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2015年10月29日 (木)

ジョギングできずに泣くの巻

秋が深まっている。
アメリカに来てはや一ヶ月。あいかわらず環境のちがいにはうまくなじめない。
ジョギングができないのには参った。や、やってもいいんだけど、クルマが怖くてなかなか走れない。
アメリカには、右折車はクルマが来なければ信号が赤でも交差点を曲がって良いという規則がある。
ジョギングをしていて交差点にさしかかる。青信号だからそのまま進むんだけど、この右折OKルールで交差点に入ってくるクルマがいる。歩行者を見てくれていればいいんだけど、往々にしてジョガーは見逃されがち。気をつけないとひかれそう。
加えてアメリカはやたら道路が広く、片側3車線、4車線は当たり前。みんなばんばんスピードを出している。
高速道路なみの道路を横切るのは、かなりの恐怖である。
先日の朝ランで2回ほど怖い思いをしたため、しばらくジョギングは控えている。

もうちょっと注意して運転してくれアメリカン。。。

AAは、まだ行けてない。一駅先にミーティング会場があるのは確認したんだけど、夜に出歩くのが気が進まないのである。こちらの駅は、暗くなるとハンパなく怖い雰囲気がただよう。
通勤客は5時台でもそれほど多くなく、7時を過ぎると電車はがらがらだ。駅周辺にお店などない。人通りもない。日本の田舎の午前2時くらいの感じ。
電車自体、朝晩の混雑時以外は30分に一本だ。
クルマが怖いとか夜が怖いとか子どもみたいなことを言っていると自分でも思うんだけど、ほんと怖いんだもん。
うーん。うーん。

嘆いていても仕方ない。とにかく適応するしかないのである。
がんばりましょう。
こんな時でもよく飲まないでやっているな、オレ(自画自賛)。

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2015年10月15日 (木)

生きていくのはたいへんだ

引っ越して2週間が経った。新しい職場も、きょうで二日目。
…。
……。
かなり弱っています。

新しい職場は米国。
東海岸のどこか、とだけ書いておく。
まわりは全員アメリカ人。話すのも、聞くのも、書くのも、読むのも英語。
米国行きの話が出たとき、漠然と何とかなるだろうと思っていた。
主張や旅行で海外には行っていたし、とくに外国で困ることも最近はなかった。
でも、出張や旅行で海外に行くのと、実際に英語圏で仕事をするのとでは、まったくちがう。
トラベル英会話程度ではどうにもならないことを、いま骨身に染みて実感している。

今のところぼくにできる業務はない。
会議に参加したり、業務の背景となる知識をオンライントレーニングで受けているだけだ。
しかし、会議に参加しても、そこで話し合われている内容がちっとも分からない。レジメに沿っているぶんにはまだついて行けるが、レジメから離れた議論になるととたんについて行けなくなる。
頭が真っ白である。
会議のあと、ボスから「6週間経ったらキミにも発表してもらうからね」と恐ろしいことを言われる。

もちろん、まわりのアメリカ人たちは気をつかってくれる。ありがたいことである。
でも、気をつかって話しかけられても、早口だったり聞き取りにくかったりすると、あっという間に意味が取れなくなる。分からない単語が出てきて記憶の底を探っているうちに、会話は流れて「OK?」と言われる。分からなくても「OK」と答える以外、なんと言えばいいんだろう。
あるいは、PCに向かってオンライントレーニングを受けている最中も、まわりは英語で楽しく談笑し、打ち解けた雰囲気ができあがっている。ついていけてないのはぼくだけだ。
言葉のちがう国、文化も風習もちがう国にいるんだということを、いやでも実感する。

構われてもつらい。構われなくてもつらい。
朝、目が覚める。職場に出かける準備をする。
ドアを開けて外に出るためには、ありったけのやる気をかき集めなくっちゃいけない。

人気のない駅のホームで、知らないおばさんに手招きされた。

次の電車はいつ来るんだい?
分かりません。電光掲示板が消えているし、ぼくも待っているんですが。
そうかい。ところでⅠドル持っていたらくれないかい?
すみません。持ち合わせがないんです。

おばさんは、もう用はないよという風にぼくを手で追い払った。
きょう、フルセンテンスを聞き取れたのはこの会話だけだった。ありがとう、おばちゃん。

この状況、何かに似ている。
酒をやめ初めのころだ。
飲まずに一日を過ごすだけでへとへとだった。常に神経がささくれ立っていた。
人に優しくされても、優しくされなくても、気持ちが落ち着かなかった。
酒という安定剤なしで生きていくことが、こんなにつらいとは思わなかった。
感情の針はネガティブな方向にぶれっぱなしだった。

だいじょうぶ。ソブラエティと同じ。
この状況がずっと続くわけじゃないことを、ぼくは、ぼくたちはAAを通じて学んだ。
あんなにつらかったけど、酒だってやめられたんだ。言葉の壁だって、きっと越えられる。
先のことを考えすぎないこと。
酒をやめたときと同じ。目の前の今日一日に集中すること。
うまく行っても行かなくても、手放すこと。神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めること。
なるべく笑うようにすること。
感情のソブラエティを、ステップを使って生きていくことを、神さまに試されているのかも知れないね。

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2015年10月10日 (土)

引っ越し断捨離大作戦その2

引っ越しに持っていく荷物は、ダンボール30箱分。
そう決めた。
しかし結果的には50箱を越えた。完敗である。なぜか。

敗因のひとつは、やはりオークションだろう。
もっと早く、半年くらい前からオークションで処分を始めていればよかった。
土壇場、残り3週間を切ってからヤフオク処分を始めたため、時間と労力を取られてしまった。
結局、捨てるかどうか吟味不十分なものまでパッキングしてしまった。

あとひとつは、ぼくが住むY市のゴミ処理システムだ。
Y市は分別が厳しい。ちょっとでも分別をまちがえると、容赦なく回収拒否の憂き目に遭う。
燃えるゴミ、プラ、缶瓶ペットボトルは毎週だが、粗大ゴミ、不燃物、資源ゴミは2週間に一度だ。引っ越しで大量に出るゴミの大半が不燃物、粗大ゴミだ。とても間に合わない。
しかも粗大、不燃の仕分けがもうワケが分からない。
ポリバケツは不燃物。デジカメは粗大ゴミ。フィルムカメラは不燃物。ICレコーダーは粗大ゴミ。タオル、洋服は資源ゴミ。
引っ越しに伴う大量の不要品を、それぞれのルールで分別し、それぞれのルールで捨てに行く。
資源ゴミはサンデーリサイクルへ持ち込む。粗大・不燃ゴミは処理上にクルマで運ぶ。
指定日以外のプラ、缶瓶ペットはまたちがう場所に持ち込む。
しかもそれぞれにお金がかかる。処分代は合計で1万円を超えた。
クルマに不要品を積み込み、処理場に持ち込み、書類に記入して…なんてやっていると1往復だけで1時間以上かかる。
ゴミを捨てるというのは、こんなにも手間ひまとお金がかかるものか。

ゴミ分別、リサイクルの仕組みは自治体ごとにちがう。となりの市ではポリバケツはプラスチック分別だと聞いた。まあ、仕方ない。自分の自治体のルールに従うしかない。
しかし、こんな細かいルールを自治体の全員が遵守して朝8時までに出せているのだろうか。
とくに2週間に一度の資源ゴミは雨が降ったら紙類は回収されないし、出張の多い人とかお年寄りとかはそうとう困難なのではないだろうか。ううむ。

最終的には、どうしても捨てられないゴミは処分屋さんにお願いした。ダイニングセット、こたつ、本棚、冷蔵庫、洗濯機などである。処分屋さんでも対応できなかった細かいゴミは、教えてもらった民間の処理場に持ち込んだ。
現代の日本において不要品を処分するというのは、こんなにもたいへんなのだと思い知った。

ホント、これからはムダなもの、大型のものは購入しないようにしようと思いましたよ。
ものを買うのは楽だし、大きなものならたいがいのお店が配送してくれる。けど、処分するときはほんとうにたいへん。
身軽に、スーツケースひとつで引っ越しできるくらいに生きていくのがいちばんいいんじゃないかな。
わずか3年半の関東暮らしだったけど、こんなに不要品がたまっているとは知らなかったです。
定期的な棚卸しは必要だと思いましたよ。

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2015年10月 8日 (木)

引っ越し断捨離大作戦その1

9月下旬は引っ越し準備で大わらわ。
今度の転居先はあまり多くのものを持ち込めない。いま持っている持ち物の相当部分を処分しなければいけない。
処分方法はいくつかの方法を考えた。

1.ヤフオクで売る。
2.人にあげる。
3.捨てる。
4.実家や他の人、レンタル倉庫などにあずける。

最初は1のヤフオクが良いように思えた。処分とお金、一挙両得だ。いいじゃーん。
…が、早々にこの方法はやめた。実際には30品目をヤフオクで売りさばいたけど、そこまで。
理由はカンタン。時間と手間暇がかかりすぎる。
写真を撮り、売り文句を書き、掲載する。質問に答える。
そして出品してから落札までに数日がかかる。さらにその後、まったく連絡をよこさない人、なかなか入金してくれない人、色んな人がいる。一人ならともかく、複数点数を出品してそういう人たちに催促の連絡をするのは骨が折れる。
日常業務、引っ越し準備をしながらオークションを何十点も出品するのは不可能だ。
結局、輸送中に破損が生じた件を機にオークションはやめた。手間ひま、相手への配慮、運送業者とのやり取りにあまりに労力がかかる。

あとはもう割り切って、ギターやアンプは人にあげたり保管をお願いした。保管と言っても、もし気に入ってもらえたらあげちゃうという約束である。
これならいっそ気持ちがいい。もったいないとも思うが、アンプやギターやエフェクターを弾かないまま保管している方がよっぽどもったいない。道具は人に使ってもらってこそ道具である。

あとは廃棄。
2世代くらい前のオーディオインターフェース、特にFireWireのものなどはもったいないけど廃棄。自分でも使わず人にも使ってもらえない。オークションでも売れない。いままではそこで施行停止し「取りあえずしまっておく」作戦だったけど、今回は一挙に廃棄。
他にも使っていないMIDIケーブル、ギター用シールド、マイクスタンド、いろいろ捨てた。基準はただひとつ。過去2年以内に使ったことがあるかどうか。使ってないものは不要品と判断。一気に捨てた。
あとはどうしても捨てられない思い出の品は、レンタル倉庫にあずけた。
たくさんのLPレコード。レコードプレーヤー。どうしても捨てられないCD。Rolandのジャズコーラス、JC-120。
いちばん困るのは人からもらったお土産だ。記念品、お守り、ご当地Tシャツ。これらも選抜に選抜を重ね、もらった人のご厚意に感謝して、紙袋に丁重に入れて捨てた。

エクストレイルの荷台、後部座席をたたんで拡張したスペース3杯分、人にあげたり委託した。
5杯分以上、ゴミ処理場に運んだ。もちろんそれ以上にゴミの日にせっせと運び出した。わが生涯でこれだけポリ袋を消費したのは初めてである。50袋以上じゃないだろうか。
それでも捨てきれず、大量の品物が残った。
この項つづく。

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