2022年1月27日 (木)

日本海ライフ

いまの住所は日本海沿い。
ここに来て、冬が暗いのに驚いた。関東にいたころには乾いた冬の晴れ、やわらかな冬の日差しが好きだったのだけれど、ここに来てからは晴れ間にあえることはほとんどない。
12月から2月までの3ヶ月間は、ほとんどくもり、ないし雪か雨。
常に空から何かが降ってきている。そして寒い。

まあでも、アメリカも寒いっちゃあ寒かった。暗いっちゃあ暗かった。
冬のニューヨークにも何度か行ったけど、基本的にひどく寒くて曇天ないし雪だった気がする。
写真は2018年3月のブルックリン。帰国直前のころだ。

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このときはブルックリンのカフェを何軒かはしごして歩いて、靴がずぶ濡れになってひどく寒かった記憶がある。
でも、どんなに寒くても屋内に入れば暖かいし、濡れた靴や服もすぐ乾くんだよね。
石やレンガで建物を作っているのと、あとセントラルヒーティングがどこもしっかりしているせいか。

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同じ日のカフェ内。みんな楽しそう。
ちなみにここはPartners coffeeというカフェで、ロバート・デ・ニーロ出演の「マイ・インターン」にも登場する。

コーヒーが美味しくて、居心地の良いカフェです。

さて、日本海沿い。
たしかに曇天は曇天だけれど、ぼくは楽しく過ごしている。
考えてみたら、四季がこれほどダイナミックに変化するのは日本海側の特徴じゃないだろうか。厳しい冬と感動的な春、初夏の田んぼに盛夏の日差し。山いっぱいの紅葉。
都会には都会の、日本海側には日本海側の良さがある。
楽しみながら暮らすのみ、です。

それにしても冬はランニングができないのは参ったね。

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2020年4月14日 (火)

badass, 超クール

英語は生き物、次々と知らない単語が生まれてくる。
badassと言う単語も、さいきんよく目にする。
意味は「超クール」とか「すげえ(ヤツ)」「タフガイ」的な感じ。
バッド・アスというよりは、続けて「バダース」「バダス」と読むらしい。

Zenitsu Badass Moment (善逸、超イケてる瞬間)
みたいな感じだそうです。

日本語の「ヤバい」も、いまどんどん意味が拡大しているもんね。

や、拡散しすぎてもう若い人は使わないのかな。

こういうスラング寄りの言葉は知らないとまったく分からないし、この手の言葉を使う人はかなり早口なので、スラング成分が多いと何を言っているのかサッパリついて行けない。

言葉は話してナンボ。使わなければ錆びていくし、時代の変化について行けない。

英語もまた勉強しないとね。

 

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2020年4月 7日 (火)

知らない街角、名も知らないカフェで

000905630017-1_20200406193701 アメリカ東海岸から帰国してまる2年が経った。いまでもときどき当時のことを思い出す。
差別的な目に遭ったりつらいこともたくさんあった。けど、楽しいこともいっぱいあった。
なかでも、どこに行ってもカフェがあって、美味しいコーヒーが飲めたのはとてもうれしかった。
もともとラテは好きじゃなかったけど、思いがけないちいさなお店で思いがけない美味しいラテ、素敵なラテアートにありつけることもしばしばだった。
どんなちっぽけな街でも、美味しいコーヒーが飲める。それだけでも、アメリカは良い国だと思う。

いつもの街角、いつものカフェでラテをたのむ。店員さんはたいがい大きな笑顔でたっぷりのあたたかいラテを淹れてくれる。
いまでもときどき、思い出す。
名もないカフェ、あたたかくて濃いラテと街のざわめき。

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2017年11月 4日 (土)

お久しぶり

どうも、カオルです。
お久しぶりです。
書きたいことはいろいろあるんですが、ブログを書くという習慣が、ややもすると遠ざかりがちです。
これは自分だけではないらしく、SNSの隆盛とともにブログは世界的に下火になっているそうです。
とは言え、SNSは一過性のメディア。過去の記事はあっという間に消えてしまい、検索もできない。
このブログは、自分の記録ではありますが、他の人にも役に立つであろうという信念で、細く長く続けていこうと思います。
どうぞ引き続き、よろしくお願いします。

えー、近況など。
あいかわらずアメリカ東海岸付近にいます。
職場のAAグループは解体寸前です(号泣)。
ほかのグループにはあまり顔を出していません。理由は、言葉の壁と治安です。
AAは基本的に言語を介した交流ですので、ことばが分からないというのは大きなディスアドバンテージです。
AAのスピーチは洋の東西を問わず発音は不明瞭ですし、独特の言い回しがあったり早口だったり、なかなか飲み込めません。
加えて、ミーティング会場はやや治安に不安の残る場所であることが多く、夜の8時スタートのところが多いこともあり、クルマを路駐することに抵抗があります。電車バスはさらにデインジャラスです。

とはいえ、ここでしか体験できないことはきっとたくさんあるはず。
またぼちぼちブログも更新して参りますので、ときどきは遊びにきてね。

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2017年6月25日 (日)

自分を超えた大きな力なんて信じない

ぼくが主に参加しているミーティングは通常6,7人の小さなグループで、ここ1年できちんとつながっているメンバーは2名程度だ。
ニューカマーは、もちろん来る。来るけれど、定期的にミーティングに参加する仲間は少ない。
先日、あるニューカマーがやってきた。
その日はビッグブックの読み合わせで、ぼくたちは「私たち不可知論者は」を読んでいた。
ニューカマーはすらすらとBBを読み上げ、ぼくは「さすがアメリカ人、英語がうまい」と感心しながら聞いていた。

(ちなみにぼくは、知らない単語は適当にムニャムニャとごまかしながら読んでいる。渡米して以来、英語力はさっぱりだが、ごまかす度胸はだけは身についた)

順番が回ってきたときに、彼女はこう言った。

すばらしい内容だと思う。書いてある内容は、どれももっともだ。
ただ私は、自分を超えた大きな力が自分を変えるなどという話は、信じることができない。
それが依存症を治すだなんて言う話は受け入れられないし、どうかと思う。

言うまでもなくアメリカはキリスト教が浸透している。ウィキペディアによれば、2015年現在アメリカ人の75%がクリスチャンだ。白人に限って言えば、ほぼ全員が何らかの形でキリスト教との関わりがあると思う。
Christianity in the United States - Wikipedia
だけど、それと「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれる」ことを「信じる」気になるのとは、やはり隔たりがあるのだろう。

そう言えば昔、誰かが言っていた。アル中がハイヤーパワー概念を嫌うのは、宗教のあるなしとは関係がない。アル中はアル中だから、自分以外のものを信じることができないのだ、と。
そうなのかも知れない。

AAプログラムを受け入れられるかどうかとキリスト教の素養のあるなしとは、きっと関係がない。むしろクリスチャンだからこそ、AAのハイヤーパワー概念を受け入れられない人もいるだろう。
結局のところ、ステップを受け入れられるかどうかは、宗教を超えて、自分を変える決心ができるかどうかなのだと思う。

ニューカマーにとって、AAプログラムを受け入れるべき理由は、山ほどある。医者が勧めた。回復者が大勢いる。科学的疫学的にも効果が証明されている。長い歴史があり、特定の宗教観を押しつけるようなところではないことが分かっている。
反対に、AAプログラムを受け入れない理由も、探せばいくらでもある。こんな宗教じみた集まりには出たくない。他人の経験談を聞いて自分の話をするだけなら、家族や友人で間に合っている。ミーティングに参加する時間がない。そもそもAA自体が信じられない。
そう言った理由の中から何を選び、何を選ばないのかは、やはり本人次第だ。でも、できることならば、一度は試してみて欲しいと思う。

それにしても、「自分を超えた大きな力なんて信じない」とはっきりミーティングで言えるのは、さすがアメリカだ。職場や地域のコミュニティに参加して感じるのは、「自分の意見をはっきり言う」ことはきわめて当たり前、むしろ自分の意見を述べることが大人の責任であり、意思表示すべき場面で意思表示しないことは、どちらかと言えばあまり良くないこと、という考え方だ。
どんな場面でも、真逆の意見が出るのはごく普通だ。でもぶつからない。意見を交換する場面で意見を述べるのは当たり前だろう?という感じ。
だから自分とちがう意見が出ても、別にどうと言うことはない。感情的な対立は生じない。
日本だったら、会議で「場の空気」とちがう意見を言うのは相当に覚悟の要ることだ。
「ハイヤーパワーなんて信じない」とAAミーティングで言っても、完全にOKなのである。ほめられもしない代わりに、誰もぎょっとしない。
こういう風通しの良さは、いいね。

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2017年4月30日 (日)

プリンタくん、最後の授業

フランツ。席に着きなさい。

きょうはセンセからお話があります。よく聞くように。とくに三列目、あー、キヤノンくん。
キヤノンくんは、世界でナンバーワンのプリンタ会社です。や、もちろんカメラも作っている。印刷一般とか、大きな仕事もしている、あー、でも世の中ではプリンタを作っている大きな会社と言えば、誰もがキャノンくんの名前を挙げるでしょう。
あ、いいの。いいのいいの。謙遜しなくていいの。センセはそれに、責めるつもりとか、そーゆうーのはいっさいないから。

でね、きょう言いたいのはね、世界一の会社なんだから、それなりの誇りと、あと、なんつーの、キョージ?キョージであってる?キンジとも言うかな?プライド、そう、プライドを持ってほしいの。
たとえばね、たとえばの話なんだけど、キヤノンくん、世界中でおんなじプリンタを、ちょっぴーっとだけ型番を変えて売ってるじゃない?
たとえば日本で売っているインクジェット複合機PIXUS MG7530を、アメリカではMG7520という名前で売っているわけじゃない?
え?国によって電源とか規格がビミョーに違うから、同じ型番で出すわけにはいかない?いいのいいの。それはいいの。センセはそこを問題にしてるんじゃないの。
でね、電源まわりとかそーゆーのをのぞけば、ほぼ同じ機種じゃない?
ソフトウェアドライバも、本体の設定画面も、何から何まで同じじゃない?
それなのにね、インクタンクを非共通設定にしちゃうのはどうなのかなって、そう、ちょっとだけ、ちょーっとだけ、センセは悲しい気持ちになるのね。
いいの。それはいいの。責めてるんじゃないの。

でもきょうキヤノンくんに分かってもらいたいのはね。
日本からたーくさんたーくさん、MG7530の替えインクをアメリカに持っていったのね。
で、同じ機種の同じインクだから、とうぜんソケットにはちゃんとハマるのね。スポッて。
それなのに、ソフトウェア的に「このインクは使えません。ちゃんと適合したのを入れてください」って、それをはじいちゃう。
それがね、悲しいの。3セットも4セットも持参したインクタンクが、まるで使えない。ホントはちゃんと使えるはずなのに、ソフトウェアではじいている。
そこがね、ちょーっとだけ、いじわるなんじゃないかなーって、おもーの。ひとのね。も少しね。気持ちってものをね。

あれ?どうしたのキヤノンくん?
え?勝手な思い込みで人にセッキョーすんな?こっちにも都合ってもんが?
キヤノンくん、ヤ、そういう口調は良くない。センセにそーゆーのは良くないと思うぞ。
あー、やめなさい!インクジェットをその辺に噴霧するのはやめなさい!
最近の顔料系は雨でもにじまないくっきり印刷なんだから。取れないんだから。
話を聞きなさい。それからセンセの顔にインクを微粒子噴霧するのはやめなさい。
キヤノンくん?キヤノンくんッッ?!

…フランスばんざい!

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2017年4月21日 (金)

巨大ブリトーと格闘しながら思うこと

きょうの昼食はブリトーであった。

いや、そう言うことではない。そう言うことを言いたいのではない。
順を追って話そう。

ここ1年ほど、ランチを食べる習慣がない。
理由はふたつある。
一。外食が高くて量が多い。
職場のカフェテリアで食べると、だいたい10ドルから15ドル。日々の昼飯に千円以上というのは、ちょっとサイフに厳しい。
オマケに、やたらと量が多い。うまく言えないんだけど、どのランチもカツ丼大盛りくらいのボリュームがある。食べようと思えば食べられないことはないんだけど、毎日のお昼ご飯にその量を食べるのは明らかにオーバーカロリーだし、午後に眠くなる。
二。職場のランチグループに混ざりたくない。
じゃあお弁当か何かを持ってきて食べれば、とも思うんだが、ぼくの職場には若い職員たちのランチグループがある。やっかいなことに、ぼくのデスクのすぐそばだ。
一度だけグループに混ぜてもらったが、会話がまったく聞き取れなかった。どこの国でも、若者たちが早口でおしゃべりに興じるのは共通である。共通であるんだけど、そこに言葉の不自由な外国人が一人だけ混じるのはどう考えてもムリだ。だいたい日本でも職場の若者ランチグループなんて怖くては入れないのに、異国でできるわけがない。
まったく聞き取れないマシンガン英語が頭上で飛び交うのを聞きながら、ひたすら硬直した笑顔で昼休みが終わるのを待ち続けた。ええ、一回でやめました。

そういうわけで、昼休みはランチを取らずに仕事を続けている。英語の読み書きが他の人よりものろいので、昼休みを返上しても仕事は遅い。アメリカ人が1時間で終わる仕事が1日かけても終わらなかったりすると、泣きたいような気持ちになるが、まあそれはまた別の話。

で。きょうはたまたま、朝食を食べずに出勤した。
夜も予定が入っている。帰宅は9時過ぎになるだろうし、それまで何も食べないわけにはいかない。
と言うことで、深く考えずにカフェテリアに行き、目についたブースで料理を頼んだ。

出てきたのは、巨大なブリトーであった。


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ペーパートレイに乗った、白いブリトー。
長さは18センチくらいだろうか。太さはだいたい、一般的なコーヒーのタンブラーくらい。
全体に、ヤマザキのロールケーキを一回り大きくしたくらいのサイズである。

食べましたよ。ええ。食べましたとも。がんばりました。全力を尽くしました。
後半は失速気味でしたが、手を休めずに食べきりました。
値段は、コーラとセットで10ドル50セント。

いつも思うのだけれども、アメリカの外食業界はなぜ値段と量を半分にしないのか。こんなメガ盛りみたいな量をどこでも出してくるのはどうなのか。
この辺のことをアメリカの人に聞くと、だいたいいつも同じ答が返ってくる。
「誰かとシェアして食べればいいのよ」あるいは「コンテイナーを頼んで、余った分を持ち帰ればいいのよ」である。
しかしですね。職場で手の空いたときにさっと食堂に行ってランチを食べるのに、シェアして食べる相手を見つけるのはたいへんですよ。ていうか、ランチをシェアして食べるほど仲のよい人は職場にいないわけですよ。
それから、持ち帰ればいいって言われても、ランチの残りを持参して午後の会議に参加したくないわけですよ。だってブリトーですよ。においだって会議室に充満するわけですよ。
そして何よりも、巨大ブリトー1本とコーラがランチって、なんかいろいろな意味でまちがっている気がするわけですよ。ブリトーは三分の一でいいから、その分、こんにゃくの煮物の小鉢とかミニサラダとかミニ冷やしとろろそばとか杏仁豆腐とか、そう言うものを付けてほしいわけですよ。

と言うことで、案の定午後には眠くなり、会議はまったく頭に入らなかった。
何か自分の名前を呼ばれた気がするが、深く考えないでおこう。

ちなみにカフェテリア、まわりのアメリカ人はみんなもりもりとメガ盛りランチを食べていました。
そりゃー肥満と心筋梗塞が増えるワケですよ。

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2017年4月 2日 (日)

恐ろしきかな縦列駐車

縦列駐車がこわい。
アメリカはクルマ社会である。銀行とかスーパーマーケットとか、たいがいの場所には駐車場が用意してあるが、都市部ではそうも行かない。あえて駐車場の少ない中心部に来るまで出かけなければならないこともときどきある。
そこで問題になるのは、縦列駐車である。
今のところ、まだ縦列駐車の技術を習得していない。や、やればできないこともなくはないが、切り返しだのやり直しだの、やたら時間がかかる。道路の流れをせき止めて縦列駐車のやり直しを何度もやっていると、後ろから容赦のないクラクション攻撃を浴びる。なかなかにストレスである。
できれば縦列駐車はしたくない。多少不便でも、縦列駐車をしなくちゃいけない状況なら最初からバスか徒歩を選ぶ。

縦列駐車に気が乗らない理由はもうひとつある。それは、前後のクルマである。後先考えずに、やたら車間を詰めて駐めてくる。
写真を見てほしい。あり得ないほどのすき間でびっしりと縦列駐車が並んでいる。
うまいドライバーは、キュキュッと数回切り返して魔法のように脱出できる。が、へたなドライバーも多い。
どうなるか?
もちろん、前後のクルマにぶつけて脱出するんである。

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クルマを傷つけたくない日本人としては、こういう状況はストレスなのである。つらいのである。避けたいのである。
中には前後のバンパーに厚いゴムパッドをつけて(そういうグッズが売っているんです)、縦列駐車のぶつけ攻撃に備えている人もいる。

それから、道路沿いのパーキングメーターはほとんどが25セント硬貨対応である。が、たまたま25セントを切らしていたりすると支払えなくなる。
自分はやったことがないが、ほとんどのパーキングメーターにはカメラが取り付けてあって、支払いが足りないドライバーの住所に、あとで罰金の支払い状が送られてくる。
アメリカはカード社会なので、ふだん現金を使う機会はほとんどない。何も考えずにクルマで出かけて25セントを持ち合わせておらず駐車できない、あるいは駐車したあとで支払いができないという事態も容易に発生する。

まあ、そうは言ってもやはりクルマは便利だ。
ライブハウスに出かけるときなど、終演後に疲れて電車で帰ってくるのはしんどい。
ガソリン代も安いし、電車は遅れがちだし、ついついクルマで出かけてしまうのである。
しかしそれにしても縦列駐車は(最初に戻る)

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2017年3月28日 (火)

休日の午後はコーヒーを

アメリカはコーヒー大国だ。お茶と言えばほぼコーヒーしかない。緑茶、紅茶、中国茶のたぐいはほとんど流行っていない。たまにバーガーショップなどで紅茶が置いてあるが、うっかり頼むと異様に甘い紅茶フレーバーの砂糖水が出てくる。ほとんど炭酸飲料のあつかいだ。お茶と言えばコーヒーなのである。
で、コーヒーがまたピンキリなのである。渡米して半年ほどして、わが人生最大級のまずいコーヒーを体験した。とあるサンドイッチショップでふとコーヒーを頼んだら、なぜここまでと言うくらいひどい代物が出てきた。これがよく推理小説などで出てくる、泥水と例えられるアメリカのコーヒーかと、妙に感動したくらいである。

一方で、ものすごく美味しいコーヒーにもありつける。インディペンデント系のコーヒーショップも多く、その大半は豆から焙煎から店の雰囲気から、ものすごく凝っている。
ぼくがよく行くのはそのひとつ、Vと言うコーヒーショップだ。車で40分と遠いのが玉に瑕だが、行くだけの価値がある。
アメリカのコーヒーはとても安くて、レギュラーサイズで2ドル前後というところが多い。が、Vの最上級コーヒーは5ドル。2倍半。でもそれだけの価値がある。
オーダーを受けてから一杯ずつ目の前で淹れてくれるし、量も大ぶりのマグカップにたっぷりと入れてくれる。店員さんもとても愛想がいい。ぼくのたどたどしい英語でもにっこり笑って茶目っ気たっぷりに返事してくれる。チェーン店の店員さんが英語のおぼつかない客に冷たいのとは対照的だ。

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アメリカのコーヒーショップの多くは電源コンセントが豊富にあり、無料Wi-Fiを提供している。勉強している人、仕事をしている人も多い。けどスノッブな印象はなく、パソコンに黙々と向かっている人もいれば友だちと楽しくおしゃべりしている人、コーヒーを飲んで物思いにふけっている人、それぞれが好きなことをしている。店が広くて席数が多いせいか、長時間いても変な肩身の狭さは感じない。
まあ、仕事や勉強の人もだいたい2,3時間で帰って行くようだ。さすがにまる一日コーヒー一杯で粘っている人はいない印象だ。

と言うわけで、淹れ立てコーヒーを飲み、アサイーのシャーベットを食べ、仕事の資料などを読みつつ周りの人々を観察していると、なんとなく休日の午後が終わる。
午後の光が差し込み、表に誰かが駐めたピックアップトラックの濃いブルーに反射している。
落ち着くひとときです。

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2017年2月 7日 (火)

Women's march - 多様性と民主主義 -

少し前になるが、米国新大統領が就任した翌日、2017年1月21日。ワシントンDCでの大規模な市民行進に参加してきた。

Women's March on Washington

ある女性の呼びかけがきっかけで、全米、ひいては全世界中での同時開催になったこの集会。
日本では「反大統領集会」と報道されているようだが、少しちがう。
この集会の主張、意味を、当日あの場所にいたひとりとして伝えておこうと思う。

前日の就任式は、近辺の地下鉄は閑散としていた。余裕で座席に座れ、混雑もない。翌日のWomen’s Marchも同じだろうと高をくくっていた。が。
駅の構内からして、ただならない人出である。電車に乗り込むと、あり得ないほどの人混み。日本の通勤電車並みだ。
乗客はみな一様に、この集会の参加者であることを示すピンクのニット帽をかぶり、手には思い思いのプラカードを持っている。
男女比は、6:4くらい。女性の方がやや多いが、女性ばかりというわけではない。人種は白人が7割、残りがアフリカ系アメリカ人、中東、アジアンと言うところだろうか。
雰囲気は明るく、平和的だ。コンサートに向かう人たちの集まりという感じで、見知らぬ同士が談笑している。
行進のスタート地点近くの駅に着く。ピンクのニット帽をかぶった参加者で、東京駅並みの人混み。
あまりの人混みに、メイン会場には近づけず、目的地がどこなのかもハッキリ分からない。
右を見ても左を見ても、プラカードを掲げた大勢の人たち。
主張はさまざまだ。
「賃金を上げろ」
「移民、避難民を排除するな。私たちは彼らを歓迎する」
「女性の権利を守れ」
「LGBTQに権利を」
「多様性を守れ」
「温暖化対策を守れ」
「オバマケアに触らないで」
そしてもちろん、新大統領をこき下ろすプラカードも。

予定では、メイン会場で2時間ほど代表者のスピーチがあり、それから行進が始まるはずだった。
が、スピーカーの方々がみな興奮して話が延びまくる。
「ボーリング・フォー・コロンバイン」で有名なマイケル・ムーア監督も、異様に力を入れて(長々と)スピーチをする。
2時間の予定が3時間を過ぎ、シンガーのアリシア・キーズの演奏が終わったあたりからまわりがじれてきた。
We want march! We want march!の大合唱が始まり、メイン会場の行事が終了していないにも関わらず行進が始まる。
個人的にはマドンナのパフォーマンスが見たかったのだが、まわりに押され、自分も人波に飲み込まれる。

大通りに出ると、首都を埋め尽くす勢いの、大量のピンク帽である。
これだけのデモだと反対派とのいざこざがあるのではないかと心配したが、非常に平和的だった。
ちなみに、大統領に対するプラカードやシュプレヒコールも、揶揄はあっても「死ね」だとか、人格を否定するような文言はない。この辺はとても安心できる要素だった。

大勢のピンク帽にもまれ、山ほどのシュプレヒコールを聞き、プラカードの文言を読んだ。
彼らは、単に新しい大統領とそのやり方に反対しているのではない。
堕胎をふくめた女性の権利、LGBTQをはじめとするマイノリティの権利、環境問題、移民の強制排除、色んな問題が混じり合っている。
でも、根っこのところでは、アメリカの国民性そのものである「多様性」と「民主主義」が脅かされつつある。それに対する抗議であり意思表示だと、ぼくはとらえた。

アメリカは多様性の社会である。
それは、日本人が日本で使う多様性という言葉と、少し意味がちがう。
もともと今のアメリカ合衆国は、ヨーロッパからの移民が作った。フランス、イギリス、オランダ、ヨーロッパ各地のさまざまな他民族が集まって建国し、そこにアフリカ系アメリカ人が加わり、南北戦争があり、いまのアメリカ合衆国が生まれた。
多民族国家としてはじまったアメリカという国は、最初から「ちがう人たち」の寄り合い所なのである。
生まれも文化も価値観もちがう人たちが寄り集まってできた国アメリカ、そこでは「自分と他人はちがう」と言うこと自体が価値あることだとされている。
現に、アメリカの教育場面では、とにかく「人とちがうアイディアを発想し、ちがう角度からの意見を積極的に述べること」がよしとされている。
「他人と同じであること」は、アメリカではネガティブなことなのだ。この国では「空気を読んで周囲に同調すること」には、なんの価値も置かれない。どんな問題に対しても賛成なら賛成、反対なら反対、別意見なら別意見と、誰でもしっかり意思表示する。他人の発言をなぞるだけのひと、独自の意見を持たないひと、発言を求められてなんの意見も表明できないひとは「何も考えてない人」と見なされるである。
そういう多様性が重視され、ひととちがうことが良いこととされ、色んな意見をわあわあと述べ合って問題解決を図るのが伝統とされる国で、新大統領のやり方は反感を招いた。
それは彼のやり方が、多様性を否定し、反対意見との対話を拒んでいるようにしか見えないからである。
多様性と民主主義、対話の否定は、アメリカ人のアイデンティティの根幹に関わる問題である。だからあれほど大勢の人たちが、この抗議集会に参加したのだと思う。
もちろん地球温暖化の否定、性の多様性の否定、移民の強制排除、特定の宗教の背番号制など、国際協調や人権を否定するような個々の問題も大きい。
しかしこの反対運動のうねりは、米国のアイデンティティに根ざしているのだとぼくは思う。

それにしても、新大統領の矢継ぎ早の新政策には驚かされる。
今のところ暴力的な事態は起きていないが、このまま不満が高まっていけば目に見える形での衝突が生じないとも限らない。
閣僚もまだはっきり決まっておらず、個々の政策が実務レベルで機能しているようには思えない。
早く混乱が収まってくれるのを願うばかりである。


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