なぜアルコホリクは自己破壊的な飲酒を繰り返すのか?
強迫的な飲酒欲求。
きのうからずっと考えていた。
なぜアルコホリクは自己破壊的な飲酒をするのか。
次に酔っぱらえば福祉を切られる。家族が去る。職を失う。社会的信用をなくす。
そういうときに限って酔っぱらう。ここ一番、ここが正念場と言うときに限ってわれわれアルコホリクは最初のいっぱいに手を付け、目も当てられないほどに酔っぱらう。そして失う。
なぜなんだろう。
この数日、その疑問が頭を離れなかった。
頭が悪いわけじゃない。理解力や判断力を失っているわけでもない。妄想や幻覚に支配されているわけでもない。
話も通じるし、自分の置かれている状況もよく分かっている。
でも、きつい状況、ここ一番の踏ん張りどころと言うときに限ってわれわれは飲んでしまう。狂っているとしか思えない。
過去の自分を思い返してみた。
つらかったこと、死にたかった気持ち、当時の状況(ほぼサイアク)を思い出すことは容易だったけど、なぜ最初の一杯に手を付けたのか、うまく思い出せなかった。
一昨日のミーティングで12&12を読み、仲間の話を聞いているうちにふっと答えが浮かんだ。
つらいとき、苦しいとき、周囲のあらゆるものごとが自分を押しつぶしそうに思えるとき。
そんなとき、ぼくは酒がもたらす一瞬の酩酊、わずかな時間の酔いが必要だった。
現実逃避と言えばそれまでだ。けど、酩酊して頭の芯がしびれ、やがてブラックアウトの淵に沈み込んでいく感覚。それ以外に、目の前のきつい状況に対処する手だてを持たなかった。それがどんなに破滅的な行動か理屈では分かっていても、目の前のつらい状況、いま感じるこの痛みを消すためには、アルコールと言う薬物がもたらす酩酊感しかなかった。
そう、われわれは酒を麻薬と同じく、痛みを消しつらさを忘れる薬物として使っていた。
飲まない期間が長くなるにつれ、われわれは酩酊以外の、より社会的な問題解決スキルを身に付ける。でもまだどこかに、ストレスフルな状況に対して酔いを求める傾向は残っていると思う。かつてあんなに強かった飲酒回路が、そんなにかんたんに消滅するわけがない。怒り、自己憐憫、強い悲しみなど激しく感情が揺さぶられるとき、眠っていた飲酒回路がよみがえってくる。
おおぜいの先行く仲間の失敗談、苦い経験をわれわれは知っている。
生き続けたければ感情のソブラエティをメンテナンスし続けること。霊的な成長を求め続けること。孤立しないこと。われわれのアルコホリズムは、霊的な状態を維持すると言う条件付きで執行猶予されているにすぎないんだから。
過去から学べない者は過去に打ちのめされるように運命づけられているのだー スティーブン・キング「デスペレーション」
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