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2016年4月22日 (金)

車内百景

アメリカは自由の国である。
どれくらい自由かと言うと、電車に乗るだけでごきげんにエキサイティングな人たちに会える、そのくらい自由である。
きょうは、アメリカの電車の中で出会った自由な人たちについて書き記したい。

1.車内で爪を切る人
ある日の午後、電車に乗っていると後ろの席からパチン、パチンと言う音が聞こえてきた。後ろを振り返る。おばさんが一人、背中を丸め、淡々と爪を切っていた。もちろん爪はその辺に飛ばしっぱなしである。自分の服に飛んでこないことを祈りつつ、目的地に着くのを祈るのであった。

2.車内で懸垂をする人
ぼくの住む地域の電車は、基本的につり革というものがない。代わりに、電車の天井付近に金属の棒が設置してある。電車の背も低いため、基本的に立っている人はこの棒か、ドア付近に設置してある垂直の棒につかまる。天井の棒は、もちろんかっこうの懸垂棒である。きょうも調子に乗った若者が仲間とともに懸垂を繰り返す。がんばれ。アメリカ人は太りやすいから、今のうちに運動の習慣を付けるんだぞ。

3.スマホのスピーカーで音楽鑑賞をする人
日本では昔から「ヘッドフォンの音漏れ」が話題になっていた。音漏れしない構造のヘッドフォンも開発されてきた。しかしここはアメリカ。ヘッドフォンどころか、スマホの内蔵スピーカーから堂々と音を出して音楽鑑賞をしている人がいる。10回電車に乗ると、1回くらいは出会う。
もちろん、うるさい。スピーカーから音楽鑑賞をする方はクラシックやアンビエントミュージックなんて聞かない。ビートの効いたEDMかヒップホップである。
あまりうるさい時は注意しようかと思わないでもないが、ここはアメリカ。先日も電車内で射殺事件があったばかりである。
ちなみにその射殺事件、若者が若者を撃ったんだけど、理由が「目が合ったから」であった。
目撃者によれば
「お前、さっきからオレのこと見てるけどオレのこと知っているのか?あ?」
「え?なに?何のこと?」
「バーン」
といういきさつだったそうだ。目が合っただけで撃たれるご時世、若者の音楽鑑賞の邪魔などしようものなら、どんな目に遭うか分からない。駅に着くまでの数十分を騒音に耐えて命が長らえるなら、こんなにたやすいことはない。
と言うことで、ひたすら耐えるのみ。まあ、タクシーに乗ったってラジオが流れてるもんね。

4.ラッパー乗務員
次の駅の案内や車内の注意事項は基本的に乗務員がマイクで放送する。が、どうもちゃんとしたマニュアルがないようなのである。一定の共通パターンはあるものの、乗務員によってアナウンスはバラバラだ。中にはノリノリのラップ調で車内案内をしてくれる乗務員もいる。これは楽しい。
が。
最初の数駅のラップで興奮しすぎてしまい、だんだんテンションが下がってくる乗務員もいる。
駅が経過するごとにラップのテンションが下がり、ついには次の駅の案内すら投げやりになってしまう。
だから最初に飛ばしすぎるなと言ったろうが!
乗客の心が一つになる瞬間である。

5.ラッパー構内アナウンス
乗務員に較べて、駅の構内アナウンスはあまりファンキーなことはない。決まった文句を読み上げるだけである。が、ここはアメリカ。
先日、電車を待っているとどこからともなくゴキゲンなビートが聞こえてきた。駅の構内スピーカーからであった。良く聞くと、音楽ではなく口ドラム、いわゆるヒューマンビートボックスだ。
どうも駅員が練習中で、スピーカーのスイッチを切り忘れたらしい。
電車が来るまで、口ドラムはずっと続いていた。ひたむきな練習を繰り返している様子がダイレクトに伝わってきた。何ごとも練習が大事だよね。うん。

6.車内でサキソフォーンを吹く人
これはイベントの帰り。車内でサキソフォーンを吹く人に出会った。ミュージシャンらしい人がまわりの乗客に請われて、サキソフォーンを吹き出した。
上手い。さすがである。しかし、近くでロックコンサートとアイスホッケーの試合が終わったばかりの時間帯。車内は立っている人もたくさんいる。この状況でソプラノサックスを吹くのはどうなのか。
演奏をリクエストした人たちは手を叩いてよろこんでいるが、ほかの人たちは割とクール。と言うかムッとしている。
さすがに空気を察したのか、途中で楽器をしまうサックスおじさん。何とも言えない沈黙が車内を支配する。

7.番外編 駅および電車そのもの
電車が時間通りに来ないのはまあふつうなんだけど、どこの駅でもエスカレーターがしょっちゅう故障している。そのたびに止まったエスカレーターを、えっちらおっちら登らなくてはならない。駅によってはものすごーく深い地下にプラットホームがあるため、地上に出るころには太ももがぱんぱんになっている。
故障のアナウンスなんて、もちろんない。「ご迷惑をおかけします」なんて台詞ももちろんない。エスカレーターに差しかかったら、単に動いていないだけ。
それでも誰も文句を言わない。みな淡々と止まったエスカレーターを登りはじめる。大人の対応だと思う。あるいは「そういうものだ」と最初から思っているからか。期待がない分、失望もないのかも知れない。

そんな大人の対応のアメリカ市民であるが、電車のドアが開かないときはさすがに少し感情がぶれるようだ。
駅に電車が到着する。でもドアが開かない。じっと待っているうちに、電車は次の駅を目指して発車する。こういうことがしばしばある。
ドアの前で待っていた乗客の顔が失望に歪み「オゥ…」「ダムン」などの言葉がもれる。中には軽くドアを蹴る乗客もいる。
それでも大半はあきらめて(あきらめるしかないんだけど)次の駅で降りて折り返しの電車に乗る。
こう言う体験を何度かすると、電車が駅に着いてドアが開くかどうか、すごくドキドキする。
しばしの沈黙の後にドアが開くと、それだけでこころの底から「良かった」と思える。
電車のドアが開くだけで安堵の気持ちが湧いてくると言うのは、良いことなのか悪いことなのか。

そして言うまでもなく、しょっちゅう運行は乱れる。都市部の電車にもかかわらず、「次の便は25分後」なんて案内が電光掲示板に出ていたりする。あきらめてベンチに座ると、2分後に電車が来たりする。メチャメチャ。
日本の鉄道会社がこんなことをやったら叩かれそうだけど、ここではこんな状態がずっと続いている。いままでもそうだったし、これからもきっとそのままだろう。
適当でも何とかなるという、一つの証拠にはなる。のかな。

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2016年4月19日 (火)

欠点を最小化する

相変わらず英語のスキルが上がらない。
仕事は何とかこなしているものの、AAミーティングや雑談では、集中して聞いていないと文脈がつかめない。集中力がとぎれると、いきなり会話について行けなくなる。
このままヒアリングが良くならなかったらどうしよう。そう思う反面、最近は「自分はこの国では外国人なんだから、フルセンテンス聞き取れなくて当たり前」とも思えるようになってきた。
まあ、開き直りですね。「おお、なにやら異国の人が異国の言葉でペラペラしゃべっておるな。よしよし」
という感じ。

英語ならではの面白さもある。
きょうのミーティングでは、「性格上の欠点をminimizeする」という表現が出てきた。BBにも載っているのかも知れないが、合理的な表現にハッとさせられた。
minimize、つまり「最小化する」と言うこと。
日本でも「性格上の欠点を取りのぞく」とか「少なくする」「減らす」という表現はよく聞くが、最小化という言葉はよりぴったりくる気がする。
われわれはAAプログラムで自我を収縮することができる。欠点を少なく、小さくすることはできる。でも完全にゼロにはできない。
最小化、という言葉は、少なくする、減らす、と言う言葉よりも的確だ。少なくする/減らすのは、あくまで方向性の表現であるのに対し、最小化と言う言葉は、目標水準を表現している。
目標、つまり「最も可能な限り小さい状態」をめざすこと。

AAプログラムのほかの要素と同様、最小化がどの地点なのかは、人によってちがう。わずかな進歩で満足するしかない場合もあるだろう。でも、それがその人の最小化の状態を目指しているのであれば、それでいいんだと思う。
完璧を目指すのではない。人と較べてもしょうがない。「自分にとっての最小」を目標にすること。

さて、ぼくの性格上の欠点は最小化されているんだろうか。
分からない。
アメリカに来てから落ち込んだり自己憐憫を感じる回数は多くなった。そのたびに、答を探し回っている。
まだまだ回復途上と言うことなんでしょう。

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2016年4月 7日 (木)

4人ミーティング

またまた久しぶりの更新。
今回は、ミーティングについて。
いつも二人ミーティングを繰り返しているマイホームグループだが、先日なんと、合計4人という快挙を成し遂げた。イェーイ!
しかし、二人ミーティングに慣れた身には、何かと調子が狂う。いつもBBの個人の物語の読み合わせをしているんだけど、案配が分からず一人で半分以上読んでしまう。
逆に、自分の話はキンチョーしてすぐに終わってしまう。
慣れている人はいいんだけど、初対面の人にはどうしても「不正確な発音や文法で、ちゃんと聞き取ってもらえていないんじゃないだろうか」という不安がつきまとう。
さらに、どうしても初対面の仲間の話は聞き取りにくい。
ミーティングでの話がつぶやき調になるのはどこの国も変らないようだ。で、モゴモゴしたつぶやき口調は、聞き取りが非常に厳しい。
また通常の二人ミーティングでは、相方がぼくに気兼ねしてゆっくりはっきりしゃべってくれる。難しい単語も避けてくれる。感謝である。
が、米国人4人のミーティングとなると、超スピードになって聞き取り率ががた落ちする。
ネイティブ同志の短く鋭いコミュニケーションは、ほとんど聞き取れない。

とは言え、人数が多いのはやはりうれしい。
このまま4人で定着してくれることを祈るばかりだ。聞き取りも、いずれ慣れるだろう。
肝心なのは中身なんだから、コミュニケーションばかりに気を回しすぎても仕方がない。
それにしても、米国版の個人の物語は非常におもしろい。女性のネイティブアメリカン、ゲイ、肝移植など、バラエティに富んでいる。
マイノリティならではの苦労もあるんだけど、葛藤を乗り越え、最終的には回復の道を歩き出す。
個人の物語のバリエーションが多いのは、とても良いことだと思う。社会全体で見れば、アルコール依存症というだけでマイノリティだ。そこからさらにマイノリティを生み出してはならない、どんな仲間もドロップアウトさせてはならないという、そういう意志を感じる。
各章とも短くて読みやすい。ミーティングでも使いやすい。
何よりも、ビッグブック本文にくらべたら格段に読みやすい、現代の平文で書いてあるのがうれしいです。

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