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2021年12月 4日 (土)

絶望のどん底でも希望を忘れない人々 ザ・ロード/コーマック・マッカーシー

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先日読んだ本の感想。絶望の中で希望を見つけ出す話は、古今東西山ほどある。また世界が崩壊した後の世界の話も、これまた山ほどある。
最近Netflixをつけると、ゾンビものの多さに圧倒される。世の中、こんなにゾンビが流行っているのだろうか?ゾンビを見たい人々が大勢いるのだろうか?
多くのゾンビものの映画では、主人公は仲間とともに(あるいは単独で)ゾンビと闘い、崩壊した世界の中で生き抜こうとする。そしてどこかの目的地にたどり着こうとする。そしてゾンビだけでなく、暴徒や暴徒化した軍隊や自警団と戦う。
そう言う意味では、このマッカーシーの小説「ザ・ロード」も、ゾンビものの一類型と言えるだろう。
ちがうのは、ゾンビが出てこないこと。
ただただ、主人公たちが戦うのは崩壊した世界そのものと、モラルを失って獣と化した人々だ。
でも多くの場面は、主人公とその息子が日々の糧を求めてさまよい、絶望の中をさまよう姿だ。

世界が崩壊した理由は、作中では何も語られていない。おそらくは何かの天変地異か世界戦争だと推測されるが、そのことは何も触れられていない。主人公とその息子に名前はなく、登場人物で固有名詞が出てくるのは一人のみ。そもそも登場人物自体が、主人公とその息子をのぞけばほぼ影のような存在である。

崩壊して植物も動物も死に絶えた灰色の世界、おそらくはアメリカ西部のどこかを、主人公とその息子は海を目指してひたすら徒歩で旅をする。わずかな食料と装備をショッピングセンターのカートに入れて、とぼとぼ歩く。たびたび食糧は尽き、主人公たちは餓死の予感におびえながら廃墟と化した家々を探り、焼死体の群れなす道路を歩く。

この小説は、ただただ美しい。
時に凄惨な光景も登場するが、ほとんどは静寂に満ちている。静寂に満ちた灰色の世界を、主人公とその息子が通過していく。
一枚の絵のような世界。死に絶えたモノクロームの世界。
それを、散文詩のような文章が淡々と表現していく。

やがて旅は終わる。
あっけないほどの結末だ。最初の数ページを読んだときに、すぐに直感できた結末。でも、この本が表現したいことはストーリーテリングではないのだろう。
ディストピアの世界の静寂。そして、その中で希望を忘れずに歩き続けること。
大げさに主張するのではなく、淡々と、自分に課せられた当為としての希望。旅。
すごく良い小説でした。

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2021年12月 3日 (金)

来年こそはフジロック

今年のフジロックは悩んだ。あ、今年とは2021年のことです。令和3年ね。

後になると皆忘れてしまうだろうから、ブログに書いておきます。2021年の夏は、コロナウイルスの夏であった、と。

フジロックは、2021年は例年より1ヶ月遅れて、8月20日から3日間の開催だった。東京オリンピックが7月にあったので、その混乱が収まってから、という目算だったのだろう。

が、東京オリンピックのあたりからコロナウイルスの感染者数が急上昇。いま記録を見返してみたら、8月22日のあたりが2021年の日本の感染者数のピークでした。

フジロック、そんな中での開催だったものだから、もー世間の目が厳しい。

Twitterではいろんな人たちがフジロック開催を非難し、主催者のさまざまな感染防止対策はあんまり好意的に受け取られなかった。

日本、そういうところあるよね。一度世論の波が押し寄せると、反対意見はゼンゼン取り上げられない。

入場者数を絞り、飲食ブースや休憩スペースはストリクトな感染防止ルールを定め、アルコールは提供せず、夜は早めに終了。アーティストは国内勢のみ。

結果的に、フジロックでの(少なくとも公式発表では)感染者数はゼロ。

その後に愛知で開催されたヤンチャ系の音楽イベントの感染対策が甘くてクラスターを発生させたのに比べたら、さすがフェスの大御所といった感じです。よくやったフジロック。えらいぞフジロック。

音楽の火を消さないという希望を感じました。

 

が、自分が参加するかどうかは悩みに悩んだ。チケットは買ってある。が、感染者数はうなぎ登りで、まったく先が見えない状況。そして今年に限っては、不参加者にチケットを払い戻すという大盤振る舞い。だいじょうぶかフジロック。

実際の感染リスクは相当にコントロールされているのが見えていたので、参加は可能だろうと踏んだ。

が、やはり最大の問題は職場。

フジロックに行ったとなれば、大事を取って2週間は自主隔離せよと言われるのは目に見えている。職場に黙って集団イベントに参加するのもフェアじゃない。かといって、2週間休めば同僚に多大な迷惑がかかるのは火を見るより明らか。

 

というわけで、2021年のフジロックは不参加でした。

ホテルにはお詫びしてキャンセルの連絡をし(カオルはもうキャンプサイトでは3日間の音楽イベントに耐えられない体なのです)、チケットの払い戻しの手続きをし。

今年に限っては主だったステージのライブ配信をしたので、それをリアルタイムで視聴し、フジロックを疑似体験しました。

青葉市子、いいよねー。ボアダムズ山塚もCHAIも最高でした。GEZANも気合が入っててとてもよかった。

 

という感じで、2021年はコロナウイルスの葛藤の中でフジロック参加を断念したのでした。

きっと、こういう思いをした人は日本中にたくさんいるんだろう。

YouTubeで配信を見ながら「ああ行きたかったなー。でもライブ配信の方がしっかり間近に見れるし、もうこっちの方が楽でいんじゃね?」と、うらやみと楽ちんさを感じていたフジロッカーは山ほどいるでしょう。

来年2022年。フジロック行きます。

コロナウイルスの状況次第だけど、現在(2021年12月)はオミクロン株の影が忍びよっているけど、まだまだ感染者数は極小。自分も東京出張に来れてるし、世の中も動き出している。

来年は苗場で踊るのだ。Img_0846

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2021年12月 2日 (木)

それにしても東京は晴れてる

それにしても東京は毎日晴れてますね。

毎日まいにち、よくもこんなに晴れが続くものだと感心するくらい。

雪も降らなければ雨も大して降らない。降ってもすぐ止む。一日中曇天なんてことはまずない。

こりゃあ関東平野に首都ができるわけだよね。人が集まるわけだよね。地価が高騰するわけだよね。

日本海側の自然も好きだけど、まあ関東平野の方が暮らしやすいですわな、フツーに考えれば。

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まあ、たまに遊び(や、今回は出張です)に来ているからこんなことを言えるわけで、じっさいここに住んで暮らしてみれば、傍目にはわからない苦労もあるんでしょうね。満員電車とか。どこに行っても人混みとか。

それでも都会の真ん中に緑が多いのはとても良いです。日比谷公園とか、雰囲気良いよね。

どれどれ、冬場もときどきは東京にきて、日光浴をするとしましょう。ずっと日光を浴びないと、やっぱり考えがシリアスになってしまいます。

それにしても日比谷公園にベビーカーを押して来る若い母親たちは、一体どこに住んでいるんだろう?

周囲は外務省とか農水省とか、省庁のでかいビルばかりだぞ。不思議なり。ナゾなり。

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2021年12月 1日 (水)

走ることと歳をとることと受け入れること

日本海側に引っ越してきて何が不便かというと、冬場はほとんどランニングができないことだ。

日の出が遅いのは別にかまわないんだけど、とにかく天気が悪い。

だいたいが雨か雪かあられか、あるいは強風だ。ほぼ太陽が見えない真っ暗な空から常に何かが降っているもんだから、ランニングのしようがない。たまに(週に1回くらい)何も降らない日もあるんだけど、そういう日に限って仕事で走れなかったりして、やたらフラストレーションがたまる。

去年の冬は大雪も手伝って、12月中旬から3か月間、ほぼ走れなかった。で、ようやく天気が回復して走り始めたら、いきなり転倒。

これはめげる。

怪我が治って本格復帰と思ったら、今度は膝が痛い。そりゃそうだ、4ヶ月もランニングのブランクが開けば、ほぼ非ランナーと同じである。

ペースも遅い。今までは調子が良ければキロ520秒ペースで15キロくらいは走れたが、今年の夏・秋はついにそのペースまで回復しなかった。今はキロ6分で13キロを走るのがせいぜいだ。

歳をとるということは、こういうことなんだろう。

今までできていたことが、だんだんできなくなってくる。去年できたことが今年はできない。そして次の年は、さらにできなくなる。

気持ちが萎縮する。新しいことにチャレンジしづらくなる。できない自分を見たくない。ぶつかりたくない。

コンフォート・ゾーンにとどまるのは心地よい。

歳をとることやできないことに直面するのは誰でも嫌だから、できることだけをやり、一緒にいて心地よい人たちだけと過ごす。そうすれば困惑することもないし、できない自分に直面して落胆することもない。

だいたい50を過ぎれば、それなりに職場でも長老あつかいされる。30代の頃のように、頭ごなしに説教されたり否定されたりすることはほとんどない。居心地の良い人たちだけに囲まれた、心地よい世界。

でも、それでは良くない。それはますます老いを加速し、自分のできることを狭めるだけだ。

頭の硬いジジイになんてなりたくない。

世の中はますます知らないことだらけだし、初めてぶつかることだらけだ。自分のちっぽけな経験なんて対して当てにならない。

新しいことを知っている人、新しい何かを持っている人には積極的に教えを乞うこと。年下だろうがキャリアが若かろうが関係ない。

無知な自分をさらけ出して、新しいことを学ぶこと。

ランニングだって、パフォーマンスが下がった自分を見なくて済むようにするのはとても簡単だ。明日から走るのをやめればいい。誰も止めない。ただ自分があきらめればいいだけ。でも、それじゃあおもしろくない。

 

AAで学んだことの一つは、常に勝ち続けたり、成功し続けることはできないということだ。人はいつか負け、ニューカマーの後塵を拝する。

大切なのは勝ち負けの土俵から降りて、自分が何を学び、人に何を手渡せるかを考えることだ。そして負け続けたとしても、成長し続けること。

ランニングのパフォーマンスが下がり、仕事で新しい人に追い抜かれ、ひと月前に出会った人の名前を思い出せない。ギターは下手くそのまんまだ。

それでもいいんだと思う。あきらめずに踊り続けること。

踊り明かそう、日の出を見るまで。

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