« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月28日 (月)

ルー・リード逝去

2013年10月27日、ルー・リードが亡くなった。71歳。
死因は肝障害と発表されている。
多くのヘロインユーザー同様、彼もC型肝炎にかかっていた。
今年の6月には肝移植も受けていたそうだ。
針の使い回しによるC型肝炎ウイルス感染。肝炎が発症して肝硬変に進行。肝移植を受けるも感染症その他の合併症で死亡。
おおよそそんな経過だろう。

彼はもう30年もクリーンだそうだ。

http://www.drugrehabfl.net/2012/08/24/five-famous-rock-stars-in-recovery/

30年前と言えば1983年。レジェンダリー・ハーツをリリースしたころだ。
このアルバム、持っているけど印象に残っていない。なんだかごちゃごちゃしているなあとしか感じなかった。

ルーの表現スタイルが変化したのは1989年の「ニューヨーク」からだ。
静謐で、知的で、優しい音楽だ。ニューヨークに住むたくさんの生き様を、ルーは優しく語りかけるように歌う。
演奏も抑制的であると同時に親しみ深く、暖かみがある。
歌われている世界は相変わらず暴力やドラッグの渦巻くアンダーグラウンドなんだけど、今までとはちがう感じ。
想像なんだけど、ドラッグをやめたルーが、かつて自分が所属していた世界を慈しみを持って外側から眺めている感じ。そんな気がする。
ぼくがいちばん好きなアルバムだ。

実際のルーリードは厭世家で皮肉屋で、インタビュアー泣かせだったそうだ。
でも彼は自分を表現し続け、表現を通じて世界と対峙し続けた。
この世でやっていくためにはバス一杯分の信念が必要と歌った彼は、いったいどんな信念を持っていたんだろう。
きっとドラッグをやめて表現者として生き続けることも、彼の信念の一つだったんだろうな。

多くのメディアが彼の死を取り上げるだろう。
過去のドラッグ歴にも触れるだろう。
でもどうか、ルー・リードを薬物依存者ではなく、依存症からの回復者として記憶していてほしい。
ドラッグをやめても、過去の古傷で倒れることもある。
皮肉なことだけど、皮肉屋のルーの残した貴重な教訓とも言える。
買い残していたメタリカとのコラボアルバム、聞かなくっちゃね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年10月27日 (日)

おばちゃんの会話に見る神奈川の県民性についてのささやかな考察

きょう、近所のスーパーでの会話。
おばちゃんAが別のおばちゃんBを発見、話しかけた。以下にその会話を再現したい。

おばちゃんA「あら、○○さん?○○さんじゃない?」
おばちゃんB「…。」
A「人違いだったかしら?ごめんなさい」
B「…Aさん?」
A「あら、やっぱりBさんじゃない。やだ、返事してよもう」
B「Aさん、そんな頭だからすぐに分からなかったのよ」
A「頭?やだ、髪型なんてもう何年も変えてないわよ」
B「変わったわよ」
A「変わってないわよ」

B「変わったわよ。前はそんなに毛が少なくなかったもん

A「…(無言)」

急転直下の結末に、沈黙するおばちゃんA。このあとAとBの会話はどう続いたのか、あるいは続かなかったのか。気になるところではあるが、夕食の材料を買い終えたぼくはその場を立ち去った。

以前から神奈川の県民性はがらっぱちというか、率直すぎるくらい率直な印象だった。
一説によるとこの傾向は内陸部よりも沿岸部、都市部より地方に顕著だという。この会話が交わされたのはまさに神奈川県沿岸部の地方。ぼくが聞いた説を裏付ける内容だった。

福島ではまず交わされない会話だろう。
Bが指摘したのは髪型についてではない。

薄毛である。

男女の別なく繊細な話題である。久しぶりに会った相手にこんなことを言ってしまったら、関係が破綻する恐れがある。
これが福島だったらどうだろうか。相手との関係性を損ねないことが最優先の福島的な価値観では、たとえ相手がつるつるだったとしても決して言わないセリフであろう。
しかし今回、おばちゃんBは一瞬の躊躇もなく、率直に、あけすけに、ズバリと、おばちゃんAの薄毛を指摘した。しかも髪の話などは一切していない、久しぶりに出会った相手が一瞬誰だか分からなかったという、ただそれだけのシチュエーションである。
関係性への影響だとかはいっさい考えず、あとで気まずい思いをするだとかも考えず、思考内容がそのまま口から出てしまったおばちゃんB。
まさにこれが、神奈川県地方沿岸部の県民性であろう。

このあとおばちゃんAはどう切り返したのだろうか。
様子を見ていたが、おばちゃんAの方がBよりも一枚上手の印象である。薄毛の指摘で一瞬劣勢に立たされたが、きっとずばっと切り返してBに一太刀浴びせたにちがいない。
そしてAとBの関係性も、きっと破綻せずそのままにちがいない。
おそるべき毒舌耐性である。おそるべし神奈川県地方沿岸部のおばちゃん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月26日 (土)

【悲報】Logic Pro X、値上げ

自分はDAWコレクターではない。
Logic ProとCUBASEとPropellerhead Reason、Ableton Liveを持っててどれもバージョンアップしているが、そしてその割にゼンゼン曲は仕上がらないが、それでも断じてDAWコレクターではない。
んが、さすがに最近はお金の無駄のような気がして(じっさい無駄なんだけど)、Logic Proはバージョンアップしていなかった。CUBASE7の進化がすばらしくて、七面倒くさいLogicをいじくるのはやめていた。
けどやっぱり気になって、Logic最新版のPro Xの情報は逐一収集していた。
なんせ、バージョンアップ優待なし、新規購入17,000円である。一昔前を考えたら信じられないくらいの値段だ。
買っちゃおうかなー。いやいやオレには不必要。
でも新しいアンプモデリングも試してみたいな。ピッチ補正ツールもいじってみたい。
・・・などと逡巡していたら。

F132f83b


いきなり値上げ。19,800円に(値段が)バージョンアップ。約3,000円、率にしておよそ16.5%の値上げである。
がーん。
最近の円安傾向を反映しての価格改定らしい。あああ。こ、こんなことなら早めに買っておけば良かった・・・。しまった。。。
ま、仕方ない。時間は巻き戻せない。
こうなったらLogicは見切りをつけて、CUBASE一本で行くべし。
ああ、でもESX24は何気に使いやすいんだよなー。プリセットも順調に増やしてきたんだよなー。
CUBASEはミキサー画面が独立しちゃってそれはそれでいいんだけど、Logicの一画面完結の方がなんとなくしっくりくるんだよな。ああ、やっぱり買っちゃおうか。イヤイヤ無駄遣いはやめるべし。
逡巡につぐ逡巡。
ま、悩んでいるヒマがあったら楽器とDAWに触れた方がいいね。
弘法筆を選ばず。筆を選んでいるヒマがあったら、表現のトレーニングをしましょう。
ああ、しかしそれにしても・・・(しつこい)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月20日 (日)

Canonプリンタ ip4700 エラーコード6C10の対処法

防備録をかねて、プリンタのエラー対処法を。

キヤノンのインクジェットプリンタ、ip4700を使っている。
インク代がバカ高いが、そんなにしょっちゅう使うものでもない。許容範囲だと思って使っていたのだが。
突然、動かなくなった。
電源ランプとエラーランプが交互に明滅して、いっさいの操作を受けつけない。電源を再投入、印刷タスクを一度削除して再プリントしてみてもダメ。同じエラーになってしまう。
とくに変わった操作はしていない。ふつうのA4モノクロ書類を印刷していただけである。3日に一度くらいは印刷しているからノズルの目詰まりも考えにくい。インクは純正品しか使っていない。
ググってみたら同じエラーで困っている人が大勢いた。が、困ったことにこれという決定的な対策がない。みなインクタンクを代えたり怪しげなソフトを使ってみたりゴミ掃除をしてみたり、いろんなことをやっているうちにいつの間にか直った、という経過のようだ。

うちのプリンタはほこりをかぶる場所には置いていない。代替インクも使っていない。酷使もしていない。
よってソフトウェア的な問題だろうと当たりをつける。安価な代替インクをあえて使わないのは、こういうときのリスクに備えてのことである。
ソフトウェア的な問題ならリセットすればよろし。ただのリセットではなくコンデンサの放電が必要だろう。

ということで、プリンタの電源を抜いて一晩放置。
翌朝に電源を再投入したら、あっさり直っていた。

同じエラーに悩んでいる方がいたら、ぜひトライして欲しい。
一瞬「プリンタの買い換えか?」と思ったけど、これで何とかなった。よしよし。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年10月19日 (土)

ミーティングは愚痴を吐くための場所か?

誰かが、AAは心の苦しみや葛藤を吐き出すための場所に過ぎないのではないかと聞く。「絶対にそうではない」というのがその質問への答えである。
- ビル・W「ベスト・オブ・ビル」p.36

以前の記事で、AAミーティングの非指示的で共感的な雰囲気の重要性について書いた。
では、非指示的で共感的な雰囲気のミーティングに通ってさえいれば、アルコホリズムから回復できるのか?否である。
ビル・Wは繰り返し、神への依存、真の謙遜、調和的な生き方の重要性を説いている。
そしてそれを実現するためには、12ステップを通じて成長することが必要である。

AAに来たばかりのころ、ぼくは多くの先ゆく仲間たちの共感的で寛容な態度に驚いた。
その仲間たちが、飲酒していたころはひどい酒飲みで大勢の人たちを傷つけてきた話をするのを聞いて、さらに驚いた。
彼らは「ただミーティングに来ていただけだ」と言った。それを聞いてぼくは、とにかくミーティングに通い続けていれば彼らのような寛容さや感情的な安定が得られるんだと思っていた。

けど、しばらくするうちに気がついた。
ただミーティングに来ているだけのメンバーと、ステップを通じて成長を求めるメンバーとの間では、何かがちがっている。
それは謙虚さや寛容さ、ほんとうの思いやり、逆境に遭ったときのタフさなどだと気がついたのは、ずいぶんと後になってからだ。
成長しているメンバーと、ミーティングの安らぎの中にとどまっているメンバー。そこには何かのちがいがある。
自分自身を振り返っても、AAにつながってからもステップにきちんと取りかかり始めるまでは自己嫌悪にとらわれることがしばしばだった。
つらいとき、自分が嫌いでたまらなかったとき、ぼくはミーティングで愚痴を吐き、仲間は聞いてくれた。でもどれだけ愚痴を吐いても、吐き終わると言うことはなかった。
愚痴の根っこに取り組まないうちは、愚痴の泉は尽きなかった。

もちろん愚痴は吐いていい。
あふれそうなつらい気持ちを誰かに聞いて欲しい、分かって欲しいというのは、たぶん人の根源的な欲求なんだと思う。
でも感情の嵐がおさまったら、そこから回復の道のりを歩かなければ、いつまで経ってもわれわれはゆりかごから卒業できない。
ただ単に非指示的で共感的な雰囲気にひたっているだけでは、多分われわれはどこにも行けない。
傷を癒やす場は必要だけど、傷が癒えたらベッドから起き上がらなくっちゃ。

「ビッブブックのスポンサーシップ」出版以来、ほかの新しい12ステップグループがどんどんステップを使っているのを目にする。
喜ばしいことである。反面、AA内での浸透は今ひとつのように思う。
元祖のAAがステップを使えずに単なる愚痴の吐き場所となっているのなら、それは憂慮すべき事態だとぼくは思うのである。

神の助けを受けて、成長の妨げになる要求を手放していこう。(中略)そのときにこそ、わたしたちは感情のソブラエティを手にすることへ向かって、自分たち自身のための、自分以外の人たちのための、12番目のステップを踏み出すことができるようになるだろう。
- ビル・W「ベスト・オブ・ビル」p.43

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年10月14日 (月)

CUBASE7にバージョンアップ

DTMネタです。
最近はLOGIC PROばっかり使っててCUBASEは放置状態だった。LOGIC PRO、Ableton Live、Propellerhead Reason、それにCUBASEと、そもそも買いすぎ。
CUBASEもいずれ使うときが来たらバージョンアップしようと思っていた。が、突然の価格改定の通知が。

Steinberg 社での価格改定に伴い、2013年10月15日(ドイツ時間)より、 以下のCubase 7/ Cubase Artist 7 バージョンアップ/アップグレード版の 日本国内販売価格を改定いたします。 ・Cubase 6.5 ユーザー様: 14,800円 → 19,800円 ・Cubase 6 ユーザー様: 19,800円 → 24,800円 ・Cubase 4/5 ユーザー様: 24,800円 → 29,800円

5,000円の値上げ。6.5から大幅進化したって言うし、これは買うしか。
で、さっそく購入、インストール。驚きました。
6.5から格段の進歩が。
まず驚いたのが、メディアベイ、トラックプリセットの進化。とくにトラックプリセットは使えるプリセットがたくさん入っている。
そしてミキサー周りの大幅見直し。チャンネルストリップが組み込まれている。SSL400ライクなGUIは、Reasonの影響がうかがえる。
トラックが完成したらあとはミキサー画面でほとんどの作業が完結できる印象。チュートリアルビデオでも「プロジェクトウィンドウよりミキサー画面が作業の中心になった」と言っていたけど、その通りだ。
ちょいちょいちょいとレコーディングしたらボリュームとパンをざっと決め、トラックプリセットで適当にコンプとEQを設定し、リバーブを薄くかける。最後にマキシマイザか3バンドコンプをかければラフミックスのできあがり。そんな使い方ができそう。
ただ、機能があまりに増えすぎて使いこなせるようになるには習熟が必要。マニュアルもいまいち分かりにくい。こまめにYouTubeのチュートリアルビデオを見ながら習熟するのがよさそう。
ビデオ?かったるい。そう思っていた時期がワタクシにもありました。
けど、操作に悩んで1時間いじくり回しているくらいだったら、チュートリアルを見てざっと習熟してから挑んだ方が結局は合理的。
久しぶりにDTM熱が過熱しそう。
秋の夜長、じっくり使いこなしてみるのが楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月10日 (木)

朝日が熱い

先週は岡山出張だったんだけど、岡山はジョギングロードが整備されていてビックリ。
河原沿いの気持ちいい道で、無理なく14キロ走れた。
おお、走力上がったじゃんオレ。
そう思って神奈川に戻ったら、ゼンゼン距離もスピードも上がらないの。
今朝もわずか5キロでへばる。たった7日前には苦もなく14キロ走れたのに。あああ。

神奈川で走れない理由は、この暑さと湿度だ。
暑い。というより熱い。太陽の熱をじりじりと肌に感じる。10月中旬なのに今日の気温は28度まで上がる。
9月下旬から涼しくなってきたんだけどなー。地球温暖化のせいかしらん。
ま、そうは言ってもこの気温でもしっかり走り込んでいるランナーもいる。要は持続的な努力ですね。
それにしても神奈川に秋は来るんだろうか。このまま一年中夏のままだったらどうしよう。うーむ。
こう暑いとつい口ずさんでしまう。夏夏夏夏ココナッツ。あいあいあいあいアイランド。古いね。
写真は今朝の三浦海岸。釣り人、ジョガー、サンパー(散歩の人)、犬連れ。熟年カップル。朝からにぎわっております。
Img_2116

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月 9日 (水)

酒をやめろというのをやめろの巻

AAはなぜアルコール依存症の回復に効果があるのか?
多くの人たちがいろんなことを言っている。
いわく、集団の力動のおかげ、とか。
12ステップの力だとか。
もちろん、それらの意見は当たっている。
でも、AAという集団の特性というか理念というか、そういう「雰囲気」みたいなものが果たしている役割も大きいと思うんだよね。

たとえばぼくは、AAに来ていちども「酒をやめろ」と言われたことがない。
AAは飲酒をやめたいと願う人たちの集まりだ。アルコホリズムからの回復を目指し、酒の問題と、壊れた人生の立て直しに取り組んでいる。
でも、この集まりの中で「飲むな」「酒をやめろ」と言われたことがない。
われわれはただ互いの経験を話し、プログラムに取り組む。
どうしたら問題を解決できるかについては話し合うけど、まだやめる気のない人、変わる準備のできていない人に「やめろ」とは言わない。

これは、AA理念の発露の一例だろう。
われわれはアルコールに対して無力だし、他人に対しても無力だ。ビル・Wが書いているように、われわれは経験というメッセージを携えたひとりのしもべに過ぎない。ハイヤーパワーに成り代わって他人を変えようなどとは思わない。
われわれがメッセージを運べば、彼のハイヤーパワーが彼を変えてくれる。そういう考え方だ。

飲んでいたころ、ぼくはさまざまな人たちに機会あるたびに「酒をやめろ」と言われてきた。
悲嘆に暮れて懇願する両親。酒をやめなければ離婚しかないと涙を流して訴える前妻。飲酒を何とかしなければクビになるという職場のプレッシャー。
彼らの訴えを聞くたびにぼくの心はきしみ、痛みを感じた。でもふしぎなことに、心が痛めば痛むほどぼくの酒はひどくなっていった。

AAは酒をやめる方法は提案するけど、やめろとは強制しない。
断酒を強制しない環境で、ぼくははじめて酒をやめることができた。
誰でも、強制には反発するものだ。とくにアルコホリクは過剰なまでに反発を感じる人種だ。
ぼくの場合も、酒をやめる必要性を理詰めで説教され追い詰められるほどに飲酒がひどくなった。
断酒を強制されない、温かい共感的な雰囲気の中で、はじめて酒の問題を見つめることができた。

強制なんかより、実例の方が100倍も説得力がある。
酒をやめて楽に生きていけるモデルがあれば、酒をやめろなどという必要は全くない。いまの自分の惨めな現実とどっちが良いのか、考えるまでもない。
逆に、AAが「酒をやめろ」「酒でどれだけ人生を失ったか考えてみろ」とニューカマーに説教を喰らわせるような集まりだったら、ぼくはAAにつながらなかったろう。飲み続け、今ごろは土の中だったろう。

アルコホリクの頭上には、ミサイル飽和攻撃のごとく無数の「酒やめろ」の言葉が降り注いでいる。爆撃から身をかわすのに精いっぱいで、冷静に我が身を振り返るどころじゃない。
ひどいアルコホリクがいたら、酒やめろというのをまず一度やめてみるといいと思うのですよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年10月 3日 (木)

なぜ酒をやめるのか?

節酒か断酒かという話を最近よく聞く。
医学の進歩とともに、断酒以外の選択肢も現実的な可能性として取り上げられるようになってきたようだ。
ぼくはAAメンバーだけど、禁酒主義者じゃない。また、依存症の診断を受けた人間はすべからく断酒を目指さねばならないと言うつもりもない。
節酒で行ける人はそれで行けばいいし、断酒が必要だと思う人は断酒を選べばいいと思う。

この話を聞くとき、ぼくはいつも「自分はなぜ酒をやめようと思ったのか」「なぜいま酒をやめているのか」を考える。考えないわけにはいかない。
「酒をやめなければ死ぬ」という周囲の声は、ぼくが酒を手放す理由にはならなかった。
死にたい、人生を生きるのが苦痛でたまらないと考えている人間が「やめなきゃ死ぬ」と言われても、「そりゃ結構」としか思えなかった。

ぼくが酒をやめようと思ったのは、まず最初にはアルコール専門クリニックに行かなければクビになるからだった。アルコールで問題を起こしてクビになるのは避けたかった。だからクリニックに行った。でも「酒をやめてなんになる」という気持ちがどこかにあった。
そもそも、酒をやめてしらふで生きるなんて、まぶし過ぎてできそうになかった。ぼくは真っ暗なアパートの一室でアルコールの闇におぼれているのが好きだった。そこから出てどう生きろというのか?

で、AAに行かされた。
AAに行ったら楽しかった。かわいい女の子がいて陽気な兄貴がいた。自分の知らない危険な世界の住人がいてスリリングな話が聞けた。何よりもミーティングに行くだけで褒めてもらえた。
「すごいね」「今週もたくさんミーティングに来たね」「カオルさんはすごいよ」
ミーティングに行くだけで褒めてもらえるんだから、ほしがり屋のぼくが行かないわけがない。
で、行き続けるうちにAAに行くのが楽しくなった。新しい友人たちはみな魅力的で、いっしょにいて楽しかった。新しい生き方とはこういうものか、と思えるようになった。

振り返ると、はっきりとした断酒の動機はなかったように思う。もちそんその時々で「酒はやめます」「がんばります」みたいなことは言っていた。言っていたけど、どこか周囲の期待する発言をしていただけのようにも思う。
最初は職場の上司やクリニックの医師に促されて仕方なく、そして気がついたらAAメンバーとして行動し、酒をやめる気持ちになっていた。そんな気がする。

何度も再飲酒したけれど、AAに行き続けていくうちに次第に酒が止まっていった。
「飲んだら死ぬ」ではなく「飲まない仲間といるのが楽しい」のが、ぼくが酒をやめる動機だった。
AAミーティングに行き、メンバーとして行動しているうちに、考えが変わっていった。ただただ光の指す方へ歩いて行ったら変化が訪れた。

変化の鍵は行動だった。
考えが変わったから行動したんじゃなくて、行動したら考えが変わった。
そして、酒をやめていくうちに、しらふの生き方がとても好きになった。

なぜ酒をやめるのか?答えが見つからなくてもだいじょうぶ。
最初からやめる気に満ちあふれている人なんて滅多にいないんだから。
行動すれば答えは見つかる。節酒か断酒か悩んでいるヒマがあったら、いろんな場所に出かけていろんな人と話をしてみればいい。

しかしいま振り返ると、当時の仲間たちは正しく「回復のよろこび」を伝えてくれていたんだな。感謝です。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »