« 2024年8月 | トップページ | 2025年1月 »

2024年12月27日 (金)

2024年10月5日、AA東北ラウンドアップ in マウント磐梯参加

少し古い話だが、久しぶりにAAの宿泊イベントに参加してきた。
2024年10月5日、その名も「東北ラウンドアップ in マウント磐梯」。
AA福島地区40周年を記念したイベントである。

仲間が集まり、一泊二日の期間で語り、体験を分かち合う。
ラウンドアップは何度も参加して勝手は分かっているつもりだった。
それを抜きにしても、とてもすばらしいイベントだった。Img_6976

不安もあった。
ぼくはいま現在、AAのアクティブメンバーとはとても言えない状況だ。
ぼくが知っているメンバーも減っているし、ぼくのことを知っているメンバーも以前ほどは多くない。
宿泊のイベントで浮いてしまったらどうしようかとも思った。
でも結果的に、何の不安もなかった。
自分のAAメンバーとしてのアイデンティティ、大きな共同体の一員であることを再確認できた。

全国から150名以上のAAメンバーが集まった様子は、壮観のひと言だった。
そして仲間の語り。オールドタイマー、ニューカマー、関東、関西、東北、全国。

今回のテーマのひとつが、震災の苦境と、そこからの回復。
ぼくは震災のあとに福島を離れた。
けれど、福島の仲間たちの時間と経験は中断することなく、そのあとも今に至るまで連綿と続いている。
飲まない生き方を続け、伸ばし、新しい仲間の手助けをする。ミーティングを開き続け、グループを運営し、サービスを継続する。
その取り組みの中で、ほんとうにおおくの新しい仲間がソブラエティを得ることができていた。
それはほんとうにすごいことだし、その結果おおくの命が救われ、今を生きることができている。
そのことを、気負いなくおおくの仲間が「自分のため」と、淡々と続けている。続けることを続けている。

それをあらためて知ることができて、ほんとうによかった。月並みな表現だけど、感動した。
ぼくは正直、いまが苦しい。仕事の重圧に押しつぶされそうだし、休日もろくすっぽ取れない。
いまの仕事を辞めて福島に戻って、のんびりと仕事をしつつAA活動に力を入れたいという気持ちもある。
でもまず、いま自分が置かれている場所で、自分を必要としてくれている人たちのためにがんばろう。
今の職場の土台をしっかり作って、ぼく、あるいは他のだれかの個人的な献身に頼らずとも回る仕組みを作ろう。
ぼくにはAAがあり、そこにはいつでも帰ることができる。
だから今、自分に課せられている課題から逃げずに、しっかり取り組もう。
そんなことを考えながらラウンドアップを過ごした。

ご飯もおいしく、温泉でしっかり身体を温めることもできた。
ほんとうに最高のラウンドアップだった。Img_6982

| | コメント (2)

2024年12月 6日 (金)

読書記録をつけたいが

さいきん、アウトプットばかりで自分の中身が空っぽになっている気がする。

新しい知識や気づきが得られていない。インプットが足りない。

アイディア出しとかブレインストーミングとかの場でも、過去の二番煎じ、三番煎じばかり。

これはいかん。

まずは読書。本を読みたい。読みあさりたい。

空いた時間を使って本を読むのではなく、本を読むために時間を空けたい。

そう思って、近ごろは読書の優先順位を上げております。

 

が、ここで問題が。

本棚を眺めていると未読のおもしろそうな本がたくさん並んでいるんだけど、読んだはずの本の背表紙を眺めても中身がまったく思い出せない。

わずか半年ばかり前に読んだはずの本が、ほぼ記憶に残っていない。

これではよくない。

以前から読書ノートをつけようとは思っていたが、めんどうでまったくやっていなかった。

今回こそ読書ノートプラン、発動!

 

…と思ったが、ここで問題が。

手書きノートは、いまや字があまりにも汚くなりすぎてて論外。

となるとExcelか何か、あるいはWebサービスを利用するか。

はたまたMacかiPhoneアプリか。

ただ、アプリは廃番になるリスクもある。これから10年、20年経ったときに読み返せないと意味がない。

Webサービスは、調べたらnotionというサービスがよさそう。

ただ、Evernoteの前例がある。

あれほど大人気だったEvernote、いまや自分もまったく使っていない。日本法人も撤退し、オワコン化している。当然、有料プランも脱退した。

notionが数十年後に稼働しているかはまったくの未知数。

となるとExcelか。でもめんどうだなー。Excelのシートにポチポチ入力、うーむ。

 

となるとやっぱり手書きノートか。でも、書名や著者、訳者を書き写すのは手間なんだよなー。

うーんうーん。

 

などと悩んでいるとキリがない。

もしパソコンもWebサービスもない時代だったら、きっとこんなに悩まないだろう。

人間、選択肢が多いと逆に決められないものです。選択肢がひとつ増えるたびに、比較検討の組み合わせが等比級数的に増えるもんね。

いちおうnotionのアカウントを作ったけれど、まずは手書きノートかなー。うーん。

| | コメント (1)

2024年12月 3日 (火)

30年前のクリスマスの長く退屈な夜

あれはたしかもう30年以上前のことなんだけど、ぼくは何者にもなれず、何者にもなりたくなく、ただ日々をイラついて過ごし、しょっちゅう大量飲酒を繰り返していた。

20代半ばの日々。

ある冬の日、寒さと孤独に耐えかねて、友だちに電話して一晩をデニーズで過ごした。

Yくんはぼくよりも2歳か3歳年下で、要領よく実入りの良いアルバイトを見つけて、なんとなくリッチそうだった。

SくんはYよりさらに2歳か3歳年下で、高校を中退して大検受験を目指していた。

ぼくはと言えば、卒業する見込みのまったく立たない大学をやめようかどうしようか、出ない答えを探してぐるぐると同じところを回っていた。

そんな3人が集まった冬の夜。

話なんてない。話すことは何もない。

恋人なんて誰もいない。今みたいにスマホもない。

みんなぶ然として、ただひたすらに煙草に火をつけ、お代わり自由のコーヒーをがぶ飲みしていた。

そのうち、だれかが気がついた。

おい、きょうってクリスマスイブじゃなかったっけ。

見まわすと他の客席は、しあわせそうなカップルや夫婦、家族連れでいっぱいだった。

店内にはクリスマスソングが流れていた。

デニーズに入ってからすでに2時間ばかりが経っていたけど、3人のうち誰ひとりとしてそのことに気がつかなかった。

 

クリスマスなのにいっしょに過ごすガールフレンドもいねえのかよ。

知らねえよ。お前だっていないじゃないか。

オレは良いんだよ。いないんじゃなくてあえて作らないんだよ。お前とはちがうんだよ。

そんなこと言ったって、こうしてデニーズにボケッとしているのは変わりねえじゃねえか。

だからマインドがちげえんだよ。マインドが。

 

そんなことを繰り返し言い合っていたのをおぼえている。

どうやって家に帰ったのかはおぼえていない。

たぶん、どうでもいい与太話を繰り返したあげく、深夜か明け方に寒さに震えながら家に帰ったのだろう。

 

ほどなくYくんは仕事を見つけて他県に移っていった。

Sくんは自宅で受験勉強に励んでいると風の便りに聞いた。

ぼくはと言えば、いい加減留年を繰り返してもいられず、卒業しておいた方がいろいろ有利だろうという打算で、気が進まないまま大学に復帰した。

彼らと会うことも連絡を取りあうこともなくなった。

 

Sが焼身自殺を図ったと聞いたのは、それからしばらく経ってからだった。

Sはいつしかこころを病んで、精神科に通っていたという。

どこかで深く絶望して、自らに火をつけて自殺を図ったと、例の店のマスターから聞いた。

ときどきは店に来ていたけど、受験も将来もうまくいかず、将来が見えなくなっていた。

親からのプレッシャーもあり、苦しんでいたようだったと。

家は焼け、彼は助からなかった。

 

ぼくが彼の死を知ったときには、もう葬儀はすべて終わっていた。

マスターは彼の両親から連絡を受け、彼の葬儀に立ち会ったという。

その際に遺品をいくつかあずかってきたという。

 

これ、お前にやるよ。Sの形見だ。持って帰って弾いてやれ。

そう言ってマスターはぼくに、Sのギターをくれた。

オービル・バイ・ギブソンの、ダークチェリーレッドのSG。

出火元から近かったのだろう、ネックは一部が焦げて塗装に火ぶくれができていた。

ぼくはそれを近くの楽器店に持ち込み、修理を頼んだ。

これ、火の影響でネックの内部もダメージがありますよ。ネックごと交換した方が良いですよ。

いや、このままでいいんです。焦げもそのままにしてください。弾きにくいところだけ再塗装してくれればそれでいいんです。

 

冬が近づくたび、ぼくは彼のことを思い出す。

彼と彼の死と、いまも家にあるオービル・バイ・ギブソンのダークチェリーレッドのSG。

ぼくは彼のことが好きだった。

才能のある男だった。ぼくよりも年下なのに、ギター歴も浅いのに、味のあるブルースギターを弾くことができた。

言葉の端々に、ハッとするような鋭い批評と洞察が込められていた。

ブルースや古いフォークミュージックばかりのぼくの界隈で、彼は実験的なダンスミュージックにも精通していた。

直接は見たことはないけど、画が達者で美術の才能もあったと聞く。

生きていたらきっと、もっと彼の才能は花開いていただろう。

 

もしも叶うなら、もう一度あの夜に戻りたいと思う。

男3人が押し黙ってタバコをひたすら吸い続けた、あのクリスマスイブに。

ぼくはその時間が好きだった。楽しかった。

彼らと過ごす時間は、何も話さなくてもこころが落ち着いた。ささくれだった気持ちをひととき忘れることができた。

彼らも同じ気持ちだったのだろうか。分からないけれど、きっとそうだったと思いたい。

あのクリスマスの夜が永遠に続けばよかった。

 

30年以上の月日が経った。

Yはいまも独身だと聞いた。あのデニーズはリニューアルして、3人で座ったあの席はもうない。

ギターを修理した楽器店はとうにつぶれた。そこに楽器店があったことを知る人も、だんだん少なくなってきた。

ぼくはと言えば、こうしてデニーズに来るたび彼のことを思い出し、後悔をしている。何を後悔しているのか、自分でも分からない。

でも12月が来るたび、思いだし、後悔し続けるのだろう。

| | コメント (7)

« 2024年8月 | トップページ | 2025年1月 »