無名にとどまる
無名であることは、私たち全体の霊的な基礎である
—伝統12
今回のAA日本50周年記念集会、色んな意味で伝統を考えさせられた。
伝統は、AA全体の指針であると同時に、ぼくたちひとりひとりがAAメンバーとしてどう振る舞い、どうあるべきかを教えてくれる。
ぼくたちAAメンバーは誰しも、ときに「有名な」AAメンバーになるリスクを抱えている。
無名を脱ぎ捨て、実名で「有名な」AAメンバーになれば、当然そのアノニミティ(匿名性)は失われる。
そしてその有名になったAAメンバーの発言や振る舞いは、ときにAA全体のモデルとして、いつの間にか代表性を身にまとう。
そうなれば、高慢のワナにおちいるのは時間の問題だ。
ぼくは、ぼくたちは酔っ払うだろう。
酒に酔うくらいだったらまだいい。
高慢、うぬぼれ、肥大したエゴ。名声欲。
そんなものに酔っ払ったら、きっとあとでおそろしく後悔する。我が身を振り返って恥じるだろうし、何よりもハイヤーパワーの意志ではなく自分のエゴを優先させたことを恥じる。
そして同時に、AA全体を危険にさらす。
ぼくは「有名な」AAメンバーになりたくない。
ひとりの無名のAAメンバーとしてまだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを伝え、回復の役に立ちたい。
12番目の伝統は謙虚さ、謙遜の実践だ。
「12のステップと12の伝統」の伝統12の冒頭は、こんな文章で始まる。
無名であることの本質は犠牲である
と。
共通の善のためには個人の欲望を手放すよう繰り返し求めている、とも。
有名になりたい。
賞賛を浴びたい。
そう思う気持ちはぼくも、あなたも、誰しも、人間としてあると思う。
でも謙虚に、ときに慎重に、無名性をたいせつにすること。無名性が失われそうな場面では立ち止まり、退くこと。
二つの帽子がかぶり分けること。
自分のことよりも全体の福利を考えること。
賞賛に背を向けること。
無名であることはぼくにとっても、霊的な生き方の基礎であると言うこと。
ときどきもう、面倒な設定は止めたくなるときもあります。何でオレばっかり、とも。
でもねえ。
やっぱりこれは、高慢のワナにおちいるな、犠牲と謙虚さを身につけて生きろと、ハイヤーパワーが伝えているような気がするんですよ。
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