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2024年1月30日 (火)

さよならEvernote

断捨離というわけじゃないけど、ここんとこ使わなくなったものやサービスを少しずつ整理している。

いちばん悩ましいのが音楽機材なんだけど、この辺はまたこんどあらためて触れたい。

今日はEvernoteを無料プランに戻した。

最近はほとんど使わなくなっていたし、いつの間にか移行していた有料プラン(パーソナルプランだったか)が年払い2万ほどかかっていると言うこともある。

昔保存したウェブ記事とかpdfとかもあるんだけど、おそらくもう使わない。

これがもう少し安ければ、そのままにしておいたんだけど。円安だし、2万は痛い。

 

Evernote、登場したときは画期的だった。

ウェブ記事、pdf、作成したさまざまな書類。

当時はクラウドという概念はまだなく、パソコンのローカルストレージにデータを保管するのが当たり前だった。

当然、たくさんたまれば閲覧性は悪くなるし、検索もしづらくなる。

それがネット上で、感覚的にはほぼ無限に、ファイルの種類にこだわらずになんでも保管できると言うのは魔法のサービスだった。

Evernoteが登場したのが2008年。

 

自分は2008年に何をしていたんだろう?

ブログを読み返してみる。

AAのこと、フジロックやサマソニのこと、Macのこと。DTMのこと。あとはランニングやスノーボードのこと。

ああ、いまとまったく変わっていない…………なんも進歩しとらん、オレ。

ま、まあそれはともかく。

 

あれから16年。

クラウドサービスは当たり前のものになり、無料のもの、OSと一体化したものなどさまざまなサービスが提供されはじめた。

そこにきてEvernoteの有料化、それもなかなかの値上げ。

ぼくのようなAppleユーザーは大半がiCloudサービスに入っている。

そして今どきは大半の人が、音楽や映画なんかのサブスクもたくさん加入している。

Evernoteの高い有料化を見て、ニーズの低下とweb関連に払えるお金の増加を考えれば、サービスから脱落する人は多いのではないだろうか。

スタートアップ時のクリエイターが、こんな状態をそのまま見ているとは思えない。

創業時の人たちはもう会社を売って、次のチャレンジに向かっているだろう。

 

てなわけで、一時はわが世の春を謳歌したEvernoteも今は昔。

何というか、時の流れを感じますね。

 

 

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2024年1月28日 (日)

楽観的であれ

AAで教わったことはたくさんあるんだけど、その中の一つに「楽観的であれ」と言うことがある。

AAにつながったばかりのころは、ハイヤーパワーにおまかせといったフレーズは単なる思考停止、判断放棄のように思えた。

でもそうじゃない。

 

ぼくの暮らしは、あいかわらず問題ばかりだ。

仕事で(ごく控えめに言って)ヒイヒイ言っているし、会社はどうなるか分からないし、ストレスでしょっちゅうグッタリしている。

でも、そのうち何とかなる。なるようになる。ように思う。

何とかならなかったらそのときはそのとき。

会社がつぶれたって別に世界が破滅するわけじゃない。ひょっとしたらだれかがぼくを責めるかも知れないけど、そのときは頭を下げればいい。

いまはたいへんでも、きっとどうにかなる。

AAにつながった仲間たちは、みなどこか楽観性とタフさを兼ね備えている。

だってさ、みんなひどいアル中で死ぬ寸前だったんだもの。もちろんぼくも。

それが何とか生き延びて、こうして当たり前の顔をして暮らしている。コンビニで買い物したりスマホいじったり、まるっきりふつうの人と同じ暮らしをしている。

でもそれは、ものすごいことなんだと思う。

そう思えば、これから先きついことやしんどいことがあっても、あのころに比べたらマシなんじゃないか、乗り切れるんじゃないかって思うんだよね。

12ステップ、ハイヤーパワー、そしてこの共同体、仲間たち。

最強のツールがいくつもあるわけなんですよ。

楽観的であれ。

気楽に行こう。

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2024年1月27日 (土)

やっぱり床屋さんはニガテ

むかし、村上春樹のコラムで「歳を取ると床屋が好きなる」と書いてあった。

ちなみに村上春樹は床屋を取り上げたコラムを何本か書いている。どれもクスッとする、市民の日常を切り取った秀逸な作品である。

ぼくは子どものころから床屋が苦手だった。

じっと椅子にすわっているのも苦痛だし、耳もとでハサミがたてる金属音も苦手だし、お金はかかるし、いいことは何もない。

でも髪がサッパリする感覚はキライではなかったので、自分の中では「好ましい」と「好ましくない」が入り交じった、何とも言えない両価的な感覚だった。

ただそれでも歳を取るごとに床屋への苦手意識は減っていった。

たしかこのブログでも以前、その辺のことを書いたことがある。ような気がする。

苦手意識が減ったのにはいくつか理由がある。

ひとつは村上春樹的にオトナになったこと。しかしそれ以上に、なじみの床屋を見つけることで苦手意識が減ったこともある。

むかし郡山に暮らしていたころはとても良いなじみの床屋があって、ずっとそこに通っていた。

が、神奈川に暮らしを移し、アメリカに渡り、そしていまの日本海側の住まいに移るにつれ、郡山の床屋に定期的に行くことは困難、というかほぼ不可能になった。

で、いま住んでいる街の床屋さんである。

床屋というか、美容室ですね。

 

もうこの街に住んでまる6年近くなるし、そのお店にも4年ほど通っている。

でも、慣れないのである。いまだに落ち着かないのである。

うーん、何が悪いのだろう。

お店の人は腕も良いし、よけいなおしゃべりもしない。店もしんとしているわけでもなくにぎやかすぎるわけでもない。

好ましくない要素は、何ひとつない。

でもぼくは散髪椅子にすわってからシャンプー、仕上がりまで、ほとんど緊張して過ごしてるか、現実逃避的に寝ているかのどちらかである。

そうなるとやっぱりアレですね、結局のところ、ぼくは歳を取っても床屋になれることはできなかった、と言うことですね。

今も床屋から帰ってきて、グッタリして寝ているところである。

村上春樹的に床屋に適応できるオトナになることは、とうとうできなかったっつーことですね。

まあでも。

床屋に慣れるだけが人生ではない(当たり前だ)。

自分の限界が一つ分かっただけでも見っけもんってことですね。

やれやれ。

 

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2024年1月26日 (金)

ナゴヤ再訪 2024〜臥薪寮の消失〜

年月を経るとさまざまなことが変わっていく。

環境も変われば、自分も変わる。

自分が変わることのひとつに、過去の記憶が薄れていくことがある。

もちろん忘れられないこともたくさんある。

たとえばぼくが浪人時代、名古屋で過ごした一年間。

時計じかけの闇にひそんで何度も聞いた爆音のケイト・ブッシュ、ジョイ・ディビジョン、エリオット・マーフィー。

その一方で、細かいディテールはどんどん失われていく。

思い出そうとその場所を訪れようとしても、すでにその場所は失われてしまっている。

失われた時間と同様に。

 

久しぶりに名古屋を訪れた。

5日間の出張で、仕事先は東山線の終点からバスで30分ほどのところだった。

帰り際、東山線で名古屋駅に向かう道すがら、ふと思い立って上社駅で降りた。

1986年、昭和61年。

ぼくが浪人時代に住んでいた予備校の寮、河合塾臥薪寮はちょうど一社と上社の中間にある。

東山線が地下から地上に出ると、まっさきに左側にあらわれてくるのが臥薪寮だった。

 

上社駅で降り、スーツケースを引っぱって高架線沿いを歩く。

途中、陸橋で高速道路を横切る。Img_4476

高速道路、当時はあったのだろうか。憶えていない。

10分ほど歩くと、やがて見知った坂道の一帯にたどり着いた。

Img_4484

臥薪寮は、もうどこにも見あたらなかった。

寮のあった場所はマンションが建ち、敷地の一部は分割されたのだろうか、個人住宅になっていた。

ぼくは裏手の道路に面した部屋に入居してて、そこから道路をはさんで迎え側にはラブホテルが建っていた。

そのラブホテルもなくなっていて、代わりに瀟洒なマンションが建っていた。

Img_4489

有刺鉄線で入寮者の脱走を阻んでいた高い塀も、もちろんなくなっていた。Img_4488

寮の向かい側の公園には、近所のマンションの住人だろう、若い母親と子どもたちの声があふれていた。

すさんだ雰囲気の予備校の寮とラブホテルが並ぶ場末の空気は、どこにもなくなっていた。

 

ぼくはしばらく行ったり来たりして写真を撮り、少しでも当時の面影を思い出そうとした。けどまったく雰囲気の変わったその一帯から、当時の空気を思い出すのは困難だった。

うろうろしているとマンションの住人らしき母親にうさんくさそうな目で見られ始め、ぼくはいごこちが悪くなってその場を立ち去った。

当時と同じ空、昭和61年と同じ強烈な太陽。

でもそこには高層マンションが、はじめからそこにあったかのように立っているだけだった。Img_4499

巨大な西日が、冬だというのに真夏のような日射しを投げかけていた。

Img_4497

 

自分のブログの過去記事を引っ張り出してみる。

ナゴヤ再訪: カオルとぼくと仲間たち

ちょうど20年前。2004年の記事だ。

そのころにはまだ臥薪寮の建物は残っていた。

過去記事には、寮の面会室の公衆電話、疑いに満ちた目をした初老の寮長、狭い寮の部屋のことが書いてある。

でも、過去記事を読み返してもそういった風景はもうよみがえらない。

記憶をたどっても、そこはがらんとして何もない。

 

でも、当時の感情はまだ残っている。

孤独と空腹、自由と不安。

なけなしの小銭でロック喫茶「時計じかけ」にこもっていた日々。

高校の教師を見返すために机にかじりついて解いていた問題集。

蹉跌と涙。

日々は戻らないが、夢と感情はまだここにある。

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