酒をやめろというのをやめろの巻
AAはなぜアルコール依存症の回復に効果があるのか?
多くの人たちがいろんなことを言っている。
いわく、集団の力動のおかげ、とか。
12ステップの力だとか。
もちろん、それらの意見は当たっている。
でも、AAという集団の特性というか理念というか、そういう「雰囲気」みたいなものが果たしている役割も大きいと思うんだよね。
たとえばぼくは、AAに来ていちども「酒をやめろ」と言われたことがない。
AAは飲酒をやめたいと願う人たちの集まりだ。アルコホリズムからの回復を目指し、酒の問題と、壊れた人生の立て直しに取り組んでいる。
でも、この集まりの中で「飲むな」「酒をやめろ」と言われたことがない。
われわれはただ互いの経験を話し、プログラムに取り組む。
どうしたら問題を解決できるかについては話し合うけど、まだやめる気のない人、変わる準備のできていない人に「やめろ」とは言わない。
これは、AA理念の発露の一例だろう。
われわれはアルコールに対して無力だし、他人に対しても無力だ。ビル・Wが書いているように、われわれは経験というメッセージを携えたひとりのしもべに過ぎない。ハイヤーパワーに成り代わって他人を変えようなどとは思わない。
われわれがメッセージを運べば、彼のハイヤーパワーが彼を変えてくれる。そういう考え方だ。
飲んでいたころ、ぼくはさまざまな人たちに機会あるたびに「酒をやめろ」と言われてきた。
悲嘆に暮れて懇願する両親。酒をやめなければ離婚しかないと涙を流して訴える前妻。飲酒を何とかしなければクビになるという職場のプレッシャー。
彼らの訴えを聞くたびにぼくの心はきしみ、痛みを感じた。でもふしぎなことに、心が痛めば痛むほどぼくの酒はひどくなっていった。
AAは酒をやめる方法は提案するけど、やめろとは強制しない。
断酒を強制しない環境で、ぼくははじめて酒をやめることができた。
誰でも、強制には反発するものだ。とくにアルコホリクは過剰なまでに反発を感じる人種だ。
ぼくの場合も、酒をやめる必要性を理詰めで説教され追い詰められるほどに飲酒がひどくなった。
断酒を強制されない、温かい共感的な雰囲気の中で、はじめて酒の問題を見つめることができた。
強制なんかより、実例の方が100倍も説得力がある。
酒をやめて楽に生きていけるモデルがあれば、酒をやめろなどという必要は全くない。いまの自分の惨めな現実とどっちが良いのか、考えるまでもない。
逆に、AAが「酒をやめろ」「酒でどれだけ人生を失ったか考えてみろ」とニューカマーに説教を喰らわせるような集まりだったら、ぼくはAAにつながらなかったろう。飲み続け、今ごろは土の中だったろう。
アルコホリクの頭上には、ミサイル飽和攻撃のごとく無数の「酒やめろ」の言葉が降り注いでいる。爆撃から身をかわすのに精いっぱいで、冷静に我が身を振り返るどころじゃない。
ひどいアルコホリクがいたら、酒やめろというのをまず一度やめてみるといいと思うのですよ。
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コメント
最近craft?だったか家族向けのプログラムの本読みましたが、確かに~と、うなづけるところがありました。私の元彼女は自覚なしにcraft的なことしてました。そこまで共依存じゃなかったのかな(笑)
本を読んでてAAにつながった自分からすると違和感があるところもあったのも確かですが。
かおるさんの今頃土の中っていうのは、自分も半年くらいの時に感じましたね~あの時死ねたよなとあの時人殺しててもおかしくないよな~と。背筋が冷たくなったのを覚えています。やめていったほうがいいみたいだと思った瞬間でした。
投稿: とおる | 2013年10月 9日 (水) 21:57
おお、とおるさんたら勉強してますね。エラいっす!
依存症業界は近年、どんどん新しい治療や介入の技法が取り入れられています。われわれも勉強しないと、時代に取り残されちゃいます。
アルコホリクは、一度や二度は「酒をやめなくちゃ」と考えるものです。でも、そこで周りから「酒やめろやめろ」攻撃が始まると、自我を防衛するために必死で否認しなくちゃいけなくなる。
酒をやめろという代わりに、やめたい気持ちとやめられない気持ちの狭間で苦しんでいる、そこんところを汲みとってあげるのが最近の主流な介入技法です。
とおるさんも回復して良かったですよ。ホント。死んじゃったらそこまでですもん。
投稿: カオル | 2013年10月 9日 (水) 23:16