有意義な二日間だった。
「一日半、ひたすらビッグブックの分かち合いをする、ちょっとハードコアな勉強会」のタイトル通り、ひたすら勉強会。
忘れないように、内容をふり返ってみたい。
オープニング。
ユング博士からローランド・ハザード、オックスフォードグループやエビーからビルとボブに至るまでのAA前史。
その中でビル・Wに問題の特定、解決の見極め、解決に必要な行動の3つの要素が集まり、12ステップの元になったこと。
ステップをDr.ボブと分かち合ったことからAAが始まったこと。
ここまでの話にかなり長い時間が割かれた。
物語としても興味深い。けどそれ以上に、AAが生まれた経緯をたどることで、AAという集団の本質があきらかになる。
AA前史からAAの成立過程を考えれば、AAと言う共同体は「12ステッププログラムを使ってアルコホリズムからの解決を目指す集団」であることは自明である。
スピーカーの話したように、「アル中が二人集まって互いの問題を話し合うだけでAAができるのなら、全国の病院で毎日AAが生まれてもおかしくない」はずなのだ。
アル中同志の出会いなら、全国のアルコール病棟、アルコール外来で日常的に起こっている。でもそこからは何のムーブメントも発生しない。
AAが奇跡的なのは、12ステップの要素がビル・Wの元に集まり、それをDr.ボブに実践することでフェローシップが生まれ、ステップを使った相互支援による回復が実践できたこと、ここだ。
だからAAは「ステップを使って回復をめざす」集まりである。
今回のセミナーと同様、プログラム・フォー・ユーも赤本・緑本も、ここを強調している。
ステップは「アルコホリズムが解決したあと」に使うものではなく「アルコホリズムを解決するため」に使うものである。
AAの発展するにつれ、12ステップは「アルコホリズムを解決するため」のツールではなく、酒が止まったあとでの、何か道徳的な目標のようになってしまった、と言うのは言い過ぎだろうか。
酒を止めるにはまずミーティング。酒が止まって何年かしたら、少しずつステップ。
そういう風潮があったのは否めない。
頭がすっきりしていない時期にはムリだとしても、ある程度落ち着いたらすぐにでもステップをやった方がいいとぼくは思う。
酒を止める、止め続けるためにステップを使い、支え合う。そういう集まりなんだから。
話がそれた。
パワーポイントを使ってビッグブックのゴール、ステップ全体の俯瞰、渇望、身体のアレルギー、強迫的な飲酒欲求などの説明があり、会場の分かち合いがあった。
それから各ステップの話があり、回復の定義、神概念についてなどの熱い討論が交わされた。棚卸しと本能、埋め合わせの実践など、詳細を書き出すとキリがないんで省くけど、楽しいセッションだった。
今回のセミナーを一言で言えば、「会議」と言う表現が当てはまるのではないだろうか。
企画・提案者が概要を説明し、全員でプレインストーミングしていく感じ。
新しい仲間も家族もほかのアディクトもみな活発に発言していたのは、主催グループの方々のソフトで明るく、オープンマインドな雰囲気のおかげだろう。
参加して、自分が12ステップの実践から遠ざかっていたのに気づいた。
日々の棚卸しも祈りと黙想もせずに、ここ数ヶ月は過ごしていた。引っ越して以来ステップの手渡しもやってないし、ミーティングでも日々のできごとを話しているだけだった。
12ステップは循環する。新しい仲間に伝えることで、自分の中でも12ステップが一回りし、成長と回復が進む。
循環をやめれば流れは止まり、少しずつ濁っていく。
「回復とは、下りのエスカレーターを上るようなもの」とは良く言ったものだ。たしかに、前に進むのを止めればいつの間にか後退していくもんね。
回復の定義について話し合いが行われたけど、ぼくが思うに、回復と言う状態のあり方は「これこれこういうポイントに到達したらゴール」って言う、そういうスタティックなものではないんじゃないかな。
もちろん強迫的飲酒が止まっているとか、感情のソブラエティが得られているとか、社会的に一定の役割をこなしているとか、目安みたいなものはあると思う。そういう目安を集めて「回復の定義」ってのを作るのは可能だろう。
けど回復という状態の有り様それ自体はスタティックなものではなく、「成長し、良い状態を維持し続けている」って言う、継続的でダイナミックなものじゃないかな。
そのためには新しい仲間の手助けをして、仲間の回復の手助けと、自分の成長を続けていく必要がある。
そんなことを考えながら帰路についた。
長野は緑がきれいで野山に囲まれていて、とても美しいところだった。
福島の風景に似ている。
水と土がよければ、良い作物が育つ。
枯れた土壌には、どんな良い種も芽を出さない。
自分も良い土、良い水になりたいものです。
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