奪われるだけ
きのう、某勉強会でこんな言葉を聞いた。
「奪われるだけでは人は酒を手放さない。なにか手に入るものがないと酒をやめない」
ほかにも色んな話題が出る中、この言葉がすっと胸に入った。
そうなんだよね。
まわりから見れば、飲んでいるアルコホーリクはわがままな暴君そのものだ。けど、本人には本人の飲む理由がある。さびしいからかも知れないし、酔うと気持ちがいいからかも知れない。人生のむなしさから逃避するためだったり、単に離脱の苦しさから逃れたいからかも知れない。でもかならず、酒飲みがボトルにしがみつくには何らかの理由がある。
そこに触れずにまわりが「酒をやめろ」と言っても、聞くはずがない。どんなに狂った酒でも、本人にはそれが生きていくための杖なのである。ただ奪われるだけなら、必死になって抵抗するだろう。
酒を手放すためには、それに代わるなにかが必要だ。それが見えないうちは、決してボトルを手放さない。
ステップ1は、アルコールに対して無力であることを認め、思い通りに生きていけなくなったことを認めるステップだ。でも、ステップ2と3で、自分なりに信じた神が健康な心にもどしてくれることを信じ、自分の意志と命の方向を神にゆだねる決心をする。そこがまさに「酒に代わるなにか」なのだと思う。
けど、「神さまがアル中を治してくれるから信じろ」と言われても信じるわけがない。だから最初は、AAという共同体を信じる。そんなにむずかしいことじゃない。この人たちは酒をやめているようだし、いつか自分もそうなれそうな気がする。そう思うだけでいい。
アルコホリクの酒をやめさせるのに、説教や理屈は無効だ。説教の内容は最初っから自分で分かっている。身を滅ぼす飲み方が理屈に合わないことも承知している。それでも、自分を殺す酒であっても、なんの希望も見えなければ、ひとはそれにしがみつくだろう。酒をやめる不幸よりもいまの不幸の方がマシ。知らない不幸より知ってる不幸の方がマシなのである。
新しいAA候補生がミーティングにやって来る。ふてくされた態度で会場の片隅に腰かけ、全身から「オレに話しかけるな」オーラを放出する。そんなニューカマーに、われわれは「酒に代わるなにか」を見いだしてもらえているだろうか。ほんの少しでも「酒をやめてみるのも悪くないな」「この集まりにまた来て見ようか」と思えるようななにかを提供できているだろうか。
おおくのアルコホリクが周囲から酒を奪われ、自尊心を傷つけられたすえにAAのドアを開ける。酒と自尊心を取り上げるようなやり方ではなく、われわれは酒に代わるなにかをそのひとに提供したい。そう思うのです。
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