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2012年12月29日 (土)

COUNTDOWN JAPAN 12/13に

COUNTDOWN JAPANフェスに来ています。今日とあすの2日間の日程。
混んでるのは混んでるんだけど、意外に快適。
今日の目的、甲斐バンドがみれて大満足です。

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2012年12月26日 (水)

俺達がやさぐれた事に理由なんか無かったよ ただ少しだけ不器用だったのかも知れない

なんということだろう。氣志團のベストアルバムを購入してしまった。
それもこれも「One night carnival」が名曲すぎるせいである。
80年代、たのきんトリオ(古いな)に触れた世代なら、この曲を素通りするわけにはいかない。
マッチこと近藤真彦になにがしか感化されたものなら、とくに。

曲中の語り(語りですよ語り!)のセリフがイカス。いかし過ぎている。

「俺達がやさぐれた事に理由なんか無かったよ。ただ少しだけ不器用だったのかも知れない」

マッチが乗り移っているとしか思えない。
単に80年代歌謡曲の焼き直しじゃない。あのころの若者に共有されていた、焼けつくような痛みを感じるセリフである。
年末はロッキング・オン主催の「COUNTDOWN JAPAN 12/13」に行ってくる。ことし唯一のフェス参加である。氣志團も見る予定だ。
ワンナイカーニバルで盛り上がるぜ!

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2012年12月24日 (月)

何度でもステップ1

ステップ1が薄れているな、と思うときがある。
ものごとがうまくいかないとき。思いも寄らないアクシデントが起きたとき。職場の飲み会に参加したとき。
アルコールに対して完全な敗北、無力を認めた。そして思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。ステップを進めていくうちに、人生の色んな場面で、他人や状況を思い通りに動かそうとし、とらわれていたことに気がついた。
BBに書いてある傲慢な役者そのままだったと気がついた。
それなのに、いつの間にかまた、傲慢な役者のように振る舞っている自分を見つける。
他人を、状況を、過去を、思い通りにしたい。そう思うこと自体は自然なことだ。
でも、そのたびにぼくの自我は暴走し、他人も自分も傷つけてきた。無力を認め、謙虚さや謙遜を求めたとき、少しずつそれは良くなってきた。

ものごとがうまくいかないとき、スポットチェックをする仲間は多い。
ぼくの場合、ステップ1、2、3を点検する。
ステップがうまく流れていないときは、ステップの最初の3つ、とくにステップ1が不確かになっていることが多い。
ステップの中で、完全に踏めるのはステップ1だけ。とは言え、いちばん忘れてしまうステップであるのもたしかだ。
無力を認めること。何度でも。おのれの過去を忘れ、自我が暴走しそうになるたびに。

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2012年12月23日 (日)

年賀状書き

不調である。
何が不調といって、年賀状書きである。例年のことながら面倒くさい。ゆううつである。
労力をかけ、精神的に具合が悪くなり、ほぼ丸二日間の休日がつぶれる。
毎年のことであるが、年賀状を印刷する段になってインクのストックが切れる。
住所録を用意しはじめてから、もらった喪中はがきが見当たらないのに気づく。
年賀状書きはおそろしい。

新しい職場は年賀状のやり取りが存在しない雰囲気である。気楽なことこの上ない。
一方で、前の職場の方はずばっと年賀状のやり取りを切りたいんだけど、雰囲気的に微妙なものが残る。結局、ほとんど去年と変わらない枚数になってしまった。
さあて、がんばって仕上げちゃいますか。
毎年、年賀状書きがなかったら師走の忙しい時期をもっと有効に使える気がする。おおそうじとか。でもまぁ、仕方がないよね。
考える前に、まずは手を動かしましょう。

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2012年12月20日 (木)

TOKYO ROCKS 2013が熱い

TOKYO ROCKS 2013の追加アーティストが発表された。
なんと、マイ・ブラディ・バレンタインに続き、プライマル・スクリームとブラーも出演が決定。

TOKYO ROCKS 2013 facebook

このTOKYO ROCKS、いちおう名前は知っていた。都心で国内アーティストを中心にした、中規模程度のフェスという印象だった。まさかこんな大物バンドを連発するイベントになるとは。おどろきである。

以前にも書いたとおり、あのオジー・オズボーンが主催するオズフェスと日程がかぶっている。

OZZFEST JAPAN 2013

ぼくは一日目をTOKYO ROCKS、二日目をオズフェスと考えていた。
が、TOKYO ROCKSはまだ各アーティストの出演日が発表されていないし、オズフェスも一日目、二日目とも魅力的なアーティストをちりばめている。オズフェス一日目はスラッシュが出るんだよね。
ブラーもプライマルも見たいし、スラッシュもトゥールもブラックサバスも見たい。
ほんと、狭い洋楽市場を食いあってどうするんだって思う。日にちをずらせば、両方とも満員になりそうなのにね。
嘆いても仕方ない。はやめにチケットを押さえたい気持ちを抑えて、もう少し様子を見ましょう。

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2012年12月19日 (水)

コネティカット州の銃乱射事件に思う

米国がまたしても銃規制で揺れている。
きっかけはコネティカット州の銃乱射事件だ。いたましい事件である。教師、児童あわせて27人が犠牲になり、犯人は自殺した。犯人像については、アスペルガー症候群を持っていたと報道される一方、疾患と犯行の関連性に疑問を投げかける声もある。CNNテレビの同時通訳では「頭のおかしいひと」と表現されている。
オバマ大統領は会見で涙を流し、銃規制に対し全力で取り組むと発言。これに対し、銃規制反対論者は真っ向から反発している。銃乱射事件が起こるたびに巻き起こる議論だ。

銃規制反対論者の主張は、以下の3点に集約される。
・憲法修正第二条により、市民が銃を持つ権利は保障されている。
・学校側がより強力な武装をしていれば(あるいは武装した市民が近くにいれば)犯人を撃ち、被害は少なかった可能性がある。必要なのは銃規制ではなく、正しい銃武装である。
・無法者はどんな手を使っても無法行為を行う。銃規制を行えば、無法者はどのみち銃を手に入れ、市民は身を守る手段をなくなる。銃規制は市民を危険にさらすだけだ。

この3点は相互に関連しあっている。根っこには、アメリカが武装した市民により建国された国であり、市民が武装するのは建国の精神に基づくものであるという、米市民のアイデンティティにある。
またじっさいに暴力に対する武装蜂起、武装による市民の抵抗が有効である状況は米国では続いているし、ライス元国務長官も自身の体験から、憲法修正第2条の必要性を支持している。


建国の精神、憲法、米国の銃犯罪率の高さ、NRA(米国ライフル協会)の影響力の高さ、さまざまな要素がからみあい、米国の銃問題を複雑にしている。
事実として、米国の銃犯罪率は圧倒的に高い。銃による死亡者は年間3万人前後で推移している。このデータを元に、規制論者は銃の規制を訴え、規制反対論者は自衛手段として銃所持の必要性を訴える。
じっさい、テキサス州では2007年から護身のため武器使用を認める自己防衛法が拡大され、2010年には合法殺人が48件起きている。くらべるのもなんだけど、日本のコンニャクゼリーによる死者数は13年間で22人である。

米国の銃問題は、アディクションとおなじジレンマを感じる。アル中は飲酒の有害性を認識しながらも、離脱の不快さをおさえるため、こころの痛みを忘れるため、飲んでフッと楽になる感覚が恋しいため、飲まずにはいられない。次の一杯がより悪い結果をもたらすことをどこかで認識しながらも、「とりあえず」次の一杯を飲み干す。飲み続けることも苦しい。止めるのも苦しい。ジレンマはつらい。直視したくない。だから飲む。
銃問題のジレンマも、それと共通しているように思える。米国民も、銃による被害の痛みは十分に承知している。それにもかかわらず、その不快さをおさえるためにはより銃が必要である、と言う主張がまかり通る。ジレンマは膠着したまま解消されず、結論は先送りされ、また次の事件が起こる。

「銃の問題を解決するには、より銃が必要だ」という主張は、「酒で問題を起こすのは、まわりが酒を取り上げるからだ」というアル中の屁理屈に近いものを感じる。飲んでいるとき、ぼくもその理屈を言い続けてきた。飲み続けるのは、まわりが酒を取り上げるからだ。と。でもこころのどこかでは、こんな飲み方を続けていれば破滅するに決まっていると分かっていた。だからこそ自分の屁理屈にしがみつき、問題をまわりのせいにし続けてきた。
米国民の銃に対する愛着、アイデンティティも理解できる。しかし、いま以上に銃規制を緩和し、市民社会に銃が広がり、正当防衛が拡大され続ければどうなるかはだれでも予想がつくだろう。学校や市民がみんなガンマンになれば銃被害者が減るなどという理屈は幻想だ。
市民が銃をコントロールすることはできない。市民の権利というのなら今回の加害者だって立派な市民だった。判断力の低下しているひと、かっとなりやすいひと、深い恨みを抱えているひと、さまざまなひとがいて、みな市民だ。全員に引き金を引かない判断力を求めるのはムリがある。銃をなくすことは、難しいことかも知れないが、けっして不可能ではない。
コントロールできないことを認めれば、楽になると思うんだけどな。

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2012年12月18日 (火)

忘年会シーズン

忘年会シーズンである。
ぼくの職場も、今週末に忘年会がある。気が進まないが、これ一回だけである。仕事の一部だと割切るしかない。
それはともかく、きのうの夜は妻と横浜に出かけたんだけど、その帰り。
電車の中が異様に酒臭い。周囲を見回すが、いつもどおり帰宅するビジネスマンが大半だ。とくにひどい酔っ払いがいるようにも見えない。つまり、多くのビジネスマンがふだんとちがって(あるいはふだん以上に)飲酒しているのである。
これが都会の年末か。忘年会シーズンか。車両ひとつまるまる酒臭いとは。ウワサには聞いていたが、予想以上の衝撃である。ビックリである。
たまたま乗り合わせた車両が運悪かっただけ、とも思ったが、根岸線も、みなとみらい線も、京急線も、みな酒臭かった。おそるべし忘年会シーズン。
酒の匂い、車内で飲酒するひと。車両のあちこちに酒の広告。
飲まないアル中、とくに止めはじめのひとにとってはたいへんな環境だ。ほんと、ひとりじゃ止められないよね。
などと考えながら家路についたのでした。さて、忘年会のプレゼント交換用アイテムを買わなくっちゃ。

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2012年12月12日 (水)

スポンサーから一言

神奈川に来てから、マイスポンサーと連絡を取っていなかった。いちどメールを書いたんだけど、PCアドレスからのメールははじく設定になっていたらしく、戻ってきてしまっていた。
それ以来、忙しさにかまけて連絡していなかったんだけど。
久しぶりにスポンサーからメールが来た。スポンサーシップを解消したい、と書いてあった。
がーん。
軽い視野狭さくが起きたが、気を取り直して全文を読む。
スポンサー側の環境的な問題で適切な対応ができないため、と。
マイスポンサーらしい、誠実な対応である。できないことはできないと、はっきり言えるのはすごい。
もちろん異論はない。応諾した旨を返信する。
率直で、誠実な対応である。スポンサーシップ解消のときも、彼の態度にブレはなかった。
彼と同じ率直さ、謙虚さを、自分は持てるだろうか。
スポンサーシップの最後でも、彼はぼくにだいじなものを手渡してくれたように思う。
ありがとう、マイスポンサー。
いつかまた、近いうちに。どこかでお会いしましょう。

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2012年12月11日 (火)

時間の伸縮

宿題は無事に終わりました。キアイを入れたら一晩でしあがったの。ホッとひと息。人間、キアイを入れれば何とかなるものです。逆に、キアイが入らないとやらない。ワタクシのばあい。だらだらとネットを見ちゃったりして、なーんも進まない。こまったもんです。
キアイが入っているときって、時間が経つのがとても早い。作業工程をスムーズに進めるため、ひとつのセクションの所要時間を30分づつタイマーで区切っているんだけど、さっき鳴ったばかりの30分タイマーがすぐにまた鳴る。感覚としては5分くらい。
逆にキアイが入らないとき(いまもそう)は、5分が1時間にも思える。一文字も打てずにwordの白紙画面と対峙している時間は、永遠にも思える。
いやね。じつはね。また次の宿題があるんですよ。つか、今年の9月ごろが締切りだった原稿。職場のHPに載せる文章。A4一、二枚のがふたつ。
これさえ終われば、年が越せる。真白いwordのファイルは目を背けたくなるプレッシャーだけど、仕方ない。
エンジンがかかりさえすれば、すぐ終わるんだよな。かかれエンジン。まだかエンジン。えい、えい。

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2012年12月10日 (月)

APSフィルムの終焉

いよいよAPSフィルムの終焉がせまってきた。わが愛用カメラCONTAX Tixも、いずれ手持ちのフィルムが尽きるのは時間の問題だ。現状では、APSフィルムを入手できるのはオークションのみ。それもどんどん相場が値上がりしている。現在、一本1,000円から1,500円くらい。期限切れ、あるいは期限切れに近いフィルムは安く、有効期限2014年の最終出荷分がいちばん値が高い。最近では一本あたり1,800円での落札もあった。

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今後、さらに相場は上がっていくだろう。さすがに一本2,000円近い値段では手が出ない。フィルム10本で新品デジカメが買えてしまう値段だ。
現在、手持ちのAPSフィルムは30本くらい。だいじに冷蔵庫の野菜室にしまってある。これが終わるときが、わがTixの終わるとき。
だからといって、出し惜しみはしない。道具は使ってなんぼ。カメラは撮ってなんぼ。
失敗を怖れず、バシャバシャ撮っていくつもりだ。
それにしても、一時期でいいから生産再開しないかな。ベータマックスのビデオテープはいまだにAmazonでも購入できるというのにね。
写真は去年、ベネチアのスーパーマーケットで撮った一枚。もちろんTix。

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2012年12月 9日 (日)

苦しんだ時間は

名古屋の浪人時代のことを書いていて思ったんだけど、苦しんだりつらかったした時代のことは、とても良く覚えている。逆に、福島にいたころ、震災前の3、4年のことはあまりはっきり覚えていない。日々の雑事や目の前のことをやっているうちに、あっという間に通り過ぎた印象だ。で、ことし神奈川に来てからのできごとはとても良く覚えている。

悩み、苦しんでいるとき、そのつらさは試練なんだと思う。つらいことはイヤだけれど、試練がひとを鍛えるのもたしか。そこをくぐり抜けてどう成長するか、だよね。
悩みも苦しみもしないで成長することはできない。痛みがひとを鍛える、というのは当たっていると思う。
だれだって痛いこと、つらいこと、苦しいことはイヤだ。けど、何かを手に入れるには対価を支払わなくてはいけない。対価なしに報酬はありえない。のだ。

てなことで、目の前の白紙のword原稿を前に苦しんでおります。上長からの宿題、今週中に3500字+図版5点の原稿。ネタなし。経験なし。グーグル以外に助けなし。
苦境極まれり。
さて、これは自分のためなんだ、成長のための試練なんだと言い聞かせて、取りかかるとしますか。

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2012年12月 8日 (土)

名古屋のロック喫茶「時計じかけ」の思い出

コメントをいただいたのをきっかけに、名古屋のロック喫茶「時計じかけ」の記事を読み返してみた。はずかしい文章だが、当時のことをまた思い出した。
ぼくが名古屋にいたのは1986年の4月から、87年の3月までだ。東山線の一社に近い予備校の寮に住み、河合塾千種校にせっせと通っていた。友人も知人もいないぼくは、周囲にまったく溶け込めなかった。すぐに予備校をサボって千種、今池あたりをひとりでフラフラと歩き回る日々が始まった。で、ライブハウスのとなりにあるロック喫茶「時計じかけ」を知り、足しげく通うようになったのだ。

上映中の映画館かと思うほどまっ暗い店内。爆音でLP片面をイッキがけするのが時計じかけの流儀だ。飲み物は、たしかコーラなどのソフトドリンクが400円くらいだったと思う。3時間以上滞在する場合は追加オーダーを頼むよう案内が書いてあった記憶がある。で、じっさいにたいがいの客は半日くらいは平気で滞在していた。1時間くらいで帰るひとがいると「あれ、短いな」と思うくらいだ。
店は中2階にもロフト式のエリアがあり、テーブルが三つくらいあったと思う。階段の上り下りが面倒なので、ぼくはたいてい1階に座っていた。店に入ると空いているテーブルを自分で見つけて座る。ぼくのお気に入りは、入り口に近い方から二つ目のテーブル。だいたいいつもそこに陣取って、タバコをふかし、ノートを読み、闇に身を沈めて大音量に身をひたしていた。

テーブルはどれも木製で、各テーブルにはノートが一冊ずつ備え付けられていた。いまとなっては信じられないことだが、昔の「ロック喫茶」や「フォーク喫茶」には、テーブルごとにノートが置いてあって、アーティストの感想や日々の思い、青春の思いが熱く書き連ねてあったのだ。ぼくもせっせと書いていた。ジョイ・ディビジョンに関することを長く書いた覚えがある。自分の書込みへの返事が書いてあることもあり、見つけるとすごくうれしかった。そう言う意味もあって、同じテーブルに座ることが多かった。
80年代当時は世の中に禁煙という概念はなく、時計じかけもたいがいの客がもくもくとタバコを吸っていた。というか、各テーブルに暗い電灯がいっぽん灯っているだけの環境では、タバコを吸う以外の大半の行動は不可能だった。
ちなみに、店員さんが注文を取りに来るんだけど、なにせ大音量のただ中である。店員さんが耳に手を寄せて客の口元に頭を近づけ、客は両手を筒にして店員の耳元にオーダーの内容を叫ぶ。ロックコンサートで会話をするようなもんだ。中には「コーヒー」としか頼まない客もいる。店員はとうぜん「ホット?アイス?」と怒鳴ることになる。客も負けじと「アイス!」と叫び返す。たまたま曲のブレイク部分だったりすると、そこだけ大声が店に響き渡る。「ふ。初心者め」と、常連ぶったぼくは横目でそちらをにらむのであった。

「時計じかけ」の暗闇をしめすエピソードがある。
いちど、ミニコミ誌の友だち募集欄で知りあった女の子と「時計じかけ」に行ったことがあった。彼女は名古屋近郊に住んでおり、この店を知らないという。ほかに案内できる店もないので連れて行った。彼女の希望で、ふだんは上らない中2階の席にすわった。女の子と二人でも、この店は音楽を聞く以外にやることがない。会話もできない。暗闇だからといってなにかふらちなことにおよぶ勇気もないし、だいたいこの店にはぼくが淡い恋心を抱いていた例の女性がつとめているのである。できれば来たくなかった状況である。
しばらくして女の子がトイレに立った。階下のトイレに行こうとした彼女は、あらんことか足を滑らせ、そのまま1階までずるずるっと滑落した。巨大な木琴をドラムスティックでなぎ払ったような音がした。大音量の中でも、彼女がみごとに滑り落ちる音は店中に響き渡った。ぼくも驚いたが店員も驚いた。びっくりして腰を浮かせたが、彼女は何ごともなかったようにぱんぱんとスカートのほこりを払い、トイレに歩いていった。おそろしきは十台の若者の体のやわらかさである。
それはともかく、そういうことが起きるくらいに店は真っ暗闇だったのである。ちなみにその滑落事件のせいか、その子とぼくははなにも盛り上がることなく、二度と連絡を取ることもなかった。

いまにして思えば、時計じかけの暗闇と大音量のロックは、ぼくの人生のいしずえのひとつだった。19歳だったぼくは、真剣に考えるべきことがたくさんあった。将来のこと、故郷に残してきた(これまたあまり盛り上がらなかった)ガールフレンドのこととか、上京してバンド活動をしている友人たちへの羨望、生きることとか死ぬこととか、両親への葛藤とか中二病的な自我のとらわれとか、さまざまなことを思い悩んでいた。悩むたびにこころがひりひりと痛んだ。それでも悩まずにはいられなかった。
時計じかけの暗闇と大音量のロックは、ぼくの痛みを和らげるのと同時に、考えるてがかりをくれた。ロックが人生の指針足り得た。しゃらくさいけど、他人にとらわれないこと、自由であることのたいせつさと意味を教えてくれた。ときに音楽は、そう言う力をひとに与える。まさにそのころ、その時代、ぼくはその場所とその音楽が必要だったのだ。
翌春、ぼくは大学に合格して名古屋を出る。すぐに留年して酒浸りになっちゃうんだけど、それはまた別の話。

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2012年12月 7日 (金)

またしても地震

きょうは仕事を早上がりして実家に行くことになっていた。
が、新幹線に乗っている途中で急に周囲が騒がしくなった。あちこちのケータイ電話がブーブーと緊急警報を出しはじめた。と、ぼくのiPhoneも鳴りはじめる。地震が発生したらしい。
と、見る見るスピードを落として新幹線が停止した。宇都宮を出たばかりである。
あれ、と思うまもなく電気も消えた。まっくらだ。
車内アナウンスが放送される。東北で地震が起きて安全停止したこと。送電が止まって停電していること。
あれま。
これはかなり大規模な地震にちがいない。


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待つことしばし。
わりと早めに電気は戻ったが、新幹線はなかなか発車しない。そりゃそうだ。安全確認しないうちは運行を再開できないもんね。
これは、サイアク車中泊かも。
同じことをほかの乗客も思ったらしく、すぐに回ってきた車内販売のカートが見る見る減っていく。
あわてて自分もお菓子、お茶を確保する。

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東北で地震があり、津波の可能性もあることをアナウンスが告げる。しかし詳しい情報は分からない。
こういうとき、インターネットは便利である。facebook、twitterで次々と情報が入ってくる。こういうときに即時性の高いメディアはネットだと思っていたが、その中でもさらにSNS系の方が速い。
ライブドアニュースやヤフーのトップページは地震関係の情報がなかなか入らなくてイライラ。
どうやら青森から関東にかけて、幅広いエリアで地震が起こり、津波の可能性があることが分かる。
まさか3.11の再来では…

心配していたが、そこまでには至らなかったようだ。
車内アナウンスも点検が終わり、各地で運行が順次再開していることを告げはじめた。
結局、1時間ほどで新幹線は動き出した。ホッ。

が、ダイヤが大幅に乱れ、あちこちの停車駅で足止めをくらう。結局、いつもは1時間半もかからない道のりが、倍もかかってしまった。まぁ、それで済んだのは不幸中のさいわいというべきか。運航再開に至る道のりはかなりきびきびした印象があった。さすがJRの技術力。

なんとか無事に実家にはたどり着けたけど、いろんなことを考えた。
震災の記憶が薄らいでいたつもりはなかったけど、こうしてまた地震で生活に影響が出ると、当時の記憶がまざまざとよみがえってくる。

あの非日常感覚。現実がもろくて、目の前のたしかなものが実はあっけなく崩れ得るんだという感覚。
あの震災の影響で持ち物は少なく、シンプルに生きようと決めたのに、気がつけばまたいろんなモノに囲まれて暮らしていること。
日々の暮らしでいつしか忘れがちだけど、あの震災の時の何とも言えない気持ち、忘れたくないものです。

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2012年12月 6日 (木)

年末は神奈川で

毎年、年末は郷里のAAで年越しミーティングに参加していたが、ことしは仕事でムリそうだ。元旦の朝から出勤である。ここ数年ではじめて、妻と二人で年を越すことになる。いつもの年越し、いつもの仲間と会えないのは残念だが、また次の機会がある。楽しみは先にとっておくことにしよう。
気がつけば今年もあと4週間だ。やりたいこと、やるべきだったことは大いに積み残っている。でも、新しい職場で仕事をするという大目標は達成できている。それで良いだろう。
何年も前、このブログで「やりたいことを、ぼくは何ひとつあきらめない」と書いたおぼえがある。
いまもその気持ちは変わらないけど、一方で、ひとができることには限界があることも学んだ。時間も、能力も、人間には制約がある。その中で、できることをやっていく。やれなかったことはあきらめる。手放す。できなかったことを悔やむのではなく、できたこと、達成できたことに感謝する。ふり返りはもちろん大事だけど、やりたいこと、願うことをすべて実現するのは不可能だ。
まいにち元気に仕事に行けて、ミーティングに行けて、家庭で楽しく過ごせる。それでいいと思うのです。

ああ、でもせっかく神奈川に来たんだし、もっとライブに行きたかったな…ミーティングやラウンドアップも…ジョギングももっと走れたはずだし…ギターもDTMも…( ゚д゚)ハッ!イカンイカン

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2012年12月 3日 (月)

都合のわるい真実を受入れる

「「先生]ヘンリーはいう。「たった今、ひどいへまをやっちまいました」
「どうしてそんなことになったのかな、ヘンリー?]ヘンリーは医者の役もつとめる。
「患者に真実を告げたんです」
「おやおや、真実を知れば、人は解き放たれて自由になるのではないかね?」
「いいえ」ヘンリーは天井を見あげ、自分自身の問いかけに答える。「そんなことは絶対にありません」
「目を閉じたまえ、ヘンリー」
「分かりました、先生」(1巻、p58)

ひとは都合の悪い真実を受入れない。真実は人を解き放つ、と言うことばは、ある一定条件下でしか作用しない。
たとえば「他人は自分の思い通りにならない」ということ。もちろん手の届かない相手、たとえば米国大統領やバチカンの大司教が思い通りにならなくても、われわれはなんの痛痒も感じない。しかし、コミュニケーション可能な手の届く相手、家族や同僚、まわりのひとたち、ときにはネットごしの他者がわれわれの思うように行動しないとき、われわれはいらつき、怒り、ときにみずから関係を断ち切る。

せんないことだ。バチカン大司教を意のままに変えられないのと同じように、妻や上司を変えることはできない。

でもコミュニケーション可能な相手なら、自分の言葉を通じて相手に働きかけることができる。言葉を通じて、自分の意見のメリット、正当性を主張して相手を変えることができると考えるからだ。
もちろん、それはただしい。ひとは変わる。ひととひとの相互作用によって変わらないひとはいない。ただし、それは正当性によってではなく。

ではどんな状態のときに、ひとは真実を受入れるか?
「受入れる準備ができているとき」である。
自分とちがう意見を受入れられないひとは、きっとまだその準備ができていないのだろう。

ひるがえって、自分はどうか。
真実を受入れるのはつらい。年齢を経るにつれ、頭脳は衰え、身体機能も低下してくる。アタマは固くなり、マラソンのタイムは下がる一方だ。
でも、オープンマインドネスはきたえることができる。経験を重ねれば、以前は受入れられなかった事実も受入れられる力がもらえる。

自分とちがう意見、不都合な真実を受入れられる。そういう力をもらいたいものです。

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