2025年4月30日 (水)

機嫌良くしていること

ぼくが職場で気をつけているのは、とにかく機嫌良くしていること。

色んな情報が入ってくる。業務のこと。他社とのやり取り。職員のこと。

その交通整理をするのが仕事なんだけど、うまく行っている話はまず来ない。

現場で判断できないケース、部門間で揉めているケース、他社とトラブったケースなどが持ち込まれてくる。

ぶっちゃけて言えばぼくの仕事はトラブルシューターである。

トラブル対応は、早ければ早い方がいい。

こじれきって、一触即発の状況になってからでは遅い。

そのためには早い時点で情報が入ってきたり、トラブルの匂いがただよいだした頃から関係者から話を聞けた方がいい。

それには、機嫌が良い方が良いのである。

 

機嫌良くしているのは、自分のためでもある。

トラブル対応ばかりやっていると、だんだん気が滅入ってくる。

退職までの年月を指折り数えるようになる。これでは続かない。

人間関係のこじれが、やっぱりいちばんしんどい。

良かれと思って介入すると、当のトラブルメーカーから逆に怒られたり感情をむき出しにされることもある。正直、やってらんない。

こんにゃろ、と思って処罰的な対応をしたくなることだってある。

でも、こちらも相手に反応して陰性感情を出すと、さらに事態は悪化する。自分のメンタルもつらくなる。

深刻なトラブルほど落ち着いて冷静に、そして機嫌良くしている必要がある。トラブル対応のためにも自分のためにも。

 

とは言え、ぼくも弱く愚かな人間存在の一人。

そんなに簡単に自分の感情をコントロールできるもんじゃない。

こういうとき、AAで身につけたことが役に立つ。

ぼくたちアルコホリクは、悲観や恐れといった感情に弱い。少なくともぼくはそうだ。いちど腹を立てるとなかなか元に戻らなかったりする。

だからハイヤーパワーに自分の欠点を取りのぞいてもらうように祈り、謙虚に求める。

欠点はなくならないから、日々求めつづける。

そうこうしているうちに、何とか自分の感情に飲み込まれて極端な判断をするのを避けられるようになる。

 

機嫌良くしていると相談が受けやすくなり、自分のこころの健康のためにもなる。

無理に明るくふるまっているわけじゃない。でも、不機嫌をまき散らすような人間にはなりたくない。

きょう一日、神の意志を知ることとそれを実践する力だけを求めること。

| | コメント (0)

2025年4月 4日 (金)

AA日本50周年記念集会三日目

2025年3月30日、日曜日。

三日間開催のAA日本50周年記念集会の最終日。

この日は分科会なし、朝から大宮ソニックシティ大ホールにて全体会。

午前は各地域からのスピーカー数名が登壇し、それぞれの話をした。

ちなみに本大会、ほとんどの部分で英語の通訳が入る。通訳はもちろん仲間。

ネイティブの人もいるけれど、日本人で流ちょうな英語を話す仲間がたくさんいてビックリ。

さすがAA、層が厚いぜ!

 

で、仲間の話はどれも胸を打つものばかりでした。

細かい内容は書けないけど、みなアルコールに打ちのめされてAAにたどり着き、回復の道を歩いている。

大きな分かち合い、感動的でした。

 

会場の中も熱いけど、会場の外のエリアも熱い。

全国から数千名の仲間が集まる大会。数年ぶり、数十年ぶりにまた会えた人たちも大勢いて、あちこちで感動の再会が繰り広げられていました。

おそらくメンバー以外の人から見ると、その様子は少しばかり大げさに見えるかもしれません。

でもぼくたちはアルコール依存症、仲間の死をたくさん体験している。

アルコホリズムでも命を失うし、それ以外の原因でも命を落としていく。

だから、また会えて顔を合わせることができるのは、望外の喜びなんですね。

 

二日目には、いつもコメントをくださるKさんにもはじめてお目にかかれました。

文章から想像していたとおりの、ふところの広い仲間でした。

ほんと、足を運ぶと思いもよらないうれしいことにたくさん出会えます。

 

別の予定があるため、ぼくはお昼で退出。

お土産?の50周年記念BB全集類、それにAA日本50周年記念誌を購入。勢いで買っちゃったけどかなりの重量(笑)。

みのりの多い大会でした。

次回は5年後かな。ぜひ実行委員会に参加したいものです。

なんたって、作ってる側がいちばん楽しいもんね。

会場前の桜は満開。

生命の力を感じた三日間でした。

| | コメント (0)

2025年3月30日 (日)

無名にとどまる

無名であることは、私たち全体の霊的な基礎である

—伝統12

今回のAA日本50周年記念集会、色んな意味で伝統を考えさせられた。

伝統は、AA全体の指針であると同時に、ぼくたちひとりひとりがAAメンバーとしてどう振る舞い、どうあるべきかを教えてくれる。

ぼくたちAAメンバーは誰しも、ときに「有名な」AAメンバーになるリスクを抱えている。

無名を脱ぎ捨て、実名で「有名な」AAメンバーになれば、当然そのアノニミティ(匿名性)は失われる。

そしてその有名になったAAメンバーの発言や振る舞いは、ときにAA全体のモデルとして、いつの間にか代表性を身にまとう。

そうなれば、高慢のワナにおちいるのは時間の問題だ。

ぼくは、ぼくたちは酔っ払うだろう。

酒に酔うくらいだったらまだいい。

高慢、うぬぼれ、肥大したエゴ。名声欲。

そんなものに酔っ払ったら、きっとあとでおそろしく後悔する。我が身を振り返って恥じるだろうし、何よりもハイヤーパワーの意志ではなく自分のエゴを優先させたことを恥じる。

そして同時に、AA全体を危険にさらす。

 

ぼくは「有名な」AAメンバーになりたくない。

ひとりの無名のAAメンバーとしてまだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを伝え、回復の役に立ちたい。

12番目の伝統は謙虚さ、謙遜の実践だ。

「12のステップと12の伝統」の伝統12の冒頭は、こんな文章で始まる。

無名であることの本質は犠牲である

と。

共通の善のためには個人の欲望を手放すよう繰り返し求めている、とも。

 

有名になりたい。

賞賛を浴びたい。

そう思う気持ちはぼくも、あなたも、誰しも、人間としてあると思う。

でも謙虚に、ときに慎重に、無名性をたいせつにすること。無名性が失われそうな場面では立ち止まり、退くこと。

二つの帽子がかぶり分けること。

自分のことよりも全体の福利を考えること。

賞賛に背を向けること。

無名であることはぼくにとっても、霊的な生き方の基礎であると言うこと。

 

ときどきもう、面倒な設定は止めたくなるときもあります。何でオレばっかり、とも。

でもねえ。

やっぱりこれは、高慢のワナにおちいるな、犠牲と謙虚さを身につけて生きろと、ハイヤーパワーが伝えているような気がするんですよ。

| | コメント (0)

2025年3月29日 (土)

AA日本50周年記念集会

AA日本50周年記念集会に来ています。

恥ずかしながら、この手のビッグイベントに参加するのははじめて。

ふだんのセミナーやラウンドアップにも増して大勢の仲間が大集合しているのを見て、圧倒されています。

進行や会場の様子を見てても、たくさんの仲間が時間をかけて、事前に入念な下準備をしていたのが分かります。

ほんとうに感謝ですね。

まずは50周年記念集会の限定版ビッグブックを購入っと。

3日間の分かち合いを楽しみましょう。R0000693

| | コメント (0)

2025年1月 4日 (土)

2025年(令和7年)明けましておめでとう!

2025年になりました!

令和も7年。21世紀になってはや24年。

まさか自分がこんな未来に生きるようになるとは、10代や20代のころは考えてもいませんでしたよ。

明けましておめでとうございます。

皆さま、令和7年の年明けはいかがお過ごしでしょうか。

 

ぼくはと言えば、郡山のAAなみきG年越しミーティングに参加する予定だったんだけど、あいにくひどい風邪を引いてしまい残念ながら不参加。

まあしかたがない。

無理して参加することも不可能ではなかったんだけど、仲間に伝染すわけにはいかない。

コロナやインフルエンザの可能性も否定できない。

仲間に電話して、キャンセルさせてもらいました。

 

今年の正月休みは9連休だったんだけど、そんなワケで4日ほどは風邪でダウン。1日は職場で仕事。

残りの4日も家でテレワーキング。ていうか仕事を持ち帰ってずーっとやってました。

まあ、この北陸地方は時間があるからと言ってそうそう遊びに出かけられるわけじゃない。絶え間なく雪が降ってるからね。

窓の外の雪を見ながらパソコンぱたぱた。

Img_7751

こんな正月があってもいいよね。

 

あすは久しぶりにオンラインのAAミーティングに参加したいと思います。

どこかやってるかな。

 

皆さまはどんなお正月でしたか?どんな一年を望みますか?この一年でどんなことをしたいですか?

ぼくもやりたいことがたくさんあるけれど、まずは目の前の仕事を終わらせないとね。

 

| | コメント (2)

2024年12月27日 (金)

2024年10月5日、AA東北ラウンドアップ in マウント磐梯参加

少し古い話だが、久しぶりにAAの宿泊イベントに参加してきた。
2024年10月5日、その名も「東北ラウンドアップ in マウント磐梯」。
AA福島地区40周年を記念したイベントである。

仲間が集まり、一泊二日の期間で語り、体験を分かち合う。
ラウンドアップは何度も参加して勝手は分かっているつもりだった。
それを抜きにしても、とてもすばらしいイベントだった。Img_6976

不安もあった。
ぼくはいま現在、AAのアクティブメンバーとはとても言えない状況だ。
ぼくが知っているメンバーも減っているし、ぼくのことを知っているメンバーも以前ほどは多くない。
宿泊のイベントで浮いてしまったらどうしようかとも思った。
でも結果的に、何の不安もなかった。
自分のAAメンバーとしてのアイデンティティ、大きな共同体の一員であることを再確認できた。

全国から150名以上のAAメンバーが集まった様子は、壮観のひと言だった。
そして仲間の語り。オールドタイマー、ニューカマー、関東、関西、東北、全国。

今回のテーマのひとつが、震災の苦境と、そこからの回復。
ぼくは震災のあとに福島を離れた。
けれど、福島の仲間たちの時間と経験は中断することなく、そのあとも今に至るまで連綿と続いている。
飲まない生き方を続け、伸ばし、新しい仲間の手助けをする。ミーティングを開き続け、グループを運営し、サービスを継続する。
その取り組みの中で、ほんとうにおおくの新しい仲間がソブラエティを得ることができていた。
それはほんとうにすごいことだし、その結果おおくの命が救われ、今を生きることができている。
そのことを、気負いなくおおくの仲間が「自分のため」と、淡々と続けている。続けることを続けている。

それをあらためて知ることができて、ほんとうによかった。月並みな表現だけど、感動した。
ぼくは正直、いまが苦しい。仕事の重圧に押しつぶされそうだし、休日もろくすっぽ取れない。
いまの仕事を辞めて福島に戻って、のんびりと仕事をしつつAA活動に力を入れたいという気持ちもある。
でもまず、いま自分が置かれている場所で、自分を必要としてくれている人たちのためにがんばろう。
今の職場の土台をしっかり作って、ぼく、あるいは他のだれかの個人的な献身に頼らずとも回る仕組みを作ろう。
ぼくにはAAがあり、そこにはいつでも帰ることができる。
だから今、自分に課せられている課題から逃げずに、しっかり取り組もう。
そんなことを考えながらラウンドアップを過ごした。

ご飯もおいしく、温泉でしっかり身体を温めることもできた。
ほんとうに最高のラウンドアップだった。Img_6982

| | コメント (2)

2024年6月11日 (火)

She's lost control 彼女はコントロールを失った

Confusion in her eyes that says it all
She's lost control
And she's clinging to the nearest passerby
She's lost control

彼女の目の前の混乱がすべてを物語っている
彼女はコントロールを失った
彼女は近くの通行人にしがみついている
彼女はコントロールを失った
彼女はまたコントロールを失った
彼女はまたしてもコントロールを失ってしまった

Joy division She's lost control

ジョイ・ディビジョンのボーカリスト、イアン・カーティスは障害者雇用センターで働いていたとき、何度もてんかん発作を起こす女性利用者にインスパイアされてこの曲を書いた。やがて彼女はてんかん発作のために亡くなったという。
不穏なリフと無機質なビートが執拗に繰り返されるこの曲で、「彼女はコントロールを失った」というフレーズはどこか諦念をともなった呪文のように淡々と繰り返される。
言うまでもなくこの曲はジョイ・ディビジョンの代表曲で、他の楽曲と同じく死の影に包まれ、やがてバンドはイアン・カーティスの自殺で終焉を迎える。

私たちはいつもコントロールを失う。
ぼくもそうだ。
感情のコントロール、抑制のコントロール、日々それを求めては最終的に失敗する。
陰性感情やどうにもならない欲求を、誰もがコントロールしたいと願う。怒りや爆発や恨みを抱えたまま一生を過ごしたいと思う人など誰もいない。
でも結局は、過去にとらわれ、感情にとらわれ、コントロールを求めては失敗する。

てんかん発作に苦しんだあげくに亡くなった利用者を取り上げたこの曲は、悲しみや同情、その他どのような感情もすべて排している。
ただ「彼女はコントロールを失った」という呪文のようなフレーズを繰り返すだけだ。
そこにはコントロールを失ったイアン・カーティス、コントロールを失った私たちがいるだけだ。
亡くなった彼女が立っていた場所に、イアン・カーティスの感情を排したボーカルと無機質なビートは、ぼくたちを連れていく。

AAのプログラムでは、私たちはスピリチュアルに病んでいて、神だけが健康な心を取り戻してくれるという。
その考えを使ってぼくはここまで生き延びてきたけれど、その一方でこうも思う。
コントロールを失った、自分をコントロールできないというのは、なんとおそろしいことだろう。
私たちは肝心な時にかぎってコントロールを失い、怒りをぶつけるべきでない人に怒りをぶつけ、悲しませるべきでない人を悲しませてしまう。
コントロールを失った自分にうんざりして自己嫌悪にまみれ、でもまた月日が経てば同じことを繰り返す。
それでもそんな自分とともに、ぼくたちは生き延びていくしかない。
やっかいなんだけどね。

| | コメント (0)

2024年5月13日 (月)

もう一度、朝の祈りを

今さらだけど、11ステップの祈り、中でも朝の祈りを。

 

朝目が覚めたら、自分の目の前にある二十四時間のことを考えよう。その日の計画を立てる。取りかかる前に、神に私たちの考えに導きを与えてくださるように、取り分けそれが自己れんびん、不正直、利己主義と言ったことから切り離されるよう、助けを求める。

(アルコホーリクス・アノニマス 第六章「どうやればうまく行くのか」)

 

今日から月曜日。とってもだるいです。

先の土日は家から一歩も出ず、原稿を書いたりギターを弾いたり料理をしたり本を読んだり。

それはそれで充実していたしリフレッシュできたんだけど、また仕事に戻る気力が落ちている。

やりかけの仕事、言いたくないけれど言わなくてはいけないこともあるし、やりたくないけどやらなければいけないこともたくさんある。

でも、そのほとんどはおそれが原因だ。

相手から悪く思われたくない。反発が怖い。めんどうな仕事で業務がスタックしてしまうのがおそろしい。

そしてそれがまた、先延ばしをするもっともな言い訳がある。

結果、先延ばしして事態が悪化するのが分かっていながら先延ばしを考えてしまう。

そして先延ばししたことが罪悪感と、さらなるおそれを作りだしてしまう。

恐れ、不安、自己れんびん、不正直。

結果的に、そういったものを手放した方が、少なくとも手放せるよう祈った方が、ずっとうまく行く、

 

こうして私たちは自信を持って自分の知能を使っていける。髪は使うために知力を与えてくれたのだ。自分の考えの中から良くない動機が消えたとき、私たちの考える力はずっと高い水準に達するだろう。

(同)

 

これはほんとうにそのとおり。

自分の中に恐れや不安が巣くっているときはそれで頭がいっぱいだし、知恵も回らない。

心が穏やかでオープンなときの方が、ずっとうまく行く。そもそも、気分がいい。

自分の意志ではなく神の意志が行われることを、私が祈れますように。

| | コメント (0)

2024年5月 6日 (月)

完璧主義と理想主義

久しぶりにリビングソーバーを読んでみた。

"問題飲酒者というのは完全主義者であり、どんな欠点も許すことができず、特に自分自身の欠点には我慢ならない人間だとよく言われる。自分にとって到達不可能な目標を定めながら、それでも、絶対に届かない理想を目指して必死に苦闘する(中略)やがては自分でもそれが手の届かないことを知る。そこで落ち込みやうつ状態に入る。超完全主義に及ばなかった自分に腹を立て、自罰的になる"

Dscf1902

ギクゥッ!

アカン。

完全に当てはまっている…。

参ったね。

 

最近、仕事の量が増えすぎて完全にコントロールを失っている。

ゴールデンウィークは、仕事で終わった。

誰もいない職場で黙々とやり残した書類や残務を片づけたが、まだまだ終わらない。

今さらながら気がついた。

これ、完全に自分のこなせる業務を越えている…。

 

ちょっとだけ言い訳をすると、断れないのである。

今の現場に来てから会議が増えた。現場を代表しているので断れない。

書類、現場仕事、管理業務、育成業務、対外業務。増えることはあっても減ることのない業務。

メールの返信も、即答を忘れるとずるずると1,2ヶ月が経ってしまう。

 

結果的にできない仕事を引き受け、焦げ付き、後始末でさらに業務量が増える。

仕事を断れないのは、自分の弱さゆえか。

あるいは、相手から失望されたくないという我が身かわいさゆえか。

完璧主義と言うよりは、気の弱さである。

自分の限界を知り、認め、その範囲で仕事をする。

できないことはできないと言う方が、安請け合いよりずっと誠実な態度だ。

それは分かっているはずなのに。

 

そろそろ棚卸しが必要な時期になってきているのかも知れないね。

| | コメント (3)

2024年1月28日 (日)

楽観的であれ

AAで教わったことはたくさんあるんだけど、その中の一つに「楽観的であれ」と言うことがある。

AAにつながったばかりのころは、ハイヤーパワーにおまかせといったフレーズは単なる思考停止、判断放棄のように思えた。

でもそうじゃない。

 

ぼくの暮らしは、あいかわらず問題ばかりだ。

仕事で(ごく控えめに言って)ヒイヒイ言っているし、会社はどうなるか分からないし、ストレスでしょっちゅうグッタリしている。

でも、そのうち何とかなる。なるようになる。ように思う。

何とかならなかったらそのときはそのとき。

会社がつぶれたって別に世界が破滅するわけじゃない。ひょっとしたらだれかがぼくを責めるかも知れないけど、そのときは頭を下げればいい。

いまはたいへんでも、きっとどうにかなる。

AAにつながった仲間たちは、みなどこか楽観性とタフさを兼ね備えている。

だってさ、みんなひどいアル中で死ぬ寸前だったんだもの。もちろんぼくも。

それが何とか生き延びて、こうして当たり前の顔をして暮らしている。コンビニで買い物したりスマホいじったり、まるっきりふつうの人と同じ暮らしをしている。

でもそれは、ものすごいことなんだと思う。

そう思えば、これから先きついことやしんどいことがあっても、あのころに比べたらマシなんじゃないか、乗り切れるんじゃないかって思うんだよね。

12ステップ、ハイヤーパワー、そしてこの共同体、仲間たち。

最強のツールがいくつもあるわけなんですよ。

楽観的であれ。

気楽に行こう。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧