« 仲間とのしばしの別れ | トップページ | 異郷の暮らし »

2012年3月23日 (金)

南相馬市に行ってきた

沿岸部に行ってきた。
震災以来、沿岸部には行かないようにしてきた。
道路事情も悪いのにクルマで出かけて迷惑になるのがはばかられたし、何よりも物見遊山で被災地に出かけるのは不謹慎な気がして、自重してきた。
今回、福島を離れるにあたり、最後に被災した当地を見ておくことに決めた。こんど来るころには、きっともう津波の爪痕も見れなくなっているだろうから。

飯舘村を通り、南相馬市に向う。
南相馬市に行く幹線道路だけあって、交通量は多い。が、全村避難しているためだろう。家々に人の気配はない。
途中、数頭の牛を道端の草地に見かけた。

120322iitate01

警官の姿をあちこちで見かける。空き巣対策だろうか。
飯舘村役場の前を通ったら、数十台のクルマが駐車場に止まっていた。もぬけの殻の町を想像し、実際に空き家は多いんだけど、役場を始めあちこちに人の姿を見かけた。
残っている人の姿、残された家々の姿を見るにつけ、何とも言えない気持ちになる。
震災は過去のことではなく、現在も進行中なんだと思う。

飯舘村を抜け、南相馬市のヨッシーランドに向う。
36人が犠牲になった介護老人施設である。
沿道から手を合わせるだけでも、と思って向ったが、ロープも張っておらず出入り自由な状態だった。少し迷った揚げ句、敷地内に入る。
玄関には献花台が置かれ、花やお供え物が捧げられていた。
われわれ夫婦も手を合わせる。

中は想像を超える状態だった。
ぼくの身長より高いところに、津波につかった泥あとが見える。こんな高さまで津波が押し寄せてきたらと思うと、言葉を失う。
割れた窓ガラスもメチャクチャになった建物も、そのままの状態。
写真も撮ったけどとてもブログに上げる気持ちになれない。
ただただ亡くなった方々のご冥福を祈るばかりだ。

ヨッシーランドからさらに海に向って進む。
通行禁止区域ではないんだけど、仮説の信号機を越えたらいきなり道路がなくなった。
車を降りると、まわりは何もない。一面の荒野。よく見るとあちこちの足下にコンクリートの基礎石があって、もともとは何かの建築物があった様子がうかがえる。でも見渡す限り、何もない。ほんとうに何もない。ここにあったはずの生活の匂いが、根こそぎ消え去っている。

120322souma02

巨大な堤防が崩れている。
写真では分かりにくいが、ほんとうに巨大な堤防だ。
ここを乗り越えて津波が押し寄せたことが分かる。


120322souma01_2

さらに相馬市の松川浦も見てきた。
巨大な震災、津波が、生活を根底からもぎ取って行った。
自然の脅威、失ったものの大きさに絶句するしかなかった。

底の浅い意見かも知れないが、機会があったら震災の爪痕は見ておいた方がいい。復興が進んで巨大な暴力の影が見えなくなる前に。
自然の強大さ。自然の無慈悲な暴力。
その前にはわれわれの暮らしの安全、日常の基盤なんていかにもろく、儚いか、よく分かる。
月並みだけど、命の尊さも。
あらためて、震災で亡くなった方々のご冥福を祈ります。

|

« 仲間とのしばしの別れ | トップページ | 異郷の暮らし »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/35048/54289817

この記事へのトラックバック一覧です: 南相馬市に行ってきた:

« 仲間とのしばしの別れ | トップページ | 異郷の暮らし »