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2022年1月28日 (金)

音楽と物語のはざま Jenny Hval ジェニー・ヴァル

ジェニー・ヴァルについて何か書かなければと思いながら、ひと月あまりが経った。
そこそこ有名なアーティストだと思うんだけど、日本語の情報がほとんどない。
ウィキペディアによれば彼女は1980年生まれ、今年(2022年)で42歳。ノルウェー生まれでオーストラリアのメルボルンの大学を出ている。キャリアとしては中堅どころだ。
ジェニー・ヴァルの音楽は、何かに似ているようで似ていない。文学的な香り(実際に小説家として3冊の本を出版している)、ポーティスヘッドやキャットパワーを思わせるインディーロック感と退廃感。
詩や物語とロックとの融合は、どこかパティ・スミスにも似ている。ただ、パティ・スミスが古典的なバンドミュージックのフォーマットにこだわっているのに対し、ジェニー・ヴァルはエレクトロや実験音楽のフォーマットに近い。そう言う意味ではやっぱりポーティスヘッド寄りか。

なんて言うんだろう。Jenny Hvalの音楽は言葉で表現しようとすると、するりと言葉の網からすり抜けてしまう。表現が難しい。少なくともジャンルミュージックではない。
同じような感覚は、はじめてTelefon Tel Avivを聞いたとき、M83やSigur Rós、MOGWAIを聞いたときにも感じた。今でこそ彼らにはグリッチやらポストロックやらのジャンルがラベリングされている。でも彼らの出始めの時はそんなものはなかった。ただ、訳の分からない音のかたまりや言葉のもじゃもじゃがあり、それを突きつけられたオーディエンスはとまどい、そしてエキサイトした。
Jenny Hvalの音楽にも同じ何かを感じる。彼女が表現師匠としている物が何かは分からないけれど、音楽や物語を通して彼女がリスナーに何かを届けようとしている、そのエネルギーを感じる。

彼女の小説の方はKindleで日本でも入手できる。デビュー作のParadise Rot、それに最新作のGirl against Godの二冊。Girl against Godのサンプルを読んだが、神(というより教会を中心としたキリスト教文化)への強烈な憎悪が鮮烈に描かれている。小説と言うよりはエッセイだろうか。
どちらかと言えば静謐なたたずまいの彼女の音楽とはずいぶんちがう。や、でも自身の憎悪をどこか冷ややかに観察しているのは、やはり音楽とも共通か。
決して万人にお勧めできるものではないけれど、要注目株です。ジェニー・ヴァル。
オフィシャルサイト:http://jennyhval.com

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2022年1月27日 (木)

日本海ライフ

いまの住所は日本海沿い。
ここに来て、冬が暗いのに驚いた。関東にいたころには乾いた冬の晴れ、やわらかな冬の日差しが好きだったのだけれど、ここに来てからは晴れ間にあえることはほとんどない。
12月から2月までの3ヶ月間は、ほとんどくもり、ないし雪か雨。
常に空から何かが降ってきている。そして寒い。

まあでも、アメリカも寒いっちゃあ寒かった。暗いっちゃあ暗かった。
冬のニューヨークにも何度か行ったけど、基本的にひどく寒くて曇天ないし雪だった気がする。
写真は2018年3月のブルックリン。帰国直前のころだ。

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このときはブルックリンのカフェを何軒かはしごして歩いて、靴がずぶ濡れになってひどく寒かった記憶がある。
でも、どんなに寒くても屋内に入れば暖かいし、濡れた靴や服もすぐ乾くんだよね。
石やレンガで建物を作っているのと、あとセントラルヒーティングがどこもしっかりしているせいか。

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同じ日のカフェ内。みんな楽しそう。
ちなみにここはPartners coffeeというカフェで、ロバート・デ・ニーロ出演の「マイ・インターン」にも登場する。

コーヒーが美味しくて、居心地の良いカフェです。

さて、日本海沿い。
たしかに曇天は曇天だけれど、ぼくは楽しく過ごしている。
考えてみたら、四季がこれほどダイナミックに変化するのは日本海側の特徴じゃないだろうか。厳しい冬と感動的な春、初夏の田んぼに盛夏の日差し。山いっぱいの紅葉。
都会には都会の、日本海側には日本海側の良さがある。
楽しみながら暮らすのみ、です。

それにしても冬はランニングができないのは参ったね。

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2022年1月25日 (火)

依存症からの回復とは?2022年編

依存症からの回復とは何か?
古くて新しいテーマだ。そしていまだに決着は着かない。色んな立場の人がそれぞれに回復のあり方を模索し、それはそれで納得がいく。でも、万人が納得する「回復の定義」みたいなのは(たぶん)決まらなかった。
ぼくも回復については、このブログで幾度となく書いてきた。けど、そのときそのときは納得できてもあとで考えると考えが狭かったり、どこかズレがあったように思う。

久しぶりに故郷のAAミーティングに戻ったとき、ある仲間に出会った。ぼくは驚き、そしてうれしかった。
彼は、以前のぼくの視点で言えば、うまく回復できない仲間だった。しょっちゅうスリップを繰り返し、そのたびに言い訳がましい(読んでたらゴメンね)理由を並べ、現実的でない展望を主張していた。そしてそのどれもが行動がともなっていなかった。
彼が12ステップを踏んでおらず、AAプログラムが入っていないのはあきらかに見えた。
「行動のともなわない信仰は死んでいる」と、ある日ぼくは彼に言ったように思う。ビッグブックのフレーズだ。なぜそのとき、そんな話を彼に持ち出したのかは憶えていない。でもいまにして思えば、そのときのぼくはひどく傲慢だった。自分がビッグブックの代弁者だと、AAの回復の代弁者だとでも勘違いしていたのかも知れない。ひどい話だ。
もちろん彼の胸に言葉が届くはずもなく、彼は再飲酒を繰り返し、ぼくは故郷を離れた。

最近思うんだけど、回復の定義って別に決めなくていいんじゃないかな。
人によって回復のあり方はまちまちだと思う。多様な回復があっていいんじゃないかと思う。もちろんビッグブックには、回復の方法について書いてある。暴走したエゴを抑えること、過ちの本質を探し見つめること、無力を認めること、仲間のために行動することなどなど。
でも、死なずにミーティングに足を運び続けることだって立派な回復だと思う。
アルコール依存症と言う死の病に飲み込まれずに、AAミーティングに足を運び続けることだって回復だ。ステップがどうとかよりも、そっちの方がはるかにたいせつだ。もちろんビッグブックには、生き延びるためにはアルコホリズムを解決する必要があり、アルコホリズムの本質を解決するにはプログラムが必要だと書いてある。でもそれができる仲間ばかりじゃない。
再飲酒を繰り返してでも、とにかく今日は死なないこと。死なずにミーティングにたどり着くこと。明日も明後日も、一年後も。それも一つの回復だし、回復の形に上下はない。ただちがうだけだ。

ぼくは彼に再会してうれしかった。彼が以前と変わらない様子でミーティングに顔を出し、以前と同じようにどこか居心地の悪い様子で座っている姿を見て胸が温かくなった。
そして、これからも彼にまた会いたいと思った。会い続けたいと思った。
本名も知らない仲間だけれど、スリップを繰り返しながらミーティングに通い続ける彼から、ぼくはたしかにメッセージを受け取った。

遅かれ早かれいつか、彼もぼくも死者の列に加わる時が来る。
そのときまで会い続け、回復し続けましょう。

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2022年1月24日 (月)

SNS離れ

SNSが登場したときには、ご多分に漏れずぼくも手を出した。
もともとニフティサーブでパソコン通信(知ってる?)の掲示板に出入りしていたんだけど、それもとおい昔の話。SNS、おっかなびっくりで開始した。

Twitter、おもしろかったです。
mixiは何が何だか分からないうちにどこかに行ってしまった。あれはいったい何だったんだろう。
Facebookはいまでも書き込んでいる。でも頻度は激減した。

たしかFacebook登場当初は世の中(ネットの中)は盛り上がっていて、猫も杓子もFacebookだった。いままでネットに縁のなかったおじさんたちもたくさん流れ込んできた。で、あちこちのサイトに「Facebookの始め方」「マナー」が並びはじめた。
「はじめての方は1日に1回の書き込みを心がけましょう。そうしないと他の方に気がついてもらえません」「文章だけでは目にとまりません。なるべく写真を撮りましょう」てなことがあちこちの「初心者マナー」サイトに書いてあって、疑うことを知らない純真なおじさんの一人であるワタクシは、せっせと写真を撮り、1日1回の書き込みを心がけていた。人と会う機会があれば写真を撮ってFB。ご飯を食べればFB。きれいな風景を見たらFB。
振り返ってみれば、やりたいからやっていると言うよりは「いまオレは流行のFacebookをやっているんだ!」という謎の空気に有頂天になっていたんだと思う。

でも、そんなに続かないよね。まいにち写真を撮ってFacebookに上げるのって。
けっこうな労力だもん。コメントが来たらすかさず返答。これも初心者マナーサイトに書いてあったけど、かなり労力を要した。
中には返答に困るようなコメントもあって、そう言うコメントに限って関係を無下にしたくない人だったりして、悩んだものだ。
そうこうしているうちに文章を書いてウェブに表現すること自体がだんだんおっくうになって、というよりネガティブな気持ちが高まってきて、Facebookはほとんど休眠状態になった。このブログまでも更新が止まった。

こういう風になっているのは自分だけなのかなとも思ったけど、考えてみたらFBフレンドのほとんどが同じような状態だ。一部のアクティブなユーザがひんぱんに書き込んでいるけど、たぶん自分のフレンドの2割くらいだろう。8割方はぼくと同様に沈黙している。ただ見ているだけ。

Twitterはあまりに殺伐としていて、読んでいるだけでネガティブな感情が湧いてくる。もちろん有益な情報や卓見も混じっているんだけど、それを探し当てるまでの時間と感情的な疲弊感がもったいない。
いまは自分の感情を守るためにほとんど見ないようにしている。

次に何がくるのかはまだ分からない。分からないけれど、きっとまた次の波が来るんだと思う。YouTubeは消費するだけだから、やっぱりどこかで飽きが来る。
たぶん頭の良い誰かが、次の流行をしかけてくるだろう。

でもねー。
流行り廃りに乗っかってみても、結局は人間、自分が出発した場所に帰ってくるんだと思うんだよね。
ぼくはいま紙の本で小説を読み、有線ヘッドフォンで音楽を聴き、遠くの人と相談したいときはなるべく電話を使うようにしている。
Kindle、ワタクシには合いませんでした。Bluetoothヘッドフォンはペアリングに手間取ることばかりで、有線の音質と便利さを再発見しています。メールは相手のリアクションが分からないのでここ一番と言うときは電話で相談の方が手っ取り早いことが分かりました。

じゃあSNSをやっていたことは無駄だったのかというと決してそんなことはない。
やっぱり通過してみないと分からないことって、たくさんあるよね。

SNSを忘れ、スマホを手放し、LPレコードの音楽を聴きながら紙の本を読む。
13歳の時と同じだけど、それでいいんだと思う。
ピース。

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2022年1月23日 (日)

突然の中島らもブーム「永久も半ばを過ぎて」

唐突に中島らもブームが来ました。
ときどきふと嵐のように訪れるマイブーム。マイブームって死語か。まあいいや。みうらじゅん。
マイブームが襲ってくる時はいつも決まって何の前触れもなく、従って予想はまったくできない。今回、なぜ中島らもブームが来たのかも分からない。
ただある日いきなり頭の中に「永久も半ばを過ぎて」という単語が浮かんできた。なんだっけ、これ。記憶の底をひっくり返してみて、すぐに中島らもの懐かしい小説の題名だと思い出した。

話は半分くらい憶えている。
写植職人の家に詐欺師の友だちが転がり込んできて、なにかの本のコンペで度胸の据わったプレゼンをする。プレゼンのシーンの印象が強くて、その後のストーリーやオチはさっぱり憶えていない。

さっそくメルカリで中島らもの単行本セットを落札。
人体模型の夜もメリーさんの羊もガダラの豚も、急に読み返したくなった。こういうとき、メルカリは楽で良いよね。ヤフオク!だと落札まで何日もかかるから、急に欲しいときには不便なんだよね。

というわけで中島らもざんまいの日々である。
いま読み返すとストーリー展開に唐突さがあったりもするけど、場面の鮮烈さ、アイディアの奇想天外さは舌を巻くばかり。才能とはこういうことか。
途中「タブレット」という単語が出てきて「ん?」と思ったけど、単に薬の錠剤のことでした。そうだよね、中島らもの存命中はiPadなんてなかったものね。
文学とロックと酒と薬におぼれて夭逝した中島らも。ジムモリソンや破滅型のロックンローラーにあこがれて、破滅型の天才をめざして、それを突き進んだ人。
亡くなったのが2004年7月26日だから、もう18年も経つんだね。
もしいまだに生きていたらどんな作品を書いて、どんな音楽をやっているんだろう。YouTubeとかやっていたかな。あるいはiPhoneもYouTubeもサブスク音楽も「ケッ」と言って、ライブハウスででかい音でギターを鳴らしていたかな。

色んなことを考えながら、往年の作品を読み返しています。
1994年刊行の「永久も半ばを過ぎて」、名作だよこれ。 Img_9544

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2022年1月22日 (土)

AAミーティングで気づくこと

AAミーティングでは色んなことが起こる。
笑いがあり、涙があり、絶望があり、希望がある。
家族が来ることがあり、酔客が来ることがあり、思いもよらない懐かしい仲間に会えることがある。
そう言ったことが起こる中、ぼくは仲間の輪の中に座り、ここが自分の居場所だと感じる。

居場所。

AAミーティングで感じるこの感覚は、なんと言うんだろう、他に例えようがない。かならずしも自分が必要とされているわけでもない。かと言ってよそ者でもない。初めて会った仲間もいれば古くからの仲間もいる。考えてみれば本名もよく知らないメンバーが大半だ。それでも古くからの仲間の話は耳に心地よいし、新しい仲間の声はぼくの中の昔の記憶を鋭く呼び覚ます。
そのすべてが渾然となって、独特の感覚をもたらす。
単に居心地が良いと言うだけでなく、ここが自分の居場所であると同時に、向い、たいせつなことに気がつく場所だという感覚。

AAの12ステップは、アルコール依存症から回復するためのたいせつなツールだ。でもそれは、仲間の声、人の声、人の形や生き様として現れたときにはじめて伝わるように思う。少なくともぼくはそう感じる。
たとえ12ステップの話を直接にしていなくても、アルコール依存症から回復しようとしてもがき、前に進もうとしている仲間の話はとても美しい。

ぼくがAAをはじめて訪れてからもう20年が経つ。
依存症から回復して生き生きとしている仲間の姿にあこがれて、あれから20年。
ぼくはAAメンバーになれたのだろうか。ぼくは回復の道を歩いているんだろうか。

答えはミーティングの中にある、きっと。

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