AAを離れた友人と
先日、AAを離れた友人と会ってきた。
AAを離れて4、5年になるだろうか。友人なりの充実した人生を過ごしているようで、何よりである。
互いの近況などを話したあと、AAを離れた理由をたずねてみた。
「何かがちがう」と感じたんだそうである。
友人は上京してしばらくのあいだ、何ヶ所かのミーティングに通ったそうだ。そこで話される内容に、違和感を感じた。
それはたとえば飲んで苦しんでいたころの話であり、いまAAプログラムによって回復できていることの幸せだったりした。でも、何かがちがう。
直截には、友人が抱えている人生の困難さと、そこのグループで分かち合われた内容との間にずれがあったのだろう。でも、友人はAAに何年も通いつづけ、グループを立ち上げた経験もある。少しくらいのずれでAAを離れてしまうような人ではない。
ぼくが思うに、友人は回復を分かち合えなかったんだと思う。
飲んで苦しかった過去を分かち合うのはたやすい。でも、回復を分かち合うのはむずかしい。回復自体、人によって濃淡はさまざまだ。立場、性別、年齢、職業、生い立ちや飲酒歴。さまざまに回復の道のりはちがっている。
でも、われわれは12ステップという共通の言語を持っている。12ステッププログラムに沿った回復の道のりを歩いていけば、そこに回復の分かち合いが生まれる。
海外のミーティングを何ヶ所か訪れた。けっして多い数じゃないけど、そこには12ステップの分かち合い、ステップに沿った回復の物語が分かち合われていた。
いっぽうの日本では、ステップに沿った話を聞けることがまだまだ少ない。先行く仲間がステップを使わなければ、後につづくものが使うはずもない。
ちょっと見にはAAともステップともまるで関係のない話をしているように思えて、その中にしっかりと12ステップが根付いている話をするひともいる。一方で、12ステップの話をしていても、空疎で背伸びしているだけの場合もある。この辺はもう、感性の問題かも知れないけど。でも、12ステップにそって成長しようと努力し続ければ、いずれそれは実質のともなったものに変わっていく。
自分が12ステップにそった回復していないと、そのいびつな回復のあり方はかならず新しい仲間に伝播していく。なぜなら、きちんとステップを踏んでいくよりその方がかんたんだからだ。
「ステップは一生かけて行うものだから、12ステップを理解できたなんて言うのはおこがましい」
「自分は直接の埋め合わせを行っていない。飲まないことそれ自体が傷つけた人への埋め合わせだからだ」
「ミーティングに出つづけることがすなわち12ステップの実践だ」
そういう意見はもっともらしいし、マネしやすい。でも、それは単なる自己正当化に過ぎない。
友人の側に12ステップが足りなかったのかも知れない。グループ側の問題かも知れない。あるいはその両方かも知れない。
問題を指摘するのはたやすい。でも、ぼくは自分のこととして考えてみる。想像してみる。
強迫的飲酒欲求がおさまり、酒に手を出さないでいることに以前ほど労力を費やさずに済むようになったとき。
ぼくは、なぜAAに通いつづけるのか?
惰性で通い続けられる地元のホームグループを離れて遠隔地に住んだとき、そこでかならず、自分がAAメンバーであり続ける理由を探すことになる。
初対面のメンバーたちの中で、ニューカマーのように手取り足取り教えてもらうこともなく、風習の異なるグループに、自分から溶け込んでいかなくてはならない。その労力を払う動機は何か?
その答えは12ステップによる回復の力だと、ぼくは思う。
グループの力も、ウェルカムな雰囲気も、回復の力がみなもとになっている。
ぼくがAAメンバーなのは、楽しいからだ。
12ステップを使って成長していくのが楽しい。自分が変わっていき、以前はできなかったこと、やろうとさえ思わなかったことをやれるようになるのが楽しい。12ステップという共通の言語を使って仲間が回復していくことがうれしい。新しい仲間の手助けも、スポンシーの相談に乗るのも、共通言語を通じてそこに何かが生まれ、自分と他人の人生がゆたかになる実感があるからだ。
どれもAAにつながる以前のぼくには、ひとかけらも持ち合わせていなかったものだ。
ぼくたちはそれを回復、と呼ぶ。あるいは成長、と。
妻も交えて3人でひとしきり話し、友人は友人の生活へ帰っていった。AAを離れても、AAへの感謝と親愛の気持ちが根付いているのを感じた。
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