肥大したエゴ、適度なエゴ、萎縮したエゴ
—私たちはみなエゴを持っていますが、エゴはまるでそのエゴ自体を克服するのが目的であるかのように私たちに与えられています。健康で安定した自己や自尊心と、自己中心的な傲慢や尊大とはまったくちがいます。エゴが膨れ上がったときには、それを適度なサイズに戻さなければなりません。肥大したエゴがすべてを取り仕切っているうちは、私たちは自分の殻に閉じこもったままです—
セイン(健康な心:Sane)より
年齢とともに、ぼくも職場組織の運営に関わるようになった。部下はいないけど組織は運営するという、ちょっと変な立場だ。
組織を動かしていくと言うことは、色んな業務や企画の方向性を決定していかねばならないと言うことである。そうなると、賛成ばかりではない。中には全体のバランスを考え、撤退ないし方向転換をしなくてはいけないプロジェクトも出てくる。自ら撤退を名乗り出るプロジェクトリーダーはいない。だれかが決めなくてはいけない。
そういう時、判断をするのはしんどい。しんどいけど、すこしばかりの快感を感じるのもたしかだ。自分が大きな判断をできることで、大きな力を持ったような感覚が、どれだけ気をつけても心の中に生まれてくる。
エゴをどう取り扱うかは、とても難しい。
自分の年齢や立場、役割などで、ちょうど良いエゴのサイズは変わってくる。いまのぼくは、すこしばかり大きなエゴとすこしばかり厚い面の皮を求められている。判断自体を回避すれば、全プロジェクトがダメージをこうむる。役職の一部に、エゴイストになることが含まれている。
職場の立場と正味の自分をとり違えないこと。
ぼくは職場で、役職という名の服を着ているに過ぎない。それはぼくではない。職場を離れたら服を脱いで、もとの自分に戻らなくてはならない。
ぼくはこれまで、職場の役職という服を自分自身の見分けがつかなくなった人たちをたくさん見てきた。
退職してからもうまく服が脱げない人。どれが服でどれが自分か分からない人。服を脱ぎたくてもくっついてしまって離れない人。
そうならないためには、ときどき服を脱がなくてはいけない。
萎縮せず、肥大せず、健康なエゴで自分と他人を心地よくつなげていくこと。
やっぱりミーティングが必要だね。
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コメント
なんとなく更新されているような気がまして来てみたら、やはり。うれしいです。
過去の投稿と、それを読んでいたときの自分のこととを考えると、時の流れを感じます。いつもすてきな文章ありがとう。
投稿: カナ | 2020年4月20日 (月) 14:22
カナさん、コメントありがとうございます。
ほんとうに、時の流れを感じますね。
ブログを始めてから、気がつけば16年も経っていました。
変わったこともあれば、変わらないこともたくさんあります。
人間、歳を取れば大人になるものでもないというユーミンの言葉を実感してもいます。
お互いボチボチ、色んなことをブツブツ言いながらも生き延びていきましょう。
拙ブログもポツポツと更新して参ります。
どうかまた訪ねてきてください。
投稿: カオル | 2020年4月22日 (水) 17:16