2023年12月18日 (月)

T字路sを聞きながら

T字路s、いいですね。

最近はまっています。

ドスのきいたしゃがれ声の女性ボーカルはとても元気が良くて、聞いてて気持ちがいい。

フルアコのギターをかき鳴らし、声を張り上げて歌を歌う。

ウッドベースは転がるように弾むように、ゴキゲンなビートをかき鳴らす。

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もともとこのT字路s、ぼくはストリート・スライダーズの「野良犬にさえなれない」のカバーをYouTubeで聞いて知った。もう大分前になる。

おもしろいディオがあらわれたな、と思っていたらあっという間にぐんぐん伸びて、NHKのみんなのうたに出たり映画のサウンドトラックを担当したり、八面六臂の大活躍。

フェスでもあちこちで見られるようになった。

服装もセッティングもサウンドも1930年代っぽいスタイル、でもあざとい感じはまったくなくて、自然で彼らのサウンドにとても似合っている。

なんかね、元気が出るんだよ。

コーヒーを淹れながら「泪橋」とか聞いていると、なんかこう、あしたもがんばろうって気持ちになるんだよね。

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2022年3月21日 (月)

Sharon Van Etten、Every time the sun comes upは名曲である

最近はSharon Van Ettenにハマってて、ずっと曲を聴いている。

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どこか孤高の影を引きずった女性ロックシンガー。どことなく往年のパティ・スミスを感じさせるたたずまい。

この人の曲は、なんともたとえようのないエモーションがある。

諦念と受容と生きる意志を同時に持ち合わせているような、独特のフィーリング。

スプリングスティーンを彷彿とさせるリリカルなナンバー「Seventeen」も良いけど、ぼくのイチオシはEvery time the sun comes upだ。

何度も何度も繰り返される、美しいサビの歌詞。

Every time the sun comes up, I'm in trouble

(太陽が昇るたび、私はトラブルの中にいる)

暗いと言えば暗い歌詞である。でも、みんなそうじゃないだろうか。

 

この曲のすごいところは、たった3つのコードで成り立っているところだ。

美しいメロディとハーモニー、印象的なサビ。

それが、たった3つのコード、それも I, IV, Vの主要三和音だけで作られている。

いや、すごいね。

でも、ミュージシャンとして俳優として母として才能を遺憾なく発揮している彼女だけど、いろいろ苦労もあったようだ。

1981年生まれ、2022年で41歳になるシャロン。

ぜひまた来日して、円熟したステージを見せて欲しい。

 

 

 

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2022年3月19日 (土)

松村雄策の死を悼む

松村雄策氏が亡くなった。

2022年3月12日。享年70歳。

音楽評論家。いやロック評論家と言った方が良いだろう。
ぼくが最初にロッキングオンを読んだときから、彼の文章はずっと心に残っていた。他にもロッキングオンには優れたライターや論客は大勢いたけど、彼の文章の残す余韻は他の追随を許さないものだった。

個人の暮らす日常の風景描写に海外のロックの論評を交えるスタイルはロッキングオン記事の定番だが、このスタイルは松村雄策氏が始めたものではないだろうか。

酒だったり日々の風景だったり、些細な心の機微にロックミュージックの話がぴたりとはまり込んでいく。唐突なようで、文末まで読み終えると納得できる、素晴らしい文章だった。

取り上げる音楽は1950年代生まれらしく、ビートルズやアニマルズ、バッド・カンパニーなどを中心とした、ぼくより一回り上の世代を感じさせるものばかりだった。でもドアーズの趣味はぼくもいっしょだ。

ぼくが知るかぎり、ドアーズに関するいちばんうまいライターは松村雄策氏だった。

彼がドアーズについて語るとき、その文章にはどこか死の影がただよっていた。彼の名著「リザートキングの墓」にもそれは色濃く表れている。

考えてみれば、60年だから70年代のロックは死人だらけだ。激動の時代、当時の村松氏自身も近しい人を亡くしていたのだろうか。

そう思わずにはいられない文章だった。

 

ロッキングオンの定番連載と言えば渋松対談だ。ここでは自分の老化にまつわる自虐ネタを披露しながら、渋谷陽一氏と楽しい掛け合いをしていた。90年代から2000年代初頭、ぼくはロッキングオンを散発的に読んでいたけど、渋松対談は安定の面白さだった。

ロック雑誌の宿命として最新の情報を追わなければならない。でも渋松大胆で語られるのはレッド・ツェッペリンだったりビートルズだったり、何十年も前のロックだった。おちゃらけているようでもそれはロッキングオンという雑誌の原点、スピリットを常に思い起こさせる、大事なコーナーだったのだと思う。

 

松村雄策氏はミュージシャンでもあったし、小説家でもあった。「苺畑の午前五時」はとびっきりの青春小説だ。ぼくもバンドをやっていたころ、この小説にインスパイアされた曲を作った。せつなくてドキドキする、少年と少女の物語だ。

ぼくの中で松村雄策氏はこの小説の主人公に重なる。

いつも居心地の悪さを抱えた、ロックに生き方を変えられた、大人になりきれない少年だった。

いくつになっても自分の内面と実年齢との差にとまどい、困ったなと思いながら肩をすくめて立ち止まり、まあいいかとつぶやいてまた歩き出す、そんなイメージだった。

ロッキングオンを開けばいつでも同じようなネタで渋松対談の楽しい話題を繰り広げているユーモアの持ち主でもあった。

 

こうして文章を書いていても考えがまとまらない。

松村雄策氏の死は、はじめはゆっくりと、だんだん大きくぼくを揺さぶっている。

70歳。いまの平均余命を考えれば早い死だが、決して早すぎるわけでもない。松村氏も、ロッキングオン世代も、そしてぼくも、平等に歳を取っているという当たり前の事実がそこにある。

松村雄策氏はロッキングオンとその世代の象徴であり、ぼく周辺世代がロックミュージックに想いを仮託する代弁者でもあった。

その死と喪失は、ぼくたち自身のある部分の死と喪失でもある。

悲しい。もう何年も彼の小説も本も読んでいないのに、彼の死はぼくを大きく揺さぶる。

いまごろはもう空の上で、ジム・モリソンやジョン・レノンに会っているのだろうか。

あなたが亡くなって寂しいよ、松村雄策。

 

「未来は不確かで、死はいつでもかたわらにある」

“The future is uncertain but the end is always near”

—ジム・モリソン

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2022年1月28日 (金)

音楽と物語のはざま Jenny Hval ジェニー・ヴァル

ジェニー・ヴァルについて何か書かなければと思いながら、ひと月あまりが経った。
そこそこ有名なアーティストだと思うんだけど、日本語の情報がほとんどない。
ウィキペディアによれば彼女は1980年生まれ、今年(2022年)で42歳。ノルウェー生まれでオーストラリアのメルボルンの大学を出ている。キャリアとしては中堅どころだ。
ジェニー・ヴァルの音楽は、何かに似ているようで似ていない。文学的な香り(実際に小説家として3冊の本を出版している)、ポーティスヘッドやキャットパワーを思わせるインディーロック感と退廃感。
詩や物語とロックとの融合は、どこかパティ・スミスにも似ている。ただ、パティ・スミスが古典的なバンドミュージックのフォーマットにこだわっているのに対し、ジェニー・ヴァルはエレクトロや実験音楽のフォーマットに近い。そう言う意味ではやっぱりポーティスヘッド寄りか。

なんて言うんだろう。Jenny Hvalの音楽は言葉で表現しようとすると、するりと言葉の網からすり抜けてしまう。表現が難しい。少なくともジャンルミュージックではない。
同じような感覚は、はじめてTelefon Tel Avivを聞いたとき、M83やSigur Rós、MOGWAIを聞いたときにも感じた。今でこそ彼らにはグリッチやらポストロックやらのジャンルがラベリングされている。でも彼らの出始めの時はそんなものはなかった。ただ、訳の分からない音のかたまりや言葉のもじゃもじゃがあり、それを突きつけられたオーディエンスはとまどい、そしてエキサイトした。
Jenny Hvalの音楽にも同じ何かを感じる。彼女が表現師匠としている物が何かは分からないけれど、音楽や物語を通して彼女がリスナーに何かを届けようとしている、そのエネルギーを感じる。

彼女の小説の方はKindleで日本でも入手できる。デビュー作のParadise Rot、それに最新作のGirl against Godの二冊。Girl against Godのサンプルを読んだが、神(というより教会を中心としたキリスト教文化)への強烈な憎悪が鮮烈に描かれている。小説と言うよりはエッセイだろうか。
どちらかと言えば静謐なたたずまいの彼女の音楽とはずいぶんちがう。や、でも自身の憎悪をどこか冷ややかに観察しているのは、やはり音楽とも共通か。
決して万人にお勧めできるものではないけれど、要注目株です。ジェニー・ヴァル。
オフィシャルサイト:http://jennyhval.com

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2020年5月 3日 (日)

きのこ帝国の解散、鬱ロックは死んだのか?

予兆はあった。

きのこ帝国の2作目、eurekaはとても良かった。1作目「渦になる」と対になる、リリシズムが轟音とディレイの中に溶け込む、まさにきのこ帝国の世界だった。

3作目を聞く機会がなく、次にぼくがきのこ帝国を聞いたのは4作目、猫とアレルギーだった。

聞いたときに最初に感じたのは、事務所の圧力でもあったのだろうか?という疑念だった。

それまで先鋭的なサウンドを聞かせていたアーティストが、突然世の中に迎合したかのような大変換を遂げることがある。

アーティスト側の変化と言うよりは、事務所のプレッシャーだったり、バンドの「民主的な」意志決定の結果のことが多い。

きのこ帝国の魅力は、ボーカル佐藤の繊細な歌曲、そしてギターあーちゃんの縦横無尽なディレイサウンドだ。

それが、いつの間にか変わってしまった。

もちろん、以後のアルバムでも轟音シューゲイズサウンドはあちこちに聞かれる。

でも、ほかにストリングスが取り入れられた曲があったり、ポップなサウンドがあったりして、シューゲイズサウンドはたくさんある引き出しのひとつになってしまった。

そしてボーカル佐藤の書く歌詞は、ポジティブで口触りの良いものに変化した。

もはや「あいつをどうやって殺してやろうか」「金属バットを振り抜く夢」「ああなんかぜんぶめんどくせぇ」そんな絶望の叫びは聞かれなくなった。

 

ぼくはきのこ帝国が好きだった。

不格好でバランスが悪くてみっともなくて絶望的で自滅的、でもその中にときどき輝く、生きる祈りみたいなものが、たまらなくいとおしかった。

バンドが成長することは悪いことではない。

いつまでも永遠に青春の蹉跌を歌い続けることはできない。

だからきのこ帝国が変化し、解散したこともごく自然なことなんだと理解する。それがぼくや、世の中のファンの期待とは異なったとしても。

変わらないでほしい、そのままでいてほしいと言うのは、ファンの側の勝手な期待というものだろう。

 

一方で、シリアスで鬱なロックはその旗手を代えながらも続いていく。

この先も、消えることはないだろう。なぜなら若者の不安、蹉跌、絶望、自己否定は普遍的なものだからだ。

そしてそこから生まれる衝動の音楽は、いつの世も人の胸を打つ。

今なら笹川真央の震えるような声に、ぼくはきのこ帝国の初期と似たものを感じる。ジャックスやドアーズやルー・リードと同じ色の光を見る。

あるいはそれは、青春という色の光なのかも知れない。

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2020年4月 8日 (水)

コロナ騒ぎの真ん中で

コロナウイルス、最初のころは「なんだか新しい病気が出てきたなあ。でも海の向こうの話だし、遠い話題だなあ」くらいの感覚だった。
が、気がつけばぼくたちの生活のど真ん中にコロナウイルスがいる。
コロナが真ん中で、みんなその渦の中心にぐるぐると振り回されている。

よろしくない。

感染症対策、だいじです。
自衛防衛、たいせつです。
外に遊びに行けないのも、まあしかたがない。

でも、こころまで閉じ込めてはいけない。
私たちのこころを、ウイルスごときに規定されてはいけない。
イマジネーションを縮ませるべきではない。

ティーンエイジャーだったころ、ぼくはいつもヘッドフォンをかぶって、布団の中で爆音でパンクロックを聴いていた。
ニューウェーブ、ノイズ、テクノ、ロックンロール、フォーク、何でも聴いた。
そこだけがぼくの居場所で、ほかに行くところもなければお金もなかった。
中小都市のパッとしない中学生の自分が大嫌いで、爆音で聴く音楽はその瞬間だけ、突けばはじけ飛ぶようなフラストレーションを忘れさせてくれた。
考えてみたら、当時といまの状況は大差ない。

音楽でも本でも映画でも何でもいい。
この世の中、優れた表現物は枚挙に暇がない。
煩わしかったら自分で作ってもいい。
ロックを聴いて、エレキギターをかき鳴らす。
コロナウイルスごときで、私たちのたいせつなイマジネーションをダウンさせてはいかんのです。

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2020年4月 6日 (月)

ロックの衰退

ロックは衰退しています。
昔、吉田栄作が白いTシャツにギターを抱えてテレビに登場したときは「けっ、スプリングスティーンの猿マネじゃねえか」と毒づいたものでした。福山雅治がギターを持ってメディアに出はじめたころも、似たようなことを(口の中でそっと)つぶやいておりました。
ところがどうでしょう。
いまやバンドもギターもロックも、もはやメインストリームではありません。テレビをつければそこにいるのは、キャバクラのショータイムの出し物のような集団ばかり。
や、キャバクラ行ったことないんで、あくまで推察ですが。
ブランキーやミシェルガンやスライダーズのような骨っぽいバンドなんて影も形もない。
いずれロックという音楽ジャンルはジャズやクラシックのような伝統音楽となり、ロック文化はヤンキー文化のごとく「なつかしネタ」の中にだけ息づくようになってしまうのかも知れません。

でも、しかし。
それがどうした。
自分が好きな音楽を好きなままでいて、何が悪い。
世の中がどう変わろうと、ロックやパンクがメインストリームでなくなろうとも、僕は僕の好きな音楽を好きでいつづけるだけです。
それに、新しい世代の新しい才能は、かならずまた生まれる。
ギター、ボーカル、ベース、ドラムという古典的ロックバンドの形式ではないかも知れないけど、孤独、抒情、絶望や希望、ワケの分からないエモーション、そんなものを表現する次世代はかならず現れる。
自分の気持ちを仮託できる音楽がある限り、僕はそれを支持する。
くだらない音楽はいつの時代でもたくさんあふれていた。
ありとあらゆるガラクタの中から、わずかにきらめく星が生まれる。その構図はきっと、1960年も2020年も変わらない。

だから、自分の好きなロックを好きなように聞き、愛せば良いと思うのです。時代や世の中なんて気にせずに。
踊り明かそう、日の出を見るまで。

それにしてもギターうまいよね、福山雅治。PRSもうらやましい。

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2017年3月26日 (日)

回復は素晴らしい — 元Keaneのボーカリスト、トム・チャプリンの圧巻ライブ

キーン(Keane)と言うバンドをご存じだろうか。2000年代の初めごろにイギリスからデビューし、ボーカルの美しい歌声とキャッチーでセンチメンタルなサウンドで一世を風靡したバンドである。
方向性はちがうものの、美しいファルセットボイスとポジティブでやさしい曲世界は、コールドプレイとよく比較されていた。日本のバンドで例えるならば、スピッツあたりだろうか。

が、コールドプレイがヒット曲をかっ飛ばしてスタジアムクラスのバンドに成長したのに比べ、キーンはいつのころからか活動を聞かなくなった。
散発的に入ってくるネット情報によれば、ボーカルのトム・チャプリン(Tom Chaplin)が深刻な薬物依存に陥り、バンドは無期限停止に突入したという。
ぼくは彼らの(というか、トム・チャプリンの)音楽が大好きだったので、その後も彼らの曲はプレイリストに常に入っていた。ただ、彼らの新曲が聞けないのは残念でならなかった。

唐突に、そのトム・チャプリンがぼくの住んでいるあたりでソロコンサートを開くという情報が入ってきた。急いでチケットを手配した。なにせ、キーンのトム・チャプリンである。活動停止中とは言え、一時期はコールドプレイと肩を並べたバンドである。チケットはすぐに売りきれるに決まっている。
が。
案に相違して、チケットは売りきれなかった。それどころか、ふだんは全席指定のそのコンサートホールは、完全自由席だった。ぼくが到着したときは客は5分の入りで、最前席付近も空席があった。そして、二階席はクローズドだった。
恐ろしきは時の流れである。かつての超人気バンドも、いまや閑古鳥か。
きっとクスリの問題もちゃんと解決していないんだろうな。昔の原田真二(古っ!)を彷彿とさせる愛らしいルックスも、きっと衰えちゃっているんだろうな。声も出なくて、ファルセットを駆使した昔の曲もやらないんだろうな。

そんな暗い想像をして、ちょっと帰りたい気分になりながらぼくは彼が現れるのを待った。
ちなみに周囲は7割方が女性である。ぼくの隣は、30代の中国人女性3人組だった。楽しそうにキーンの話をしている。きっと青春時代にキーンの音楽にひたっていたんだろう。ああ、もうすぐ出てくるのはヨロヨロの元トム・チャプリンに決まっているのに。

客電が落ち、バンドが現れた。ステージにはエレクトリックピアノが置いてある。てっきりキーンと同じようにトム・チャプリンはピアノを弾き語りすると思っていたのだが、そこにはバンドメンバーが座った。
曲が始まり、ボーカリストが現れた。
あれ?誰だこの元気のいい色男は?
ぼくが知っているトム・チャプリンは、線が細く、前髪を垂らし、うつむき加減でピアノを弾く男であった。が、いま目の前にいるのは胸を張ってハンドマイクで歌い、ステージ狭しと動き回るエネルギッシュな男である。髪は短く、スキニーなジーンズとTシャツ、筋肉質で引き締まり、そして体中からエネルギーがあふれている。
キーンのボーカリストの繊細なイメージはなく、引き締まった身体からあふれ出てくる声量いっぱいの歌声。
隣に座っていた妻から、この人がボーカルなの?と聞かれるが、確信を持って答えられない。誰なんだこの男は?
だが、曲が2曲目に進んだあたりで、ようやく確信した。この男は、まちがいなくトム・チャプリンだ。こんなに歌がうまい男はほかにいない。こんなに高音域とファルセットをやすやすと操れる男はトム・チャプリン以外にはいない。何よりも、このポジティブでやさしい音楽は、まちがいなくキーンの楽曲を作ってきた男のものである。

こいつ、回復しやがった…。

バンドの演奏もとてもいい。タイトだけどタイトすぎず、ドライブしすぎない。メンバーのアイコンタクトやちょっとした仕草から、仲が良さそうなのが見て取れる。
だが何よりも、トム・チャプリンが圧巻だった。ひとつ。キーン時代よりさらに歌がうまくなっている。ふたつ。体中にエネルギーが満ちている。みっつ。客のヤジに笑って応えたり、ライブをとても楽しんでいる。

ライブ中盤で、少し長いMCが入った。
バンドのメンバーはいったん袖にはけ、トム・チャプリン一人が中央のピアノの前に座った。
そこで彼は、自分のアディクションについて語った。
自分がクスリに溺れていたこと。オーバードーズで死にかけ、妻が取りすがって涙を流したこと。クスリをやめる決心をし、リハビリ施設に入ったこと。そしていまはクスリをやめて1年になること。今回のソロアルバムが、自分のアディクションと回復についての個人的な体験をもとにしていること。
そしてピアノの前で彼はこう言った。
「回復は素晴らしい。ほんとうに、素晴らしい」

割れんばかりの拍手。

ソロコーナーを経て、またバンドが入り後半が始まる。
大半がソロの曲だが、ところどころでキーンの曲が混じる。本編最後の曲はキーンの名曲「クリスタル・ボール」。まわりはみんなサビを歌っている。隣の中国人女性たちも歌っている。自分も歌いたいがなにせキーが高くて声が出ない。
そしてアンコールは、これまたキーンの名曲、Everybody's Changing。
最初から最後までトム・チャプリンは歌い続け、動き続け、ライブは終わった。

以前にナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーのところでも書いたが、アディクションから回復したアーティストには独特の何かがある。単に明るくなったとか体力がついたとか、そう言うことではない。
精神的なタフさ、強靱さを感じるのだ。
こう言っちゃあ何だが、アディクションとはぶっちゃけ「負け」である。
そりゃそうだ、大成功を約束されたバンドをつぶし、死にかけて奥さんに本気で愛想を尽かされかけ、いまだに中規模のコンサートホールすら満員にできない。経済的にも人気的にも、勝ち組コールドプレイに遠くおよばない。
だが、それがどうした。それが何だというのだ。
彼の体中から、回復のよろこびがあふれてくる。音楽を奏で、歌を歌うよろこびがあふれてくる。
そこにはアディクションで自分の人生をいちど失いかけ、それをまた取り戻した男ならではの強靱さ、タフネスがみなぎっている。
たぶん、キーンがあのまま成功路線をひた走っていたら、こういう風にはならなかっただろう。トム・チャプリンはいまだにピアノの後ろで繊細な歌と演奏を続けていただろう。
回復は素晴らしい。そう、力強く彼が言うとおり。回復は素晴らしい。いっかい負けてそこから這い上がってきたものは、それをやったものだけが持つ輝きがある。

家に帰ってからキーンの曲をもう一度聴き直した。デビュー当時からエンジェルボイスと表現された歌声。
が、明らかに、誰の耳にも明白に、きょうのライブの方が歌がうまくなっていた。歌唱力もさることながら、エモーションを表現する力がすごいのだ。圧巻としか言いようがない。
そして、ほんの少しだけ、回復は素晴らしいと公言できるミュージシャンが日本にいないことをさびしく思う。
彼が12ステップグループに入っているかどうかは知らない。回復したミュージシャンのインタビューを読むと、リハビリ施設に入所したあとは通院や定期的なメディカルチェックアップだけで何とかしているという話も良く聞く。それはそれでかまわない。
でも、依存症からの回復というすばらしい体験を、トム・チャプリンにはぜひ伝え続けてほしいと思うのだ。それは伝えるに値するし、彼の回復の姿は、大勢のファンと回復途上のアディクトに勇気を当たるのだから。
2017年の上半期は、イギリスを中心にツアーをするようだ。いくつかの会場はソールドアウトが出ている。よろこばしいことである。
願わくば彼の音楽が世に伝わり、多くの人の耳に触れて欲しいと思う。

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2016年5月13日 (金)

チケットマスター、アメリカの音楽興行システム

アメリカで楽しみにしていたことのひとつが、音楽ライブである。
安い、日本では滅多に見れないアーティストが見れる、ライブハウスがたくさんあって有名ミュージシャンも小さな箱でやってくれる。などの日本にはないメリットがある。
事前情報を得てワクワクしていた。
じっさい、こちらにきて何度かライブハウスに足を運び、アメリカのライブの良さを堪能している。さすがロックの本場だ。

きょうは音楽とは少しちがうこと、アメリカの音楽興行業界のことを書きたい。
アメリカの二大音楽興行業者と言えば、TicketmasterとLive Nationだ。
ほとんどのライブが、この二つのどちらかを通じてチケットを売っている。オンラインを通じて購入を行う。
アマチュアバンドのライブでもほぼ同じ。この二社のどちらかを通じてチケットを発売し、完売しなければ当日窓口で発売する。この二社、日本で言えばチケットぴあとローソンチケット、あるいはイープラスと言ったところか。
が、この両社、どうもダフ屋とつるんでいるようなのである。

先日、ブルース・スプリングスティーンのツアーが発表になった。うちの近くにもツアーが来る。
チケット発売日、開始時間と同時にパソコン2台態勢でチケットマスターのHPにアクセスした。
2時間近くリロードを繰り返すも、結局ゲットできず。完売。まあ、人気のライブだから仕方がない。
と思ったら、ソールドアウトする前から、続々とダフ屋(Scalper)のサイトにチケットが出品されているではないか。
それも、あきらかに個人のレベルではない。100枚単位、それも一列丸ごととか、1ブロック丸ごととかの単位で転売されている。
あり得ない。あきらかに、発売元とダフ屋とがぐるになっているとしか考えられない。
最終的には、たとえば転売サイトStubhubでは、スプリングスティーンのチケットがニューヨークでは軒並み5,000ドル(55万円)、最高7,100ドル(77万円)まで上がった。元値はせいぜい150ドルと言ったところである。

New York targets ticketers after Springsteen prices soar

瞬間ソールドアウト。同時にダフ屋サイトで数百枚、数千枚の転売。同じ現象は、有名シンガーのAdelでも起きた。こちらは2,000ドル(22万円)。
Ticketmaster cracks down on scalpers for Adele, Springsteen concerts | Toronto Star

チケットマスターは以前にもダフ屋とぐるになっている疑いでFBIの捜査を受けているが、状況は改善していない。

さらに先日。
また別のライブのチケットを取るため、チケットマスターに発売と同時にアクセスしたら、Tickets Nowという転売サイトに飛ばされた。
また瞬間ソールドアウトだから、自動的に転売サイトにリダイレクトされたんだろう。転売価格がそう高くなかった(元値が70ドルくらい、転売99ドル)ので、そのまま購入。
転売屋から買うのは気が進まないが、ぐずぐずしていると、転売サイトの価格もどんどんはね上がる。
が、数日後に別のサイトに行ったら、なんとチケットはまだ余っていた。それもかなりの数である。つまり、チケットマスターはまだ席が残っているにもかかわらず、転売サイトにリダイレクトを飛ばしたのである。
(チケットマスターが興行を仕切る場合、そのライブは全席がチケットマスターの管轄だ。あるいは複数の興行会社が仕切っている場合でも、お互いのシートを融通しあっているようである。日本のように複数の興行会社がそれぞれにちがうブロックの席を握っていると言うことはない)
買い直そうかと思ったが、転売サイトは返品が効かない。TIckets nowで自分が転売するという手もあるが、ダフ屋に手を貸すなんてまっぴらである。

ちなみにチケットマスターは、自分でもリセール代行をやっている。ライブに行けなくなったファンのチケットを代行販売していると言うのが名目のようだ。
それにしたってずいぶん高い。ライブに行けなくなったファンのシートを買い上げて二次販売するのなら、元値プラスいくばくかの手数料、くらいが妥当だと思うのだが。

ダフ屋問題にはさすがにアメリカ人も黙っていないようで、「チケットマスターとライブネイションはダフ屋行為をやめろ!」というfacebookのサイトもできている。まあ、誰だってそう思うだろう。

Ticketmaster and Live Nation need to END scalping NOW!

まあしかし、FBIの捜査を受けても改善しなかったんだから、苦情程度で治るわけがない。ほんとうに行きたいライブは我慢してダフ屋から高額で買うか、さもなくばあきらめる、というのがアメリカの実状である。
こういう状況を体験すると、日本はまだ健全だと痛感する。チケットぴあが転売業者とぐるになって人気ライブのチケットを数百枚単位で横流ししたりしたら、きっと会社がつぶれるくらいの大問題になるだろう。

何でもお金次第のアメリカ。有名アーティストでも40ドルくらいで見れるのに、スプリングスティーンのライブはダフ屋で買わないと見れないアメリカ。

ちなみにアーティスト側にも動きがあるようだ。Adelはチケット購入時のクレジットカードと写真付きID(運転免許証やパスポート)を持参、照合するシステムを導入した。たいへんな手間である。お金も人手もかかるだろう。それでも断行するところに、彼女の強い意志が見える。
しかしほかのアーティストの動きは鈍い。きのうきょうの問題ではないはずなのだが、おおっぴらに声を上げる人は少ない。音楽業界全体の、何か表に出しづらい事情などもからんでいるのだろうか。アーティスト側も相応のキックバックをもらっているとか。勘ぐりすぎかな。
日本では優先チケットの横流しがばれたらファンクラブ会員権剥奪など、相応に厳しい処分が取られているようだ。
カオル個人の意見としては、程度にもよるだろうけど、個人間の売買は多少目をつぶってもいいと思う。
けど、瞬間ソールドアウト→同時にダフ屋サイトで数千枚発売、これはダメでしょう。
しかしどうも音楽興行業界の考えはちがうらしい。「自由市場」(アメリカの大好きな「自由」「民主主義」)の原則が左右するのだから、アーティストが価格をコントロールしようとするのはおかしい、と言う理屈だ。
自由市場って、アメリカ人はみんな株やトレーディングのように、最初から転売利益を得ることが目的でチケットをゲットしているのだろうか?音楽興行業界のCSRはどうなっているのか?

アデルは1週間に300万枚以上のアルバムを売り上げることができる、世界で最もビッグなポップスターの一人であるにも関わらず、このようなチケットの販売方法についてコントロールできる部分はほんの少しに限られている。「画期的な解決策はないんだ」と、See Ticketsのウィルムシャーストは語る。「会場には様々な契約上の関係があり複雑だ。厄介な世界なんだよ」。
中略)
再販業者らは、アデルの戦略について、チケットセールスにおける自由市場を操作しようとしていることが問題だと指摘する。需要が多ければ供給は減り、価格は高騰する。アデルのチームが、どんなに50ドル~150ドルという定価のままの価格範囲を順守しようともだ。「そのような目標が市場のなかで達成されることはないだろう」と、StubHub社長のスコット・カトラーは語る。

アデルとダフ屋の総力戦、その内幕 | Rolling Stone(ローリングストーン) 日本版

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2015年8月13日 (木)

フー・ファイターズ、デイヴ・グロールの精神性

フジロック2015、楽しかった。
色んなバンドを見た。山の緑と開放的なフジロックの空気を味わった。
が、中でも感銘を受けたのはフー・ファイターズとギター・パンダだ。
今回はフー・ファイターズについて書いておきたい。

フー・ファイターズは、言わずと知れたアメリカを代表するロックバンドのひとつである。
フロントマンであるデイヴ・グロールは6月12日、スウェーデンのステージで演奏中に転落。右足を骨折する大けがを負った。
その際もライブを中断せず、ギブスを装着してライブを完了したことが話題になっている。

フー・ファイターズのデイブ・グロールがライブ中に骨折!→ライブ強行してロックすぎる - ハードワーカーズ

それから一月半。フジロック前のライブでは特製の車いす(というか専用フロート、山車)に乗って座ったままライブをしていたという。

7月24日(金)、グリーンステージ。ぼくはモッシュピットにいた。フーファイのセッティングの様子がよく見えた。例の専用フロートも見えた。やはりケガは完治していなかったか。
まあ、仕方がない。車いすに乗った状態では、激しいライブを期待する方がムチャというものだ。ミドルテンポやスローナンバー中心の落ち着いたライブになるだろう。
そう思いながら、ぼくはグリーンのモッシュピットでデイヴ・グロールに思いをはせていた。元ニルヴァーナのドラマー。現フーファイのギター兼ボーカル、フロントマン。
世界一有名で短命な伝説バンドの生き残り。暗いイメージを払拭してのフーファイでの再起。

そんな思いは、不意に鳴り響いた甲高い絶叫でさえぎられた。
フーファイのロゴが記された巨大垂れ幕。その向こう側でデイヴ・グロールが絶叫しているのだ。次の瞬間、垂れ幕が落ち、1曲目が始まった。Everlong。

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特製フロートに乗ったデイヴ・グロールがシャウトする。バンドの演奏もいきなりのハイテンションだ。
モッシュピットは熱く盛り上がる。トシのせいで最前列付近がきつくなってきたためやや後方に下がるが、それでもステージとファンのやけどしそうな熱さが伝わってくる。
で、2曲目。モンキー・レンチ。
もう会場は大沸騰ですよ大沸騰。骨折?車いす?関係ない。フー・ファイターズのステージはこんなにも熱いものかという、最高のテンション。
その後もたたみかけるようにヒットナンバーを繰り広げる。途中でデイヴ・グロールのフロートが、モッシュピットまで延びた特設の花道に進むとファンは大きな歓声で応える。

このバンド、なんかとっても仲がよさそう。
ドラムの人はなぜか「ソニーは、ハイビジョン」と書いた青いはっぴを着てうれしそうにドラムを叩いている。電器店の人ですかあんたわ。
眉の太いギターの人も、終始にこにこにこにこしている。ちなみにメンバー紹介の時にみんな好きな曲をちょっとずつ弾いたんだけど、この人だけにこにこしながら自分のほっぺたをひっぱたいて終わり。いや、いい人だわ。
て言うか、デイヴ・グロールは照明を背負ったフロートに乗って演奏しているんで、バンドメンバーとの演奏中のアイコンタクトはいっさいできない。にもかかわらず、どの曲もタイミングはばっちりである。完璧に息の合った演奏である。どんだけ練習しているんだこのバンド。

演奏もさることながら、デイヴ・グロールのMCには参った。
途中「ある男の話をしよう」と言って、弾き語りで自分の骨折物語を歌い出した。
ステージから転落する映像。真っ二つに折れた足の骨のレントゲン写真。受傷直後は足の骨が飛び出していたと語る。うげげ。
それでもステージを中断せず、ドクターに足の骨をおさえてもらいながら演奏を続けたそうだ。その写真もスライドショーで流れる。
こういった一連の流れをおもしろおかしく話すデイヴ。フロアも大爆笑。

でもね。ぼくは思うんですよ。
たとえばぼくは去年、腰痛がひどくて2,3日仕事を休んだのね。腰が痛いだけでトイレにも行けない、仕事にも行けない、ベッドの上でうんうん言っている以外のことはいっさいできなかった。
何より、予定していた仕事をすべてドタキャンせざるを得ず、すごく落ち込んだ。メンタルがだだ下がりだった。
たかがサラリーマンのワタクシでさえこの有様なんだから、数百人のスタッフを抱え、数億円規模のビジネスをしているロックスターがどれだけ混乱したことか。
少なくとも、ノーテンキな気分ではいられなかったはずだ。足が治らなかったらどうしよう。立てなくなったらどうしよう。そんな不安もあったはずだ。でもデイヴ・グロールはそんな様子はみじんも見せずに、自分のケガをひょうひょうとユーモラスに語る。
そして子どもみたいなへたくそな絵を見せながら、病床で特製フロートの構想を練ったことを語る。

アニメのセリフじゃないけど、かっこいいとは、こういうことさ。

自分が歌うのは自分のため、ファンのため、そして何より、自分についてきてくれているスタッフのため。
そうまとめて、彼は次の曲に移っていった。いや、かっこいい。ほんとかっこいい。

ライブは最高。そして、デイヴ・グロールといういかしたアニキと語り合ったような、そんな気分でステージを見終わった。
彼の陽気でひょうきんな態度は、一見軽々しく見える。でもその下には焼けるような真剣さがある。
(どっかで聞いたセリフだな)
痛いこと、つらいことをユーモアに変えて話す彼。その裏側に、肉体のダメージなんかにオレの精神性は左右されないんだ。足が折れようと車いすに乗ろうとオレはオレのロックンロールを生きるんだ。
そういう、確かな意志を見た。

腰が痛いくらいでびいびい言っていた自分が恥ずかしくなりましたよ。

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