッセイを提出しようとしたら、直前になって数ヶ月前にまったく同じテーマのエッセイを書いていたことに気がついた。

書いている途中はまったく気がつかず。提出まぎわに「待てよ」と思って以前の原稿を確認したら重複に気がついた。

昨日は、とある業界紙から見本誌が届いた。謹呈と書いてある。

包装を開けたら、自分が書いた原稿が載っていた。もちろん書いた記憶はいっさいない。ないというか、出てこない。

どうもぼくの記憶は引っ込み思案が強まっているようである。出てくるように問いかけても反応なし。ハッハッハ。

きょうはきょうとて、あまりにも職場の内線一覧表が見えづらく、ふと百均で購入した老眼鏡をかけてみた。

劇的にハッキリ見えたので「見える!私にも見えるぞ!」と声に出してしまった。

こういうときに「老いるショック!」と叫んで(こころの中でだけど)こころのネタ帳に書き込んで終わる。そしてそのネタ帳もやがて忘れる。

やー、いいですね。老いるショック。

 

何ごともそうなんだけど、後退局面をどうするかはとても難しい。

自分の老いや能力の低下を受け入れるのは誰にとってもヤなものです。

でもいつまでも若さにしがみついているのも見苦しいよね。ていうか、疲れるし。

若さの価値観て、どこか競争原理的な気がする。若くて元気でパキパキ動けてエネルギッシュで、て、そんなの20代を過ぎたらみんな低下してくるに決まっている。日々どんどん低下しているんだから、無理したってギャップは開くばかり。

もちろん健康に暮らすために身体を動かしたり食べ物や生活に気をつけるのはたいせつ。

でも、遠ざかる価値基準をいつまでも追い求めるよりも、自分が楽しく暮らせる気楽さがあった方がいいよね。

 

先日も2年ぶりにスノーボードに出かけたら、たった4本しか滑っていないのに翌日は重度の筋肉痛で一日布団から出られませんでした。

老いるショック!

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2025年11月16日 (日)

オープンカフェでコーヒーを

ここんとこ暑さ寒さが極端で、アウトドアが心地よい季節は短い。

今年も10月中旬まではずっと暑く、その後は急に雨模様の天気になって気温が下がり、一気に冬っぽくなった。

秋がない。あってもそれを楽しむ時間もない。とほほ。

 

で、いま出張で福岡に来ているんだけど、奇跡的に気持ちの良いお天気。

舗道には銀杏が色づいて黄色い葉を落とし、少しばかりの風が肌に心地よい。

オープンカフェでコーヒーを飲みながら、この記事を書いています。

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半袖の人。ダウンジャケットを着てる人。

ベンチに座って話をする人。軽快に走るジョガー。キャリーバッグを転がして推し活に向かうティーネイジャーのさざめき。

リュックサックを背負った小さい子どもと、その手を引く母親。

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行き交う人たちを眺めていると、 何とも言えない穏やかな気持ちになれます。

まいにちこんなゆっくりした時間が取れるといいんだけどね。

さてさて、福岡に来たのは出張。

仕事に向かいますか。

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2025年5月 2日 (金)

日常のすき間

がむしゃらに仕事をしているうちに、いつの間にか心の余白がなくなっていた。

タスク管理、スケジュール管理、プロジェクト管理。課題の整理、ステークホルダーとの話しあい、意見調整。

コントロール障害の病気を持つ自分が、気がつけば色んなことをコントロールする仕事に就いている。皮肉な話だ。

土日も夜間もない。現場のプレーヤーから相談が上がってくるのは日中の業務が終わってからだ。いきおい時間外になる。

寝ても仕事。醒めても仕事。

気がつけば仕事が自分のアイデンティティになっている。

これはイカン。

 

人のアイデンティティは重層的なものである。

AAメンバーとしての自分。職業人としての自分。家庭人としての自分。へたくそギター弾き・永遠の初心者DTMerとしての自分。ブログ書きの自分。

色んな自分がいて、それぞれに意味がある。どれか一つ「だけ」になると、すごく危うい気がする。

とくにAAメンバーとしての自分は、いまのぼくを形づくっている大切なエレメントだ。

これをなくすわけにはいかない。

 

と言うことで、なるべく積極的にブログは書いていきます。

日常のすき間、積極的に作らないとなくなっちゃうもんね。

すき間や余白がなくなっちゃうと、あまり良くない気がする。

少なくともぼくはすぐにイライラして極端な判断をしそうになる、と思う。

ひと息ついて、ブログを書きます。

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2025年1月 6日 (月)

新しいレンズを試してみる

きょうはカメラの話。

以前に購入して放置していたレンズを使って試し撮りをしてみた。

KAMLAN KAM0019 [KAMLAN 50mm F1.1 II 富士フイルムXマウント]

富士フイルムカメラ用の交換レンズである。

家の中の手近なものを何枚か撮ってみた。

 

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絞り開放(F1.1)、シャッタースピードとISOはオート、JPEG撮って出し、加工なし。

マニュアルレンズなので、ピントは自分でフォーカスリングを回して合わせる。

これがなかなか合いづらい。

 

・被写界深度が浅いのでピントの合う範囲が浅い

・老眼なのでファインダー上の画像がにじんで見える(これが大きい)

・そもそもカメラ経験値が低い

 

ということで、このレンズを使いこなすには修行が必要な印象。

よい点もたくさんある。

 

・ボケが美しい

・レンズがずっしり重いので手になじむ

・フォーカスリングを回す感覚がなんかイイ

 

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ただ、大事な場面に使うのは当面控えた方がよさそう。

記念写真などがピンボケでパアになるリスクが大。

まずはしっかりつきあって、経験値を高めることですね。

web上には、このレンズで撮った美しい写真がたくさんアップされている。

結局、道具の価値を引き出せるかどうかはその人しだいってことですね。

さて、今年も今日から仕事始め。

またがんばりましょう。

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2025年1月 4日 (土)

2025年(令和7年)明けましておめでとう!

2025年になりました!

令和も7年。21世紀になってはや24年。

まさか自分がこんな未来に生きるようになるとは、10代や20代のころは考えてもいませんでしたよ。

明けましておめでとうございます。

皆さま、令和7年の年明けはいかがお過ごしでしょうか。

 

ぼくはと言えば、郡山のAAなみきG年越しミーティングに参加する予定だったんだけど、あいにくひどい風邪を引いてしまい残念ながら不参加。

まあしかたがない。

無理して参加することも不可能ではなかったんだけど、仲間に伝染すわけにはいかない。

コロナやインフルエンザの可能性も否定できない。

仲間に電話して、キャンセルさせてもらいました。

 

今年の正月休みは9連休だったんだけど、そんなワケで4日ほどは風邪でダウン。1日は職場で仕事。

残りの4日も家でテレワーキング。ていうか仕事を持ち帰ってずーっとやってました。

まあ、この北陸地方は時間があるからと言ってそうそう遊びに出かけられるわけじゃない。絶え間なく雪が降ってるからね。

窓の外の雪を見ながらパソコンぱたぱた。

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こんな正月があってもいいよね。

 

あすは久しぶりにオンラインのAAミーティングに参加したいと思います。

どこかやってるかな。

 

皆さまはどんなお正月でしたか?どんな一年を望みますか?この一年でどんなことをしたいですか?

ぼくもやりたいことがたくさんあるけれど、まずは目の前の仕事を終わらせないとね。

 

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2024年12月 6日 (金)

読書記録をつけたいが

さいきん、アウトプットばかりで自分の中身が空っぽになっている気がする。

新しい知識や気づきが得られていない。インプットが足りない。

アイディア出しとかブレインストーミングとかの場でも、過去の二番煎じ、三番煎じばかり。

これはいかん。

まずは読書。本を読みたい。読みあさりたい。

空いた時間を使って本を読むのではなく、本を読むために時間を空けたい。

そう思って、近ごろは読書の優先順位を上げております。

 

が、ここで問題が。

本棚を眺めていると未読のおもしろそうな本がたくさん並んでいるんだけど、読んだはずの本の背表紙を眺めても中身がまったく思い出せない。

わずか半年ばかり前に読んだはずの本が、ほぼ記憶に残っていない。

これではよくない。

以前から読書ノートをつけようとは思っていたが、めんどうでまったくやっていなかった。

今回こそ読書ノートプラン、発動!

 

…と思ったが、ここで問題が。

手書きノートは、いまや字があまりにも汚くなりすぎてて論外。

となるとExcelか何か、あるいはWebサービスを利用するか。

はたまたMacかiPhoneアプリか。

ただ、アプリは廃番になるリスクもある。これから10年、20年経ったときに読み返せないと意味がない。

Webサービスは、調べたらnotionというサービスがよさそう。

ただ、Evernoteの前例がある。

あれほど大人気だったEvernote、いまや自分もまったく使っていない。日本法人も撤退し、オワコン化している。当然、有料プランも脱退した。

notionが数十年後に稼働しているかはまったくの未知数。

となるとExcelか。でもめんどうだなー。Excelのシートにポチポチ入力、うーむ。

 

となるとやっぱり手書きノートか。でも、書名や著者、訳者を書き写すのは手間なんだよなー。

うーんうーん。

 

などと悩んでいるとキリがない。

もしパソコンもWebサービスもない時代だったら、きっとこんなに悩まないだろう。

人間、選択肢が多いと逆に決められないものです。選択肢がひとつ増えるたびに、比較検討の組み合わせが等比級数的に増えるもんね。

いちおうnotionのアカウントを作ったけれど、まずは手書きノートかなー。うーん。

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2024年12月 3日 (火)

30年前のクリスマスの長く退屈な夜

あれはたしかもう30年以上前のことなんだけど、ぼくは何者にもなれず、何者にもなりたくなく、ただ日々をイラついて過ごし、しょっちゅう大量飲酒を繰り返していた。

20代半ばの日々。

ある冬の日、寒さと孤独に耐えかねて、友だちに電話して一晩をデニーズで過ごした。

Yくんはぼくよりも2歳か3歳年下で、要領よく実入りの良いアルバイトを見つけて、なんとなくリッチそうだった。

SくんはYよりさらに2歳か3歳年下で、高校を中退して大検受験を目指していた。

ぼくはと言えば、卒業する見込みのまったく立たない大学をやめようかどうしようか、出ない答えを探してぐるぐると同じところを回っていた。

そんな3人が集まった冬の夜。

話なんてない。話すことは何もない。

恋人なんて誰もいない。今みたいにスマホもない。

みんなぶ然として、ただひたすらに煙草に火をつけ、お代わり自由のコーヒーをがぶ飲みしていた。

そのうち、だれかが気がついた。

おい、きょうってクリスマスイブじゃなかったっけ。

見まわすと他の客席は、しあわせそうなカップルや夫婦、家族連れでいっぱいだった。

店内にはクリスマスソングが流れていた。

デニーズに入ってからすでに2時間ばかりが経っていたけど、3人のうち誰ひとりとしてそのことに気がつかなかった。

 

クリスマスなのにいっしょに過ごすガールフレンドもいねえのかよ。

知らねえよ。お前だっていないじゃないか。

オレは良いんだよ。いないんじゃなくてあえて作らないんだよ。お前とはちがうんだよ。

そんなこと言ったって、こうしてデニーズにボケッとしているのは変わりねえじゃねえか。

だからマインドがちげえんだよ。マインドが。

 

そんなことを繰り返し言い合っていたのをおぼえている。

どうやって家に帰ったのかはおぼえていない。

たぶん、どうでもいい与太話を繰り返したあげく、深夜か明け方に寒さに震えながら家に帰ったのだろう。

 

ほどなくYくんは仕事を見つけて他県に移っていった。

Sくんは自宅で受験勉強に励んでいると風の便りに聞いた。

ぼくはと言えば、いい加減留年を繰り返してもいられず、卒業しておいた方がいろいろ有利だろうという打算で、気が進まないまま大学に復帰した。

彼らと会うことも連絡を取りあうこともなくなった。

 

Sが焼身自殺を図ったと聞いたのは、それからしばらく経ってからだった。

Sはいつしかこころを病んで、精神科に通っていたという。

どこかで深く絶望して、自らに火をつけて自殺を図ったと、例の店のマスターから聞いた。

ときどきは店に来ていたけど、受験も将来もうまくいかず、将来が見えなくなっていた。

親からのプレッシャーもあり、苦しんでいたようだったと。

家は焼け、彼は助からなかった。

 

ぼくが彼の死を知ったときには、もう葬儀はすべて終わっていた。

マスターは彼の両親から連絡を受け、彼の葬儀に立ち会ったという。

その際に遺品をいくつかあずかってきたという。

 

これ、お前にやるよ。Sの形見だ。持って帰って弾いてやれ。

そう言ってマスターはぼくに、Sのギターをくれた。

オービル・バイ・ギブソンの、ダークチェリーレッドのSG。

出火元から近かったのだろう、ネックは一部が焦げて塗装に火ぶくれができていた。

ぼくはそれを近くの楽器店に持ち込み、修理を頼んだ。

これ、火の影響でネックの内部もダメージがありますよ。ネックごと交換した方が良いですよ。

いや、このままでいいんです。焦げもそのままにしてください。弾きにくいところだけ再塗装してくれればそれでいいんです。

 

冬が近づくたび、ぼくは彼のことを思い出す。

彼と彼の死と、いまも家にあるオービル・バイ・ギブソンのダークチェリーレッドのSG。

ぼくは彼のことが好きだった。

才能のある男だった。ぼくよりも年下なのに、ギター歴も浅いのに、味のあるブルースギターを弾くことができた。

言葉の端々に、ハッとするような鋭い批評と洞察が込められていた。

ブルースや古いフォークミュージックばかりのぼくの界隈で、彼は実験的なダンスミュージックにも精通していた。

直接は見たことはないけど、画が達者で美術の才能もあったと聞く。

生きていたらきっと、もっと彼の才能は花開いていただろう。

 

もしも叶うなら、もう一度あの夜に戻りたいと思う。

男3人が押し黙ってタバコをひたすら吸い続けた、あのクリスマスイブに。

ぼくはその時間が好きだった。楽しかった。

彼らと過ごす時間は、何も話さなくてもこころが落ち着いた。ささくれだった気持ちをひととき忘れることができた。

彼らも同じ気持ちだったのだろうか。分からないけれど、きっとそうだったと思いたい。

あのクリスマスの夜が永遠に続けばよかった。

 

30年以上の月日が経った。

Yはいまも独身だと聞いた。あのデニーズはリニューアルして、3人で座ったあの席はもうない。

ギターを修理した楽器店はとうにつぶれた。そこに楽器店があったことを知る人も、だんだん少なくなってきた。

ぼくはと言えば、こうしてデニーズに来るたび彼のことを思い出し、後悔をしている。何を後悔しているのか、自分でも分からない。

でも12月が来るたび、思いだし、後悔し続けるのだろう。

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2024年6月11日 (火)

She's lost control 彼女はコントロールを失った

Confusion in her eyes that says it all
She's lost control
And she's clinging to the nearest passerby
She's lost control

彼女の目の前の混乱がすべてを物語っている
彼女はコントロールを失った
彼女は近くの通行人にしがみついている
彼女はコントロールを失った
彼女はまたコントロールを失った
彼女はまたしてもコントロールを失ってしまった

Joy division She's lost control

ジョイ・ディビジョンのボーカリスト、イアン・カーティスは障害者雇用センターで働いていたとき、何度もてんかん発作を起こす女性利用者にインスパイアされてこの曲を書いた。やがて彼女はてんかん発作のために亡くなったという。
不穏なリフと無機質なビートが執拗に繰り返されるこの曲で、「彼女はコントロールを失った」というフレーズはどこか諦念をともなった呪文のように淡々と繰り返される。
言うまでもなくこの曲はジョイ・ディビジョンの代表曲で、他の楽曲と同じく死の影に包まれ、やがてバンドはイアン・カーティスの自殺で終焉を迎える。

私たちはいつもコントロールを失う。
ぼくもそうだ。
感情のコントロール、抑制のコントロール、日々それを求めては最終的に失敗する。
陰性感情やどうにもならない欲求を、誰もがコントロールしたいと願う。怒りや爆発や恨みを抱えたまま一生を過ごしたいと思う人など誰もいない。
でも結局は、過去にとらわれ、感情にとらわれ、コントロールを求めては失敗する。

てんかん発作に苦しんだあげくに亡くなった利用者を取り上げたこの曲は、悲しみや同情、その他どのような感情もすべて排している。
ただ「彼女はコントロールを失った」という呪文のようなフレーズを繰り返すだけだ。
そこにはコントロールを失ったイアン・カーティス、コントロールを失った私たちがいるだけだ。
亡くなった彼女が立っていた場所に、イアン・カーティスの感情を排したボーカルと無機質なビートは、ぼくたちを連れていく。

AAのプログラムでは、私たちはスピリチュアルに病んでいて、神だけが健康な心を取り戻してくれるという。
その考えを使ってぼくはここまで生き延びてきたけれど、その一方でこうも思う。
コントロールを失った、自分をコントロールできないというのは、なんとおそろしいことだろう。
私たちは肝心な時にかぎってコントロールを失い、怒りをぶつけるべきでない人に怒りをぶつけ、悲しませるべきでない人を悲しませてしまう。
コントロールを失った自分にうんざりして自己嫌悪にまみれ、でもまた月日が経てば同じことを繰り返す。
それでもそんな自分とともに、ぼくたちは生き延びていくしかない。
やっかいなんだけどね。

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2024年5月12日 (日)

初夏の日射しとコーヒー

長い長い冬がようやく終わり、気がつけば春も過ぎつつある。

初夏の日射しがまぶしい。

いま住んでいる北陸は、冬が厳しい。でもその分、春から夏に移る季節はとてもドラマチックで美しい。

家の中に差す日射しも、色模様を変えている。

初夏の光を浴びながら、お気に入りのコーヒー豆を挽いてハンドドリップで淹れる。

ちょっと前までは手挽きで豆を挽いていたんだけど、さすがに面倒になってきたので、近ごろはグラインダーを使っている。

それでも、ハンドドリップで淹れると豆が膨らんでドームを作り、あたりにコーヒーの香りがただよう。

お気に入りの音楽をかけるのも良いけど、こういうときは朝の静寂とコーヒーの匂いだけでじゅうぶん。

さて、やりかけの宿題をやらなくっちゃね。Dscf1907

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