1月20日渋谷O-nest、きのこ帝国の衝撃
2013年1月1/20(日)、渋谷O-nest「official bootleg vol.027」できのこ帝国を見た。衝撃だった。
洋楽の最良のエッセンスと邦楽の最良の部分が結合した、奇跡的なバランスのバンドだ。
幽玄のディレイサウンド、抑揚を心得た編曲。しずかな序盤から徐々に盛り上がっていく絶妙な曲構成。リードギターあーちゃんの明るいキャラクターとボーカル佐藤のミステリアスな雰囲気の対比。このバンドさまざまな角度から語ることが可能だ。
ぼくが強く印象に残ったのは、詩とメロディだ。
きのこ帝国の曲、その詩とメロディから「痛み」についてぼくたちは考える。痛みを感じる。生きること、他人や周囲との関わりで齟齬を感じること。傷つくこと。傷つけられること。
だれでも一度は感じるであろう、自分が周囲から遊離している感覚。どこにも属していない感覚。周囲や他人に接近したいと感じつつ、傷つくのがこわくて距離を取らざるを得ない感覚。
誰もが通過し、たいていのひとは忘れてしまう焼けつくような感覚を、きのこ帝国は表現する。
痛みと傷と息苦しい世界について、きのこ帝国はなんども歌っている。そう思える。
その幻想的なサウンドでマイ・ブラディ・バレンタインと比較され、高い文学性においてフィッシュマンズと比較されるきのこ帝国。
でもぼくが連想したのは、森田童子やPhewといった、生きることの苦しさと柔らかな自我の相克を表現してきたアーティストだ。
ときに繊細に、ときにアグレッシブに、きのこ帝国は自我と世界の相克と、その痛みを表現する。
手に負えない痛みや苦しみを感じるとき、われわれはその感覚を持て余し、よけいに苦しくなる。
でも、すぐれた表現者が痛みや苦しみを表現するとき、それは受け手に共鳴し、共感と勇気のみなもとになる。それが、表現するという行為の持つ力だ。すぐれた表現者と表現物は、受け手の感情を揺さぶり、個々人の記憶を揺り起こす。
たとえば次のような歌詞の一節だけで、ぼくたちはある種のエモーションをかき立てられずにはいられない。
「夜が明けたら
許されるようなそんな気がして
生きていたいと、涙が出たのです」(夜が明けたら)
ボーカル佐藤の表現力、澄んだ歌声はこのバンドの最大の魅力だ。加えて、優秀なバンドの表現力がそれを何倍にも増幅させている。アレンジの秀逸さ。アンサンブルの妙。緩急のつぼを心得たアーティキュレーション。ディレイとリバーブの魅力をとことん引き出したギターワーク。これぞバンドのマジックだ。
ニューアルバムの発売にともない、ライブツアーも行うきのこ帝国。
4月6日(土)横浜F.A.Dと、5月6日(月)ツアー最終の代官山ユニットでのワンマンには行くつもり。
ぼくにとって、ここ10年で「衝撃」と言えるレベルの、唯一のバンドです。
| 固定リンク
コメント