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2015年11月30日 (月)

英語ができない人向けワークショップは英語ができる人たちばかりだったの巻

ええと、あいかわらず英語で苦労しておりますが、何とか元気でやっております。

先日は外国籍職員向けの「英語でコミュニケーションを改善しよう」ワークショップに参加してきた。
「英語でのコミュニケーションに支障を感じている人向け」のワークショップでありながら、説明や講義がすべて早口の英語という矛盾。が、このパターンはアメリカ人のイベントすべてに共通することだ。
驚いたのは、他の参加者の英語が達者なこと。
フランス、スペインなどヨーロッパからの参加者は、ぼくから見るとワークショップに参加する必要なんて内容に見える。英語ペラッペラ。さすがアルファベットで育った国はちがうな。
アジアからの参加者も半分くらいいた。中国、韓国の人たちはほんとうに英語が達者だ。インドからの参加者は、これ見よがしにむずかしい単語を早口で並べ立てる。分かったから。君が英語に堪能なのはよく分かったから。もう少しゆっくりしゃべってくれないかな。
日本人の参加者も数名。みなあまりしゃべらない。おお、同志よ。英語が苦手なジャパニーズよ。
…と思ったら。
口を開いたら、日本人参加者も相当な英語の使い手だった。スピードが遅いだけで文法も単語の選び方も適切だ。
どうやらこのワークショップでは、ぼくがいちばん英語スキルが乏しいらしい。

レジメを渡される。
「はい、4人ずつ組になって。レジメの場面を互いにロールプレイしてみましょう」
5,6行の練習場面が記されている。上司から無茶な要求をされて上手に断る場面。同僚が次のポストを見つけてさっさと退社するので(アメリカらしい話だ)、忙しい合間を縫って引き継ぎを頼む場面。などなど。
2分ほどで「はい、じゃあ組になって」あのう、私、まだ2行くらいしか読めてないんですが…。

ワークショップの内容がどうこうと言うより、レジメの内容が読めていなかったり、講師の説明の聞き取りが足りなかったりと、自分の英語力不足をひたすら痛感して帰ってきた。
他の参加者は内容を論議していたが、ぼくは内容以前の問題だった。
不安。
こんなことでこの先やっていけるんだろうか。
これから業務が本格化してきたとき、語学力の不足ゆえに大失態をやらかすんじゃないだろうか。
早々に日本に呼び戻されるんじゃないだろうか。

ありのままの自分を受け入れると言うことは、時にとてもむずかしい。
実際に語学力が低い上に、おそれや不安、劣等感にさいなまされている。気後れして口ごもるから、ただでさえ伝わりにくい英語がますます伝わらなくなる。悪循環だ。

ステップ3,すべてを神の配慮にゆだねる決心をする。
いまぼくが感じていること、体験していることはすべて意味がある。いままでもそうだった。
英語ができないのなら、訓練すればいい。すぐにはムリでも、少しずつスキルは向上する。

邪魔になっているのは、自分の感情だけ。負の感情、おそれ、不安、劣等感。
取りのぞいてもらえるように祈る。そして自分がやるべきことを粛々と行う。
その先にはきっと、用意された場所があるはずなんだ。

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2015年11月14日 (土)

英語ができません

アメリカに来て1ヶ月が経った。つらすぎ。
日々がんばってはいるものの、日に日に気持ちが暗くなっていく。
すみません、当分グチっぽい、暗いブログになりそうです。

何がつらいって、まず英語がつらい。
渡米するまでは、英語にはそれなりに自信があった。なにせいままで旅行、出張は何回もしてきたし、それなりにどうにかなってきた。渡米前に受けていた英語のレッスンでも好評を得ていた。
が、アメリカに来たらゼンゼン自分の英語が通じない。
マシンガンのような高速イングリッシュ、オマケにitとかhimとかhaveとか、省略されがちな単語は連なって聞こえてさっぱり分からない。
たとえばHe has it. なんて言葉だったら「へはし」としか聞こえない。長いセンテンスは、デュワッとかヘヤッとしか聞こえない。ウルトラマンか。
自分の英語も、3回に2回は聞き返される。まあそれでも、自分から話しかける分にはいい。
問題は、こちらが問いかけたことに相手が返答しても、何を言っているのか分からない点である。したがって、会話が成り立たない。もちろん聞き返せば良いのだけれど、一回の会話で3回も4回も聞き返すのはさすがに気が引ける。で、会話に対してものすごく消極的になる。

文化の違いも大きい。アジア圏だったらまたちがう反応だろう。
以前にタイに行ったときは、タイの人と英語で会話した。こちらが聞き取れていないと感じたら、タイの方の多くはゆっくり言い直してくれたり、別の表現にしてくれたりした。
アメリカ人はちがう。ペラペラペラッっと超スピードで話しかけ、こちらが対応に困っていると、さらに超スピードで別の説明を追加してくる。
で、挙げ句の果てに「分かんない?キミは英語学校に行った方がいいよ」と言ってきたりする。相手に話が通じていないからゆっくり話そうとか分かりやすい表現にしようとか言う発想は、基本的にない。
(正確に言うと、そういう発想を持たない人の割合が多い。ぼくの周囲には)
相手の反応を見て配慮するのは、アジア圏の文化なのであろう。アメリカでは期待できない。

ちなみに、この「キミは英語学校に行った方がいいよ」はけっこう傷ついた。
そんなことは自分でも分かっているし、夜間のイングリッシュスクールには行くつもりだ。でも、そういうことを言う前にもうちょっとスピードを落としてくれてもいいじゃんと、すこしだけ、すこーしだけ心の片隅で思う。

職場の初日に、若手アメリカ人職員のランチに誘われた。飛び交う英語が理解できない。初日以降はお誘いがない。
まあ、アメリカ人だってカタコトの日本人をグループに入れるより、気心の知れた同志でランチをしている方が気が楽だろう。自分から飛び込んでいこうかとも思ったが、彼らの高速イングリッシュについて行けないのは目に見えている。

英語ができないとどうなるかというと、コミュニケーションに対して回避的になる。
職場で孤立する。基本的にアメリカ人はおしゃべり大好きで仕事中もしょっちゅうべらべらしゃべっているが、ぼくは輪に入れない。
仕方ない、とは思う。
思うんだけど、でも別のアメリカ人の新人が部署に挨拶まわりに来たときに、自分だけ紹介を飛ばされるというのはけっこうきついことである。
ぼくよりあとに来た若いアメリカ人社員は、すぐにまわりに溶け込んで、楽しそうにおしゃべりに興じている。
くらべても仕方ない。仕方ないのは分かっている。けど。

言葉で言わないと何も伝わらない国。その国で言葉が使えないという、とてつもない不自由さ。
負けてたまるか、と思う。
英語なんて、たかが道具だ。使えないなら使えるようになるまでだ。箸や自転車といっしょだ。
箸が使えないってだけで除け者にされてたまるか。評価されてたまるか。
壁があるなら、乗り越えるまでだ。

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2015年11月 8日 (日)

ちょっとショックなミーティング

こちらにきて2回目のAAミーティングに行ってきた。
前回とは別の会場だ。地理的にはかなりさびしいところである。
日が暮れて街灯もなく、あたりは真っ暗。スクラップ工場の錆びたフェンス沿いに、人気のない道を15分ほど歩いて会場にたどり着く。会場も電気が付いておらず、真っ暗だ。
ドアの前で大男が背中を丸めてしゃがみ込み、タバコを吸っている。
話しかけてみたら、会場チェアパーソンだった。よかった。
まあ、結果的にはとても良い人だったんだけど、やはり知らない国の知らない会場を一人で訪ねていくのはかなり勇気のいることではある。

この日のミーティングはあまり盛り上がらなかった。集まった仲間は15人ほど。
ミーティング形式はディスカッション。テーマについてディスカッションをするのかと思ったら、他の仲間のスピーチに別の仲間がツッコミ(意見)を入れるという、日本のAAでは「禁じ手」のスタイルであった。
長老格の仲間が、他の仲間のスピーチの途中で意見を述べる。
詳しいニュアンスは分からない。ぼくの英語力ではまったくやり取りが見えない。
しかし、意見を言われた仲間が気分を害したのは理解できた。だって、話し終えたら立ち上がって帰っちゃったもん。
衝撃。
仲間の話の途中で意見を入れる長老。ムッとして帰る仲間。動揺するワタクシ。ありふれた光景なのか、まったく動じないほかのメンバー。
1時間のミーティングが終わると、みんなで手をつないで平安の祈り。
が、これも通常バージョンより相当長い。最後の方は「神の王国がなんたら」とか言っていた。
どこから引用してきたんだろう。聖書だろうか。すこし独自色が強いグループなのかも知れない。

しかし、この日いちばんショックだったのは献金だ。
ミーティングの途中で仲間の一人がバスケットを持ち、献金を募って回る。ぼくがトップバッター。5ドル紙幣を入れる。
次の仲間、1ドル紙幣。その次の仲間も1ドル。
しかしそれ以降の仲間はみな「ノー」と首を横に振って断るではないか。
えっ?!献金バスケットを断るの、アリ?!

15人ほどのミーティングだったけど、結局この日は7ドルしか献金は集まらなかった。
やはりこれがアメリカ、格差社会の一側面なのだろうか。でもみんなタバコは吸っていたし、お金が全くないわけではないだろうし…色んな考えが頭をよぎる。
これまたありふれた光景なのか、混乱するぼくをよそに、ミーティングは淡々と進み、終わった。

アメリカ。AA発祥の地。巨大コンベンションを開催できる国。
職場のメルアドで肩書き付きの実名メールをくれる国。
一方、7ドルしか献金が集まらない国。
頭が混乱しそうだ。

アメリカを論じれる立場じゃないけど、この国のキーワードの一つに「Diversity」という単語がある。ぼくのこちらの職場のオリエンテーションでもこの言葉が取り上げられていた。
「多様性」。人とちがっていること。いろんな種類のものが同時に存在すること。
まさにアメリカのダイバーシティの一面を見た。そんな感慨を抱いて帰路に就いたミーティングだった。

それにしても、人気も灯りもない夜の工場地帯をとぼとぼ歩いてミーティングに行くのはデンジャラスなムードがただよう。今度からはクルマにしようっと。

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2015年11月 4日 (水)

初ミーティング

行ってきました、AAミーティング!
こちらに来てから初めてのミーティング。いやー、良かったです。
やっぱりわれわれにはAAミーティングが必要だと言うことがよく分かりました。

まず道のりが遠かった。どういうわけか、地図と現実の道路が食いちがっている。辺りを見回して、一軒一軒のの番地を確認するしかない。
こちらの良いところは、家や建物の分かりやすいところに番地が書いてある点。4321とか5678とか、だいたい4ケタの番号。それとストリートの名前で見当がつく。
家々の番地を確認しながら歩いていたら、おまわりさんに声をかけられる。

腰にばかでかい拳銃をぶらさげている巨体の警官がにこにこしながら話しかけてくる。
「なにか探しているのかい?」
「えー、えーと。この番地を探しているんです」
必死で笑顔を作るが、腰の拳銃から視線が離れない。日本のおまわりさんもピストルをぶら下げているけど、だいたいホルスターで銃身全体が覆われている。こっちの拳銃はグリップがもろに見えている。
撃つ気になれば瞬時に撃てる態勢である。さ、さすがアメリカ。
「それだったらスポーツクラブの近くだよ。君は身体を鍛えに行くのかい?上半身を鍛えた方が良いよ!はっはっは!」
「はっはっは。はっはっは…」
力なく愛想笑いを返すワタクシ。悪かったな、貧弱なボディで。

そんなおまわりさんの助けも借りて、何とかミーティング会場にたどり着いた。が、時間を過ぎているのに鍵がかかっている。入れない。
今日は休みだったか…ま、場所も分かったし。出直すか。
そう思った瞬間、後ろから声をかけられる。鍵のかかったドアを開けようとしていたもんな。また警官か。まずい。。。
けど、それは仲間だったのでした。

彼によれば、この会場は週に二回で、きょうはとくに人の少ない曜日の方なんだそう。
結局、彼と二人でBBを読んで、ミーティングをした。BBは、個人の物語の後半の方。英語版BBは持っていたけど、個人の物語までは読んでいなかった。たくさんあるしね。
でも、すごく良かった。もちろん、彼が読み上げる速さでは理解がついて行かないんだけど、それでもすごく胸に染みた。
ああ、AAって、仲間って、BBっていいなあ。
他の会場情報ももらい、メルアドを交換し、記念すべき初ミーティングは終了した。
世界中どこに行っても仲間がいるってのは、すごいことだ。われわれは決して孤独じゃない。求めれば、そこにAAはある。単に酒をやめるだけではなく、飲まないでどう生きるかを真剣に模索している人たちが、世界中にいる。
とても気持ちが和らいだ。

帰ったらすぐに、彼からメールが来た。
あのう。
職場のメルアドなんですけど。んでもって、あなたの本名から職場の肩書きからぜんぶ書いてあるんですけど。
さ、さすがアメリカ。アノニミティなんてネヴァーマインドだぜ…。

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