2024年6月11日 (火)

She's lost control 彼女はコントロールを失った

Confusion in her eyes that says it all
She's lost control
And she's clinging to the nearest passerby
She's lost control

彼女の目の前の混乱がすべてを物語っている
彼女はコントロールを失った
彼女は近くの通行人にしがみついている
彼女はコントロールを失った
彼女はまたコントロールを失った
彼女はまたしてもコントロールを失ってしまった

Joy division She's lost control

ジョイ・ディビジョンのボーカリスト、イアン・カーティスは障害者雇用センターで働いていたとき、何度もてんかん発作を起こす女性利用者にインスパイアされてこの曲を書いた。やがて彼女はてんかん発作のために亡くなったという。
不穏なリフと無機質なビートが執拗に繰り返されるこの曲で、「彼女はコントロールを失った」というフレーズはどこか諦念をともなった呪文のように淡々と繰り返される。
言うまでもなくこの曲はジョイ・ディビジョンの代表曲で、他の楽曲と同じく死の影に包まれ、やがてバンドはイアン・カーティスの自殺で終焉を迎える。

私たちはいつもコントロールを失う。
ぼくもそうだ。
感情のコントロール、抑制のコントロール、日々それを求めては最終的に失敗する。
陰性感情やどうにもならない欲求を、誰もがコントロールしたいと願う。怒りや爆発や恨みを抱えたまま一生を過ごしたいと思う人など誰もいない。
でも結局は、過去にとらわれ、感情にとらわれ、コントロールを求めては失敗する。

てんかん発作に苦しんだあげくに亡くなった利用者を取り上げたこの曲は、悲しみや同情、その他どのような感情もすべて排している。
ただ「彼女はコントロールを失った」という呪文のようなフレーズを繰り返すだけだ。
そこにはコントロールを失ったイアン・カーティス、コントロールを失った私たちがいるだけだ。
亡くなった彼女が立っていた場所に、イアン・カーティスの感情を排したボーカルと無機質なビートは、ぼくたちを連れていく。

AAのプログラムでは、私たちはスピリチュアルに病んでいて、神だけが健康な心を取り戻してくれるという。
その考えを使ってぼくはここまで生き延びてきたけれど、その一方でこうも思う。
コントロールを失った、自分をコントロールできないというのは、なんとおそろしいことだろう。
私たちは肝心な時にかぎってコントロールを失い、怒りをぶつけるべきでない人に怒りをぶつけ、悲しませるべきでない人を悲しませてしまう。
コントロールを失った自分にうんざりして自己嫌悪にまみれ、でもまた月日が経てば同じことを繰り返す。
それでもそんな自分とともに、ぼくたちは生き延びていくしかない。
やっかいなんだけどね。

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2024年5月13日 (月)

もう一度、朝の祈りを

今さらだけど、11ステップの祈り、中でも朝の祈りを。

 

朝目が覚めたら、自分の目の前にある二十四時間のことを考えよう。その日の計画を立てる。取りかかる前に、神に私たちの考えに導きを与えてくださるように、取り分けそれが自己れんびん、不正直、利己主義と言ったことから切り離されるよう、助けを求める。

(アルコホーリクス・アノニマス 第六章「どうやればうまく行くのか」)

 

今日から月曜日。とってもだるいです。

先の土日は家から一歩も出ず、原稿を書いたりギターを弾いたり料理をしたり本を読んだり。

それはそれで充実していたしリフレッシュできたんだけど、また仕事に戻る気力が落ちている。

やりかけの仕事、言いたくないけれど言わなくてはいけないこともあるし、やりたくないけどやらなければいけないこともたくさんある。

でも、そのほとんどはおそれが原因だ。

相手から悪く思われたくない。反発が怖い。めんどうな仕事で業務がスタックしてしまうのがおそろしい。

そしてそれがまた、先延ばしをするもっともな言い訳がある。

結果、先延ばしして事態が悪化するのが分かっていながら先延ばしを考えてしまう。

そして先延ばししたことが罪悪感と、さらなるおそれを作りだしてしまう。

恐れ、不安、自己れんびん、不正直。

結果的に、そういったものを手放した方が、少なくとも手放せるよう祈った方が、ずっとうまく行く、

 

こうして私たちは自信を持って自分の知能を使っていける。髪は使うために知力を与えてくれたのだ。自分の考えの中から良くない動機が消えたとき、私たちの考える力はずっと高い水準に達するだろう。

(同)

 

これはほんとうにそのとおり。

自分の中に恐れや不安が巣くっているときはそれで頭がいっぱいだし、知恵も回らない。

心が穏やかでオープンなときの方が、ずっとうまく行く。そもそも、気分がいい。

自分の意志ではなく神の意志が行われることを、私が祈れますように。

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2024年5月 6日 (月)

完璧主義と理想主義

久しぶりにリビングソーバーを読んでみた。

"問題飲酒者というのは完全主義者であり、どんな欠点も許すことができず、特に自分自身の欠点には我慢ならない人間だとよく言われる。自分にとって到達不可能な目標を定めながら、それでも、絶対に届かない理想を目指して必死に苦闘する(中略)やがては自分でもそれが手の届かないことを知る。そこで落ち込みやうつ状態に入る。超完全主義に及ばなかった自分に腹を立て、自罰的になる"

Dscf1902

ギクゥッ!

アカン。

完全に当てはまっている…。

参ったね。

 

最近、仕事の量が増えすぎて完全にコントロールを失っている。

ゴールデンウィークは、仕事で終わった。

誰もいない職場で黙々とやり残した書類や残務を片づけたが、まだまだ終わらない。

今さらながら気がついた。

これ、完全に自分のこなせる業務を越えている…。

 

ちょっとだけ言い訳をすると、断れないのである。

今の現場に来てから会議が増えた。現場を代表しているので断れない。

書類、現場仕事、管理業務、育成業務、対外業務。増えることはあっても減ることのない業務。

メールの返信も、即答を忘れるとずるずると1,2ヶ月が経ってしまう。

 

結果的にできない仕事を引き受け、焦げ付き、後始末でさらに業務量が増える。

仕事を断れないのは、自分の弱さゆえか。

あるいは、相手から失望されたくないという我が身かわいさゆえか。

完璧主義と言うよりは、気の弱さである。

自分の限界を知り、認め、その範囲で仕事をする。

できないことはできないと言う方が、安請け合いよりずっと誠実な態度だ。

それは分かっているはずなのに。

 

そろそろ棚卸しが必要な時期になってきているのかも知れないね。

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2024年1月28日 (日)

楽観的であれ

AAで教わったことはたくさんあるんだけど、その中の一つに「楽観的であれ」と言うことがある。

AAにつながったばかりのころは、ハイヤーパワーにおまかせといったフレーズは単なる思考停止、判断放棄のように思えた。

でもそうじゃない。

 

ぼくの暮らしは、あいかわらず問題ばかりだ。

仕事で(ごく控えめに言って)ヒイヒイ言っているし、会社はどうなるか分からないし、ストレスでしょっちゅうグッタリしている。

でも、そのうち何とかなる。なるようになる。ように思う。

何とかならなかったらそのときはそのとき。

会社がつぶれたって別に世界が破滅するわけじゃない。ひょっとしたらだれかがぼくを責めるかも知れないけど、そのときは頭を下げればいい。

いまはたいへんでも、きっとどうにかなる。

AAにつながった仲間たちは、みなどこか楽観性とタフさを兼ね備えている。

だってさ、みんなひどいアル中で死ぬ寸前だったんだもの。もちろんぼくも。

それが何とか生き延びて、こうして当たり前の顔をして暮らしている。コンビニで買い物したりスマホいじったり、まるっきりふつうの人と同じ暮らしをしている。

でもそれは、ものすごいことなんだと思う。

そう思えば、これから先きついことやしんどいことがあっても、あのころに比べたらマシなんじゃないか、乗り切れるんじゃないかって思うんだよね。

12ステップ、ハイヤーパワー、そしてこの共同体、仲間たち。

最強のツールがいくつもあるわけなんですよ。

楽観的であれ。

気楽に行こう。

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2023年12月17日 (日)

冬か真冬か〜バーンアウトまであと何マイル

どうも天気がはっきりしない。
12月中旬だというのに、きのうは20度まで気温が上がり、まるで9月のような爽やかな一日だった。
かと思うときょうは一転して雪模様。
ううむ、地球温暖化。

Dscf2944 ぼくははあいかわらずボチボチやっています。
仕事はガチで余裕なし。出勤7時、退勤20時。休日は月に3日あればよし。
それでも仕事が終わらない。
いちおう管理職っぽいポジションなので残業代なし。
やってもやっても仕事が終わらない。
もうちょっと余裕がなくなるとバーンアウトするんじゃないかっていうボーダーラインが、視界に入ってきています。

きょうは久しぶりの休日。
仕事を断ったりあちこち調整して、何とかこの土日は休みを確保することができた。
休みは空から降りてくるものではなく、自分で勝ち取るもの。
ほかのだれかに仕事を振ってイヤな顔をされたり、よそからの仕事を断ったりもしているけれど、自分が潰れるよりはマシ。
そう割り切ってはいるけれど、でもやっぱり頼まれたことを断るのって勇気が要りますね。

自分を活かして他人を活かせ。
AAで良く聞くフレーズだけど、実践するのはほんとうにたいへんです。

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2023年12月 6日 (水)

12ステップ—生きづらさを越えて行け—

AAをはじめとした依存症界隈ではここ最近、生きづらさと言う言葉をよく見聞きする。

アディクションは生きづらさのあらわれ。

生きづらさの自己治療としての依存症。

そのとおりなんだけど、カオル的にはこの「生きづらさ」という言葉に、なんだかいごこちの悪さを感じる。

そうだね、たしかにぼくも生きづらかったです。

飲んでいたころは自殺も考えたし、日々が苦しくて苦しくてたまらなかった。

その苦しさの原因が自分だとこころの底では分かっているからこそ、とても苦しかった。

でもその苦しさはぼくにとって、とてもリアルだった。

形も見えず名前も付けられず、でもぼくの胸の中に24時間居すわり、うずき続けていた苦しさ。

それは、生き「づらい」というより、生きていけなかった、生きることも死ぬこともできない苦しさだった。

目の前の圧倒的な現実、自分を押しつぶそうとする世界から逃れるために酒を飲み、ブラックアウトした。

車がぶつかる瞬間、ギュッと目をつぶる人のように。

そしてそれが、何日も何日も、何年も何年も続いた。

ぼくは病み続けた。

 

専門家は「生きづらさ」という表現を使う。

それはそれでかまわない。

でもぼくは、AAでいう「霊的に病んでいる」という表現がピッタリくる。

ぼくは魂が病んでいた。魂が病み疲れ、死んでいた。

それを助けてくれたのが、助かる道を照らしてくれたのがAAと12ステップだった。

 

12ステップは希望のプログラムだ。

死の谷に滑り落ちるアルコホリクを助け、進む道を照らしてくれる。

生きづらかったかといえばそのとおり、ぼくは生きづらかったし、同時に死にづらかった。

前に進むこともうしろに引き返すこともできなかった。

その泥沼を生きて越えて行くことができたのは、AAのおかげだ。

生きづらさという言葉は、どこか自己正当化の匂いがする。ような気がする。

生きづらかろうが死にづらかろうが、ぼくたちはその谷を越えていくんだ。

 

 

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2023年9月24日 (日)

夏の終わり、秋のはじまり

暑い夏もいよいよ終わり。

それにしても今年の夏は暑かった。8月はじめから9月中旬まで30度超えの日々が続いた。

地球温暖化はものすごいスピードで進んでいるけれど、それはともかく。

ここ2日ほどは一気に肌寒くなり、あわてて上着を引っ張り出すはめに。

上着を出してくると、なんだか今年ももう後残り少ないような気持ちになってくる。

それは真実で、ことしも残すところあと3ヶ月。

日々の些事に翻弄されているうちに、あっという間に一年が終わる。

 

実はこの1週間ばかり、手術で入院していた。

経過は問題なく、予定より1日早く退院。

退院したとたんに、夏の風景は一気に秋に変わっていた。

気持ちのいい秋の雲。Dscf6084

 

酒が止まってもうすぐ22年。

何も変わっていない気もするし、すべてが大きく変わった気もする。

でもいまのところぼくは生きている。

生きて、非依存症者と同じように仕事をし、病気になったり治ったりしている。

これもまた恵みですね。

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2023年7月29日 (土)

2023年7月のお久しぶり

時が経つのは早いもので、あっという間に時間が過ぎ去ってしまいました。
皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。
ぼくは…何とか元気です。

ブログを更新していなかった間に起こったできごと。
・家を建てました。
・去年はフジロックとサマソニに参加しました。
・今年はロックフェスには行けないです。グスン。
・仕事は山あり谷ありです。というか谷ばかりでしょっちゅう行き詰まります。でもそれもまた恵みですね。
・体調を崩して入院しました。もう若くないのでホメオスタシスは少しずつ崩れています。仕方がありません。その時々にできることをやるだけです。
・去年はハーフマラソンに1回だけ参加しました。タイムは散々ですが完走できただけでも御の字です。
・AAは、古巣のホームグループに舞い戻りました。ぼくがアルコホリズムに飲み込まれずに済んだのは、このグループにいたおかげです。いまは月に1回くらいの参加が精いっぱい。でも仲間って、AAミーティングて良いなっていまでも参加するたびに思います。
ギターは相変わらず上達しません。30年以上弾いててもこの程度です。でも良いんです。生きて音楽を奏でて、仲間と居場所があれば、そして五体満足なら、それ以上の何を望むというのでしょう。

こんな感じです。
ほかにも細かいことはいろいろあります。鉄瓶で沸かした湯冷ましを朝飲むと美味しいとか、フィルムカメラはもう現像にお金がかかりすぎて無理だなとか、いまの業務はしんどすぎて笑っちゃうくらいだとか、いろいろなことがさまざまに。
その辺のことは、ま、これからボチボチ。
よろしくお願いします。

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2022年9月24日 (土)

インプットとアウトプット

何ごとも、新しいことを身につけるにはインプットとアウトプットが必要だ。

インプットはたいせつ。まず新しい知識や考え方、概念の枠組みなんかを知る必要がある。

けど、インプットだけでは物事は身につかない。

実際にそれを行い、失敗したり成功したりして経験を積まなくてはいけない。

アウトプットで実行した結果の手応えが、さらなるインプットのモチベーションになる。

 

12ステッププログラムも同じだ。

どれだけビッグブックを読んでも、読んだだけでは身につかない。

学んだことを現実の生活で使ってみて初めて、それが役に立つことを知る。あるいは、自分のやり方がまだまだ稚拙だと言うことを知る。

自動車運転でもスノーボードでも新しいパソコンソフトでも、最初はぎこちなく、うまく行かない。

でも使っているうちにそれはどんどん手になじんできて、やがて自分を新しい世界に連れて行ってくれるたいせつなツールになる。

 

ただ、ぼくも含めてアルコホーリクは忍耐力が低い。

少しやってみてうまく行かないと、投げ出してしまう。うまく行かないのは自分のせいではない、プログラムが悪い、自分に合わない、古くさい、などなどさまざまな言い訳をしながら、過去のやり方にしがみつく理由を見つけようとする。

過去のやり方にしがみつけば、その先にあるのはアルコール依存症と言う暗い海だけだ。

そのときに役に立つのは「そのやり方はまちがっているぞ」「死ぬぞ」という脅迫的な警告ではない。

あたたかさや優しさ、回復の楽しさだ。

 

ぼくを回復の入り口に誘ってくれたのは、家族の涙でも脅迫的な職場の上司の言葉でもなかった。

ミーティングで楽しそうに笑い、自分の暗い過去でも率直に、時にユーモアを交えて振り返る仲間の姿だった。

それがあればこそ、ぼくは12ステップを学び、AAのやり方で回復しようと決めた。

とにもかくにもへたくそなアウトプットで12ステップを人生に使おうとトライし、うまく行かなければ学び直すモチベーションを与えてくれたのは先行く仲間だった。

 

AAの書物を読むのも、ミーティングで仲間の話に耳をかたむけるのもインプット。

でも、現実の世界でそれをアウトプットし続けるには、仲間というたいせつな支えが必要だ。

アルコール依存症と言う病から回復し続けるために。

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2022年7月13日 (水)

3年ぶりのオープンスピーカーズミーティング

わがAAホームグループの3年ぶりのイベントが開かれた。

オープンスピーカーズミーティング、通称OSM。

会場には全国の仲間が集まり、色んな話が聞けた。

楽しかったです。

 

コロナ禍以降、われわれの住む日常は大きく変わった。

集合イベントが減り、それを補完するために会議や集合イベントのオンライン化が進んだ。

この流れは後戻りすることはないだろう。私たちの社会は、インターネットなしには生活できない。

でも、コミュニケーションのオンライン化は2つのことを示している。

 

ひとつ。たとえ人と人とが直接会えない環境下であっても、会話によるコミュニケーションは必要であること。

ふたつ。オンラインミーティングでは限界があること。

 

オンラインミーティングでは人の息づかい、沈黙など、いわゆる空気感というものが共有できない。

人と人とが集まる「場」には、そこにしかない空気感がある。大げさに聞こえるかも知れないが、ぼくがAAミーティングに参加して以来、会場にハイヤーパワーがいるのでないかと感じたことが何度もあった。

同じ体験がオンラインでできるかというと、ちょっと疑問である。

あるいは、ミーティングがはじまる前のひととき。

日暮れが遅い夏の夕方、どう言うわけかミーティング会場に早く到着しすぎたことが何度もある。

そういう時、決まって同じような誰かがいて、夕暮れをながめながら雑談をしていた。

そう言うことは、オンラインではちょっと難しい。

 

ともあれ、久しぶりの集合イベントでは各地から大勢の仲間が集まり、大いに楽しい時間を過ごせた。

楽しいというのは、ちょっとちがうかな。なんて言うんだろう、自分の身体に足りていなかった栄養がみるみる染み渡っていく感じ。

久しぶりに会う仲間、初めて会う仲間。

それぞれがそれぞれのソブラエティを生きている。

それだけで、ぼくはとてもうれしい。

何せもともとがアルコホーリクの集まり。AAに出会わなければ失っていたであろう命をたもち、生き方を伸ばしている。

それをほかの仲間と分かち合う。

やっぱりいいよね。AAって。

ぼくも少しだけ話をさせてもらった。話したあとは、心がスッと軽くなった。

またAAに助けてもらったと感じる。自分の話が、誰かの役に立てば良いと願う。

無償でもらったものを、無償で次の仲間に手渡すこと。

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