2017年6月25日 (日)

自分を超えた大きな力なんて信じない

ぼくが主に参加しているミーティングは通常6,7人の小さなグループで、ここ1年できちんとつながっているメンバーは2名程度だ。
ニューカマーは、もちろん来る。来るけれど、定期的にミーティングに参加する仲間は少ない。
先日、あるニューカマーがやってきた。
その日はビッグブックの読み合わせで、ぼくたちは「私たち不可知論者は」を読んでいた。
ニューカマーはすらすらとBBを読み上げ、ぼくは「さすがアメリカ人、英語がうまい」と感心しながら聞いていた。

(ちなみにぼくは、知らない単語は適当にムニャムニャとごまかしながら読んでいる。渡米して以来、英語力はさっぱりだが、ごまかす度胸はだけは身についた)

順番が回ってきたときに、彼女はこう言った。

すばらしい内容だと思う。書いてある内容は、どれももっともだ。
ただ私は、自分を超えた大きな力が自分を変えるなどという話は、信じることができない。
それが依存症を治すだなんて言う話は受け入れられないし、どうかと思う。

言うまでもなくアメリカはキリスト教が浸透している。ウィキペディアによれば、2015年現在アメリカ人の75%がクリスチャンだ。白人に限って言えば、ほぼ全員が何らかの形でキリスト教との関わりがあると思う。
Christianity in the United States - Wikipedia
だけど、それと「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれる」ことを「信じる」気になるのとは、やはり隔たりがあるのだろう。

そう言えば昔、誰かが言っていた。アル中がハイヤーパワー概念を嫌うのは、宗教のあるなしとは関係がない。アル中はアル中だから、自分以外のものを信じることができないのだ、と。
そうなのかも知れない。

AAプログラムを受け入れられるかどうかとキリスト教の素養のあるなしとは、きっと関係がない。むしろクリスチャンだからこそ、AAのハイヤーパワー概念を受け入れられない人もいるだろう。
結局のところ、ステップを受け入れられるかどうかは、宗教を超えて、自分を変える決心ができるかどうかなのだと思う。

ニューカマーにとって、AAプログラムを受け入れるべき理由は、山ほどある。医者が勧めた。回復者が大勢いる。科学的疫学的にも効果が証明されている。長い歴史があり、特定の宗教観を押しつけるようなところではないことが分かっている。
反対に、AAプログラムを受け入れない理由も、探せばいくらでもある。こんな宗教じみた集まりには出たくない。他人の経験談を聞いて自分の話をするだけなら、家族や友人で間に合っている。ミーティングに参加する時間がない。そもそもAA自体が信じられない。
そう言った理由の中から何を選び、何を選ばないのかは、やはり本人次第だ。でも、できることならば、一度は試してみて欲しいと思う。

それにしても、「自分を超えた大きな力なんて信じない」とはっきりミーティングで言えるのは、さすがアメリカだ。職場や地域のコミュニティに参加して感じるのは、「自分の意見をはっきり言う」ことはきわめて当たり前、むしろ自分の意見を述べることが大人の責任であり、意思表示すべき場面で意思表示しないことは、どちらかと言えばあまり良くないこと、という考え方だ。
どんな場面でも、真逆の意見が出るのはごく普通だ。でもぶつからない。意見を交換する場面で意見を述べるのは当たり前だろう?という感じ。
だから自分とちがう意見が出ても、別にどうと言うことはない。感情的な対立は生じない。
日本だったら、会議で「場の空気」とちがう意見を言うのは相当に覚悟の要ることだ。
「ハイヤーパワーなんて信じない」とAAミーティングで言っても、完全にOKなのである。ほめられもしない代わりに、誰もぎょっとしない。
こういう風通しの良さは、いいね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年4月30日 (日)

プリンタくん、最後の授業

フランツ。席に着きなさい。

きょうはセンセからお話があります。よく聞くように。とくに三列目、あー、キヤノンくん。
キヤノンくんは、世界でナンバーワンのプリンタ会社です。や、もちろんカメラも作っている。印刷一般とか、大きな仕事もしている、あー、でも世の中ではプリンタを作っている大きな会社と言えば、誰もがキャノンくんの名前を挙げるでしょう。
あ、いいの。いいのいいの。謙遜しなくていいの。センセはそれに、責めるつもりとか、そーゆうーのはいっさいないから。

でね、きょう言いたいのはね、世界一の会社なんだから、それなりの誇りと、あと、なんつーの、キョージ?キョージであってる?キンジとも言うかな?プライド、そう、プライドを持ってほしいの。
たとえばね、たとえばの話なんだけど、キヤノンくん、世界中でおんなじプリンタを、ちょっぴーっとだけ型番を変えて売ってるじゃない?
たとえば日本で売っているインクジェット複合機PIXUS MG7530を、アメリカではMG7520という名前で売っているわけじゃない?
え?国によって電源とか規格がビミョーに違うから、同じ型番で出すわけにはいかない?いいのいいの。それはいいの。センセはそこを問題にしてるんじゃないの。
でね、電源まわりとかそーゆーのをのぞけば、ほぼ同じ機種じゃない?
ソフトウェアドライバも、本体の設定画面も、何から何まで同じじゃない?
それなのにね、インクタンクを非共通設定にしちゃうのはどうなのかなって、そう、ちょっとだけ、ちょーっとだけ、センセは悲しい気持ちになるのね。
いいの。それはいいの。責めてるんじゃないの。

でもきょうキヤノンくんに分かってもらいたいのはね。
日本からたーくさんたーくさん、MG7530の替えインクをアメリカに持っていったのね。
で、同じ機種の同じインクだから、とうぜんソケットにはちゃんとハマるのね。スポッて。
それなのに、ソフトウェア的に「このインクは使えません。ちゃんと適合したのを入れてください」って、それをはじいちゃう。
それがね、悲しいの。3セットも4セットも持参したインクタンクが、まるで使えない。ホントはちゃんと使えるはずなのに、ソフトウェアではじいている。
そこがね、ちょーっとだけ、いじわるなんじゃないかなーって、おもーの。ひとのね。も少しね。気持ちってものをね。

あれ?どうしたのキヤノンくん?
え?勝手な思い込みで人にセッキョーすんな?こっちにも都合ってもんが?
キヤノンくん、ヤ、そういう口調は良くない。センセにそーゆーのは良くないと思うぞ。
あー、やめなさい!インクジェットをその辺に噴霧するのはやめなさい!
最近の顔料系は雨でもにじまないくっきり印刷なんだから。取れないんだから。
話を聞きなさい。それからセンセの顔にインクを微粒子噴霧するのはやめなさい。
キヤノンくん?キヤノンくんッッ?!

…フランスばんざい!

Img_1847


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月21日 (金)

巨大ブリトーと格闘しながら思うこと

きょうの昼食はブリトーであった。

いや、そう言うことではない。そう言うことを言いたいのではない。
順を追って話そう。

ここ1年ほど、ランチを食べる習慣がない。
理由はふたつある。
一。外食が高くて量が多い。
職場のカフェテリアで食べると、だいたい10ドルから15ドル。日々の昼飯に千円以上というのは、ちょっとサイフに厳しい。
オマケに、やたらと量が多い。うまく言えないんだけど、どのランチもカツ丼大盛りくらいのボリュームがある。食べようと思えば食べられないことはないんだけど、毎日のお昼ご飯にその量を食べるのは明らかにオーバーカロリーだし、午後に眠くなる。
二。職場のランチグループに混ざりたくない。
じゃあお弁当か何かを持ってきて食べれば、とも思うんだが、ぼくの職場には若い職員たちのランチグループがある。やっかいなことに、ぼくのデスクのすぐそばだ。
一度だけグループに混ぜてもらったが、会話がまったく聞き取れなかった。どこの国でも、若者たちが早口でおしゃべりに興じるのは共通である。共通であるんだけど、そこに言葉の不自由な外国人が一人だけ混じるのはどう考えてもムリだ。だいたい日本でも職場の若者ランチグループなんて怖くては入れないのに、異国でできるわけがない。
まったく聞き取れないマシンガン英語が頭上で飛び交うのを聞きながら、ひたすら硬直した笑顔で昼休みが終わるのを待ち続けた。ええ、一回でやめました。

そういうわけで、昼休みはランチを取らずに仕事を続けている。英語の読み書きが他の人よりものろいので、昼休みを返上しても仕事は遅い。アメリカ人が1時間で終わる仕事が1日かけても終わらなかったりすると、泣きたいような気持ちになるが、まあそれはまた別の話。

で。きょうはたまたま、朝食を食べずに出勤した。
夜も予定が入っている。帰宅は9時過ぎになるだろうし、それまで何も食べないわけにはいかない。
と言うことで、深く考えずにカフェテリアに行き、目についたブースで料理を頼んだ。

出てきたのは、巨大なブリトーであった。


Img_1822

ペーパートレイに乗った、白いブリトー。
長さは18センチくらいだろうか。太さはだいたい、一般的なコーヒーのタンブラーくらい。
全体に、ヤマザキのロールケーキを一回り大きくしたくらいのサイズである。

食べましたよ。ええ。食べましたとも。がんばりました。全力を尽くしました。
後半は失速気味でしたが、手を休めずに食べきりました。
値段は、コーラとセットで10ドル50セント。

いつも思うのだけれども、アメリカの外食業界はなぜ値段と量を半分にしないのか。こんなメガ盛りみたいな量をどこでも出してくるのはどうなのか。
この辺のことをアメリカの人に聞くと、だいたいいつも同じ答が返ってくる。
「誰かとシェアして食べればいいのよ」あるいは「コンテイナーを頼んで、余った分を持ち帰ればいいのよ」である。
しかしですね。職場で手の空いたときにさっと食堂に行ってランチを食べるのに、シェアして食べる相手を見つけるのはたいへんですよ。ていうか、ランチをシェアして食べるほど仲のよい人は職場にいないわけですよ。
それから、持ち帰ればいいって言われても、ランチの残りを持参して午後の会議に参加したくないわけですよ。だってブリトーですよ。においだって会議室に充満するわけですよ。
そして何よりも、巨大ブリトー1本とコーラがランチって、なんかいろいろな意味でまちがっている気がするわけですよ。ブリトーは三分の一でいいから、その分、こんにゃくの煮物の小鉢とかミニサラダとかミニ冷やしとろろそばとか杏仁豆腐とか、そう言うものを付けてほしいわけですよ。

と言うことで、案の定午後には眠くなり、会議はまったく頭に入らなかった。
何か自分の名前を呼ばれた気がするが、深く考えないでおこう。

ちなみにカフェテリア、まわりのアメリカ人はみんなもりもりとメガ盛りランチを食べていました。
そりゃー肥満と心筋梗塞が増えるワケですよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年4月 2日 (日)

恐ろしきかな縦列駐車

縦列駐車がこわい。
アメリカはクルマ社会である。銀行とかスーパーマーケットとか、たいがいの場所には駐車場が用意してあるが、都市部ではそうも行かない。あえて駐車場の少ない中心部に来るまで出かけなければならないこともときどきある。
そこで問題になるのは、縦列駐車である。
今のところ、まだ縦列駐車の技術を習得していない。や、やればできないこともなくはないが、切り返しだのやり直しだの、やたら時間がかかる。道路の流れをせき止めて縦列駐車のやり直しを何度もやっていると、後ろから容赦のないクラクション攻撃を浴びる。なかなかにストレスである。
できれば縦列駐車はしたくない。多少不便でも、縦列駐車をしなくちゃいけない状況なら最初からバスか徒歩を選ぶ。

縦列駐車に気が乗らない理由はもうひとつある。それは、前後のクルマである。後先考えずに、やたら車間を詰めて駐めてくる。
写真を見てほしい。あり得ないほどのすき間でびっしりと縦列駐車が並んでいる。
うまいドライバーは、キュキュッと数回切り返して魔法のように脱出できる。が、へたなドライバーも多い。
どうなるか?
もちろん、前後のクルマにぶつけて脱出するんである。

Dp3m0595


クルマを傷つけたくない日本人としては、こういう状況はストレスなのである。つらいのである。避けたいのである。
中には前後のバンパーに厚いゴムパッドをつけて(そういうグッズが売っているんです)、縦列駐車のぶつけ攻撃に備えている人もいる。

それから、道路沿いのパーキングメーターはほとんどが25セント硬貨対応である。が、たまたま25セントを切らしていたりすると支払えなくなる。
自分はやったことがないが、ほとんどのパーキングメーターにはカメラが取り付けてあって、支払いが足りないドライバーの住所に、あとで罰金の支払い状が送られてくる。
アメリカはカード社会なので、ふだん現金を使う機会はほとんどない。何も考えずにクルマで出かけて25セントを持ち合わせておらず駐車できない、あるいは駐車したあとで支払いができないという事態も容易に発生する。

まあ、そうは言ってもやはりクルマは便利だ。
ライブハウスに出かけるときなど、終演後に疲れて電車で帰ってくるのはしんどい。
ガソリン代も安いし、電車は遅れがちだし、ついついクルマで出かけてしまうのである。
しかしそれにしても縦列駐車は(最初に戻る)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年3月28日 (火)

休日の午後はコーヒーを

アメリカはコーヒー大国だ。お茶と言えばほぼコーヒーしかない。緑茶、紅茶、中国茶のたぐいはほとんど流行っていない。たまにバーガーショップなどで紅茶が置いてあるが、うっかり頼むと異様に甘い紅茶フレーバーの砂糖水が出てくる。ほとんど炭酸飲料のあつかいだ。お茶と言えばコーヒーなのである。
で、コーヒーがまたピンキリなのである。渡米して半年ほどして、わが人生最大級のまずいコーヒーを体験した。とあるサンドイッチショップでふとコーヒーを頼んだら、なぜここまでと言うくらいひどい代物が出てきた。これがよく推理小説などで出てくる、泥水と例えられるアメリカのコーヒーかと、妙に感動したくらいである。

一方で、ものすごく美味しいコーヒーにもありつける。インディペンデント系のコーヒーショップも多く、その大半は豆から焙煎から店の雰囲気から、ものすごく凝っている。
ぼくがよく行くのはそのひとつ、Vと言うコーヒーショップだ。車で40分と遠いのが玉に瑕だが、行くだけの価値がある。
アメリカのコーヒーはとても安くて、レギュラーサイズで2ドル前後というところが多い。が、Vの最上級コーヒーは5ドル。2倍半。でもそれだけの価値がある。
オーダーを受けてから一杯ずつ目の前で淹れてくれるし、量も大ぶりのマグカップにたっぷりと入れてくれる。店員さんもとても愛想がいい。ぼくのたどたどしい英語でもにっこり笑って茶目っ気たっぷりに返事してくれる。チェーン店の店員さんが英語のおぼつかない客に冷たいのとは対照的だ。

Img_1607_1


アメリカのコーヒーショップの多くは電源コンセントが豊富にあり、無料Wi-Fiを提供している。勉強している人、仕事をしている人も多い。けどスノッブな印象はなく、パソコンに黙々と向かっている人もいれば友だちと楽しくおしゃべりしている人、コーヒーを飲んで物思いにふけっている人、それぞれが好きなことをしている。店が広くて席数が多いせいか、長時間いても変な肩身の狭さは感じない。
まあ、仕事や勉強の人もだいたい2,3時間で帰って行くようだ。さすがにまる一日コーヒー一杯で粘っている人はいない印象だ。

と言うわけで、淹れ立てコーヒーを飲み、アサイーのシャーベットを食べ、仕事の資料などを読みつつ周りの人々を観察していると、なんとなく休日の午後が終わる。
午後の光が差し込み、表に誰かが駐めたピックアップトラックの濃いブルーに反射している。
落ち着くひとときです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年2月 7日 (火)

Women's march - 多様性と民主主義 -

少し前になるが、米国新大統領が就任した翌日、2017年1月21日。ワシントンDCでの大規模な市民行進に参加してきた。

Women's March on Washington

ある女性の呼びかけがきっかけで、全米、ひいては全世界中での同時開催になったこの集会。
日本では「反大統領集会」と報道されているようだが、少しちがう。
この集会の主張、意味を、当日あの場所にいたひとりとして伝えておこうと思う。

前日の就任式は、近辺の地下鉄は閑散としていた。余裕で座席に座れ、混雑もない。翌日のWomen’s Marchも同じだろうと高をくくっていた。が。
駅の構内からして、ただならない人出である。電車に乗り込むと、あり得ないほどの人混み。日本の通勤電車並みだ。
乗客はみな一様に、この集会の参加者であることを示すピンクのニット帽をかぶり、手には思い思いのプラカードを持っている。
男女比は、6:4くらい。女性の方がやや多いが、女性ばかりというわけではない。人種は白人が7割、残りがアフリカ系アメリカ人、中東、アジアンと言うところだろうか。
雰囲気は明るく、平和的だ。コンサートに向かう人たちの集まりという感じで、見知らぬ同士が談笑している。
行進のスタート地点近くの駅に着く。ピンクのニット帽をかぶった参加者で、東京駅並みの人混み。
あまりの人混みに、メイン会場には近づけず、目的地がどこなのかもハッキリ分からない。
右を見ても左を見ても、プラカードを掲げた大勢の人たち。
主張はさまざまだ。
「賃金を上げろ」
「移民、避難民を排除するな。私たちは彼らを歓迎する」
「女性の権利を守れ」
「LGBTQに権利を」
「多様性を守れ」
「温暖化対策を守れ」
「オバマケアに触らないで」
そしてもちろん、新大統領をこき下ろすプラカードも。

予定では、メイン会場で2時間ほど代表者のスピーチがあり、それから行進が始まるはずだった。
が、スピーカーの方々がみな興奮して話が延びまくる。
「ボーリング・フォー・コロンバイン」で有名なマイケル・ムーア監督も、異様に力を入れて(長々と)スピーチをする。
2時間の予定が3時間を過ぎ、シンガーのアリシア・キーズの演奏が終わったあたりからまわりがじれてきた。
We want march! We want march!の大合唱が始まり、メイン会場の行事が終了していないにも関わらず行進が始まる。
個人的にはマドンナのパフォーマンスが見たかったのだが、まわりに押され、自分も人波に飲み込まれる。

大通りに出ると、首都を埋め尽くす勢いの、大量のピンク帽である。
これだけのデモだと反対派とのいざこざがあるのではないかと心配したが、非常に平和的だった。
ちなみに、大統領に対するプラカードやシュプレヒコールも、揶揄はあっても「死ね」だとか、人格を否定するような文言はない。この辺はとても安心できる要素だった。

大勢のピンク帽にもまれ、山ほどのシュプレヒコールを聞き、プラカードの文言を読んだ。
彼らは、単に新しい大統領とそのやり方に反対しているのではない。
堕胎をふくめた女性の権利、LGBTQをはじめとするマイノリティの権利、環境問題、移民の強制排除、色んな問題が混じり合っている。
でも、根っこのところでは、アメリカの国民性そのものである「多様性」と「民主主義」が脅かされつつある。それに対する抗議であり意思表示だと、ぼくはとらえた。

アメリカは多様性の社会である。
それは、日本人が日本で使う多様性という言葉と、少し意味がちがう。
もともと今のアメリカ合衆国は、ヨーロッパからの移民が作った。フランス、イギリス、オランダ、ヨーロッパ各地のさまざまな他民族が集まって建国し、そこにアフリカ系アメリカ人が加わり、南北戦争があり、いまのアメリカ合衆国が生まれた。
多民族国家としてはじまったアメリカという国は、最初から「ちがう人たち」の寄り合い所なのである。
生まれも文化も価値観もちがう人たちが寄り集まってできた国アメリカ、そこでは「自分と他人はちがう」と言うこと自体が価値あることだとされている。
現に、アメリカの教育場面では、とにかく「人とちがうアイディアを発想し、ちがう角度からの意見を積極的に述べること」がよしとされている。
「他人と同じであること」は、アメリカではネガティブなことなのだ。この国では「空気を読んで周囲に同調すること」には、なんの価値も置かれない。どんな問題に対しても賛成なら賛成、反対なら反対、別意見なら別意見と、誰でもしっかり意思表示する。他人の発言をなぞるだけのひと、独自の意見を持たないひと、発言を求められてなんの意見も表明できないひとは「何も考えてない人」と見なされるである。
そういう多様性が重視され、ひととちがうことが良いこととされ、色んな意見をわあわあと述べ合って問題解決を図るのが伝統とされる国で、新大統領のやり方は反感を招いた。
それは彼のやり方が、多様性を否定し、反対意見との対話を拒んでいるようにしか見えないからである。
多様性と民主主義、対話の否定は、アメリカ人のアイデンティティの根幹に関わる問題である。だからあれほど大勢の人たちが、この抗議集会に参加したのだと思う。
もちろん地球温暖化の否定、性の多様性の否定、移民の強制排除、特定の宗教の背番号制など、国際協調や人権を否定するような個々の問題も大きい。
しかしこの反対運動のうねりは、米国のアイデンティティに根ざしているのだとぼくは思う。

それにしても、新大統領の矢継ぎ早の新政策には驚かされる。
今のところ暴力的な事態は起きていないが、このまま不満が高まっていけば目に見える形での衝突が生じないとも限らない。
閣僚もまだはっきり決まっておらず、個々の政策が実務レベルで機能しているようには思えない。
早く混乱が収まってくれるのを願うばかりである。


| | コメント (5) | トラックバック (0)

2017年1月28日 (土)

できないことを認める

異国に暮らしていると、「できないこと」に直面してばかりだ。
例えばいま、上司にミーティングキャンセルのメールを書いた。このメールを書くのに1時間かかった。
1時間も何をしていたのかと言えば、業務進捗状況の確認に15分、自分の感情と折り合いをつけるのに40分。メール書きは5分だ。
なにせ、上司からの課題が遅れに遅れている。すでに数ヶ月。とうに仕上がっていなければならない。しかし、そのためには大量の書類を読み、分からないところがあれば知っていそうな人に問合せ、書類の草稿をまとめ、また訂正という作業を繰り返す必要がある。
これを英語でやるというのは、非常につらい。
つらい上に、アリが這うほどの速度でしか進まない。そしてできた英文の文書は、自分で読んでもいやになるほどクオリティが低い。
日本にいて、日本語で、日本人の同僚に同じことをやるのは造作もないことだ。ちょっと、ここ分かんないんだけど、知っていたら教えてくれないかな?いま詰まっちゃってるんだけど、どうしたらいいかな。ちょっとこれ、読んでみてもらえる?
しかしいまは人にものをたずねるにも、質問事項をまとめ、英語の言い回しを考え、その上で話を持って行かなければならない。頭に浮かんだことをそのまま口に出すということができない。
そして往々にして、そうやって求めた返事も、何を言っているのかよく分からない。
会話の質が低く、聞き漏らしが多い。母語なら当然の、考えながら話す、聞きながら考えるということができないからである。

昨年末から、フィンランドから別の担当者が来た。
フィンランドでは、かなりの人が英語を自由に使えるらしい。
彼は、ぼくが1年ちょっとかかってやってきたことを難なく数ヶ月で達成し、さらにその上を行っている。
彼は英語の文書が苦もなく大量に読め、大量に書け、周囲と込み入った会話ができる。
ぼくはその脇で、ひたすら黙って辞書を引きながら込み入った文章を解読している。
全体会議では流れについていくのがやっとで、意見など言うヒマなどはない。あるいは、意見を頭の中で英語に直している間に、あっという間に話題は飛び去って行ってしまう。

いま、ぼくはこの職場環境で「いちばん貢献していない人」である。
そして、それを解決する見通しが見えていない人である。認めざるを得ない。
自己憐憫に陥るものかと思いつつも、気がつくとまわりと自分を比べている。
無力である。
そして、無力を認めるというのは、こんなにもきついものなのかと思う。
期せずして、酒をやめたばかりのころを思い出す。

無力を認めるには、代わりになる何かが必要だ。
AAでは、アルコールに対する無力を認めれば自由に生きられる、アルコールなしの新しい生き方が手に入ると言う光が見えた。それは、AAにつながりつづけている仲間の姿から感じることができた。そして、彼らの助けの手があった。
ただ単に無力を認めろと言っても、認められるわけがない。その代わりになる希望、酒をやめたあとにある光が見えなければ、とてもできるわけがない。
「無力を認める」のと「解決がある」ことは、同時に示されなければならない。
どんなに進歩しても、酒をやめたあとの希望、酒を手放すに値すると思える生き方、笑顔、よろこびを医学は提供しない。それはやはり、自助グループと仲間だけが見せることができるのだ。

と、AAのありがたみを再確認したところで、きょうも孤立無援の職場でがんばるわけです。
12のステップとハイヤーパワーがあれば、きっとだいじょうぶ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年1月 2日 (月)

米国アマゾン返品UPS drop off

米国は返品大国である。レシートがあれば、たいがいのお店で返品が効くし、1,2回使った程度なら問題なく返品可能だ。
洋服店などに行くとレジのほかに返品専用のカウンターがあって、ひんぱんに返品の客が受け付けている。通販も同様で、最大手アマゾンも気軽に返品を受け付けている。
が、外国人には返品発送の手順がよく分からない。どこでどう発送すれば良いのか?送料はどれくらい?お金はどう返ってくる?
今回、米Amazonの返品してみた。

返品したブツは、Line 6のワイアレスシステムだ。
到着して気がついた。これはギター側の送信機(トランスミッター)だけだ。受信機がないとなんの役にも立たない。受信機の単品販売はしていないのになぜ送信機だけは単体で売っているのか、意味不明だが、よく調べずに購入したのは自分である。
さいわい、段ボールは開いたものの、中の商品には手をつけていない。十分に返品可能である。
Amazonのアカウントサービスのタブから返品を試みた。
アカウントサービスのタブからrefundを選択、返品の理由をチョイス。さらに進めると発送ラベルの印刷ページにたどり着いた。
それを印刷して切り貼りし、段ボールに貼り付ける。

切り貼りする箇所は3つ。
・宛名ラベルを切り取って発送する箱に張る。
・リチウム電池が入っている旨を記載したラベルも箱に張る。
・バーコードのついたラベルを、箱の中に入れる。
そしてこれをUPSに持って行く。

発送方法の追加説明
・ほかの追跡ラベルが箱に貼っていないことを確認。危険物以外の発送であれば、危険物入りのラベルをかんぜんにはがすか覆うかすること。
・発送ラベルをきちんと小包に貼ること。以前の発送ラベルは完全にはがすか覆うこと。
・小包をUPSに持って行く。最寄りのUPS所在地はwww.ups.comでdrop off ロケーションを見つける。
・Amazon返品には、品物をもともとの製造者のパッケージに入れる必要がある。もしもとの箱が使えないなら、輸送は損が生じないよう、クッションを入れた段ボールに入れること。

さて、問題はUPSの手続きだ。UPSのサイトで調べると、UPSの受付は有人営業所と無人受付の2種類があるらしいことが判明した。有人の営業所は数が少なく、無人受付はあちこちにある。
drop offというのは無人受付のことで、上記Amazonの文章は「無人受付でOK」と読める。
ここで疑問が発生。
・ラベルを貼って無人受付に置いてくればそれでいいのか?送料は?
・着払いか元払いか、どこでその指定を行うのか?

UPSのウェブサイトでアカウントも作った。web上でクレジットカード決済の上、元払いで発送できることも知った。しかし、これをやると、Amazonの発送ラベルのほかにもう一通、自分で作成した発送ラベルを作ってしまうことになる。ひとつの小包にラベルを2枚貼るのはどう考えても不自然だ。だいたい、Amazonからはそう言った指示はない。

こういうときに自分で余計な気を回すと、たいがい不正解になる。Amazonが「ラベルを印刷して箱に貼り、UPSのdrop offに持って行け」というのなら、そのとおりにするのが正解である。深読みは禁物だ。

さて、UPS無人受付に行ってみた。
建物と建物の狭いすき間に、その無人受付は存在した。
それは受付などというものではなく、単なる「ポスト」であった。


Img_0547

ポストのハンドルをつかんで手前に引き、発送物をスロットに入れる。ハンドルを戻すと、発送物が滑り落ちていく音がする。
割れ物あつかいとか上下指定とかは、いっさい効かない。封筒やはがきと同等のあつかいである。
これがアメリカの宅配便集荷か…。

Img_0551


Img_0550


投函してから二日後、Amazonからメールが届いた。荷物が無事到着したので、Amazonギフトカードで返金するという。
金額を確認すると、商品代金+税金。ありがたく頂戴しよう。

と言うわけで、アメリカ国内からのAmazonの返品手続きの紹介でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 5日 (金)

英語をいかにして習得するか

さて、英語をいかにして習得するか。これが目下の懸案課題である。
いまやっている英語のトレーニングはいかのような感じ。

・iKnow!で語彙力強化。週6時間目安。毎日1時間やって、週1日はお休み。
・オンライン英会話を毎日一コマ(25分)。が、あまりできていない。月17回程度。
・週1回、夜間有料イングリッシュクラス。2時間半。今週からスタート。
・週2回、夜間無料イングリッシュクラス。1回2時間半。今週からスタート。
・リエゾン(音のつながり)学習のため「モゴモゴバスターズ」を週1回、30分から1時間。

イングリッシュクラスは宿題がきつい。授業時間以外に予習復習で2,3時間は取られる。
加えて、最近はじめたこととして
・1日最低3人に話しかける。
・会議やミーティングでは最低1回発現する。

これを心がけている。

…で、どのくらい効果があるのかというと。

分かりません。


でも、きのう久しぶりに話したとなりのセクションの人に「最初に来たときより英語うまくなったね」と言われたので、多少は良くなっているとは思う。
お世辞は言わないタイプの人なので、こういうことを言われるととてもうれしい。

英語のトレーニング、自分でも上に書き出してみて、ちょっとやりすぎかなと思う。日本の本社から持ってきた仕事に取り組む時間がゼンゼンない。ギターを弾く時間もないぞ。とほほ。

週2回の無料のイングリッシュクラスはとてもありがたいんだけど、続けるかどうか思案中。夜7時から始まるので、ちょうど渋滞ラッシュにつかまる。往復の時間が痛い。
加えて、レベル的にあわない気が。今さらbe動詞の活用や完了形を学ぶのも、まあ復習になって良いのかも知れないけれど、往復の時間などを考えるとちょっとどうなのかという気がする。クラスメイトはぼく以外はすべてヒスパニックで、授業中も休み時間もずーっと母国語(スペイン語)でおしゃべりしている。

有料クラスは割にレベルが高いが、こちらはこちらで、自由にスピーチをさせて文法や発音のミスがあれば、先生がすぐさまストップをかけて修正が入る形式だ。
実にしばしば話を停められる。萎縮しちゃってみな無口にならざるを得ない。
そう言えば、昔習ったピアノの先生がこんな感じだった。とにかくミスタッチの修正にキアイが入りすぎてて、音楽を奏でる楽しさみたいのはあまり感じられなかった。

うーん。
インプットはiknow!と有料イングリッシュクラスのみにして、アウトプットはオンライン英会話に集中すべきか。
オンライン英会話は、最初のころは知らない講師の方とSkypeで話すのがどうにも苦痛だったが、10回ほどやったらすっかり慣れた。講師がこちらのトークを引き出してくれるので、むちゃくちゃな文法や発音でものびのび話せる。
ただ、スクールに較べると最大のデメリット、つまり「自分で積極的に継続しないと、いつの間にかやらなくなってしまう」という点が心配だ。世の中の人のどれほど多くが、会費だけ払って英会話レッスンをまったくやっていないことか。
スポーツジム、英会話、ダイエット。世の中の大半のものごとが、自分で続けるのがむずかしい。その点では、英会話スクールは「スクールに行かなくちゃいけない。宿題をやらなくちゃいけない」という、縛りのメリットがある。

これだけやって、どれだけ英語力が延びるのかは、まさに神のみぞ知るである。
ただ一つ言えるのは、何のトレーニングもしなければ何も変わらない、ということだ。
アメリカに住んでいれば英語が話せる、聞ける、読める、書けるようになるというのは、完全に幻想である。
こちらにきて数年、あるいは数十年経ったという非アメリカ人と何人も話した。中にはネイティブとしか思えない人もいるが、多くは限定的なボキャブラリーと、矯正されていない強いなまりで何とか日々を過ごしているという印象だった。
もちろん、それで不自由がなければそれはそれでいいのだと思う。しかし、込み入った内容のこと、概念的なことだって話したい。アメリカ人同士の会話、独特の言い回しやイディオム、リエゾン多用でペラペラッとしか聞こえてこない会話にも切り込んでいきたい。
環境まかせで、「いつか自然にできるようになる」はあり得ない。
今の英語力では、ミーティングや話し合いで重要なポイントをつかみそこねるリスクが非常に高い。
可能な限り早く、英語力を高めていきたい。


先日、女性の同僚がペラペラっと何か言った。聞き取れない。ソーリー?またペラペラ。またまた聞き取れない。大事な内容かも知れない。聞き逃してはならない。あー、ソーリーソーリー、アゲイン、プリーズ?


「私はトイレに寄るから先に会議に行ってて、て言ってるの!!」

えー、こういうことは避けたいわけですよ。やっぱり。

| | コメント (2) | トラックバック (0)