松村雄策の死を悼む
松村雄策氏が亡くなった。
2022年3月12日。享年70歳。
音楽評論家。いやロック評論家と言った方が良いだろう。
ぼくが最初にロッキングオンを読んだときから、彼の文章はずっと心に残っていた。他にもロッキングオンには優れたライターや論客は大勢いたけど、彼の文章の残す余韻は他の追随を許さないものだった。
個人の暮らす日常の風景描写に海外のロックの論評を交えるスタイルはロッキングオン記事の定番だが、このスタイルは松村雄策氏が始めたものではないだろうか。
酒だったり日々の風景だったり、些細な心の機微にロックミュージックの話がぴたりとはまり込んでいく。唐突なようで、文末まで読み終えると納得できる、素晴らしい文章だった。
取り上げる音楽は1950年代生まれらしく、ビートルズやアニマルズ、バッド・カンパニーなどを中心とした、ぼくより一回り上の世代を感じさせるものばかりだった。でもドアーズの趣味はぼくもいっしょだ。
ぼくが知るかぎり、ドアーズに関するいちばんうまいライターは松村雄策氏だった。
彼がドアーズについて語るとき、その文章にはどこか死の影がただよっていた。彼の名著「リザートキングの墓」にもそれは色濃く表れている。
考えてみれば、60年だから70年代のロックは死人だらけだ。激動の時代、当時の村松氏自身も近しい人を亡くしていたのだろうか。
そう思わずにはいられない文章だった。
ロッキングオンの定番連載と言えば渋松対談だ。ここでは自分の老化にまつわる自虐ネタを披露しながら、渋谷陽一氏と楽しい掛け合いをしていた。90年代から2000年代初頭、ぼくはロッキングオンを散発的に読んでいたけど、渋松対談は安定の面白さだった。
ロック雑誌の宿命として最新の情報を追わなければならない。でも渋松大胆で語られるのはレッド・ツェッペリンだったりビートルズだったり、何十年も前のロックだった。おちゃらけているようでもそれはロッキングオンという雑誌の原点、スピリットを常に思い起こさせる、大事なコーナーだったのだと思う。
松村雄策氏はミュージシャンでもあったし、小説家でもあった。「苺畑の午前五時」はとびっきりの青春小説だ。ぼくもバンドをやっていたころ、この小説にインスパイアされた曲を作った。せつなくてドキドキする、少年と少女の物語だ。
ぼくの中で松村雄策氏はこの小説の主人公に重なる。
いつも居心地の悪さを抱えた、ロックに生き方を変えられた、大人になりきれない少年だった。
いくつになっても自分の内面と実年齢との差にとまどい、困ったなと思いながら肩をすくめて立ち止まり、まあいいかとつぶやいてまた歩き出す、そんなイメージだった。
ロッキングオンを開けばいつでも同じようなネタで渋松対談の楽しい話題を繰り広げているユーモアの持ち主でもあった。
こうして文章を書いていても考えがまとまらない。
松村雄策氏の死は、はじめはゆっくりと、だんだん大きくぼくを揺さぶっている。
70歳。いまの平均余命を考えれば早い死だが、決して早すぎるわけでもない。松村氏も、ロッキングオン世代も、そしてぼくも、平等に歳を取っているという当たり前の事実がそこにある。
松村雄策氏はロッキングオンとその世代の象徴であり、ぼく周辺世代がロックミュージックに想いを仮託する代弁者でもあった。
その死と喪失は、ぼくたち自身のある部分の死と喪失でもある。
悲しい。もう何年も彼の小説も本も読んでいないのに、彼の死はぼくを大きく揺さぶる。
いまごろはもう空の上で、ジム・モリソンやジョン・レノンに会っているのだろうか。
あなたが亡くなって寂しいよ、松村雄策。
「未来は不確かで、死はいつでもかたわらにある」
“The future is uncertain but the end is always near”
—ジム・モリソン
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