死の国は時が止まった世界〜リトル・チャロ2〜
毎回欠かさず見ているTV番組のひとつ、リトル・チャロ2。
物語がいよいよ佳境に入ってきた。
死の国の妖精ランダは翔太を誘惑する。
死の国は時が止まった世界。そこでは夢はかなったままだし、花は枯れることがない。とてもすばらしい世界だ、と。
幻覚を見せて死の国へ誘うランダに、チャロの母カノンが反論する。
ちがう。時間が静止した世界は、素晴らしくなんかない。花は枯れて咲き、人は成長していく。変化すること、成長することこそが生きている証なのだ、と。
数々のエピソードから片鱗を除かせていたテーマが、ここにきて一気に前に出た。
生とは何か?死とは何か?
思えばこれまでの登場人物は、過去にとらわれて人生を前に進めることができなかった。
友だちのいない孤独な王さま。娘の死にとらわれて孫娘を置き去りにした科学者。心を閉ざした茶色い子犬。
過去にかなわなかった思いを遂げようとするあまり、彼らの視線はいつも後ろ向きだった。
そんな彼らが住むのが「相の国」という、死者の国と生者の国の中間の場所。
でも、過去を変えることに執着して人生を前に進めることができない彼らは、中間ではなく、すでに死んだ存在だったんだと思う。
生とは変化すること、ダイナミズムそのものだ。
ひとは成長し、変化し、出会い、別れ、やがて衰え、消え果てる。ある意味、それは苦痛である。容姿は衰え、肉体の機能は低下し、より新しい世代に席を譲り、老いていく。ひとは果てしなく間違え、果てしなく失敗し続ける。時にその代償は、わずかな教訓だけだったりする。楽しいことも多いだろうけど、苦痛なことの方がより多いはずだ。
そんな苦痛に満ちた世界でも、変化し続けることを好む。変化と成長にこそ意義がある。
そんな作者の熱い声が聞こえてくるようだ。
変化しなければなにも傷つかない。痛まない。その代り、そこには何の成長もない。
時間が静止した場所。時が止まった世界。
何も失われないし、何も変わることがない。傷つくことも、かなった夢が損なわれることもない。
そう言えばぼくが飲んでいたころ夢見ていたのは、まさにそんな世界だったっけ。
どんなにイヤなことばかりでも、死ぬほどツライ場所でも、ぼくは動き続ける世界にいたいと思う。
変化し、成長し、老いて死んで行きたい。間違えて、後悔して、悪態をついてじたばたしながら人生の歩みを進めて行きたい。
すべてが静止した場所より、そんなダイナミズムの方がずっと楽しい。生きているって感じがする。
リトル・チャロ2を見ながら、ぼくはそんなことを考えていた。子ども向け英語番組とは思えない素晴らしい内容である。
原作はわかぎゑふ。
うがった見方かも知れないが、リトル・チャロ2に描き出された熱い死生観は、師匠の中島らもの影響が息づいているように思う。
花は咲いては枯れ、種子を残す。これもまた変化と成長の一部、だね。
いよいよ大詰めのリトル・チャロ2、目が離せないです。
翔太を追うチャロが、けなげでかわいいんだわー。
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