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2015年3月21日 (土)

フジロック2015、続々アーティスト発表

フジロックの出演アーティストが続々発表になっている。
今年はスゴいぞ。

LINE UP|FUJI ROCK FESTIVAL '15|フジロックフェスティバル '15

フー・ファイターズ。MUSE。モーターヘッド。ハッピーマンデイズ。ジョニー・マー。キティー・デイジー&ルイス。オブ・モンスターズ。奥田民生。岡村靖幸。ライド。トッド・ラングレン。ウィルコ・ジョンソン。

フーファイ、モーターヘッドとキティー・デイジー&ルイスだけでもお腹いっぱい。
オブ・モンスターズは例の「リトル・トークス」のかけ声「ヘイ!」で盛り上がることまちがいなし。
このバンド、いいんだわ。哀愁を帯びた北欧フォークサウンド。
メンバーのルックスがイケてないのもポイントが高い。こういうフツーのオッチャンバンドって大好きです。
今年のフジロックはイケない可能性が高いけど、こうしてラインナップを見ているだけでも楽しい。
オブ・モンスターズはきっとまたホワイトだろうな。晴天より曇天が似合うだろうな。
フーファイは雨の中でトリをつとめてほしい。
寒い苗場の夜、踊り狂うファンの身体から沸き立つ湯気が見えるだろう。
ウィルコはレッドマーキーの夜を盛り上げるだろう。ゲストに鮎川誠が出てきたらみんな大喜びだろうな。

目を閉じてそんなことを考えていると、苗場にいるような気になるから不思議なものだ。
大トリはもちろんフーファイ、その裏のホワイトで先にモーターヘッドが始まっている。
フーファイのステージ中盤から、モーターヘッドを見終えた客がなだれ込んできてさらに盛り上がる。
ああ行きたいなフジロック。

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2015年3月17日 (火)

回復の定義とは

回復って何だろう。
アルコール依存症からの回復とは、どんなことなんだろう。
最近また分からなくなってきた。以前はもう少しはっきり分かっていたような気がするけど。ミーティングが足りないせいかもしれない。

誰もが「回復」という言葉を口にするけれど、その定義はすごくあいまいだ。
ある人にとっては酒を口にしない状態を言うし、ある人にとってはよりよい生き方を指す。
われわれみんなが使う言葉だけど、ひょっとしたら同じ言葉を口にしながらみんなゼンゼン違うイメージを抱いているのかも知れない。

さて、こういうときこそウェブサイトである。インターネッツである。
回復の定義、調べてみました。
NCADD(National Council on Alcoholism and Drud Dependence, Inc.)という組織が、HPにこんな記事を載せていた。Definition of Recovery。回復の定義。

https://ncadd.org/recovery-support/definition

冒頭で色んな経緯を述べたあと、最終的にはSubstance Abuse and Mental Health Services Administration (SAMHSA) という機関の文言を引用している。

SAMHSAの回復の原則
・自発的であること。
・多様な道のりでかまわない。
・(部分的ではなく)全体的であること。
・仲間によってサポートされていること。
・対人関係に支えられていること。
・文化に根ざし、影響されうる。
・トラウマへの対処がなされていること。
・個人、家族、コミュニティに関わり、責任を持つこと。
・他者への尊重を持つこと。
・希望に基づくこと。

うーん。なんだかよく分からない。さらに以下の4つの領域が回復を支える、としている。
1.健康。疾病を克服・管理し、同時に身体的にも感情的にも健康な生き方をすること。
2.家。回復を支えるための安定して安全な生活の場を持つこと。
3.目的。仕事、学業、ボランティア、家族のケア、創造的な取り組みなど、意味のある日常の活動をすること。
4.支え、友情、愛、希望をもたらす人間関係や社会ネットワークを持つこと。

こっちの方がまだ分かりやすい。
要するに社会に参加し、有意義な人間関係を持つこと、社会の一員として支え合いをすること、ということか。
ほかにもいろんな組織の回復の定義を引用しているけど、割愛。
ざっと見たところ、対人関係、社会性を重要視しているのが分かる。
いくら酒やクスリが止まっていても、人を恨んで安定した対人関係が築けなかったり、社会から退却していたのでは回復とは言えない、ってことだ。
もちろん依存物質が止まっていなければ話にならないんだけど、回復の定義を見ていると、そこんところは手段あるいは経路であって、回復の目標ではないようだ。

まあ、考えてみたらわれわれアルコホーリクが困るのは健康面もあるけれど、多くは社会的なトラブルだ。
家族を不幸に叩き込み、職場の人間関係を枯らし、援助的な立場の人たちにまで毒を浴びせ、ひんしゅくを買った。ぼく自身、あえて苦言を呈する親切な人たちに反発し、怒りの感情をぶちまけた。
結果、ぼくは社会から孤立した。誰もぼくを構わなくなった。そうなったらそうなったで、自分から離れていった人たちを恨んだ。自分に同情し、飲むのは奴らのせいだと信じた。

依存症は社会性の病気だって言うけれど、ほんとうにそのとおりだ。
回復というのは、失った家族や社会との絆を取り戻すことなんだと思う。
そのためにはもちろん酒が止まっていないといけないし、感情的な安定性も必要だ。まわりの人たちにいちいちムカついてぶち切れていたら、誰とも何の関係も築けない。

社会性の面から考えると、回復はすごく動的なものに思える。
人間関係、社会性なんて水もの。いちど良くなっても、絶えず維持し続けなければこわれてしまう。
かといって他人に振り回されて生きるのもおかしな話だ。
安定した人間関係、社会性を維持しつつ、自分の軸は見失わないこと。

しかしそう考えると、回復ってなかなか哲学的なテーマだね。
いかによりよく生きるか、という人間の本質的な問題そのものだもんね。

ARG(Alcohol Research Group)という組織がまた別の回復の定義を考えている。
こちらはなんと39項目。長い!時間のある人は読んでみてください。

http://www.whatisrecovery.org

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2015年3月11日 (水)

震災4年目に

きのうあたりから体調が悪い。低気圧が近づいて急に寒くなったせいもあるけれど、震災のことをいろいろ思い出すせいもある。
東日本大震災から今日で丸4年が経った。

震災を機に、色んなことが変わった。個人的に震災は人生の転換点になったように思う。
たぶん、あの地震がなかったらぼくはいまも福島にいて同じ職場で同じ仕事をしていたと思う。
震災をきっかけに、ぼくは職場を変える決心をした。
結果的に、職場を変えたことは大きなチャンスになった。仕事の面でもぼく個人の内面的な面でも、新しい局面を迎えることにつながった。
でも震災当初はそんなことは分からなかった。放射能のことも気になっていたが、いちばん強く感じたことは当時の職場へのフラストレーションだった。震災は、色んなものを壊した。色んなものをむき出しにした。ぼくが当時の職場で感じていた限界、仕事場の矛盾を否応なしにむき出しにした。
ある意味、職場の矛盾に目をつぶる限界が近かったんだと思う。
でも震災がなかったら、ぼくはいまも同じ職場で同じフラストレーションを感じて働いていただろう。転機を迎えることはなかったろう。
震災直後のあの何とも言えない空気が、ぼくに決心を促したんだと思う。

こうして書いていても、4年前のことは生々しく憶えている。
憶えているんだけど、あのころの空気はうまく書くことができない。
不安、おそれ、いらだち、先の見えない状況、いやになるほど繰り返される公共広告機構のCM、ガソリンの枯渇、全壊した職場の異様な姿。
何度も余震が襲ってきて、地震酔いで慢性的な不眠が続いた。
そうそう、AAミーティングはクリニックの先生の協力と仲間の熱意で早々に再開したっけ。ミーティングも、どこかざらっとした非日常の感覚に満ちていた。仲間と給水情報や支援物資配布情報、スーパーの再開情報なんかを交換したっけ。
振り返ると、あの日々が自分のターニングポイントだったんだと思う。

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2015年3月 6日 (金)

PASMO壊れる

毎日ではないが、ほぼ日常的に使用しているICカード、PASMO。
3年前に神奈川に来たときはICカード自体が初体験で、改札を徹旅に大いにビビりまくっていた。が、そんな記憶も遠い昔。いまは非常に便利に使っている。
なにせ乗車券を買わなくていい。私鉄、JRの乗換も自由自在だ。行き先を決めなくても、乗ってからいくらでも行き先や経路を変更できるのである。便利なことこの上ない。

そんな便利なICカード「PASMO」であるが、ここに来てトラブルが起きた。
壊れてしまったのである。
改札で読み取りエラーが起きて通過できなくなってしまった。
ちなみにこの読み取りエラー、私のような小心者にとっては悪夢の出来事である。さっそうとPASMOをかざして改札を通ろうとするとピンポーンという音が鳴り響き、ゲートが閉ざされる。後ろの人の舌打ちが聞こえてきたりする。振り返って自分の不始末のために不利益を被った人々の脇をすり抜けて駅員のところに行かなければいけない。おそろしいことである。

で、駅員さんに聞いたらカード自体が壊れてしまっているという。障害発生ということで、スーパーのレシートのような障害証明書を発行してもらった。明日以降、壊れたカードとこの証明書を持参して最寄りのPASMO取扱所(京急の駅など)で新カードと交換するようにとのこと。
自分の不始末ではないことが分かり、胸をなでおろす。
ちなみにこの障害証明書。スーパーのレシートのようなぺらぺらの薄紙だが、なくすと再発行はできないという。わがPASMOの命運を握る大事な用紙なのである。

と言うことでPASMOがない状態で桜木町にガンダムオリジンを見に行った。これがまあ、不便なこと。
駅で切符を買うという作業がこんなにもたいへんだったとは。
とくにぼくは京急線の沿線に住んでいるので、桜木町までJRの乗換切符を買わなければならない。
往路はともかく帰りはなんと、桜木町の自動切符売り場ではぼくの最寄りの京急駅までの切符が買えないのである。うそだと思うかも知れないが本当だ。京急乗換の選択肢が、上大岡などの大きな駅しか表示されないのである。ウソー。

アレですね。携帯電話の普及にともなって公衆電話の数が減り、使い勝手が悪くなっていったのと同じ現象ですね。PASMOやSuicaなどのICカードをほとんどの人が使うため、紙の切符販売機は最低限の機能しか実装されなくなったんでしょうね。
結局その日は横浜で一度JRを降り、あらためて京急の紙の切符を購入。

たった一日PASMOが使えなかっただけで、非常な不便を経験した一日でした。
PASMOの壊れた理由は不明。ぼくはPASMOを裸で財布に入れて持ち歩き、財布から取り出して改札にタッチしていた。取り出すたびにカードをしならせていたので、そのせいかもしれない。
今度からはちゃんとパスケースを買おうっと。

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