« 道に迷うのはアル中のせい?アルコール依存症の空間処理能力について | トップページ | 21キロジョグ »

2014年1月22日 (水)

コントロールできるもん

10年以上前、まだ飲んでいたころのこと。
ぼくの飲酒問題は20代の初めからはじまり、徐々にひどくなっていった。
が、一時期問題が良くなったことがある。
20代の終わりごろ、ぼくはある資格を取るために勉強していた。
主に飲酒がひどくなるからという理由で、両親の勧めもあり、アパートを引き払って実家で暮らしていた。
実家に住んで資格試験の勉強をしていた間、ぼくはそうそうひどくは酔っ払わずに済んだ。
「やろうと思えば、自分はほどほどに飲めるんだ」と思った。
結局、この一年間の経験があとあと回復の足を引っ張ることになる。

その後、一人暮らしを再開し、仕事をし、結婚した。
その幾たびの過程で飲酒問題はひどくなっていった。
週末はブラックアウトしている間に失われ、記憶はたびたびとぎれた。
昼夜を問わずに飲み続け、気がついたときにはいまがいつなのか、窓から漏れる光が朝日なのか夕日なのかも分からなかった。
でもそのたびに、自分に言い聞かせていた。
「だいじょうぶ、やろうと思えばほどほどに飲める。あの時そうだったように」

それから何年も経って、上司からアルコール専門医を受診するかクビになるかの二択を迫られることになる。
崖っぷちに立つまで、自分は酒をコントロールができると思っていた。否、コントロールできていた一年間の思い出にすがっていた。
否認。そう言ってしまうのはたやすい。
でもそのときぼくは、その思い出にすがる以外、自分を肯定できる要素が何もなかった。頼れるものが何もなかった。
飲まないで生きていける希望はどこにも見当たらなかった。
落ち目の芸人が昔の一発芸にすがるように、ぼくは一年間の節酒経験にすがりついていた。
そんなものにすがらなくても生きていけることを教えてくれたのが、AAだった。

いまでも時に思い出す。
夜明けか夕暮れかも分からない薄明の中で、離脱の苦しみに手を震わせながら「だいじょうぶ、きっとだいじょうぶ」と自分に言い聞かせていたときのことを。
あの薄明の中には、二度と戻りたくない。

|

« 道に迷うのはアル中のせい?アルコール依存症の空間処理能力について | トップページ | 21キロジョグ »

コメント

 酔っぱらってる時の楽になったという体験に自分はすがりついてたなとふと思い出しました。現実は変わらないし(飲んでるうちにまともな方向に変わるわけないんですが)変えようとしても変え方が不味いか、酔っぱらって考え方が引き戻されて悪い方に進んでいたように思います。

 今でも、油断するといかんな~と思うときありますが、なんてことはなく、ステップやらから逸れてる時と感情と自分の思いを話せてないときだなと思います。カッコつけてる場合じゃない(笑)

 あと飲んでた時に、飲むことに関して、失敗とか成功とか勝ちとか負けを酒に持ち込んでた時点ですでに狂っていたなと最近思います。健康だったらそこにそれは求めんだろうと。

投稿: とおる | 2014年2月 1日 (土) 10:55

とおるさん

人間には現状肯定バイアスというものがあって、今の自分がまちがっていることをなかなか認められないものです。酔っ払いは普通の人以上に自分の正当性にこだわりますしね。
でも聞くこと、話すことで自分のまちがいに気がつきます。間違いに気がつけば同じ過ちを犯すリスクがずっと少なくなる。やっぱりミーティングにせよステップにせよ、過去を振り返るって大事ですよね。

投稿: カオル | 2014年2月 4日 (火) 00:01

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/35048/58990018

この記事へのトラックバック一覧です: コントロールできるもん:

« 道に迷うのはアル中のせい?アルコール依存症の空間処理能力について | トップページ | 21キロジョグ »