何度でもステップ1
ステップ1が薄れているな、と思うときがある。
ものごとがうまくいかないとき。思いも寄らないアクシデントが起きたとき。職場の飲み会に参加したとき。
アルコールに対して完全な敗北、無力を認めた。そして思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。ステップを進めていくうちに、人生の色んな場面で、他人や状況を思い通りに動かそうとし、とらわれていたことに気がついた。
BBに書いてある傲慢な役者そのままだったと気がついた。
それなのに、いつの間にかまた、傲慢な役者のように振る舞っている自分を見つける。
他人を、状況を、過去を、思い通りにしたい。そう思うこと自体は自然なことだ。
でも、そのたびにぼくの自我は暴走し、他人も自分も傷つけてきた。無力を認め、謙虚さや謙遜を求めたとき、少しずつそれは良くなってきた。
ものごとがうまくいかないとき、スポットチェックをする仲間は多い。
ぼくの場合、ステップ1、2、3を点検する。
ステップがうまく流れていないときは、ステップの最初の3つ、とくにステップ1が不確かになっていることが多い。
ステップの中で、完全に踏めるのはステップ1だけ。とは言え、いちばん忘れてしまうステップであるのもたしかだ。
無力を認めること。何度でも。おのれの過去を忘れ、自我が暴走しそうになるたびに。
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