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2011年4月20日 (水)

意思の力は不要か?

AAのプログラムに意思の力は必要ない、などと考えてはいけない。ここはあなたの持っているすべてが要求される。
「12のステップと12の伝統」p.82

AAプログラムでは何度となく、神の意思、と言うフレーズが出てくる。
神さまにお任せ、と言うフレーズもミーティングでよく聞く。
でも、ときにその言葉が間違ったニュアンスで使われているように思うことがある。

ただ座って待っていて、神さまが答えを持ってきてくれるわけじゃない。
おまかせ、と言う言葉を、無気力や行動しないことの言い訳にしてはいけない。

座って何かが起こるのをじっと待ち、ひたすら時が過ぎるのを待っている。
何かが起きるのも、起こらないのも、すべて外側の状況次第。
それでは飲んでいたころの無気力さそのままだ。
自我の暴走を手放し、より良い生き方を求めるためには、意思の力が必要となる。
回復の道の途端に立ったとき、われわれは意思の力を集め、自分から行動を起こしていなかければ、何も変わらなかった。

行動していこう。
何も、極端に変わったことをするわけじゃない。
他人の行動や考えを正したい、と言う気持ちをいったん抑えてみる。
まず自分の怒りからの解放を祈ってみる。
周囲にネガティブな感情をまき散らかさず、感謝と思いやりを心がける。
聖フランチェスコの祈りに、1ミリでも近づこうと努力する。

AAプログラムは大好きだけど、AAメンバーには愛想が尽きた、○○さんや××さんの顔は見るのもイヤだ。もうミーティングに行きたくない、と言う話を時々聞く。
新しい仲間だけではない。酒が止まって数年経つ仲間からも聞く。
それはそれでその人の考えだから、うなずくしかない。
でも、隣人を、目の前の仲間を愛そう、協調して行こう、少なくともそうしようと努力するという考えは、とてもとても大事だ。
どんな高邁な理念の持ち主でも、社会と調和できなくては、回復とは言えない。AAも立派な社会だし、世間一般よりはずいぶん寛容な社会だとぼくは思う。
問題は自分の側にあると気がつけば成長できるが、問題は外側にあると思えば成長はそれまでだ。
そして、問題はやつらにあると言う考えはとても誘惑的で、われわれはつい他人を悪し様に思い、自分を正当化してしまう。
それを変え、自分をイノベートし続けるには、ありったけの意思の力がいる。
そう、意思の力が。
ただ呆としていて何かが変わる、変えてもらえるわけではないのだ。

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