きのこ帝国の解散、鬱ロックは死んだのか?
予兆はあった。
きのこ帝国の2作目、eurekaはとても良かった。1作目「渦になる」と対になる、リリシズムが轟音とディレイの中に溶け込む、まさにきのこ帝国の世界だった。
3作目を聞く機会がなく、次にぼくがきのこ帝国を聞いたのは4作目、猫とアレルギーだった。
聞いたときに最初に感じたのは、事務所の圧力でもあったのだろうか?という疑念だった。
それまで先鋭的なサウンドを聞かせていたアーティストが、突然世の中に迎合したかのような大変換を遂げることがある。
アーティスト側の変化と言うよりは、事務所のプレッシャーだったり、バンドの「民主的な」意志決定の結果のことが多い。
きのこ帝国の魅力は、ボーカル佐藤の繊細な歌曲、そしてギターあーちゃんの縦横無尽なディレイサウンドだ。
それが、いつの間にか変わってしまった。
もちろん、以後のアルバムでも轟音シューゲイズサウンドはあちこちに聞かれる。
でも、ほかにストリングスが取り入れられた曲があったり、ポップなサウンドがあったりして、シューゲイズサウンドはたくさんある引き出しのひとつになってしまった。
そしてボーカル佐藤の書く歌詞は、ポジティブで口触りの良いものに変化した。
もはや「あいつをどうやって殺してやろうか」「金属バットを振り抜く夢」「ああなんかぜんぶめんどくせぇ」そんな絶望の叫びは聞かれなくなった。
ぼくはきのこ帝国が好きだった。
不格好でバランスが悪くてみっともなくて絶望的で自滅的、でもその中にときどき輝く、生きる祈りみたいなものが、たまらなくいとおしかった。
バンドが成長することは悪いことではない。
いつまでも永遠に青春の蹉跌を歌い続けることはできない。
だからきのこ帝国が変化し、解散したこともごく自然なことなんだと理解する。それがぼくや、世の中のファンの期待とは異なったとしても。
変わらないでほしい、そのままでいてほしいと言うのは、ファンの側の勝手な期待というものだろう。
一方で、シリアスで鬱なロックはその旗手を代えながらも続いていく。
この先も、消えることはないだろう。なぜなら若者の不安、蹉跌、絶望、自己否定は普遍的なものだからだ。
そしてそこから生まれる衝動の音楽は、いつの世も人の胸を打つ。
今なら笹川真央の震えるような声に、ぼくはきのこ帝国の初期と似たものを感じる。ジャックスやドアーズやルー・リードと同じ色の光を見る。
あるいはそれは、青春という色の光なのかも知れない。
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コメント
ささがわまおの震えるような声聴きました
いいですね~
感じてはいますが、上手く表現出来る語彙力がありません(T_T)
それと彼?の絵とグラフィック映像のあの感性に見いってしまいました
カオルさんからは知らない事を色々知ることが出来て楽しいです!
ありがとう!!
投稿: 紫雨 | 2020年5月 3日 (日) 23:41
紫雨さん
笹川真央、いいですよねー。
繊細なオリジナリティを感じます。
いまはコロナ騒ぎで音楽シーンも沈滞していますが、いずれ頭角を現してくると思いますよ。
要注目!がんばれ笹川真央〜!
投稿: カオル | 2020年5月 4日 (月) 13:25