名古屋のロック喫茶「時計じかけ」再訪失敗
何度か本ブログで取り上げている名古屋のロック喫茶「時計じかけ」。
実は今年の7月に仕事で名古屋を訪れた際に、現地に足を運んでみた。
遠い遠い1986年の記憶を掘り起こしてみる。
地下鉄東山線の今池駅を降り、あやしげな店の建ち並ぶ地下道を通ってウニタ書房のあたりから今池交差点に出る。
交差点の対角に渡ってパチンコ屋の裏の道を歩き、いくつか角を曲がる。すると古びたビルの左から地下に降りる階段が見えてくる。そこが時計じかけだ。
今回名古屋を訪れ、今池の様変わりの激しさにまず驚いた。
今池の地下街がない。たしか一杯飲み屋やピンク映画館などもあったはずだ。が、何もない。
地上に出る。ウニタ書房はかろうじて健在だったが、こんなきれいなビルだったっけ?
周囲を見渡してみガスビル、郵便局以外はさっぱり見覚えがない。
時計じかけへの道をたどりはじめるが、途中で道を見失う。なにせビルも店舗もまったく変わっているのだ。広い駐車場になっているエリアもある。27年前の記憶では限界がある。
結局、完全にロスト。自分の記憶にもだんだん自信がなくなり、やみくもに当たりをうろついて帰ってきた。
時計じかけの跡地でも残っていれば、しばし足をとどめて追憶に浸りたかったのだが。残念。
名古屋は都市部の高速道路もでき、地下鉄の路線も増えた。
ものすごい勢いで都市が成長している。それはきっと、良いことなんだろう。
でもぼくは、1986年の時点ですでに化石のような存在だった「時計じかけ」が大好きだった。時代の流れから取り残され、60年代、70年代のロックをかけ続けるだけのあの真っ暗闇が大好きだった。
そしてそこに集う、成長やら発展やら最先端やらネアカとは無縁の、ロックに自分を仮託するしかない不器用な若者たちが好きだった。
あの暗闇と大音量のあいだに、たしかに「時計じかけ」な人々の無言の共感が詰まっていた。
あの闇には、あの闇でしか心安らげないひとたちの思いが満ちていた。
コージー・パウエルみたいな髪型の兄ちゃんも、痩せた狼みたいな店長も、ぼくが淡い恋心を抱いていたおねいさんも、よく憶えている。
現実社会と折り合いが下手そうな、生き方が不器用そうな人たちだった。店員さんだけじゃなく、客たちも。
まあリア充だったら、ロック喫茶で半日タバコをふかしてロックに浸っていたりはしないよね。
あの頃の彼らは、みなどこに行ってしまったんだろう?
ロックへの郷愁が詰まった映画「あの頃、ペニーレインと」を見ていたら、ふとそんなことを考えてしまいましたよ。
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コメント
時計じかけ無くなっていたのですね、残念です。
実家が名古屋で30年ぶり位に時計じかけへ行ってみようと
思ったのですが。さすがに無理な話ですよね^^;
投稿: れいこ | 2014年10月 9日 (木) 17:57
れいこさん
コメントありがとうございます。
時計じかけの記事にいまだにコメントをいただけるのはうれしい限りです。きっと少なくない人たちにとって、あの空間はたいせつな場所だったのだと思います。
もし可能であれば、ぜひ名古屋を再訪して時計じかけのあった正確な場所を教えてください。ぼくの記憶は褪せてしまって、すっかり分からなくなってしまいました。
もしタイムマシンがあったら、もう一度あの心安らぐ暗闇を訪れたいものです。
投稿: カオル | 2014年10月 9日 (木) 18:09
はじめまして。
1983年から87、8年頃まで時計じかけでバイトしてた者です。
偶然このブログを拝見し、懐かしい気持ちになったのでコメントを書かせていただきました。
ちなみに僕は未だに名古屋在住で、当時の時計じかけのマスターやバイト連中、何人かのお客さんと今でも交流がありますよ。
時計じかけは1987、8年頃に残念ながら閉店してしまいましたが、しかし建物は今も健在です。当時から時計じかけの隣にあったハックフィンというライブハウスが現在も営業しています。住所はこちらです。
〒464-0850
愛知県名古屋市千種区今池5-19-7 石井ビル
時計じかけは僕にとっても大切な場所でした。
同じように時計じかけを思ってらっしゃること、とても嬉しく思いました。
投稿: オチアイ マサオミ | 2014年11月26日 (水) 17:19
オチアイさま
おお、ついに時計じかけの中の人登場!
ありがとうございます。
マスターはいまも名古屋におられるのでしょうか。
いまも交流があるのは、すばらしいです。
ぼくのように未だに時計じかけを思い続けている人たちも少なくありません。
いちどオフ会などぜひ!
住所もあらためて教えていただき、ありがとうございました。先日、無事に再訪することに成功しました。
(シャッターが閉まっていてなんの痕跡も発見できませんでしたが)
時計じかけの閉店は、1987年頃なんですね。自分が通っていたころからわずか1年後くらいです。
いまだにあの暗がりに集まっていた人たちのことを考えるときがあります。
誰にとってもたいせつな場所だったんだなと思います。
投稿: カオル | 2014年11月26日 (水) 18:32
あの店の中二階で居座ってました。厨房と店の境の椅子に座っていたアンニュイなウェイトレスさんどうしているのかな?決して美人ではなかったが(ブスという訳ではありません)存在感のある女性でした。柴田チコが来たことがありました。その時キーボーディスとのキタローの知り合いという怪しげな男も来てました。懐かしいです。
投稿: レッド | 2015年6月 2日 (火) 19:00
ひょっとしてキングクリムゾンの初来日の名古屋公会堂に行かれませんでしたか?
投稿: レッド | 2015年6月 2日 (火) 19:04
レッドさん
そう、そのアンニュイなウェイトレスさんがぼくが何度か書いている方です。当時のぼくにとってはあこがれのひとでした。
柴田チコさんというのは、FM愛知の女性DJですね。じかけには色んな方が来ていたんですね。おそらくぼくもなにがしかの有名人と居合わせていた可能性がありますが、いかんせん当時のぼくは自分の悩みで頭がいっぱいで、まったく分かりませんでした。トホホ。
ちなみにクリムゾンの初来日は、残念ながら行っておりません。しかしクリムゾンとか時計じかけとかのことを思い出すと、すぐに当時の空気感がよみがえってきます。ふしぎですねー。
投稿: カオル | 2015年6月13日 (土) 08:43
レスありがとうございます。今あの人多分50半ばですよね。マスターの彼女か奥さんだと思ってました。あの頃どっぷりプログレにはまっていました。
ロック喫茶はいくつかありましたが、プログレのレコード置いてあるような店はあそこだけでしたね。柴田チコさんは常連ではなく何かのイベントで呼ばれたみたいです。バイト帰りに熱燗たしなみながら音楽聞くのが好きでした。
投稿: レッド | 2015年6月14日 (日) 19:27
レッドさん
彼女の年齢を確かめたことがありました。ぼくとあまり変わらなかった記憶があるので、ぎりぎりまだ50前だと思います。
じかけはプログレも充実していましたねー。思うんですが、ある種の音楽は大音量で聴かないとその楽曲の持つ本来のパワーが表現しきれないんじゃないでしょうか。じかけの暗闇と大音量は、小音量なら聞き逃してしまうようなシールドのノイズやミュージシャンの息づかいまで聞こえてきて、ロックを感じるにはうってつけでした。あのひんやりとした暗闇がなつかしいです。
投稿: カオル | 2015年6月15日 (月) 15:12
かおるさん
でしたね。中二階はスピーカーに対してテーブルが側面配置だったので定位的には今ひとつでしたが、その下の席はなんか嫌だったんですよね。最近新栄のロックバーにも行きましたが、マスターが訳の分からんうんちく好きで二度足を運ぶ気にはなれません。良い意味で客をほったらかしのあの雰囲気が良かったです。ただ、火事が起きたら一巻の終わりの場所でもありました。ターンテーブルが厨房側にあってスピーカーからの音の干渉を受けにくいのも良かったのかも知れません。彼女は私よりかなり年下だったんですね。決行落ち着いた感じの人だったからそう見えたのかも知れません。
投稿: | 2015年6月15日 (月) 15:47
私は石井ビルの地下奥のイーストグッドマンで数年いました。時計じかけか、ヤゴかロック喫茶がありそこで即興のライブをした覚えがあります。イーストはジャズニュージャズと共にアンダーグランドのロックも多く特にルーリード関連が記憶にあります。悲しことで一緒に働いていた一人が自殺し、伏見のグッドマンの人も自殺し、数年のあいだに二人がいなくなるそのような時代でもあったと思います
投稿: | 2016年7月 1日 (金) 08:47
古いエントリーにも関わらず、こうしてコメントをいただけることを非常にうれしく思います。
石井ビル、地下奥のイーストグッドマン…すみません、記憶が定かでありません。「じかけ」とハックフィンはよく憶えているのですが。
亡くなった関係者の方が二人もいるんですね。おっしゃるとおり、そのような時代、そのような閉塞感を、当時のロック喫茶に集う人々はみな感じていたのでしょう。
当時、自分だけではなく、生きづらさを抱えてロック喫茶の闇に逃げ込んできた人はたくさんいたと思います。帰る場所もなく、行く場所もない人間にとって、あの闇は紛れもなく嵐からの避難所でした。あの生きづらさを抱えた人たちは、みなどこへ行き、いまどうしているのでしょうか。
あの当時、暗闇から爆音で流れていたロックは、いまわたしたちが聞くのとはちがった意味、ちがった親密さがありました。ピンク・フロイド、コックニーレーベル、エリオット・マーフィ、ボブ・ディラン、どの曲もテーブルの向かい側に曲そのものが座って、わたしたちに語りかけ、アジテートする、そんな距離感がありました。同じ曲をiTunesでダウンロードし、パソコンで聴いても、わたしたちが感じる楽曲との距離は、いまとまったく違っていました。
こうしてこのエントリーを読んでくださっている方々も、似たような思いをいまだに胸に抱えているのだと思います。
投稿: カオル | 2016年7月 5日 (火) 22:46
未だ書いてもいいのかな?
つい懐かしくて書いちゃいます。僕は1979年から数年通っていました(お客として)。当時、本山に住んでおり、500円持って、300円のコーヒーと地下鉄代往復200円で半日過ごせました。中二階の席に電球ひとつぶら下がっていた店内。電話かけるときは黒電話のコードを思いっきり伸ばしてドアの外に出ていました。スピーカーは確かJBLの4310だったっけ?リトルフィートもキングクリムゾンもPILもすべてじかけで教えてもらいました。リクエストも応じてくれましたよね。「じかけのおと」というノートのマル鉄さん元気かな? どうもお邪魔しました!
投稿: やま | 2017年2月20日 (月) 15:50
やまさん
返信が遅れました。はい、「じかけ」関連の話題、絶賛募集中です(笑)。
1979年から通っていたというと、相当の古参ですね。いったいあのお店はいつから存在していたのか?ナゾです。
誰か年表とかにまとめてくれないかしら。
それにしても、1979年当時のご様子、自分が通っていた1986年ごろとほとんど変わっていませんね。電話は、そうそう、スタッフがかけるときは外にコードを伸ばしていた記憶がうっすらあります。暗闇に近い店内、爆音、いま考えればよく経営できていたものです。21世紀の現代の常識では考えにくいですよね。
期間限定とか、週末だけでもいいから再開してくれないかしら。いや、あの時代だったから良かったのかも。
楽しい思い出、また聞かせてください。
投稿: カオル | 2017年3月 2日 (木) 00:01
地方出身で名古屋で浪人しているころ頃、1983年頃に通っていました。お店に入って扉を閉めて、10秒くらいしないと何も見えないあのくらい空間が好きでした。クリムゾンをがっつり聴いていました。青春そのものでした。
投稿: 50代 | 2017年4月25日 (火) 19:42
50代さん、はじめまして!
1983年というと、自分がじかけに通っていたときの3年前ですね。そうそう、入ったときに真っ暗で、しばらく目がなじまないとあたりが見えないんですよね。
こうして50代さんの文章を読んでいるだけで、あのドアを開けたときのドキドキがよみがえってきます。
当時はクリムゾンでしたか。色んなジャンルがかかっていましたものね。自分はあそこでコックニーレーベルとエリオット・マーフィを知りました。
ぼくもいまだに、今もあの暗闇が懐かしくなるときがあります。
多くの方にとって、青春の場所だったんですね。
投稿: カオル | 2017年4月26日 (水) 02:26
>カオルさん、無礼な突然の書き込みにも関わらず、早々のご返事ありがとうございます。夏に行った時の事を良く思い出します。まだクーラーを持っている学生など稀な時代でした。クーラーが効いて涼しく心地よいのと、大音量の音楽を聴きながら、これからに対する不安の入り混じった不思議な感覚でいたことを覚えています。どこかにお店のマッチがあったかもしれません。今度探してみます。
投稿: 50代 | 2017年4月26日 (水) 14:45
50代さん
そう言えば当時はクーラーなんてありませんでしたよね。自分がいた予備校の寮にも、もちろんありませんでした。
かげろうがゆらめくくらい暑い中をてくてく歩いてじかけにたどり着き、あのひんやりした暗闇に身を置いていると、何とも言えない安らぎを感じたものです。
投稿: カオル | 2017年4月26日 (水) 23:44
私は大学生のころ、よく通ってました。懐かしい日々が走馬灯のように浮かびます。1981年~1985年ごろくらいでしたかな。いろんなメンバーが来てました。甲斐君、フー子さん、フーテンの虎さん(だったかな?すいません無かSぢのことなので名前が…)等々思い起こされます。クリスマスパーティーをやったことも覚えています。今はもうないんですね。復活…は無理でしょうね。でもOFF会はやりたいね。私も今月で55歳。もうおっさんです。ああもう一度あの頃に、無鉄砲だったけど、エネルギーに満ちたあの頃に戻りたい。
投稿: アブドラ | 2017年11月 2日 (木) 21:29
アブドラさん
リプライが遅くなりました。コメントをくださり、ありがとうございます。
81年から85年というと、自分が通っていた1年間の前ですね。その当時、クリスマスパーティがあったり、交流が深かったことがうかがえます。熱い時代でしたね!
OFF会、いいですね。一夜だけの「じかけ」復活とかね。いいですねえ。
投稿: カオル | 2017年11月 6日 (月) 21:48
お久しぶりです。お元気ですか?時計仕掛けに通ったのは浪人時代から大学生の頃ですのでもう40年以上前になります。あの頃の河合塾には国語科で教えていた加藤、牧野、小林という御三家がいました。加藤さんはともかく牧野、小林の両人はそんじょそこらの芸人顔負けの話し上手でした。残念ながら牧野氏は数年前に脳梗塞で寝たきりになり他界されました。小林氏は現在ではドイツの大学で教授をされているようです。写真を見る限り4度目以上の再婚をなされたようです。牧野氏はヤクザとトラブルになった時は俺のところに来い俺そういうの得意だからと言ってましたが、彼なら相手が誰であろうと対応するだろうなと思わせるものがありました。浪人時代に映画館で観た太陽を盗んだ男が忘れられません。ウニタ書店はいかにも左翼が好きそうな本がずらりと並んでいたり映画関係の本が充実していました。
投稿: レッド | 2017年12月26日 (火) 06:18
レッドさんこんにちは!どうも、おひさしぶりです。
河合塾の牧野講師、覚えていますよ!少しふくよかでエネルギッシュな方でしたよね。自分は彼の講義を取らなかったのですが、大人気で教室に入るのも一苦労だったと聞いています。ほかにもバンド「吉野大作とプロスティトゥート」の吉野大作がいて、河合塾の入校式でアバンギャルドな演奏をしたのを覚えています。そうですか、牧野講師は亡くなりましたか。残念です。80年代、彼はいろんなカルチャーが交錯するシーンの代表みたいな雰囲気があり、自分が河合塾に決めたのもそういうポップカルチャー的なムードを感じたからでした。まあ、実際に行ってみたら単なる予備校だったわけですが。
ウニタ書房は相変わらずですね。まだ夜想とかユリイカとか置いてあるんですかね。当時から全然人が入っていない本屋さんでしたが、がんばって続けてほしいと思います。
コメント感謝です!
投稿: カオル | 2017年12月28日 (木) 05:14
ウニタは北側の入り口が細くてその辺りに芸術系の雑誌が置いてありました。映画芸術とかもありましたね。あの雑誌は独特な視点でベストを選んでいました。そこから長谷川和彦を知りました。大須の七ツ寺共同スタジオへもよく足を運びました。時計仕掛けも七ツ寺も八十年代というのに七十年代の匂いがする場所でした。時計仕掛けは今では消防署から指導を受けるような作りでしたね。牧野さんは講義では講義はせず、授業後に尋ねていくとどんな科目でも教えてくれたようです。宮崎学や一水界の鈴木代表とかも河合塾に呼んでいたようです。
投稿: レッド | 2018年1月 1日 (月) 05:20
75年から5年ほど通いました。
コーヒーのお代わりが100円だったと思います。
いつも、中2階の席で彼女を待っていました。
ジェフベックが大好きでした。
投稿: TOSHI | 2018年12月14日 (金) 19:22
TOSHIさん、コメントありがとうございます。
75年からお店は存在していたんですね。たしかに、そこかしこに歴史を感じました。ジェフベックにガールフレンド、青春ですねー。
時計じかけの思い出を、多くの方々がたいせつにしているのを感じます。
往年のファンが集まって、一日くらい復活させられないかなーなんて夢想しちゃいます。
投稿: カオル | 2018年12月22日 (土) 21:11
久々に貴方のじかけのブログを読みたくなり、検索していました。
上のコメントにあるオチアイ君は友人のご主人です。彼もこちらを読んでいたのですね。ビックリしました笑!オチアイ君ご夫婦はじかけでバイトして出会ったんですよ。ロック好きな彼氏が出来なかった私からしたら羨ましい出会いでした。
今池変わりましたね。私は名古屋在住ですがGoogle mapで検索しないと今ではたどり着けないです。
今年の忘年会の二次会、80年代にオチアイ君ご夫婦と行った今池のJAZZ BAR 、Exitへ行こうとしてたら閉店していました。
友人であるオチアイ君の奥さんからの情報でしたが、知らずにうっかり行くところでした。
Exitはずいぶん長くやっていたと思いますが、今は経営者が変わり店名の違うJAZZ BARになっていました。
80年代に今池に通った思い出があるロックファンは私のまわりにもいますが、今や街にその面影もないことに時代の流れを感じます。ちょっと淋しいですね。
時計じかけのことは、ふとした事で思い出します。
mixiで、じかけに通った事がある人を見つけた時はすごく嬉しかったです。
当時の思いを共有できるって素晴らしい事ですね。
投稿: リラ | 2018年12月31日 (月) 12:13
リラさん
コメントありがとうございます!
いまだに大勢の方が時計じかけの思い出を胸に抱いていることに驚きます。
あの時代、あの暗闇は、若者たちの鬱屈した気持ちを託せる、貴重な場所だったんでしょうね。
自分が名古屋にいた時間はわずかに1年間ですが、いまも思い出すのは時計じかけの暗闇、ノート、タバコ、大音量のロック、そんなもんばかりです。
今池のカオスな雰囲気がなくなってしまったのも悲しいですね。地下街のアヤシいロマンポルノ映画館やら何やらが懐かしいです。
いまだにウニタ書房とシネマテークががんばっているのはうれしいです。
どうかあの時代を生きた人たちが、当時の思いを胸に人生を前に進められますように。ほんとうに、共有できる思い出があるっていいですね。
投稿: カオル | 2019年1月10日 (木) 20:36
あの店の中2階が、40年以上経った今でも忘れられないでいます。
投稿: TOSHI | 2019年1月13日 (日) 03:34
じかけによく通っていたのは、1974-75年あたりです。その頃にはすでに存在していました。暗い店内、スモーキーな空気、それを揺るがす巨大なスピーカー。そしてなぜか鏡張りのトイレ。当時、高校生の私は幾分背伸びをしながらもロック喫茶やライブハウス、JAZZ喫茶などによく行っていたものでした。中でもじかけは通学路途中で定期券もきいたので結構行っていました。ほかにも、オープンハウス、ユッカ、落陽、アトム、異例聞、MJ、CoCo、ユリ、etc...ポップスからフォーク~ニューミュージックを経てハードロックがメインながらJAZZに向かっていった時期でした。社会人になってからですがEXITやジャミングシュガー等も懐かしいですね。
何気なく立ち寄ったのですがあまりにも懐かしかしく、投稿してしまいました。すみません。
(当時の黒地にピンクの時計が描かれているマッチがあったので画像を載せようとしたのですがうまくいきませんでした。
スピーカー:JBL4310、アンプ:マランツモデル1200と書かれています)
投稿: 7500 | 2019年5月 1日 (水) 21:11
7500さん、こんにちは!
返事がほぼ1年後になってしまいました。まだこのブログをご覧になっておられるでしょうか。
「じかけ」の歴史、ありがとうございます。1970年代前半の設立なんですね。
トイレは鏡張りでしたっけ。よく憶えていません。
でも、じかけのマッチは憶えていますよ!そうそう、黒字にピンクの、いかにも70年代アングラな雰囲気でした。
なつかしいですねー。
投稿: カオル | 2020年4月 4日 (土) 12:59
はじめまして!お邪魔します。
時計じかけを語れる場所があったなんて感激で、思わず書き出してしまいました。
私は1980年頃に通っていました。
あの空間が大好きで、学校の帰りには友達と2階に行かせてもらって、音楽聴きまくってノート書いてました!
プログレが大好きになったのも、じかけのおかげでした。
バンドを少しかじったり、自分の部屋もタンスで仕切って狭く暗くして、ピンクフロイド聴いてみたり。
初めての住職先も「じかけの近く」のみの条件で決めたりと…。
マスターのノリくんはお元気なんでしょうか?
ノートにいつも登場していて、個性的過ぎて忘れもしない ドシロさんや、アツヤさんもお元気なんでしょうか?4丁目のコゾフさんも。
こうして時計じかけを語れるなんて、思いもしませんでした。ありがとうございます!
大好きだったじかけに浸りたい‼︎あの頃の皆様と再会したいです。
投稿: Toko | 2021年1月30日 (土) 01:02
Tokoさん
ずいぶんと遅い返信になりました。読んでくださっていると良いのですが。
このブログを書いていると、ほんとうに「じかけ」には思い入れを持っていた人たちがたくさんいて、いまだにこころのどこかにその人の「じかけ」があるんだな、と感じます。
私もときどき、あの暗闇にもう一度身を浸して、爆音のロックを聴きたいと思うことがあります。
80年代のあの時間、あの暗闇を必要としていた人たちがいまもたくさん生き残っていて、このブログにコメントをくれるのはとてもうれしいです。
またボチボチ記事を書いていきますね。
良かったらときどき遊びにきてください。
投稿: カオル | 2021年5月10日 (月) 18:35
読ませていただいています!
嬉しいです♪
最近、高校の同級生と話す機会があって、じかけの話しが出ました。
本当にじかけは私達の音楽感を築いてしまった…と、つくづく感じる…などと、語り合っていました(^^)
これからも、時々お邪魔させていただきます!
投稿: Toko | 2021年6月30日 (水) 17:15
初めまして。このブログを拝見して懐かしく思いました。私は中学2年の頃から姉に教えてもらい大人ぶってよく通ってました。漠然とこんなお店が将来出来たらいいな~と思ってました。それから数年後に普通の喫茶店を開業しました。以来40年弱経営をしてきました。現在は名古屋の伏見地下街と言うレトロで昭和感満載な場所でび~んずと言う喫茶店をやっています。
ここでは20年程たちました。つい最近から週末の午後だけ夢であった『時計じかけ』タイムを始めました。まわりの環境から当時のじかけ程の大音量とはいきませんがスピリッツはじかけを目指しています(笑) beans_tokeitjikakeでインスタやりだしましたので覗いてくれたらうれしいです🎵
投稿: ユー | 2021年11月22日 (月) 09:39
ユーさん
古い投稿にもかかわらずコメントいただき、ありがとうございます。
じかけは時代を超え、いまもある種の人たちのこころに場所を占めているんだなとあらためて思いました。
び〜んず、食べログなどで拝見しました。
いい感じですね!
次回に名古屋を訪れた際は、ぜひ立ち寄らせてください。
インスタもフォローしました。
じかけ仲間ばんざい!
投稿: カオル | 2021年11月22日 (月) 13:28
いや、じかけか、懐かし〜
よく、酔って、騒いで、
マスターに注意されました。
その奥のハックフィンでは、
パンクやオルターナーティブのバンドの
ライブ演ってまして、行ったな〜。
いや、本当に懐かし〜。
今池において、じかけと
同時代に、ブルースの名店として鳴らした
「オープンハウス」は、味仙の対面から、
大通り沿いのビルに移行して、
再営業しています。
投稿: マロック トーンロール | 2021年12月28日 (火) 22:00
マロックさん
コメントありがとうございます。
じかけで酔って騒いでとはスゴいですね!あの大音量に負けないくらいの酔っぱらいって、かなりの猛者ですね。うらやましいエネルギーです。
ハックフィンも良かったですよねー。
ツネマツマサトシのライブ、今でもよく憶えています。あの当時のパンク・ニューウェーブ系独特の熱気と冷たい透明感、思い出してもゾクゾクします。
オープンハウス、存じておりませんでした。
こんど名古屋に行ったときには突撃してみます!
投稿: カオル | 2022年1月23日 (日) 11:08
わしもまあ歳くったでしゃーないけどなも。じかけがのうなってまったかね。あじゃぱー。
19歳から東京におって、いまギターで「僕たちの失敗」を弾いとったら、♪地~下のジャズ喫茶ーってとこで急に「時計じかけ」を想い出いてまって、検索したら、いっちゃん上に、このブログが出た次第。
いっぺん、みんなで集まろまいか!「時計じかけの同窓会」なも。なっつかしい曲かけてよー。まーコロナが終息してからだどうけんども。
投稿: imo | 2022年7月29日 (金) 01:19
imoさん、コメントありがとうございます。
このブログ、すっかり時計じかけを懐かしむ人たちのよりどころになり、うれしいです。
私自身は時計じかけに通ったのはほんの1年間だけなのですが、いまだに強烈な青春時代の記憶として焼きついています。
同窓会、やりたいですねー。
じかけ関連の投稿もボチボチやっていきますので、またときどき遊びにきてください。
いつかimoさんにも会えますように!
投稿: カオル | 2022年7月29日 (金) 07:25
ご無沙汰しています!
時計じかけ愛が冷めない…醒めない…Tokoです。
先日、名古屋の長者町横丁という地下街の飲み屋街に足を踏み入れたところ、居酒屋の先に一見フツーの喫茶店が…。しかし、入口を見ると「ロック喫茶って⁈今池、伏見にマスターの大好きだった時計じかけがあった!」などと書かれているではありませんか!
期待と不安にドキドキしながら扉を開けると、そこは大音量でロックが流れる、正に「ロック喫茶‼︎」
嬉しくてマスターに話を聞くと、私と同年の時計じかけ大好き人間でした!
すごく嬉しかったです!
あの頃、時計じかけで聞いたレコードを何枚も聴きまくりました。
Pink Floydやクリムゾン、ツェッペリン…どっぷり時計じかけ♪
そして、またまた来ていた男性も、「じかけに来ていた人みたい」とマスターに聞いたので、話しかけてみたところ、TOKIOさんでした!(ご存知の方がいると嬉しい)
やっとリアルに、じかけファンの方に会えた‼︎
また通います!
マスターも広げたいと言ってました。
お店は長者町横丁の「び〜んず」です。
毎週 気の向いた金曜日・土曜日の17:00〜22:00にロック喫茶に変身します!
投稿: Toko | 2022年8月14日 (日) 17:07
Tokoさん、コメントありがとうございます。
伏見地下街の「び〜んず」、まさにそのマスター、ユーさんからコメントをいただいております。
この記事のコメント欄、2021年11月21日のコメントをご覧ください。
こうして時計じかけを忘れられない人々がこのブログに集まってくるのも、不思議な縁ですね。
私は現在新潟住みでなかなか名古屋には行けないのですが、次に行ったときにはび〜んずを訪れてみたいと思います!
なかなか記事更新が遅い当ブログですが、またぜひ遊びにきてください。
投稿: カオル | 2022年8月25日 (木) 06:31
時計じかけ、いれぶん、石川橋と栄のアトム
毎日いずれかの店に行ってたなあ
投稿: mako | 2022年10月 3日 (月) 20:58
makoさん
ぼくはじかけしか知りませんでしたが、ほかにもいろいろツウなお店があったんですね。
当時の名古屋文化、堪能しておきたかったです。
それにしても80年代はどんどん遠ざかっていきますね。
投稿: カオル | 2022年10月 4日 (火) 08:21
懐かしいですね、あの雰囲気は忘れられません、確か1970年代前半にはありましたね、、1973年に行った記憶があります、、今池南生まれ/育ちなので店前は毎日のように通ってたかな、
投稿: Harry | 2023年1月 9日 (月) 15:59
自分1977年は名古屋の大学時代で何回か時計じかけ行きました‼️
他の方も書かれてる通り奥に中2階の席があったと思います。
その時お店でかかってた曲が気に入って、の店のお姉さんに「なんて言うレコードですか?」
って聞いたのを覚えてます。
それを聞いた後、レコード買いました。
今でもそのレコードは持ってます。
Orion The HunterってレコードでBostonのBarry Goudreau(G)が脱退後作ったバンドでした…
あの薄暗い店内で聴いた「Stand Up」って曲に痺れました…
https://youtu.be/9z0xq9uE8jo?list=PLTCHZJbJm7G0CHK1BOeZPMDrwn49uDLFc
投稿: キャプテン | 2023年4月 8日 (土) 21:28
Harryさん、キャプテンさん、コメントありがとうございます。
古いブログ記事なのにこうしてコメントをいただけるのは、とってもうれしいです。
Harryさんは1973年、キャプテンさんは1977年にじかけ体験をしているんですね。
そうそう、大音量で音楽に没入できるので、今まで聞く機会のなかった音楽にもたくさん触れることができました。
私もコックニー・レーベルやエリオット・マーフィはじかけで知り、今でも愛聴しています。
もうこういう店は出てこないんですかねー。
まあ、とても儲からなそうな客入りでしたし。。。。そもそも客が回転しないし(笑)
投稿: カオル | 2023年8月 1日 (火) 17:45
友人と昔話をしてて、1973年頃、不良高校生(笑)で
時計じかけ行ったなあと、検索したら、ここに来ました。
あの大音量の洗礼は人生を大きく変えました。当時まだまわりの人が知らないPA音響設計に進むきっかけとなり、その後オーディオメーカーにも行きました。演奏者の熱い魂を音に出したいと言う思いで。30代で違う業界に転身しましたが、激しい青春時代はまさにあの時から始まったの
です。JBLとの付き合いもですね。当時の国産のスピーカは腰抜けな音でしたし。いまだに大音量好きなオーディオマニアな人たちに付き合わされて!?います。あの時代が好きな人は多いですね。現代はあまりに融通がきかない、不良なことを容認する懐がない時代ですから。
不良高校生がタバコ吸おうが酒飲もうがパチンコやろうが、不良だからですんじゃった時代が懐かしい(笑)
投稿: BB | 2023年9月25日 (月) 17:52
やまさん
ふと、じかけのブログを検索したところ、こちらに見つけました。"じかけのおと"の書き込みなど赤面ものの思い出が有ります。のおとのバックナンバーはアツヤくんがもって帰ったっけ?1970年代後半の頃はあの中二階階段下の本棚あたりの薄暗い木のテーブルに座って、読書しながら過ごす。地下鉄通学定期はじかけに使ってました。柴田チコの来店、マスターのノリくん、ドシロさんや、アツヤさん 懐かしいです。
マル鉄
投稿: マル鉄 | 2023年10月24日 (火) 11:25
BBさん、マル鉄さん、コメントありがとうございます。
このブログに往年の時計じかけファンが立ち寄ってくださるのは、うれしいかぎりです。
私は予備校時代に1年通っただけの一ファンに過ぎず、マスターはじめスタッフの皆さまのことは良く存じておりません。
しかしあの暗闇とそこに身を寄せる人びとの気持ちを、1年間一身に感じ、浴びていたように思います。
私も中二階下のテーブルが好きでした。
しかしマル鉄さん、あの暗がりでよく読書できましたね!
電球が各テーブルにありましたが(ありましたよね)、照度が低くてノートに書き込むのも一苦労でした。
濃密な闇、大音量のロック。
懐かしいですね。
投稿: カオル | 2023年12月17日 (日) 09:59