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2013年10月19日 (土)

ミーティングは愚痴を吐くための場所か?

誰かが、AAは心の苦しみや葛藤を吐き出すための場所に過ぎないのではないかと聞く。「絶対にそうではない」というのがその質問への答えである。
- ビル・W「ベスト・オブ・ビル」p.36

以前の記事で、AAミーティングの非指示的で共感的な雰囲気の重要性について書いた。
では、非指示的で共感的な雰囲気のミーティングに通ってさえいれば、アルコホリズムから回復できるのか?否である。
ビル・Wは繰り返し、神への依存、真の謙遜、調和的な生き方の重要性を説いている。
そしてそれを実現するためには、12ステップを通じて成長することが必要である。

AAに来たばかりのころ、ぼくは多くの先ゆく仲間たちの共感的で寛容な態度に驚いた。
その仲間たちが、飲酒していたころはひどい酒飲みで大勢の人たちを傷つけてきた話をするのを聞いて、さらに驚いた。
彼らは「ただミーティングに来ていただけだ」と言った。それを聞いてぼくは、とにかくミーティングに通い続けていれば彼らのような寛容さや感情的な安定が得られるんだと思っていた。

けど、しばらくするうちに気がついた。
ただミーティングに来ているだけのメンバーと、ステップを通じて成長を求めるメンバーとの間では、何かがちがっている。
それは謙虚さや寛容さ、ほんとうの思いやり、逆境に遭ったときのタフさなどだと気がついたのは、ずいぶんと後になってからだ。
成長しているメンバーと、ミーティングの安らぎの中にとどまっているメンバー。そこには何かのちがいがある。
自分自身を振り返っても、AAにつながってからもステップにきちんと取りかかり始めるまでは自己嫌悪にとらわれることがしばしばだった。
つらいとき、自分が嫌いでたまらなかったとき、ぼくはミーティングで愚痴を吐き、仲間は聞いてくれた。でもどれだけ愚痴を吐いても、吐き終わると言うことはなかった。
愚痴の根っこに取り組まないうちは、愚痴の泉は尽きなかった。

もちろん愚痴は吐いていい。
あふれそうなつらい気持ちを誰かに聞いて欲しい、分かって欲しいというのは、たぶん人の根源的な欲求なんだと思う。
でも感情の嵐がおさまったら、そこから回復の道のりを歩かなければ、いつまで経ってもわれわれはゆりかごから卒業できない。
ただ単に非指示的で共感的な雰囲気にひたっているだけでは、多分われわれはどこにも行けない。
傷を癒やす場は必要だけど、傷が癒えたらベッドから起き上がらなくっちゃ。

「ビッブブックのスポンサーシップ」出版以来、ほかの新しい12ステップグループがどんどんステップを使っているのを目にする。
喜ばしいことである。反面、AA内での浸透は今ひとつのように思う。
元祖のAAがステップを使えずに単なる愚痴の吐き場所となっているのなら、それは憂慮すべき事態だとぼくは思うのである。

神の助けを受けて、成長の妨げになる要求を手放していこう。(中略)そのときにこそ、わたしたちは感情のソブラエティを手にすることへ向かって、自分たち自身のための、自分以外の人たちのための、12番目のステップを踏み出すことができるようになるだろう。
- ビル・W「ベスト・オブ・ビル」p.43

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コメント

全く同感いたします。
ミーティング場は、愚痴の吐き場所ではありません。
テーマミーティングでも、ステップの入っていない テーマミーティングはありません。
12のステップに取り組んでいるメンバーと、ステップに取り組んでいないメンバーは はっきりとわかりますね。
話の内容が、全然違いますね。
もっとも、最近 ぼくのスポンサーから ステップ0からやり直せと 叱られたぼくの意見ですけれどね(笑)

投稿: アポ | 2013年10月21日 (月) 00:10

アポさん

ミーティングのあり方を規定するような物言いはいままで避けてきました。
ぼく自身、ミーティングで愚痴を吐き、吐いているうちに気がついたこともたくさんあります。
ただ、ニューカマーが来ているのに次々とメンバーが日々の愚痴を吐き続けているミーティングに出会うと、これでいいのか?と考えてしまいます。
大事なのは、行動や考えに変化を起こすことです。
愚痴を吐いているうちに変化が訪れることもあるでしょうが、それはあまりに不確かで、変化の方向性も良い方向とは限りません。
家族の愚痴を吐き、過去の愚痴を吐き、ついには仲間の愚痴を吐き、AAを離れていった仲間を見てきました。愚痴を言うだけでは変化が訪れなかったのでしょう。
われわれには12ステップというたいせつな変化のツールがあるんですから、使わないのはもったいないですよね。

投稿: カオル | 2013年10月21日 (月) 09:22

他の人との意見の相違を乗り越えて一緒にやる力が弱く、しらふでグチを聞いてくれる相手も少ない、酒をやめたてのアルコホーリクにとって、言いっぱなし、聞きっぱなしのやり方ほどありがたいものはないと思います。しかし、回復するためにはそこから先に進まなくちゃ。

投稿: ひいらぎ | 2013年10月22日 (火) 10:30

自分の話がしたくて、愚痴が言いたくて、凄い勢いでミーティング場についたら、蒼白い顔の新しい仲間がたたずんでいました。
私は自分の愚痴を我慢して、新しい仲間の為に、自分の話をしました。
そしたら、『言いたい時に愚痴を言わなくても、大丈夫なんだ』ということがわかりました。

そんなことがあったなぁ〜っと、思い出したのでコメントさせて頂きました☆

投稿: あきら | 2013年10月22日 (火) 11:42

ひいらぎさん

同感です。
変化を起こすためには、行動が必要です。ぼくは長い間、先ゆく仲間の言う「行動のプログラム」の意味を、ミーティングに通い続けること「だけ」だとばかり思っていました。いまも大勢のメンバーがそう信じているのが実状だと思います。

投稿: カオル | 2013年10月23日 (水) 07:34

あきらさん

そうなんですよ。
新しい仲間を手助けすることは、実は愚痴を吐くよりもずっと効果があります。まさに誰かを手助けすることで自分が手助けされる、相互援助作用ですね。
「理解されるよりも理解することを私が望みますように」ってフレーズのまんまですね。

投稿: カオル | 2013年10月23日 (水) 07:36

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