戦わない生き方
アルコール依存症の「戦わない生き方」の話は、以前にも書いたことがある。
アルコホーリクス・アノニマス第6章「行動に移す」に書いてある。
「私たちは何ものとも、誰とも、ましてアルコールとも戦うことを止めた」
戦う生き方は勇ましくマッチョだが、私たちアルコール依存症者は自我が肥大し、暴走しやすい。
その結果として依存症になった。だから闘い、怒り、争う生き方をすればまたアルコールの海に飲まれる。
そうならないためには恨みやおそれ、怒りを手放して行く必要がある。
そうは言っても、実際の社会で生きていく上では否が応でも争いに巻き込まれることがある。
無茶な方向に組織を引っぱっていこうとする意見には頑迷に抵抗することもあるし、逆に変わろうとしない人にはときに叱咤激励をする必要もある。
むしろ、社会で生きていく中では争いやいさかいに巻き込まれていることがほとんどだ。
その中で、ぼくの感情のソブラエティはいつも疲れ果ててしまう。
戦わない生き方のヒントは「むやみに反応しない」ことだと思う。
目の前の傲慢な言葉、見当外れの非難、心ないひとこと。
そう言ったことに、つい私たちは反応し、相手の言葉を否定したくなる。
否定されれば相手もまたいきり立ち、否定の連鎖がはじまる。
相手の言葉に反応するのは、怒りやおそれ、不安が原因なんだと思う。おそれも不安もなければ、目の前のことにいちいち反応する必要はない。
テレビやネットでは、色んな人たちが色んなことを声高に主張している。つい反論したくなる(ネットがあれば手軽にできるもんね)けど、がまんがまん。
その感情の渦の中に飛び込んでいっても、いいことはあまりなさそうだ。
まず自分の仕事、家庭、ソブラエティ、そして仲間の役に立つことが優先。
理解されるよりも理解することを、私が願いますように。
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コメント
今日1953年の「愛しのシバよ帰れ」という映画を観ました(アマプラビデオ)
その主人公がアルコール依存症の人で断酒して1年目のバースデーを集会でしてもらっていました
よくカオルさんのブログにもよく出ていたのだぁって思いました
そして朝食の時に奥さんに祈りの言葉を教えていました
「神よ、
変えられぬ事を
受け入れる心と
変えられる事を
変える勇気を与えたまえ」
この言葉も出てきてたようなと思いました
投稿: | 2020年4月23日 (木) 22:24
コメを書くというか投稿する事に慣れてないので↑の文途中なのに送ってしまいましたm(__)m
で、他人は変えられないけど自分は変えられるというように考えれば
カオルさんの
理解されるよりも理解することを...
という言葉もそういうことかなと思いました
投稿: 紫雨 | 2020年4月23日 (木) 22:40
紫雨さん
ありがとうございます。
愛しのシバよ帰れ、存じておりませんでした。1953年作とは、渋い映画をご覧になっていますねー。
バースデイミーティングや平安の祈りなど、かなりこなれたAA描写ですね。
こんど見てみます。
そうそう、おっしゃるとおり、変えられるのは自分だけなんですよね。「過去と他人は変えられない」と、ミーティングではよく語られています。
ふしぎなもので、自分が変われば相手との関係性も変わってくるんですよね。
ていねいに読んでいただいて感謝です!
投稿: カオル | 2020年4月24日 (金) 12:04