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2011年4月 5日 (火)

頭の中で生きていた

ようやく仕事は一段落。本社トップに書類を上げて、あとはチェック待ちだ。
しばらく英語は見たくない。見ないわけには行かないだろうけど、ちょっとの間だけでも英語を離れたい。今回のバタバタで、自分の英語力の低さをあらためて実感した。まぁ、何の勉強もしていないのに語学力が向上するわけもないんだけどね。

きのうはミーティングに行ってきた。市内の公民館や集会場などは、まだ使用不可の状態が続いている。AAに場所を提供してくれる施設にはほんとうに感謝である。

きのうのバースデイは、ケーキなし、(うちのグループ名物の)着ぐるみなし、と言うジミなミーティングだった。それでも電気を消して、ハッピーバースデイを歌うときの暖かい気持ちは変わらない。
問題の分かち合いにせよ、解決の分かち合いにせよ、ひととつながっている感覚、何かを共有している感覚はかけがえがない。 感覚を言葉で説明しようとしても、うまく伝えられない。

飲んでいたころ、ぼくは自分の頭の中に生きてきた。
現実を遠ざけ、頭の中で、自分を捨てた恋人を恨み、恋しがり、世をはかなみ、世間を憎悪していた。アパートの外に出てほかの人々と関わることは、恐怖以外の何ものでもなかった。でも頭の中で自分を正当化するもっともらしい言い訳をこしらえて、ぼくは飲み続けていた。孤独と絶望だけが常に傍らにあった。
分かち合い、他人と関わることで、ぼくは少しずつ変わっていった気がする。AAでは「行動」がキーワードのひとつだ。AAにつながり始めのころ、AAで言う「行動」は、ミーティングに足を運ぶことだけだと思っていた。じっさい当時、仲間にAAの「行動」ってなんですか?と聞くと、たいがい「ミーティングに来続けることだよ」と言う答えが返ってきたものだ。
何だ、ミーティングに来る目的はミーティングに来ることそれ自体かよ、ちっちゃい世界で自己目的化してるんじゃねぇよ、と当時は思ったものだ。
でも、ミーティングに来続けること、分かち合い、他人と関わり続けることは、自分の頭の中で生きてきたやり方を変えることでもある。
現実を遠ざけてきた生き方から、目の前の現実、目の前の仲間と関わる生き方にシフトしていく。生き方や考え方はそんなに簡単には変わらない。来る日も来る日も仲間と関わることで、ぼくはいつの間にか、自分の頭の中から外に出られるようになった気がする。

今気がついた。
当時、ぼくの質問に「ミーティングに来続けることだよ」と答えた先行く仲間たち。
彼らは、ぼくの質問にダイレクトに答えていたんじゃなかった。
ぼくに、「お前さんはちゃんとミーティングに来続けないとイカンよ、さもないと生きていけないよ」と言っていたんだ。彼らの何か含んだような言い回しの真意を、当時のぼくはまったく気がつかなかった。

やれやれ。こんなことに気がつくまで、9年もかかるとはね。

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コメント

☆「ミーテイングに来続けることだよ....」
という言葉のなかには、
来続けるうちに、仲間と会っていく中で、きっと行動とは“何か!?”に気づくことがあるよ。ということだと思います。

投稿: ゆめ | 2011年4月 6日 (水) 09:12

はじめまして、ゆめさん。

なるほど、そう言う見方もありますね。
変化が訪れるためには、ミーティングに通い続けて変化が起こる下地を作っていく必要があると思います。
何よりも、仲間の輪の中で得られる暖かさって、得難いものです。

投稿: カオル | 2011年4月 7日 (木) 21:19

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