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2015年12月19日 (土)

待てないアル中さん

アルコール依存症者は「待てない」「すぐ結論に飛びつく」というのは、昔からよく知られている。
白黒思考という言葉は最近あまり聞かなくなったが、依存症者の特徴をよく現していると思う。
結論を急ぐのは、結局のところ、待つことが苦手なんだと思う。少し待って状況が改善してからあらためて判断したり、じっと自分の判断を抑えるのがむずかしいのだ。

こんな論文を見つけた。

「ヤングアダルトの異時点間選択傾向:年齢、アルコール、家族歴との関連」
(Intertemporal Choice Behavior in Emerging Adults and Adults: Effects of Age Interact with Alcohol Use and Family History Status)

アルコール依存症は今すぐの報酬を選択する傾向(Now)が知られている。断酒が続いてもこの傾向は残るため、慢性アルコール依存症の後遺症か、そもそも依存症になる人に特徴的な傾向なのかも知れない。Now傾向は18歳から25歳のヤングアダルト(emerging adults)にも見られるため、年齢による可能性もある。
本研究は1)Now傾向が成人全般に較べてヤングアダルトに高いかどうか 2)Now傾向はアルコール多飲とどう関係するか 3)Now傾向は一親等の飲酒問題と関連するかどうか を調べた。
237人の対象者(18歳から40歳、半分は女性)に対して異時点間選択課題を使ってNow傾向を調べ、飲酒問題はAUDITを使って程度を調べた。
Now傾向は年齢に反比例した。が、大量飲酒者では年齢と無関係だった。AUDITとNow傾向は関連がなかったが、AUDITとNow傾向は26歳から40歳では比例した。さらに、一親等に飲酒問題がある人はそうでない人に較べ、よりNow傾向が高かった。Now傾向はアルコール依存症の遺伝に特徴的なのかも知れない。

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26635580

まとめると
・アルコール依存症は少し先の大きなごほうびより、目先の小さなごほうびに飛びつく(Now傾向、Nowバイアス)。
・これは18-25歳の若者でも見られる。若者は歳を取るとこの傾向が小さくなる。
・が、アルコール依存症は年齢が増してもこの傾向が小さくならず、それどころか飲酒問題がひどくなるとどんどん大きくなっていく。

・アルコール依存症は断酒しても、この傾向はあんまり変わらない。

はい。
アルコール依存症の人は「心理学的に子ども」「目の前のちっちゃなごほうびにすぐ飛びつく」
というデータがまた出てしまいました。
さらに、断酒してもこの傾向が残る、とも書いてある。まあ、分かる。お酒が止まると、だいたいわれわれはすぐに焦って仕事を探したり、あたふたし始めるもんね。

回復の道のりは、だいたいこの逆だ。
いまはじっと依存症の回復に専念すること。第一のものは第一に。
自分を越えた大きな力が、いずれ健康な心に戻してくれると信じること。そのためにミーティングに参加したり12ステップを踏んだり、やるべきことをやること。
一足飛びの回復はなく、少しずつ回復の歩みを着実に進めていく必要があること。

まあ、こういうことをニューカマーに言うとそっぽを向かれちゃったりするんですが。でも真実だよね。

すぐに結果を出したがる。未来の結果、未来の回復が信じられずに目の前のちっちゃなごほうびに飛びつく。そしてそれは、ただ断酒歴を重ねたからといって変わらない。
それは病気がもたらした心理傾向、一種の「症状」なのかも知れない。あるいは上の論文にあるように、もとから依存症になりやすい人に共通した傾向なのかも知れない。
いずれにせよわれわれは、その傾向に気づき、それを手放すようにしていかなければ。

え?AAに来ればそれは直るのかって?
それは、周りにいる回復した先輩を見れば分かると思う。いい感じのソブラエティを得ている仲間は、みんな元気で感情的に安定していて、目先のことに一喜一憂しない。少なくとも、そうなろうとしているように見える人が多い。
専門書を読むと、AAプログラムは認知行動療法やサイコセラピーなど、ほかの治療法と同等の効果を持つと書いてある。同じ効果を持つのなら、くり返したくさんやれば効果が上がるのは目に見えている。
認知行動療法と同じ効果のものを何年もずーっとやっていれば、そりゃ効果はあるよね。

たしかに、待つのは苦しい。忍耐が要る。
たとえ小さいごほうびだと分かっていても、目の前の結論に飛びつきたくなる。白黒はっきりさせて、イヤな気持ちを逃れたい。
ぼくも目先の苦しさに負けて、異国の職場なんてどうせなじめなっこない、上司を説得して日本に帰っちゃおうと思うことがよくある。毎日のようにある。
でも、やっぱりそれは目先の考えだ。目の前のちっちゃなごほうびにすぎない。AA流に言えば「病んだ頭が考えた、病気の考え」だ。

こういうときに「今日一日」という考え方は良く効く。上の研究の言う「Now傾向」を先人はよく知っていて、それを乗り越えるために作ったマインドセットが「今日一日」という概念じゃないかと思う。

明日が今日よりましかどうかなんて分からない。半年先、一年後も分からない。
だけどぼくたちは、地道な努力を続けていけば成果につながることを知っている。少なくとも知識としては知っている。
感情に振り回されて目先の結論に飛びつかないこと。今日一日の先にあるものを信じること。自分を越えた大きな力が、私たちに健康な心を取り戻してくれると信じること。
だいじょうぶ。ぼくたちには最強のプログラムがあり、世界中に最高の仲間がいるんだから。

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2015年12月17日 (木)

食べ物がデカい!の巻

渡米してからというもの、外食の回数がぐっと減っている。
理由はふたつ。
ひとつは、単純に値段が高いから。
こちらの外食は、カフェテリア形式の安めのお店でもだいたい一人一食10ドルから12ドルくらいかかる。日本円にして1,200円から1,500円くらい。そうそう気軽には食べれない。
もうひとつは、量がハンパないから。
タコスのお店でタコスとコーラとトルティーヤチップのコンボで9ドルちょっと位なんだけど、タコスが腹ははち切れるくらいのボリュームで出てくる。
アメリカの人たちはこんなのふつうに食べているのか?!
驚いて周りを見渡すと、二人で分け合って食べていたり、包んで家に持ち帰ったりしている。そうか、そうだよね。さすがにこんな量は食べられないよね。
しかし。
アメリカ人でも食べきれないくらいの量が一人前というのは、ちょっといかがなものか。
半額にして量も半分にするのがフツーの考えではないのか。
うーん。

日本の定食が懐かしい。大戸屋が恋しい。
多くもなく少なくもなく適度なボリュームで、小鉢やらミニサラダがついているのはすばらしい。

ちなみに日本食も売っているんだけどやたら高い。スーパーの総菜売り場で寿司セットが売られているが、15ドルもする。日本のコープの寿司セットと同じような中身と量なのに、円に換算すると3倍もする。あああ。とても買えない。
あとケーキ類も基本スポンジばっかりである。アメリカ人はカップケーキとかドーナツとか、粉もんが大好きだ。日本みたいにクリームやフルーツがたっぷり入ったケーキはあまりない。
写真は、その貴重な日本風ケーキを売っているスーパー。
なぜオレオをケーキに載せるアメリカ人。
日本で言えばハッピーターンを大福に載せるような暴挙だぞ、それ。
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2015年12月16日 (水)

洋服が縮んでいくの巻

たまには気軽なネタも書きましょう。
アメリカは文化や風習に加え、さまざまな環境が日本とはちがう。
たとえば、洗濯物を外に干す習慣がない。洗濯物は、室内の乾燥機のドラムに入れてごんごんと回すのである。
ぼくのアパートメントにも洗濯機と乾燥機がしつらえてある。アメリカのアパートメントは洗濯機、乾燥機、冷蔵庫は備え付けの場合が多い。数年程度しかいない外国人にはありがたい習慣だ。
で、乾燥機を使って洗濯物を乾かすんだけど、これがまた驚くほど洋服が縮む。
妻のルームウェアはすそが床に着く長さだったんだが、いまやクロップパンツ。くるぶしよりも上にすそが来てしまっている。
ぼくの衣類も、どんどん縮んでいく。Tシャツもズボンも、洗うたびにぴったりサイズになっていく。
Tシャツなんて、いまやほとんどチクビの形が浮いて見えるではないか。

これはまずい。

まあ、いい点もある。日本でオーバーサイズで着にくかったTシャツも、数回洗濯すればジャストサイズになる。でもそういう場合はごく少数で、大多数の洋服はどんどん縮み、サイズが合わなくなってくる。
外に干すわけにはいかない。そもそもうちのアパートメントにはベランダがない。あったとしても州の決まりで外干しはダメっぽい。
コマッタ。

こんなこともあろうかと、日本から洗濯物干しを4つばかり持ってきた。洗濯ばさみがたくさんぶら下がっている、ふだんわれわれが日常的に使うアレである。ちなみにアメリカでは売ってない。
よかった。これを鴨居に引っかけて洗濯物を干せば問題ない。OK。

が。
アパート内に鴨居がないんである。
ドア枠はあるんだけど、上部分に洗濯物干しを引っかけるだけのスペースがない。アメリカの製品は、たいがいのものは無駄に巨大に作ってあるのに、こういうところだけなぜかスリムに作ってある。
むー。

結局、縮んでは困るもの(Tシャツやズボン類)はむりやりに自然乾燥。縮んでも許容できるもの(下着や靴下など)は乾燥機と、分けて干している。ありがとう妻よ。
乾燥機自体がはじめてなんでよく分からないんだけど、日本の乾燥機は縮まないんだろうか?
まあ、こんなにおもしろいように縮んでいく話は聞いたことがないんで、きっとだいじょうぶなんでしょうね。メイドインジャパン。

アメリカ人よ、もうちょっとお手柔らかに乾燥機を作ってくれ。
一抱えの洗濯物が20分で乾くとか、なぜそんなに強力なのだ。
多少時間がかかってもいいから、縮まないように乾かしてくださいよホント。

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2015年12月 9日 (水)

self-pityのワナ

ここ一ヶ月ほどは、週一ペースでミーティングに行っている。
が、ぼくの行っているミーティングは、なんと常に二人ミーティング。ぼくともう一人のみ。
さいわい相方はとても良い方で、いろいろ気づかってくれる。二人ミーティングなので、だいたいすぐ終わってしまう。後は雑談とか、ちょっとした情報交換だ。

え?もうちょっと色んなミーティングに行った方がいいって?
そうです。そのとおりです。
そうなんですが、はっきり申し上げて、夜に外出するのがちょっと怖いんですね。
ぼくが済んでいるあたりは治安の良い部類に入るけど、それでも人気のないあたりを徒歩で歩くのは勇気が要る。
クルマも手に入れたけど、夜間の右側運転、それも都市部となるとちょっと自信がない。
そういうワケで、職場に近い二人ミーティングのみしか行けていないのであります。

で、その二人ミーティング。
BBの読み合わせをやっている。なんと、個人の物語のところだ。
アメリカ版BBの個人の物語は、収録作品がとても多い。その上、一編一編が短くて、文章も簡単な表現が多く読みやすい。
(ビルの書いた本体部分の読みにくいことと言ったら。。。)

きょう読み合わせたところは、生まれつき目の見えない女性のアルコホリクの話だ。
self-pityという言葉が飛び込んできた。自己憐憫。
たしかにその女性のアルコホリクは不幸だった。望まれずに生まれ、生まれついてのハンディキャップを抱え、望まぬ結婚をした。飲む理由、飲むことを正当化する理由は山ほどあった。

でも彼女は自己憐憫から抜け出した。AAに来てプログラムを行い、酒をやめた。生き方を変えた。
自己に同情するのをやめ、自分を変えることにした。

読んでいて、自分が恥ずかしくなった。
ぼくはいま、self-pityに陥っている。アメリカを恨み、アメリカ人の不親切なビジネス習慣を呪い、英語力のない自分をさげすんでいる。
これじゃダメだ。これではいけない。
自己憐憫から得るものは、何もない。そこから生まれるのはとめどない被害者意識と、自分が変わらないことへの自己正当化だけだ。結果、立ち上がる力を失ってしまう。

ぼくたちにはAAと12ステップがある。酒をやめた、アルコール問題をくぐり抜けたという実績がある。そして世界中に仲間がいる。
言葉が通じないのは大きな問題だけど、それを越えた共通の経験がある。
いま抱えている問題、いま直面している問題も、きっと乗り越えられる。
そのためにはself-pityを手放すこと。手放せるよう、祈ること。おっとその前に、まず自分がその問題を抱えているってことを認めなくっちゃね。
もう一度、12ステップに帰ろう。

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