ハーム・リダクション、カナダの“安全な”薬物自己注射施設、インサイト
数日前、CNNニュースを見ていたらカナダの「安全な」薬物自己注射施設のニュースを流していた。
以下のリンクから映像と記事を閲覧できる。いつ消えるか分からないので、興味のある方はお早めに。
Addicts shoot up in safe haven in Canada - CNN.com
カナダのバンクーバー市にある、InSite(インサイト)と言う施設だ。公営の施設である。
この施設では清潔な針、シリンジ、酒精綿などを提供される。薬物使用者はそれを使って、医療者の見守りを受けながら、安全に薬物を使用できる。薬物というのは、もちろん違法薬物だ。
たぶんなんの情報もなくこの話だけを聞いたら、多くのひとはおどろき、あきれ、怒るだろう。
依存症者に安全な薬物使用環境を与える、それも国民の税金を投入してだなんて。依存症の助長行為じゃないか、と。
この施設の意義は、ハーム・リダクションの概念を知らないと読みちがえてしまう。
ハーム・リダクションというのは、要するに「有害使用の低減」だ。
依存症者が、急に薬物使用をやめることはできない。強制的にやめさせることも、おそらくできない。法で使用を禁止しただけでは依存症はなくならない。だったらせめて、安全性を向上させ、死亡やHIV感染などの有害事象を少しでも低めたい。薬物使用を止めることはできなくても、不潔な針の使用やオーバードーズなどの悲劇を少しでも減らしたい。
それが「有害使用の低減」であり、インサイトの理念だ。
じっさい、1997年のバンクーバー市は世界でもっとも高いHIV感染上昇率だったと言う。
HIVやC型肝炎などの感染を防ぎ、オーバードーズによる死亡を減らす。そのために安全な薬物使用環境を提供するのは理にかなった行為だと思う。
インサイトは理にかなっている、とリアンネは言う。不潔な環境での注射、汚水の使用、針の共有などを減らせるからだ。「この問題をモラルで語るのをやめなくっちゃ。これは医療的な問題なんです。われわれアディクトは、統計上の数字じゃない。だれかの母であり、姉であり、娘なの。他人事じゃないのよ」
もちろん、依存症の治療目標は、有害使用の中止だ。ソブラエティ。クリーン。アブスティナンス。呼び方は何でもいい。要するに、病的な自己破壊的行動をきっぱりとやめて、回復に向かうことだ。
でも、回復には時間がかかる。回復の入り口に達するまでに、自己破壊的行動をくり返しながら、ときには何年も時間をかけて回り道することがある。でも、死ななければチャンスはある。死んでしまったら、次はない。たとえ死ななくとも、重い健康障害が残ったら残念だ。
インサイトの、あるいはハーム・リダクションの考え方は、決して反治療的なものではない。有害使用をすぐにやめられないのなら、せめて被害を軽くしようという考え方だ。
おそらく、それに対する最大の壁は常識だ。
CNNの記事の中にもこう書かれている。訳がつたないのは許してね。
作家、俳優、アディクションカウンセラーのデビッド・バーナーは1967年にカナダ初の依存症入所施設を立ち上げた。最良のハーム・リダクションはアブスティナンスだという彼の固い信念は変わらない。
「インサイトにはひとつ問題がある。依存症のメカニズムを完全に無視しているということだ。依存症のメカニズム?それは、もっともっと欲しいってことさ」「わたしはこう語りかける。ベティ、ジャック、クリーンになりたくないかい?いっしょにやろう。クリーンになろうじゃないか。取り組めば必ずできるんだ、と。理解できないね。『あそこには針があるんだ、いっしょに打ちに行こうぜ』なんて」
コストの問題、政治的な問題も大きいようだ。
インサイトは年間300万カナダドルの運営資金が税金からまかなわれている。未来の医療費節減効果があるという。が、インサイトへの出資を政府当局自身が渋っている。
インサイトはかならずしもカナダ州政府の支持を得ていない。2005年にスティーブン・ハーパー首相は「政府はドラッグ使用に資金を提供しない」と明言している。
前健康相トニー・クレメントは2008年に「「インサイトを例えるならこうだ。医者が喫煙者に、やけどをしないようにタバコをくわえさせる。あるいは心臓病の女性に、フレンチフライがのどに詰まらないよう見守る」と新聞に投稿している。
インサイトは特別な認可を受けて営業している。存続に関するカナダ政府との争いは、最高裁まで持ち込まれた。2011年9月、ハーパー首相の意に反し、カナダ最高裁はインサイトの存続を認めた。最高裁は、インサイトは薬物依存症者もほかのカナダ市民と同様、ヘルスケアへのアクセスを認めるものだ、としている。
最高裁の判断を、トロントやモントリオールはじめとする他の自治体も注目している。
トロント薬物戦略会議顧問、ゴールド・パークスは言う。「最高裁の判断は流れを変えた。薬物依存症を持つ人にも、平等な医療を提供しなくてはいけない。われわれは変わったのだ」
自己注射施設の実現を目的とした4年間の研究により、トロントに3施設、首都オタワに2施設の設立が提案された。しかし、2012年のトロント・オタワ管理消費研究(TOSCA)のこの結論は、トロント市当局に速やかに拒絶された。
トロントの薬物問題はバンクーバーとはちがい、目に見えにくい。しかし現実に市内で9,000人が薬物注射を日常的に行っている。TOSCAは、市民の50%がオンタリオでの自己注射施設の開業を支持しているとしている。
パークスは時間の問題だと言う。「じきにわれわれは厳しい現実に直面する。もしこの医療サービスを提供しなかったら、それは人を殺すのとおなじだということだ。トロントに自己注射施設が作られるのは数年以内だろう」
「注射室」(インジェクション・ルーム)はおおくの国々に存在する。1986年にスイスで初めて作られ、オーストラリア、ノルウェイ、スペイン、ドイツ、その他多くの国々が続いている。
薬物使用障害戦略の一環として、合法的な注射室を作ることは、バーナーには受入れがたい。「愚かなまま、薬の奴隷のままでいるのが慈悲深いというのか?人びとを健康に導くのに、ヘロインも針もクラック・パイプも必要ない。『傷口を見せてくれ。わたしは看護師だ。クリーンになろう』と言うだけなのに」
しかしリアンネのような人びとにとっては、けっして薬をやめられないという現実がある。彼女は20年薬物を使いつづけ、いまやインサイトだけが唯一の医療福祉とのつながりなのだ。
「わたしにはヘルスケアを受ける権利、人間として扱われ、ほかのひとと違う目で見られず、話したくないひとと話さない権利がある」「インサイトはいちどはわたしの、三度わたしの夫の命を助けてくれた」
ほかの市の注射室設立についてたずねると、彼女は即答した。「薬物使用者がいるんでしょう?だったら受入れるべきよ」
この記事では、当事者であるリアンネ、回復施設スタッフのバーナー、推進派のパークスの意見が披露されている。彼らの意見はすれ違っているようにみえるが、根っこはおなじだとぼくは思う。
それは、ヘルスケアを提供し、提供され、その人本来の生き方ができるようになりたい、ということだ。
リアンネはインサイトを使って、まずは生き延びたいと思っている。バーナーはアブスティナンスを提供したいと思っている。パークスはハーム・リダクションの立場から、まずは感染やオーバードーズを防ぎたいと思っている。
三者の思いがすれちがうのは、アディクション、ハーム・リダクションに関する固定観念が原因だろう。時代は変わり、アディクションの概念も、治療に関する常識も変わっていく。依存症が道徳論で語られていた昔、疾病モデルを提案した人たちは多くの非難を浴びたろう。時代は変わり、人も考え方も変わる。ハーム・リダクションが反治療的、反モラル的だと言う考え方は、常識、固定観念に縛られている要素が大きいのではないだろうか。
薬物依存症を急にアブスティナンスに導くのはむずかしい。治療や説得に100%はありえない。どれだけ医療や自助グループが発達しても、回復しない依存症者は一定数存在する。インサイトはモラルに反する、と言うのなら、路地裏で死んでいく彼ら無数の薬物依存症者たちを見て見ぬふりをするのも、またモラルに反するのではないか。
偏見などないのだ。古くなって、あらためねばならぬ常識が、偏見と呼ばれるだけなのだ。
—なだいなだ「アルコール依存症は治らない 《治らない》の意味」
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コメント
オランダのマリファナに対する政策でも使われていましたっけ。ソフトドラッグで留めて、ハードドラックに手を出さないように...
留めておけばハードドラックより金がかからないのかななんて学生の時思った様な気がします。ゲートドラックにもならないという説もあるみたいで。
依存症の自分としては、やってしまったら、いずれにせよ変わらず依存してしまうだろうなと思ってます。
投稿: とおる | 2013年4月16日 (火) 23:31
とおるさん
そうなんですか。寡聞にして存じませんでした。
ハーム・リダクションの取り組みが、あらたな依存症者を生み出す入り口になるとしたら、ジレンマですね。
インサイトも、ひょっとしたら「安全に打てる場所があるなら、クスリに手を出してみよう」と思う人を生み出す可能性がないともいいきれません。
バイアスの小さい大規模調査が待たれるところです。
ぼく自身、アルコールに依存したのは単に入手がかんたんだったからです。ハードドラッグが容易に入手できる環境だったら、まちがいなくそっちに行っていたでしょう。他人事とは思えないんです。
実は、アルコールにもハーム・リダクションの考えがあります。
次善の策として節酒を選択する、というものです。
アルコールのハーム・リダクションの考えは、おそらく日本では大きな論争を呼ぶでしょう。われわれAAメンバーも無関係ではいられません。知識をアップデートしていく必要があります。
投稿: カオル | 2013年4月17日 (水) 07:10
それ、わかります!自分も仮にハードドラッグが容易に手に入る可能性があったなら、手を出してしまっていたろうなと。1時期、CDのほとんどがオーヴァードーズで亡くなった人のものが多く、そちらに引っ張られていた時期がありました。また、好きなアーティストがドラッグをやっても音楽活動を続けていて、憧れから自分もだなんて思っていました。とんでもない幻想でしたけど(笑)
アルコールのハーム・リダクションですか。自分の感覚ですが、ノンアルコール系の飲み物って間接的にハーム・リダクションなのかなとか思うことがあります。
日本では大論争になるでしょうね。
止め始めの自分が、もしも、ハーム・リダクションを利用したら、少しの止める気すらなくなってしまっていたのかなと思います。
投稿: とおる | 2013年4月17日 (水) 09:56
そうですね、ぼくも「節酒か断酒か、どちらかを選べ」と言われていたら、節酒を選んでいたでしょう。そのあげく、回り道をして、たくさんのものを失ってから断酒にいたったでしょう。
一方で、断酒という選択肢をどうしても受入れられない人たちもいます。依存症予備群の人たち、認知機能に問題がある人たち、自分に正直になる能力のない人たちなどです。
今までは、予備群だったら放置し、断酒を受入れられない依存症者は医療福祉から放り出されました。
それをやめて、予備群には適正飲酒のケアとサポートをし、断酒を受入れられない依存症者には次善の策としての節酒を提案していこう、と言うのがアルコールのハーム・リダクションです。
とは言え、じっさいに「医者から節酒を勧められました」と言うひとがミーティングに現れたとき、われわれはどうするんでしょうね。
「飲酒をやめたいという願い」を持っていないのなら、AAメンバーになることはできません。
では、オープンミーティングで挙手があったら、節酒スピーチを容認するのか。できるのか。ひとりならともかく、そう言う人が増えてきたらどうするのか。
ハーム・リダクション、要注目です。
投稿: カオル | 2013年4月17日 (水) 11:57
う~わ~確かにそうですね。どうするんでしょうね。その時はAAが試されるときかもしれないですね。
自分個人としては、節酒を勧められたひとが来た場合もやっぱり今日1日を続けている姿を見せるしかないのかなって思います。
いや~ほんとにハーム・リダクション要注目ですね!なんだか、いろいろ考えるきっかけになりました。ありがとうございます!!!
投稿: とおる | 2013年4月17日 (水) 13:35