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2017年4月18日 (火)

恐怖と言う名の壁で

きょうのミーティング、ある仲間がこんなことを言っていた。

ぼくは自分で恐怖という壁を作り、その中に閉じこもっていた。
自分のまわりの世界はこわいことばかり、不安なことばかり。だから外の世界に出ないように、関わりを持たないように、自分の中にこもっていた。
でも結局のところ、恐怖の世界なんてなかった。
自分が世界をそのように見、そのように作っていただけだった。

同じようなことを、どこかの書物で読んだように思う。
とどのつまり、自分の世界、自分の周囲をどう感じ、どう受け取るかは自分のあり方しだいなのだ。
この世は絶望と恐怖がすべてだと思えば、そのように見える。
希望と良心が人々の間にあり、それを感じることができると思えば、そのようになる。
神は死んだと思えば神は死んでいるし、神はここにあると思えば神はここにある。

こころがへこんでいるとき、ぼくたちは外側に過敏になりがちだ。
自分の外側、特にネガティブなこと、自分の気に入らないこと、自分に害をなすように思えるものごとや人に過敏になる。そのことで頭がいっぱいになる。イヤな人、イヤなことのことが頭から離れず、この先自分には何もいいことが起きないような気持ちになってくる。
元凶を呪い、我と我が身の不幸をあわれみ、ネガティブな感情でこころが溺れそうになる。

でも、そうじゃない。
イヤな人、イヤなできごと、気に入らない状況は、われわれの周囲にずっと続いてきた。
そういったことと無縁で一生を終えた人がいただろうか。
もし「イヤなことや気に入らない人と、一生出会わない人生」を望むのなら、その願いが実現することは決してないだろう。
生きて、歳を取って、自分のしあわせを見つけていくと言うことは、自分の周囲の面倒ごととどう折り合いをつけてハッピーに生きていくか、どうポジティブさを持ち続けるかと言うことだ。
さもなければ絶望して、壁を作ってその中で生きていくしかない。

さいわいぼくたちにはAAプログラムと、それを使って問題を解決してきた無数の生き字引がいる。
壁を壊すのは、もちろん誰にとってもたいへんな努力が要る。
知らない人、予測がつかない状況にコミットしていくのはほんとうにこわい。しんどい。おっかない。
時には予感が的中して、面倒ごとがさらに悪化したりする。もう二度と他人なんて信用するかと、絶望的な気持ちになることだってある。
それでもぼくはやっぱり、人と関わっていき、自分の周囲と調和していきたいと思う。
自分の住む世界を、恐怖と不安で定義するなんてまっぴらごめんだ。
自分の壁は、自分の手で壊せる。そのための道具だってあるのだから。

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コメント

10代の頃に自分で作った要塞から身動きがとれなくなってしまいました。世の中はヘテロセクシュアルが敵対していました。渋谷の街で大変恐ろしいことをしでかす自分を妄想していました。それが!
12のステップを歩いているうちに、渋谷の街をセクシュアルマイノリティの仲間たちとパレードで歩いている自分になり、もう不必要に何かを憎まなくていい自分になっていました。
私の通っている自助グループはアルコールのとらわれからの解放のみに焦点があてられていますが、どういうわけか、本当に欲しいものも与えてくれるようなのです。

投稿: ジャビー | 2017年4月21日 (金) 00:29

ジャビーさん

コメントありがとうございます。
AAはもちろん酒をやめることが目的ですが、プログラムを通じて色んなとらわれに気がつき、解放されるのはほんとうにありがたいです。
酒をやめてから、自分が今までどれだけとらわれていたか、そしてまだまだ回復の余地が大きいことを知りました。
われわれはみんな、まだまだ育ち盛りですね(^^)/

投稿: カオル | 2017年4月21日 (金) 05:48

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