AAは衰退するのか?
AA随一の論客であるひいらぎさんが、非常に興味深い記事をブログにあげてくれた。
メンバー数減少に直面する日本のAA (4) メンバー数減少の外部要因 | https://ieji.org/2025/20039
国税局や厚生労働省のデータを元に、多量飲酒者の動向、アルコール依存症者数の動向、そしてAAの人口動態的変化を論じている。
とても精緻な分析であり、他の追従を許さない力作である。ここまで緻密な自助グループの現状と未来像を分析した文章は他にないように思う。
ひいらぎさん、お疲れさまでした。
ひいらぎさんの分析は正鵠を射ており、現状をよくあらわしている。
AAのニューカマーが減った。AAメンバーが増えてない・あるいは減りつつある。
これは日ごろのミーティングでも感じることであり、AAメンバーだけでなく医療福祉関係者も同様の印象を語っている。
よく言われるのは「医療機関が自助グループを紹介しなくなった」「自助グループの役割を奪った」など、医療機関側の変化に原因を求める説である。
たしかに「自助グループに行かないんだったら診療お断り」みたいな、医療機関の強腰な姿勢は弱まったと思う。
ぼくがクリニックにつながったとき、ドクターはぼくに自助グループを強く勧めた。
ぼくは消極的だったが、それを口にすると強い口調で叱責を受けた。
もちろんいまではドクターには感謝している。あのとき顔を真っ赤にして叱ってもらえなかったら自分はAAに行かなかったろうし、おそらくいまごろ土の下にいただろう。
が、それは25年前の話で、令和のいまでは通用しない。
令和は「他者に何かを厳しく要求する」行為を許さない。叱責や強要は非常識どころか、いまやハラスメントである。
相手の話をていねいに聞き、否定せず共感的に接するのは、医療だけでなく世の中全体の流れなのである。
だから医療機関がやわらかい対応をするようになったからAAメンバーが減った、と言う説はちょっと飛躍が大きい気がする。
ひいらぎさんの分析はそういう印象論ではなく、世の中全体の飲酒行動・飲酒人口の変化をデータで示している。
その変化の背景に時代の流れがあるのだと思う。
時代は変わった。
ひいらぎさんの分析によれば世の中全体に飲酒行動は穏やかになった。
街角を見る。居酒屋の前で気を失っている大学生。電柱に持たれて嘔吐している若者。酩酊して奇声を上げ放歌するサラリーマン。列車の中で酒瓶を並べて飲んでいる旅行者。
いまもいないわけではないが、25年前に比べたらずっと少なくなった。
人々はより適切に酒を飲み、アルコール依存症になる人は減り、いても軽症者の割合が増えた。
結果的にAAメンバーは減っている。
ぼくは、世の中は進歩しているんだと思う。
医療機関はさまざまな治療ノウハウを開発している。
厚生労働省や自治体は依存症対策を進め、予防や普及啓発活動をずっと行っている。
何十年もそれをやっていたら、変化しないわけがない。
だからひいらぎさんが提示した現状は、自助グループや自治体や医療福祉機関が行ってきた取り組みが世の変化に加わり、目で見える形で結実してきたんだと思う。
それがAAニューカマー減少という皮肉な形であったとしても。
それではAAは衰退するのだろうか。いつか役割を終えてそっと舞台袖に消えていくんだろうか。
ぼくはそうは思わない。
形は変わっていくだろう。メンバーの数が減り、サービスやミーティングのあり方も縮小的な方向に変わっていくだろう。
一方で、25年前のぼくのような人閒はいつの世にも一定数存在する。
自分が嫌い、世の中が嫌い。
孤独と感傷を抱えてさまよう、何かが欠落したひと。欠落した何かを探し求めるひと。
いつまで経っても自分と折り合いがうまくつけられないひと。
そういった人たちは何かに依存するし、その「何か」のバラエティが増えても、アルコールはかならず一定の割合を占めると思う。
ニーズがある限り、そうそうAAは簡単にはなくならない。
減少や衰退の時期は、円熟の時期でもある。
もはや拡大主義的なあり方は通用しない。
いかにコンパクトに、合理的に、現存メンバーがやりがいを持って無理なくAAの維持に貢献できるかがカギだと思う。
もっとサービスを、もっと委員会を、もっとイベントを。そういう足し算の発想から、引き算の発想への変革の時なんだと思う。
そしてニューカマー減少の状況だからこそ、ニューカマーはたいせつにされるだろう。
少子高齢化社会の中で、稀少な子どもがたいせつにされるように。
そこに共感と思いやりがありますように。
江戸アケミも言ってたな。時代はいい方向に動いているぜ。






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