かつての同僚の結婚式
前職場の同僚の結婚式に行ってきた。
同年代の友人知人の結婚式はほぼ終わっている。久しぶりの結婚式参加だ。
かつての同僚というのは、前に書いたこともある、埋め合わせの相手である。
ぼくは一時期、彼に対するとらわれに悩まされていた。
彼の仕事のフォロー役をぼくが引き受けていて、尻拭いばかりやらされているように感じ、強い怒りと恨みを抱いていた。
スポンサーと相談して埋め合わせを行い、彼に許しを求めた。
そして、彼に対するとらわれがきれいに消えた。
その後、状況が一変した。ぼくは彼のフォロー役を降りた。彼に業務のすべてをまかせるのは不安だったが、最初のごたごたを乗り越えたあとは、何もかもが自然な形でうまくいった。問題は彼にではなく、ぼくの側にあった。ぼくの怒りや恨みが、問題を作りだしていた。
彼とぼくの関係はずっと良くなり、いまでもメールのやり取りがつづいている。
そういういきさつのあった彼の結婚式。感慨深い。
前職場トップ、主要な事務方の面々とも再会できた。
もしぼくが彼に恨みを抱きつづけていたら、ここにいなかっただろう。ここにいるひとたちとも会えなかっただろう。
自分の側の掃除をすれば、調和が戻る。孤独を作りだしているのは自分自身の側である。ひな壇に並ぶ新郎と新婦の顔を見ながら、そんなことを考えていた。
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