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2022年1月24日 (月)

SNS離れ

SNSが登場したときには、ご多分に漏れずぼくも手を出した。
もともとニフティサーブでパソコン通信(知ってる?)の掲示板に出入りしていたんだけど、それもとおい昔の話。SNS、おっかなびっくりで開始した。

Twitter、おもしろかったです。
mixiは何が何だか分からないうちにどこかに行ってしまった。あれはいったい何だったんだろう。
Facebookはいまでも書き込んでいる。でも頻度は激減した。

たしかFacebook登場当初は世の中(ネットの中)は盛り上がっていて、猫も杓子もFacebookだった。いままでネットに縁のなかったおじさんたちもたくさん流れ込んできた。で、あちこちのサイトに「Facebookの始め方」「マナー」が並びはじめた。
「はじめての方は1日に1回の書き込みを心がけましょう。そうしないと他の方に気がついてもらえません」「文章だけでは目にとまりません。なるべく写真を撮りましょう」てなことがあちこちの「初心者マナー」サイトに書いてあって、疑うことを知らない純真なおじさんの一人であるワタクシは、せっせと写真を撮り、1日1回の書き込みを心がけていた。人と会う機会があれば写真を撮ってFB。ご飯を食べればFB。きれいな風景を見たらFB。
振り返ってみれば、やりたいからやっていると言うよりは「いまオレは流行のFacebookをやっているんだ!」という謎の空気に有頂天になっていたんだと思う。

でも、そんなに続かないよね。まいにち写真を撮ってFacebookに上げるのって。
けっこうな労力だもん。コメントが来たらすかさず返答。これも初心者マナーサイトに書いてあったけど、かなり労力を要した。
中には返答に困るようなコメントもあって、そう言うコメントに限って関係を無下にしたくない人だったりして、悩んだものだ。
そうこうしているうちに文章を書いてウェブに表現すること自体がだんだんおっくうになって、というよりネガティブな気持ちが高まってきて、Facebookはほとんど休眠状態になった。このブログまでも更新が止まった。

こういう風になっているのは自分だけなのかなとも思ったけど、考えてみたらFBフレンドのほとんどが同じような状態だ。一部のアクティブなユーザがひんぱんに書き込んでいるけど、たぶん自分のフレンドの2割くらいだろう。8割方はぼくと同様に沈黙している。ただ見ているだけ。

Twitterはあまりに殺伐としていて、読んでいるだけでネガティブな感情が湧いてくる。もちろん有益な情報や卓見も混じっているんだけど、それを探し当てるまでの時間と感情的な疲弊感がもったいない。
いまは自分の感情を守るためにほとんど見ないようにしている。

次に何がくるのかはまだ分からない。分からないけれど、きっとまた次の波が来るんだと思う。YouTubeは消費するだけだから、やっぱりどこかで飽きが来る。
たぶん頭の良い誰かが、次の流行をしかけてくるだろう。

でもねー。
流行り廃りに乗っかってみても、結局は人間、自分が出発した場所に帰ってくるんだと思うんだよね。
ぼくはいま紙の本で小説を読み、有線ヘッドフォンで音楽を聴き、遠くの人と相談したいときはなるべく電話を使うようにしている。
Kindle、ワタクシには合いませんでした。Bluetoothヘッドフォンはペアリングに手間取ることばかりで、有線の音質と便利さを再発見しています。メールは相手のリアクションが分からないのでここ一番と言うときは電話で相談の方が手っ取り早いことが分かりました。

じゃあSNSをやっていたことは無駄だったのかというと決してそんなことはない。
やっぱり通過してみないと分からないことって、たくさんあるよね。

SNSを忘れ、スマホを手放し、LPレコードの音楽を聴きながら紙の本を読む。
13歳の時と同じだけど、それでいいんだと思う。
ピース。

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