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2011年6月24日 (金)

手放すことと突き放すこと

昨日、福島アルコール関連疾患研究会にお邪魔してきた。
一般参加も多く、断酒会、AA、GA、アラノンなどの自助グループメンバーも多数参加していた。
講師は松本俊彦先生。
「アルコールとうつ自殺」と言うテーマで、とても勉強になった。

松本先生のお話は多岐にわたり、盛りだくさんの内容で、まだメモを整理できていない。
きょうはその中から「突き放し」について考えてみたい。

先生のお話で「突き放しをするなら代わりの支えを」と言うくだりがあった。以前から「底を突かせる」と称して周囲がいっさいの支援を中止し、本人の自発的な援助希求を待つ、と言うやり方が語られてきた。いわゆるイネイブリング理論だ。
この方法は自発的な援助希求が出現する前に自殺してしまうケースがあり、問題だと先生は話されていた。ぼくも同意見だ。このブログでも前に書いたことがある。

よく考えてみると「突き放し」はスポンサーシップでもしばしば見られている。
「オレの言うことを聞かないのならスポンサーを降りる」。ときどき聞くセリフだ。
スポンサー側も人間である。振り回し、巻き込まれに付き合っていると疲弊し、日常生活に支障が生じる。イライラしてストレスがたまる。自分の健全な生活あってこそのスポンサーシップである。あまりにたいへんなら、スポンサーを降りるのも「あり」だと思う。
一方で、かんたんにスポンシー切りをしちゃうのももったいない。
スポンサーを降りたくなる時と言うのは、たいがいスポンシーが荒れている時だ。アルコール以外のアディクションにのめり込んで行ったり、社会的な問題行動が出たり、感情が極度に不安定だったり、ミーティングから離れかけたり。自分で自分がイヤになっている、要するにヤケになっている時だ。
こういう時こそ、スポンサー側も成長するチャンスだ。

そう言う時、スポンサーは何を学ぶのか?
そう、他人は変えることが出来ないと言う、当たり前のことを学ぶのである。
そしてスポンシーと一緒に問題をくぐり抜けることが出来た時には、共に成長できるだろう。

スポンシーが言うことを聞かないと、たしかにイヤになる。好きにせい、勝手にしろと言いたくなる。
でも、そう言う時はたいがい、スポンシーが治療からも自助グループからもドロップアウトしかけていて、周囲との関係も悪くなっている時期だ。AAも社会生活も順風満帆の時期なら、そもそもスポンサーと摩擦が起きることもない。
ひょっとしたらスポンシーは、AAや家族との関係も悪化している時期で、最後のコミュニケーションとしてスポンサーに電話をしているのかも知れない。その最後のコミュニケーションでさえも恨み節であったり強がりであったり悪口・毒づきだったりする。アル中とはそう言う難儀な人種なのである。

「手放す」とは、デタッチメントとは、突き放しではない。
どんなに稚拙に思えようと、相手には相手の考えがあり、自由意思に基づいて行動する一個の人間だと認めることである。
動機付け面接の本に、こんなことが書いてあった。
人は自由意思を侵害されたと感じる時、強烈に抵抗を示す。なぜ言うことを聞かないのか、実は単に押し付けに対する抵抗である場合が多い。「なぜ動機を持たないか」(なぜ指示に従って酒をやめないか、破壊的な人間関係をやめないかなど)よりも、本人が何に対して動機を持っているかに焦点を合わせた方が良い、と。

餓死寸前なのに食べ物を食べたがらない人がいる。つい食べさせてやりたくなる。でも相手はしたたかに拒絶する。こちらをののしり、毒づく。
もう知らん!勝手にしろ!と言って食べ物を壁に叩きつけてはイカン。なぜ食べたくないのか、食べずにこの先どうしたいのか、耳を傾ける。その上で、食べた方がいいよと言って、手の届くところに食べ物をそっと置く。そして少し下がったところから見守る。
手放すとは、そう言うことじゃないかと思う。

以前、ひいらぎさんのブログで「中腰」と言う話があった。

とても上手い例えである。その例えで言うと、スポンシーが荒れている時に、ただ付き合っているのは骨が折れる。立つか座るかして、中腰を解消したい。つまり、スポンシーにさっさと問題を解決してもらうか、スポンサーシップを降りるか、どちらかにしてもらいたくなる。
中腰のまま問題を保留にしておく能力と言うのは、大事なのである。
そもそもスポンシーは解決を欲して連絡してくるわけではない。単に泣きついて、グチを言いたいことと思う。誰かに聞いて欲しい、支えになってもらいたいのだ。言いたいことはミーティングで言え、では、拒絶されたと受け取られても仕方ないだろう。
かと言ってスポンサーにグチを言うだけで満足してしまうのも良くない。閉鎖的な二者関係に陥る可能性があるからだ。この辺、知恵が必要になってくることではある。

スポンサーシップを通じて、われわれは変えられない他人とどう関わって行くのか、何が出来て何が出来ないのかを学ぶ。
そしておそらくわれわれが出来ることは、思った以上にちっぽけだ。
でも小さくても、それはとっても大切で、かけがえのないことだろう。
それはきっと「謙遜」と呼ばれるたぐいのものだろう。

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コメント

いいお話でした。
ありがとうございます。

投稿: アポ | 2011年6月25日 (土) 13:16

アポさん

ぼくはスポンシーを得てからの方が、大人になった気がします。
忍耐や謙遜を、スポンシーから教わりました。
動機付け面接で言うと「正したいと言う衝動を抑制する」ってやつです。
スポンサーのなり手が少ないのはどこの地域も同じかと思います。
せっかくの成長のチャンスなのに、もったいないことです。

投稿: カオル | 2011年6月25日 (土) 13:44

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