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2020年4月28日 (火)

2020 Evangelion Asuka Telecaster 発売

シン・エヴァンゲリオン劇場版公開を記念して、フェンダーからアスカモデルのテレキャスターが発売になる。

2020 Evangelion Asuka Telecaster® | Electric Guitars

 

一見、エヴァンゲリオンっぽさはない。

ネックとヘッドが黒く、ボディが赤を基調とした美しい3色塗装のテレキャスターという感じ。

スペックとしては、3色塗装のピックガード、ネックと同色の黒いヘッド、赤いナット、指板インレイは12フレット部に2号機のインレイがあるのみ、ネックプレートにネルフのロゴ、ピックアップはアルミトーンピックアップというもの。あとは鶴巻和哉書き下ろしのイラストつきオリジナル認定書、ネルフのロゴステッカーがついたハードケース。

2020evangeliona 

エヴァンゲリオングッズとして考えれば、訴求力は今ひとつ。このギターを抱えたプレイヤーを見て、エヴァンゲリオンを想起するのはほぼ不可能。初号機カラーにすればまだエヴァっぽかったんだけど。

が。

エヴァ視点を離れ、フェンダーの新しいテレキャスターとしてみればけっこうイケる。

アルミトーンピックアップは、ぼくはこのギターで初めて存在を知った。宣伝文によれば、メカニカルなルックス、深く歪ませても低音が潰れにくく、ローノイズながらもクリアで抜けの良いサウンドが特徴、ヘヴィなサウンドを好む演奏者にも好まれる、と書いてある。

そのアルミトーンピックアップが、フロントはシングル、リアはハムバッカー仕様のものが搭載されている。音は想像するしかないんだけど、テレキャスでハムバッカー仕様となれば、シンライン72っぽいサウンドなんじゃないだろうか。

 

売れるかどうかはよく分からない。

エヴァ世代ももう40から50代。25万円の限定モデルだが、中高年に達したファンなら購買力は期待できるだろう。

FENDER x ASUKA TELECASTERプロジェクトは2013年からスタートしたそうだ。7年を費やして企画されたギター、おそらくていねいに作られているにちがいない。

とくに、アルミトーンピックアップを搭載したギターは、おそらくフェンダーでははじめてとなるではないだろうか。

ギター単体としてみても野心的で、ユニークなのはまちがいない。

しかし25まんえん。。。。

ワタクシ?たぶんパスです。

でも、機会があれば試奏してみたい。

してみたいけど、きっと店頭に並ばずに予約完売しちゃうんだろうな。

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2020年4月26日 (日)

ココログリニューアル、テキストエディタから投稿不能

Blogをおやすみしている間、いつの間にかココログがリニューアルしていた。

単に見た目が変わっただけかと思ったら、あちこち変更がなされているようだ。

まあ、投稿画面での操作が豊富になったことや、画像ファイルの差し込みが便利になったのはありがたい。

けど、テキストエディタからの投稿ができなくなったのには参った。

いままではMacjournalというソフトを使っていたんだけど、これができなくなってしまった。

どうやらほかのソフトウェアでも同様のようだ。

ライティングソフトというのは重要で、メモアプリから書くのとWordで書くのとBlog用のテキストエディタから書くのとでは、書き手の気持ちがずいぶんちがう。

やっぱりブログを書くにはブログを書くソフトウェア、ウィンドウやらフォントやら何やらの影響が大きいのです。

まあ、長期間更新をサボっておいてこういうことを言うのも何なのですが。

だれかMacjournalで投稿できる裏技とか知らないかしら。トホホのホ。

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2020年4月24日 (金)

ハームリダクションの昨今 2020年

ハームリダクションについてもう一度考えたい。

2013年、カナダでの薬物依存症者への自己注射施設の記事を紹介した。

当時、ハームリダクションという概念は日本ではまだ登場したばかりで、それほど浸透していなかったと思う。

あれから7年。ハームリダクションの概念は広く浸透したと思う。

2018年に更新されたわが国のアルコール依存症治療ガイドライン、「新アルコール・薬物使用障害の診断治療ガイドラインに基づいたアルコール依存症の診断治療の手引き」 でも飲酒量低減と言う言葉が持ち込まれ、ハームリダクションはいまや依存症治療の主要概念のひとつになった。

2013年当時ぼくは、ハームリダクションの流れは自助グループにも大きな影響をおよぼすのではないかと考えた。

AAは節酒希望のものもメンバーとして受け入れるのか?

既存メンバーも、医者が節酒もアリと言いはじめたらそちらに流れるのではないか?

あるいは医療界へ反発するか?

少なくとも、なにがしかの論争を生むのではないかと、そしてそれがAAや自助グループが自分たちのアイデンティティを確認するための、いわば試金石になるのではないかと予想した。

もちろんAAが外部の問題に意見を表明することはない。が、日々のミーティングの中でのトピックくらいにはなるのではないかと。

けど、今のところAAや自助グループからの反応は薄い。

 

ぼくは思うんだけど、節酒の選択肢が与えられて、その上で自分がどちらを選択するのかはとても大事な問題じゃないだろうか。

ぼく自身は、自分が大嫌いで、自分にも他人にも何の希望も持てずに、アルコールだけが唯一の慰めだった。生き延びるためのツールだった。

その自己嫌悪と絶望を変えてくれたのが、AAだった。

単に酒が止まっただけだったら、いまごろ自分に絶望しきって死んでいるか、さもなくばめちゃくちゃな生き方をしていただろう。

仲間とAAプログラムには、人を変える力がある。ぼくはそれを信じている。

世の中の大半の依存症者に節酒の選択肢が与えられ、ぼく自身にも同じ選択肢が与えられたとしても、ぼくは酒をやめてAAプログラムをやる方に留まる。

同時に、節酒を選ぶ依存症者に対しても、自分と同じようにアルコールに苦しめられた仲間として、経験と希望を分かち合いたいと思う。

節酒か断酒かなんて問題じゃない。

依存症と言う病気を生き延びるには、仲間と支えが必要だ。依存症者が節酒派と断酒派に別れていがみ合っていたら、どちらも病気に飲み込まれてしまう。

もちろんAAは酒をやめて生きる立場だ。節酒の側に立つ人はメンバーにはなれない。でも、節酒を選択した人たちにもぼくは共感し、できるだけのことをしていきたいと思うのです。

「共感がなければ何をしても無駄なのである」アルコホーリクス・アノニマス第2章

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2020年4月22日 (水)

戦わない生き方

アルコール依存症の「戦わない生き方」の話は、以前にも書いたことがある。

アルコホーリクス・アノニマス第6章「行動に移す」に書いてある。

「私たちは何ものとも、誰とも、ましてアルコールとも戦うことを止めた」

戦う生き方は勇ましくマッチョだが、私たちアルコール依存症者は自我が肥大し、暴走しやすい。

その結果として依存症になった。だから闘い、怒り、争う生き方をすればまたアルコールの海に飲まれる。

そうならないためには恨みやおそれ、怒りを手放して行く必要がある。

 

そうは言っても、実際の社会で生きていく上では否が応でも争いに巻き込まれることがある。

無茶な方向に組織を引っぱっていこうとする意見には頑迷に抵抗することもあるし、逆に変わろうとしない人にはときに叱咤激励をする必要もある。

むしろ、社会で生きていく中では争いやいさかいに巻き込まれていることがほとんどだ。

その中で、ぼくの感情のソブラエティはいつも疲れ果ててしまう。

 

戦わない生き方のヒントは「むやみに反応しない」ことだと思う。

目の前の傲慢な言葉、見当外れの非難、心ないひとこと。

そう言ったことに、つい私たちは反応し、相手の言葉を否定したくなる。

否定されれば相手もまたいきり立ち、否定の連鎖がはじまる。

相手の言葉に反応するのは、怒りやおそれ、不安が原因なんだと思う。おそれも不安もなければ、目の前のことにいちいち反応する必要はない。

テレビやネットでは、色んな人たちが色んなことを声高に主張している。つい反論したくなる(ネットがあれば手軽にできるもんね)けど、がまんがまん。

その感情の渦の中に飛び込んでいっても、いいことはあまりなさそうだ。

まず自分の仕事、家庭、ソブラエティ、そして仲間の役に立つことが優先。

理解されるよりも理解することを、私が願いますように。

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2020年4月19日 (日)

Scrivener 3.1.5 Macの不具合

ある程度のまとまった文章を書く際は、Scrivenerというアプリを使っている。

書きかけの断片、アイディアスケッチ、下書き、参考資料などをひとくくりに保存しておけるのがいい。

バージョン3になってからは日本語にも対応して、ますますいい感じになってきた。

が。

ここに来て不具合が。ウィンドウがなんだかヘンな感じ。

20200419-123615

左のコラムがおかしな具合になっている。文章を書くのには支障なし。

実害がないと言えばないんだけど、こういうのがあるとすごく気になる。ライティングに集中できない。

対策を考察したサイトもある。

Mac版Scrivener3で表示バグが発生中!?(とりあえずの対処方法も記載) | TEXT FIELD
こういうサイトがあるのはとてもうれしい。

が、自分の場合は無効だった。

プロジェクトを閉じてインターフェース設定のクリア(optionキーを押しながらファイルメニューをクリックして表示)、プロジェクトファイルを右クリックしてui-common.xlsファイルとui.plistファイルの消去、いずれも効果なし。20200419-123916 

 

ダウングレードしかないかと思い、Literature & LatteのホームページからScrivener2をダウンロードしインストール。
が、version3で作ったファイルは開けない。当たり前ですね。

さてどうしたものか。

同社のHPにひとつ前のヴァージョン、3.1.4がダウンロード可能な状態になっているのを発見。

さっそくダウンロード、インストール。さっきのプロジェクトを開いてみる。20200419-125637

無事にまともなウィンドウに戻りました。

バグなんだろうけど、3.1.5のリリースが2019年12月12日。

この記事を書いているのは2020年4月19日、4ヶ月間もバグフィックスなしというのちょっと悲しい。

良いソフトウェアなので、がんばってほしいのであります。

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2020年4月14日 (火)

badass, 超クール

英語は生き物、次々と知らない単語が生まれてくる。
badassと言う単語も、さいきんよく目にする。
意味は「超クール」とか「すげえ(ヤツ)」「タフガイ」的な感じ。
バッド・アスというよりは、続けて「バダース」「バダス」と読むらしい。

Zenitsu Badass Moment (善逸、超イケてる瞬間)
みたいな感じだそうです。

日本語の「ヤバい」も、いまどんどん意味が拡大しているもんね。

や、拡散しすぎてもう若い人は使わないのかな。

こういうスラング寄りの言葉は知らないとまったく分からないし、この手の言葉を使う人はかなり早口なので、スラング成分が多いと何を言っているのかサッパリついて行けない。

言葉は話してナンボ。使わなければ錆びていくし、時代の変化について行けない。

英語もまた勉強しないとね。

 

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2020年4月11日 (土)

"回復の定義とは?"サイトの消滅

以前に紹介した、依存症からの回復の定義を決めちゃおうってサイト"What Is Recovery?"ですが、久しぶりに訪れたら消えてなくなっていました。

ただ、紹介記事はまだ残っています。

What is Recovery?

なくなっちゃったのは、企画したLee An Kaskutas先生が論文化を完了したからと思われます。

まあ、回復の定義をオンラインで募って、それをまとめて論文化するのが目的だからしょうがないけどね。

でももとのサイトは残してほしかった。

論文の抄録はここで読めますが、抄録には詳しいことは書いておらず、フルテキストを読むにはお金がかかる。

Elements That Define Recovery: The Experiential Perspective: Journal of Studies on Alcohol and Drugs: Vol 75, No 6

料金は、48時間限定アクセスで$29。約3100円。高すぎ。

 

ただ、まとめサイトに書いてある回復の定義の骨子は同じようです。

・回復とは、自分に正直になること。
・回復とは、酒やドラッグを使わずに人生を楽しめること。
・回復とは、社会、家族、自分自身の向上などのために貢献できること。
・回復とは、人頼られる存在になること。
・回復とは、与えられたものを別の人に贈ること。
・回復とは、自分の時間とエネルギーを費やす活動の中で、信念と価値観を一貫させるために努力し続けること。

いま読み返して思ったんだけど、どの要素も「継続性」が肝だと思うんだよね。

一瞬だけ正直になるとか、酒をやめるとか、社会や家族に貢献するとかじゃなく、継続して行うこと。

逆に言えば、いちど回復の定義を満たした人も、継続性が失われれば「未回復」の状態に戻ってしまう。

だから、良く言われるように(言われていないか?)「回復とは、回復を目指し続けること」ってのも、案外的を射ていると思うんだよね。

ふりかえって、ぼく自身はどうか。

・・・・。

・・・・・・・。

はい。回復を目指し続けます。

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2020年4月10日 (金)

肥大したエゴ、適度なエゴ、萎縮したエゴ


—私たちはみなエゴを持っていますが、エゴはまるでそのエゴ自体を克服するのが目的であるかのように私たちに与えられています。健康で安定した自己や自尊心と、自己中心的な傲慢や尊大とはまったくちがいます。エゴが膨れ上がったときには、それを適度なサイズに戻さなければなりません。肥大したエゴがすべてを取り仕切っているうちは、私たちは自分の殻に閉じこもったままです—

セイン(健康な心:Sane)より

年齢とともに、ぼくも職場組織の運営に関わるようになった。部下はいないけど組織は運営するという、ちょっと変な立場だ。
組織を動かしていくと言うことは、色んな業務や企画の方向性を決定していかねばならないと言うことである。そうなると、賛成ばかりではない。中には全体のバランスを考え、撤退ないし方向転換をしなくてはいけないプロジェクトも出てくる。自ら撤退を名乗り出るプロジェクトリーダーはいない。だれかが決めなくてはいけない。
そういう時、判断をするのはしんどい。しんどいけど、すこしばかりの快感を感じるのもたしかだ。自分が大きな判断をできることで、大きな力を持ったような感覚が、どれだけ気をつけても心の中に生まれてくる。

エゴをどう取り扱うかは、とても難しい。
自分の年齢や立場、役割などで、ちょうど良いエゴのサイズは変わってくる。いまのぼくは、すこしばかり大きなエゴとすこしばかり厚い面の皮を求められている。判断自体を回避すれば、全プロジェクトがダメージをこうむる。役職の一部に、エゴイストになることが含まれている。

職場の立場と正味の自分をとり違えないこと。
ぼくは職場で、役職という名の服を着ているに過ぎない。それはぼくではない。職場を離れたら服を脱いで、もとの自分に戻らなくてはならない。
ぼくはこれまで、職場の役職という服を自分自身の見分けがつかなくなった人たちをたくさん見てきた。
退職してからもうまく服が脱げない人。どれが服でどれが自分か分からない人。服を脱ぎたくてもくっついてしまって離れない人。
そうならないためには、ときどき服を脱がなくてはいけない。
萎縮せず、肥大せず、健康なエゴで自分と他人を心地よくつなげていくこと。

やっぱりミーティングが必要だね。

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2020年4月 9日 (木)

桜の季節、コロナウイルス

コロナウイルスごときで、私たちのたいせつなイマジネーションをダウンさせてはいかんのです。 と昨日のブログで書いておきながら、コロナ対策がたいへんになってきた。

自分の職場でも、きのうから大わらわで対応に追われている。

テレワーキングのできない職場なので、対応はほんとうにたいへんだ。

通常業務プラス、コロナウイルス対策。

家に帰ってもごはんを食べて寝るだけで、音楽を聴くヒマもない。

テレワーキングのできる仕事の人が、ちょっぴりうらやましくなったりする。

まあ、しかたありません。

永遠に続くわけじゃないし、きょう一日、がんばりましょう。

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2020年4月 8日 (水)

コロナ騒ぎの真ん中で

コロナウイルス、最初のころは「なんだか新しい病気が出てきたなあ。でも海の向こうの話だし、遠い話題だなあ」くらいの感覚だった。
が、気がつけばぼくたちの生活のど真ん中にコロナウイルスがいる。
コロナが真ん中で、みんなその渦の中心にぐるぐると振り回されている。

よろしくない。

感染症対策、だいじです。
自衛防衛、たいせつです。
外に遊びに行けないのも、まあしかたがない。

でも、こころまで閉じ込めてはいけない。
私たちのこころを、ウイルスごときに規定されてはいけない。
イマジネーションを縮ませるべきではない。

ティーンエイジャーだったころ、ぼくはいつもヘッドフォンをかぶって、布団の中で爆音でパンクロックを聴いていた。
ニューウェーブ、ノイズ、テクノ、ロックンロール、フォーク、何でも聴いた。
そこだけがぼくの居場所で、ほかに行くところもなければお金もなかった。
中小都市のパッとしない中学生の自分が大嫌いで、爆音で聴く音楽はその瞬間だけ、突けばはじけ飛ぶようなフラストレーションを忘れさせてくれた。
考えてみたら、当時といまの状況は大差ない。

音楽でも本でも映画でも何でもいい。
この世の中、優れた表現物は枚挙に暇がない。
煩わしかったら自分で作ってもいい。
ロックを聴いて、エレキギターをかき鳴らす。
コロナウイルスごときで、私たちのたいせつなイマジネーションをダウンさせてはいかんのです。

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2020年4月 7日 (火)

知らない街角、名も知らないカフェで

000905630017-1_20200406193701 アメリカ東海岸から帰国してまる2年が経った。いまでもときどき当時のことを思い出す。
差別的な目に遭ったりつらいこともたくさんあった。けど、楽しいこともいっぱいあった。
なかでも、どこに行ってもカフェがあって、美味しいコーヒーが飲めたのはとてもうれしかった。
もともとラテは好きじゃなかったけど、思いがけないちいさなお店で思いがけない美味しいラテ、素敵なラテアートにありつけることもしばしばだった。
どんなちっぽけな街でも、美味しいコーヒーが飲める。それだけでも、アメリカは良い国だと思う。

いつもの街角、いつものカフェでラテをたのむ。店員さんはたいがい大きな笑顔でたっぷりのあたたかいラテを淹れてくれる。
いまでもときどき、思い出す。
名もないカフェ、あたたかくて濃いラテと街のざわめき。

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2020年4月 6日 (月)

ロックの衰退

ロックは衰退しています。
昔、吉田栄作が白いTシャツにギターを抱えてテレビに登場したときは「けっ、スプリングスティーンの猿マネじゃねえか」と毒づいたものでした。福山雅治がギターを持ってメディアに出はじめたころも、似たようなことを(口の中でそっと)つぶやいておりました。
ところがどうでしょう。
いまやバンドもギターもロックも、もはやメインストリームではありません。テレビをつければそこにいるのは、キャバクラのショータイムの出し物のような集団ばかり。
や、キャバクラ行ったことないんで、あくまで推察ですが。
ブランキーやミシェルガンやスライダーズのような骨っぽいバンドなんて影も形もない。
いずれロックという音楽ジャンルはジャズやクラシックのような伝統音楽となり、ロック文化はヤンキー文化のごとく「なつかしネタ」の中にだけ息づくようになってしまうのかも知れません。

でも、しかし。
それがどうした。
自分が好きな音楽を好きなままでいて、何が悪い。
世の中がどう変わろうと、ロックやパンクがメインストリームでなくなろうとも、僕は僕の好きな音楽を好きでいつづけるだけです。
それに、新しい世代の新しい才能は、かならずまた生まれる。
ギター、ボーカル、ベース、ドラムという古典的ロックバンドの形式ではないかも知れないけど、孤独、抒情、絶望や希望、ワケの分からないエモーション、そんなものを表現する次世代はかならず現れる。
自分の気持ちを仮託できる音楽がある限り、僕はそれを支持する。
くだらない音楽はいつの時代でもたくさんあふれていた。
ありとあらゆるガラクタの中から、わずかにきらめく星が生まれる。その構図はきっと、1960年も2020年も変わらない。

だから、自分の好きなロックを好きなように聞き、愛せば良いと思うのです。時代や世の中なんて気にせずに。
踊り明かそう、日の出を見るまで。

それにしてもギターうまいよね、福山雅治。PRSもうらやましい。

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2020年4月 5日 (日)

近況 2020

近況です。
アメリカ生活を終え、いまは日本に帰国しています。
場所は、都市部ではないどこか、とだけ。
当地にAAはありません。や、あると言えばあるのですが、事情があって参加できていません。
ギターは引き続き弾いています。DTMも続けています。
でも仕事があまりに忙しく、日々のエネルギーと時間の9割方を仕事に取られています。
これでいいのか?と思ったり。これでいいのだ、と思ったり。
夫婦仲は良く、子なし夫婦二人の生活を楽しんでいます。

ジョギングも続けています。
この地は夏暑く冬寒いので、走れる期間はそう長くはありません。
せっかくついた走力も、休止期間にまた元に戻ってしまいます。
それでも季節の移り変わる中、たとえばこの季節なら桜の中を走っていると、ざわつきかけた胸が落ち着く気がします。
日々は過ぎていきます。

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2020年4月 4日 (土)

2020年4月、もう一度のこんにちは

こんにちは。
当ブログを最後に更新してから、長い時間が経ちました。
コメントをくださった方々、返信が遅れてすみません。
当ブログの更新をときどきのぞきに来てくださった方々、長い間の放置、ほんとうに申し訳ありませんでした。
習慣って、いちど崩れると立て直すのがたいへんですね。
まいにちブログを更新していたころは、ブログ記事を書くのはそんなにたいへんな労ではなく、むしろ楽しかったです。
でも、いったん書かないのが当たり前になると、再起動はとてもたいへんです。

いただいたコメントは、すべて繰り返し拝見していました。
AAのこと、名古屋のロック喫茶「時計じかけ」のこと、ほんとうにうれしく思います。
当ブログは再起動します。
まずは日記を書くリハビリから。内容の乏しい記事がしばらくは続くでしょう。
どうぞおつきあいください。
変えられないものを受け入れる落ち着きを。

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