2022年3月24日 (木)
2022年3月22日 (火)
不均一な集団の共通の目的
先日のAAミーティング。
バースデイミーティングだとばかり思って参加したのだけど、たまたまその月はバースデイ者がおらず、通常ミーティングとして開かれた。
近ごろはバースデイミーティングばかりに参加していたので、通常ミーティングはちょっと久しぶり。
すごく新鮮だった。
当たり前だけど、AAミーティングは色んな人が参加する。
性別もちがえば年齢、立場、職業、家族構成、ほんとうにさまざまだ。
唯一の共通点は、みなアルコールで痛めつけられた結果、AAミーティングに解決を求めてつながったという点だ。
だからそのいきさつも個別の問題も、少なくとも表層的には異なる。
当たり前だけど、ひとはみな異なる。
でもふだん仕事をしていると、職場はある程度均一な集団なので、そのことを忘れてしまう。
同じ職場で同じ人たちを相手にしていると、平たく言えば世間が狭くなる。視野が狭くなり、考えや価値観が固定化してしまう。
AAミーティングに行けば、世の中は広く、自分の価値観や世間などほんのちいさなものだと言うことが分かる。
でも、そこにはやはり共通のものがある。
とくにぼくたちアルコホーリクには共通する問題と、共通する解決方法がある。
広い世界に散らばる、同じ問題を持った人たち。
人はみな、ちがっている。異なっている。
だからこそわかり合えないし、わかり合える。
そういう当たり前のことを、AAは気づかせてくれる。
2022年3月21日 (月)
Sharon Van Etten、Every time the sun comes upは名曲である
最近はSharon Van Ettenにハマってて、ずっと曲を聴いている。
どこか孤高の影を引きずった女性ロックシンガー。どことなく往年のパティ・スミスを感じさせるたたずまい。
この人の曲は、なんともたとえようのないエモーションがある。
諦念と受容と生きる意志を同時に持ち合わせているような、独特のフィーリング。
スプリングスティーンを彷彿とさせるリリカルなナンバー「Seventeen」も良いけど、ぼくのイチオシはEvery time the sun comes upだ。
何度も何度も繰り返される、美しいサビの歌詞。
Every time the sun comes up, I'm in trouble
(太陽が昇るたび、私はトラブルの中にいる)
暗いと言えば暗い歌詞である。でも、みんなそうじゃないだろうか。
この曲のすごいところは、たった3つのコードで成り立っているところだ。
美しいメロディとハーモニー、印象的なサビ。
それが、たった3つのコード、それも I, IV, Vの主要三和音だけで作られている。
いや、すごいね。
でも、ミュージシャンとして俳優として母として才能を遺憾なく発揮している彼女だけど、いろいろ苦労もあったようだ。
1981年生まれ、2022年で41歳になるシャロン。
ぜひまた来日して、円熟したステージを見せて欲しい。
2022年3月20日 (日)
自分を守ることは恥ずかしいことではない
無理の利かない歳になってきた。
職場の泊まり込みがきつい。以前は休日は月のうち2日程度なんてこともザラだったけど、いまは休みがないと明らかに疲弊する。
まあ、もう50代半ばだもんね。30代と同じ働き方ではきついに決まっている。
決まっているんだけど、代わりになる人がいない。職場の性格上、ぼくの部署の誰かが24時間常駐していないといけない。
30代のころとはちがうところにいるんだけど、事情を抱えていて夜間休日対応ができない人が部署に多いのは変わらない。
でも、だからといって休日が月に2日なんて働き方をしていたら、この先自分が病んでしまう。
がんばって黙って働いていたらまわりがいつの間にか認めてくれるということは、おそらく期待できない。
助けて欲しいときは助けて欲しいと言わないと、伝わらないのだと思う。
卑屈にならず、怒らず、あきらめず、助けてくださいと言う。
むずかしいけれど、それができなければ潰れてしまう。
自分の身を守ることは、恥ずかしいことではない。
自分は無力だ。一人の力で出来ることは、せいぜい一人分とちょっとだ。
自分一人で職場を背負おうなどというのは、ヒロイズムに酔っているに過ぎない。
だから助けあう。助けあうためには、ひとを助けると同時に、自分もひとに助けを求める必要がある。
分かっているんだけど、そういう当たり前のことがなかなかできないのは、やっぱりまだまだ回復が足りていないんだね。
ステップを踏んでいきましょう。
と、誰もいない連休の職場で考えるわけです。
2022年3月19日 (土)
松村雄策の死を悼む
松村雄策氏が亡くなった。
2022年3月12日。享年70歳。
音楽評論家。いやロック評論家と言った方が良いだろう。
ぼくが最初にロッキングオンを読んだときから、彼の文章はずっと心に残っていた。他にもロッキングオンには優れたライターや論客は大勢いたけど、彼の文章の残す余韻は他の追随を許さないものだった。
個人の暮らす日常の風景描写に海外のロックの論評を交えるスタイルはロッキングオン記事の定番だが、このスタイルは松村雄策氏が始めたものではないだろうか。
酒だったり日々の風景だったり、些細な心の機微にロックミュージックの話がぴたりとはまり込んでいく。唐突なようで、文末まで読み終えると納得できる、素晴らしい文章だった。
取り上げる音楽は1950年代生まれらしく、ビートルズやアニマルズ、バッド・カンパニーなどを中心とした、ぼくより一回り上の世代を感じさせるものばかりだった。でもドアーズの趣味はぼくもいっしょだ。
ぼくが知るかぎり、ドアーズに関するいちばんうまいライターは松村雄策氏だった。
彼がドアーズについて語るとき、その文章にはどこか死の影がただよっていた。彼の名著「リザートキングの墓」にもそれは色濃く表れている。
考えてみれば、60年だから70年代のロックは死人だらけだ。激動の時代、当時の村松氏自身も近しい人を亡くしていたのだろうか。
そう思わずにはいられない文章だった。
ロッキングオンの定番連載と言えば渋松対談だ。ここでは自分の老化にまつわる自虐ネタを披露しながら、渋谷陽一氏と楽しい掛け合いをしていた。90年代から2000年代初頭、ぼくはロッキングオンを散発的に読んでいたけど、渋松対談は安定の面白さだった。
ロック雑誌の宿命として最新の情報を追わなければならない。でも渋松大胆で語られるのはレッド・ツェッペリンだったりビートルズだったり、何十年も前のロックだった。おちゃらけているようでもそれはロッキングオンという雑誌の原点、スピリットを常に思い起こさせる、大事なコーナーだったのだと思う。
松村雄策氏はミュージシャンでもあったし、小説家でもあった。「苺畑の午前五時」はとびっきりの青春小説だ。ぼくもバンドをやっていたころ、この小説にインスパイアされた曲を作った。せつなくてドキドキする、少年と少女の物語だ。
ぼくの中で松村雄策氏はこの小説の主人公に重なる。
いつも居心地の悪さを抱えた、ロックに生き方を変えられた、大人になりきれない少年だった。
いくつになっても自分の内面と実年齢との差にとまどい、困ったなと思いながら肩をすくめて立ち止まり、まあいいかとつぶやいてまた歩き出す、そんなイメージだった。
ロッキングオンを開けばいつでも同じようなネタで渋松対談の楽しい話題を繰り広げているユーモアの持ち主でもあった。
こうして文章を書いていても考えがまとまらない。
松村雄策氏の死は、はじめはゆっくりと、だんだん大きくぼくを揺さぶっている。
70歳。いまの平均余命を考えれば早い死だが、決して早すぎるわけでもない。松村氏も、ロッキングオン世代も、そしてぼくも、平等に歳を取っているという当たり前の事実がそこにある。
松村雄策氏はロッキングオンとその世代の象徴であり、ぼく周辺世代がロックミュージックに想いを仮託する代弁者でもあった。
その死と喪失は、ぼくたち自身のある部分の死と喪失でもある。
悲しい。もう何年も彼の小説も本も読んでいないのに、彼の死はぼくを大きく揺さぶる。
いまごろはもう空の上で、ジム・モリソンやジョン・レノンに会っているのだろうか。
あなたが亡くなって寂しいよ、松村雄策。
「未来は不確かで、死はいつでもかたわらにある」
“The future is uncertain but the end is always near”
—ジム・モリソン
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