インセンティブ・サリアンスとミルクにウィスキーを垂らしたジムという男の話
アルコール依存症という病気について調べてみると、ビッグブックに書かれている内容と共通する点が多いことに気がつく。
少し前からインセンティブ・サリアンス (incentive salience)と言う言葉をよく見かけるようになった。
正確な日本語訳を知らないのだが、「報酬刺激への過敏な反応性」というあたりだろうか。
依存症に限って言えば、アルコホリクは飲酒刺激に対する反応性が過敏だ(あるいは過敏だった、ある程度のソブラエティが得られるまでは)。
インセンティブ・サリアンスは、例えてみれば「グラグラにゆるんだ引き金」みたいなものだろう。
ふつうの人にしてみれば引き金を引くに至らないようなちょっとした刺激で、依存症の鉄砲はいともかんたんに暴発してしまう。
科学者によれば、これは依存症の渇望のうちwanting(依存物質がほしい、必要だという欲求)に関連しているという。
(関連して良く出てくる言葉で、likingとwantingの二つがある。likingは快楽のためにそれを求めるという感覚、wantingは必要だからそれを求めるという感覚、だそうだ。酒で言えば、飲んで気持ちよくなりたいというのがlikingで、不愉快さや嫌な気持ちを避けるために飲みたいというのがwanting)
ある論文から引用してみる。
この種のwantingはしばしば報酬に関連した刺激、または鮮明な報酬物質のイメージによって引き起こされる。ふつうの人のwantingは、自覚している特定のゴールに結びついている。しかしインセンティブ・サリアンスのwantingは特定のゴールへの結びつきが弱く、報酬刺激に強く結びついている。その刺激は、報酬物質を魅力的に見せ、それを手に入れ、使いたいという強い欲求に変わる。
Liking, wanting, and the incentive-sensitization theory of addiction. - PubMed - NCBI
要するに、飲酒に関する刺激を受けると、魅力的だな、飲んだら気持ちいいだろうなという欲求が高まり、それがどういう結果をもたらすかはうまく考えられなくなると言うことだ。
また上に挙げた論文によれば、依存が進めばwantingの感覚は、ドパミンシステムを介して強まっていくという。
この話を読んだときにぼくが思い出したのは、ビッグブックに書いてあるジムの話だ。
AAメンバーなら誰でも知っているこの哀れな(そしてわれわれの大半が共感できる)男は、酒のために仕事も家族も失いかけ、今度飲んだらすべてを失って精神科病院に逆戻りすることが分かっていた。
にもかかわらず、「ミルクにウィスキーをちょっと垂らしても害はないだろうな」という思いつきが頭に浮かび、その瞬間、それがどういう結果をもたらすかという考察はすべてわきに押しやられた。結果、ジムは酔っぱらい、またしても再発の道を歩き出した。自分が依存症であり、こんど飲めばどういう結果になるのか正確に分かっていたにもかかわらず。
BBではこれを「狂気」と描写している。そのとおり。そして2017年現在の依存症の科学に照らして言えば、ジムがおちいった罠の正体はインセンティブ・サリアンスだろう。
ジムのグラグラになった飲酒の引き金は、「お腹もいっぱいだし、ミルクにウィスキーを垂らしても大丈夫なんじゃないか」というふとした考えによって、あっけなく引かれてしまった。
きっとwantingが押し寄せたとき、彼の頭の中では関連したドパミン活性が高まって、結果を合理的に類推することができなくなっていたんだろう。
それを狂気と呼ぶのは、正常ではないという意味では正しい。ただ、実際に脳の中でwantingやら渇望やらが生じているときに、それを意志の力でコントロールするのは無理だろうとも思う。
BBでは、最初の一杯に対する防御はハイヤーパワーだけがもたらすという。ハイヤーパワーのことを科学がどう解釈しているのかは知らない。だが、BBにせよ科学にせよ、少なくとも「自分の力ではどうしようもない」と言うことだけはたしかだ。
上に挙げた論文には、後段になって怖いことが書いてある。
コカイン、覚せい剤、ヘロイン、アルコール、ニコチンなどの薬物乱用により過敏化された(sensiteized)ドパミンシステムは永続的に続く。中脳辺縁系の過敏化は上記薬物のくり返し大量使用により発生し、いちどそうなれば、おそらく半永久的に残る。
上記の説は、人によっては受け入れられないかも知れない。じっさい自分も含め、多くのAAメンバーはそうかんたんには再飲酒しない。ジムのような経験を外食するたびに繰り返していたら、命がいくつあっても足りない。ソブラエティが長引くにつれて、再飲酒の引き金はそうやすやすとは引かれないようになってくる。ありがたいことに。
だがその反面、引き金の軽さ(インセンティブ・サリアンス)が残るという上記の説が正しいんじゃないかとも、感覚的に感じる。
われわれが再飲酒せずに済んでいるのは、AAプログラムを身につけたからであり、仲間との支えがあるからであり、飲酒刺激がやってきたときの対応策をいろいろと学んできたからである。つまり、引き金に触らない方法、引き金にカバーを掛ける方法、引き金にかけた指をゆるめる方法を身につけてきたからであって、引き金の軽さそれ自体は変わっていないような気もする。
うまく逃げる賢さを学んだのであって、酒を克服する強さを手に入れたわけではないのだ。
そう考えると、われわれは常に用心する必要があるし、「依存症は過去のこと。あんなひどい状態にはもう二度と戻るわけがない」と考えるのもまちがいだろう。もちろん、解決方法がAAでなくてもかまわない。AAをきっかけに飲酒問題を解決し、いまはミーティングから離れてしあわせに暮らしている元メンバーを何人も知っている。彼らが彼らなりの方法でインセンティブ・サリアンスの罠をうまく回避して、その人らしく生きているのなら、それは僥倖である。
ただ、問題は常に残っている。科学者が言うように過敏化された引き金が半永久的に残るのであれば、備えを続けるのが当然だ。そう言う意味では、プログラムを続け、仲間と支えあい続けるのはごく自然なことだ。まさに、人を助けることで自分も助かる。自助グループの自助グループたる本質の部分だろう。
それにしても、酒をやめ続けることで何が変わり、何が変わらないんだろう。
やめ初めのころよりも気持ちは安定した。飲んでいたころ、やめ初めのころのような感情のぶれは少なくなってきた。また、激しい飲酒欲求にさいなまされて苦しむこともなくなった。
でも、たぶんインセンティブ・サリアンスは残り続けるし、何らかの依存症的な特性は残り続けているんだろうと思う。それはたとえば「一度飲み始めたら元に戻る」という肉体的な特性かも知れないし、依存症的な思考のゆがみみたいなものなのかも知れない。
いずれにせよ、科学は進み続けているものの、まだまだ未知の領域は多い。変わらない部分を何とかしようとするより、自分にできること、気づきを得て自分を変えられることに集中した方が良さそうだ。
それにしても、ジムはその後どうなったんだろうね。無事に酒をやめられたんだろうか。
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コメント
とても良い話だと思います。
自分の経験や見てきた事と重なります。
そしてこの記事の後の記事に続く希望が
素晴らしいと思います。
多くの人の前で、語って欲しいです。
( `ー´)ノ
投稿: k | 2017年4月 2日 (日) 11:12
kさん
ありがとうございます。
おもしろいことに、科学が進むとBBや仲間の話と合致する点が多いことに気がつきます。
科学者は脳を調べ、われわれはその結果を実体験として理解できる。なんかおもしろいですよね。
そしてなんと言っても、回復を知っているのがわれわれの強みだと思います。
願わくば多くの人に、回復のすばらしさを伝えていきたいですね〜。
投稿: カオル | 2017年4月 2日 (日) 18:23
こちらのサイトによると、ビッグブック第3章のジムの名はRalph F.で、初版に彼の物語"Another Prodigal Story"が掲載されていたそうです。
http://aawiki.org/tag/ralph-f/
さらに、こちらのサイトによると、
http://silkworth.net/aabiography/ralphf.html
コネチカット州でAAを始め、1955年のコンベンションでも活躍していたとか。
投稿: ひいらぎ | 2017年4月24日 (月) 00:45
ひいらぎさん
情報ありがとうです!
ジムのその後が分かって良かったです。ちゃんとお酒をやめて活躍されたんですね。
自分もそういう風になりたいものです。
投稿: カオル | 2017年4月25日 (火) 02:49