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2012年12月 8日 (土)

名古屋のロック喫茶「時計じかけ」の思い出

コメントをいただいたのをきっかけに、名古屋のロック喫茶「時計じかけ」の記事を読み返してみた。はずかしい文章だが、当時のことをまた思い出した。
ぼくが名古屋にいたのは1986年の4月から、87年の3月までだ。東山線の一社に近い予備校の寮に住み、河合塾千種校にせっせと通っていた。友人も知人もいないぼくは、周囲にまったく溶け込めなかった。すぐに予備校をサボって千種、今池あたりをひとりでフラフラと歩き回る日々が始まった。で、ライブハウスのとなりにあるロック喫茶「時計じかけ」を知り、足しげく通うようになったのだ。

上映中の映画館かと思うほどまっ暗い店内。爆音でLP片面をイッキがけするのが時計じかけの流儀だ。飲み物は、たしかコーラなどのソフトドリンクが400円くらいだったと思う。3時間以上滞在する場合は追加オーダーを頼むよう案内が書いてあった記憶がある。で、じっさいにたいがいの客は半日くらいは平気で滞在していた。1時間くらいで帰るひとがいると「あれ、短いな」と思うくらいだ。
店は中2階にもロフト式のエリアがあり、テーブルが三つくらいあったと思う。階段の上り下りが面倒なので、ぼくはたいてい1階に座っていた。店に入ると空いているテーブルを自分で見つけて座る。ぼくのお気に入りは、入り口に近い方から二つ目のテーブル。だいたいいつもそこに陣取って、タバコをふかし、ノートを読み、闇に身を沈めて大音量に身をひたしていた。

テーブルはどれも木製で、各テーブルにはノートが一冊ずつ備え付けられていた。いまとなっては信じられないことだが、昔の「ロック喫茶」や「フォーク喫茶」には、テーブルごとにノートが置いてあって、アーティストの感想や日々の思い、青春の思いが熱く書き連ねてあったのだ。ぼくもせっせと書いていた。ジョイ・ディビジョンに関することを長く書いた覚えがある。自分の書込みへの返事が書いてあることもあり、見つけるとすごくうれしかった。そう言う意味もあって、同じテーブルに座ることが多かった。
80年代当時は世の中に禁煙という概念はなく、時計じかけもたいがいの客がもくもくとタバコを吸っていた。というか、各テーブルに暗い電灯がいっぽん灯っているだけの環境では、タバコを吸う以外の大半の行動は不可能だった。
ちなみに、店員さんが注文を取りに来るんだけど、なにせ大音量のただ中である。店員さんが耳に手を寄せて客の口元に頭を近づけ、客は両手を筒にして店員の耳元にオーダーの内容を叫ぶ。ロックコンサートで会話をするようなもんだ。中には「コーヒー」としか頼まない客もいる。店員はとうぜん「ホット?アイス?」と怒鳴ることになる。客も負けじと「アイス!」と叫び返す。たまたま曲のブレイク部分だったりすると、そこだけ大声が店に響き渡る。「ふ。初心者め」と、常連ぶったぼくは横目でそちらをにらむのであった。

「時計じかけ」の暗闇をしめすエピソードがある。
いちど、ミニコミ誌の友だち募集欄で知りあった女の子と「時計じかけ」に行ったことがあった。彼女は名古屋近郊に住んでおり、この店を知らないという。ほかに案内できる店もないので連れて行った。彼女の希望で、ふだんは上らない中2階の席にすわった。女の子と二人でも、この店は音楽を聞く以外にやることがない。会話もできない。暗闇だからといってなにかふらちなことにおよぶ勇気もないし、だいたいこの店にはぼくが淡い恋心を抱いていた例の女性がつとめているのである。できれば来たくなかった状況である。
しばらくして女の子がトイレに立った。階下のトイレに行こうとした彼女は、あらんことか足を滑らせ、そのまま1階までずるずるっと滑落した。巨大な木琴をドラムスティックでなぎ払ったような音がした。大音量の中でも、彼女がみごとに滑り落ちる音は店中に響き渡った。ぼくも驚いたが店員も驚いた。びっくりして腰を浮かせたが、彼女は何ごともなかったようにぱんぱんとスカートのほこりを払い、トイレに歩いていった。おそろしきは十台の若者の体のやわらかさである。
それはともかく、そういうことが起きるくらいに店は真っ暗闇だったのである。ちなみにその滑落事件のせいか、その子とぼくははなにも盛り上がることなく、二度と連絡を取ることもなかった。

いまにして思えば、時計じかけの暗闇と大音量のロックは、ぼくの人生のいしずえのひとつだった。19歳だったぼくは、真剣に考えるべきことがたくさんあった。将来のこと、故郷に残してきた(これまたあまり盛り上がらなかった)ガールフレンドのこととか、上京してバンド活動をしている友人たちへの羨望、生きることとか死ぬこととか、両親への葛藤とか中二病的な自我のとらわれとか、さまざまなことを思い悩んでいた。悩むたびにこころがひりひりと痛んだ。それでも悩まずにはいられなかった。
時計じかけの暗闇と大音量のロックは、ぼくの痛みを和らげるのと同時に、考えるてがかりをくれた。ロックが人生の指針足り得た。しゃらくさいけど、他人にとらわれないこと、自由であることのたいせつさと意味を教えてくれた。ときに音楽は、そう言う力をひとに与える。まさにそのころ、その時代、ぼくはその場所とその音楽が必要だったのだ。
翌春、ぼくは大学に合格して名古屋を出る。すぐに留年して酒浸りになっちゃうんだけど、それはまた別の話。

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