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2011年4月23日 (土)

リスクと共に暮らす

統計には記述統計と推測統計という、2種類がある。
記述統計は、すでに起こったり分かったりしていることを分析する統計だ。
小学生の何パーセントが虫歯にかかっているとか、自殺者の年次推移や年齢別内訳などがこれに当たる。

一方、今まで起こったことや分かったことを元に、まだ起こっていない事象を推測しようというのが推測統計だ。
あるダイエット法で80%の人が体重減少に成功した、と聞けば、おおよそ自分にも聞くと考えるに違いない。まさか「自分は残りの20%に違いないからやめておこう」とは、あまり思わないだろう。

推測統計は、医学、リスク管理など、あらゆる分野に応用されている。
そして、過去の事象から将来を推測する作業には、一定の誤差が含まれていることを覚悟しなければいけない。過去の事象から未来を完全に予測することは不可能だ。
そして人間を対象にした研究なり調査には、相当の誤差が入る。

例えば、ぼくが職場の豚カツリスク管理委員会を作ったとする。
会議で、豚カツは1週間に何回まで食べても高脂血症にならないか、という問題設定を考えてみる。
ガイドライン策定のため、大量の健康な男女を連れてきて、豚カツ摂取量の階層別にグループ分けした。
その結果、1週間におよそ400グラム以上の豚カツを食べると、半分の人は脂質上昇が見られるという結果になった。
この結果から、さらに安全マージンを多めにとり、健康に食べられる1週間の豚カツ摂取量は250グラムまで、と言うガイドラインを作った。とする。
すべて架空の話だ。

ここで、じゃあ260グラムだったらだいじょうぶなのか、300グラムだったらもう病気確定じゃないのか、と言う反論は、気持ちは分かるが、あまり意味を持たない。
生体の反応は確率であり、結果は必ず分散する。260グラムでも高脂血症になるかも知れないし、500グラムでもならないかも知れない。
ただ、傾向がある以上、どこかで線引きをせざるを得ず、推測統計の結果と「現実」を考慮し、さらに安全マージンを加え、ガイドラインを策定せざるを得ない。

そう、ガイドラインには、現実が加味される。安全マージンを非現実的なくらいに冗長な設定にすれば、安全性は高まる。ただ安全マージンを取れば取るほど日常的な運用は難しくなる。
自動車の車間距離を1キロ、最高時速を5km/hに規定すれば、おそらく追突事故はなくなるだろう。でもそれは非現実的だ。現実の道路状況や自動車の運用状況を勘案しつつ、実用性と安全性の最適なポイントを探るしかない。
そして最終的にリスクを判断し、豚カツを何グラム食べるか、車間距離を何メートル取るかは自分で決めるしかない。
そこには、確率によるリスク管理と言う観点が不可欠だ。

何も難しい話ではない。
われわれは日々自動車を運転している。豚カツをはじめ、色んな食物を食べる。どんなに安全運転を心がけていても一定の確率で事故は発生するし、食物にはさまざまな微量の有害物質が含まれていることを知っている。
でもそれは無視できるほど小さいものとして、日常気にしてはいない。

もし日常のすべてのリスクをゼロにしようと思えば、こんな暮らしになるだろう。
排気ガスや交通事故を恐れて人里を離れ、紫外線の有害作用を恐れて日光を浴びず、農薬の有害作用を恐れて自作の無農薬野菜しか口にせず、通り魔や変質者のリスクを避けるため家族以外のいっさいの人間関係を絶つ。有害コミックや退廃した文化の汚染を防ぐため、聖書と仏典とコーラン以外の本はいっさい読まない。さらに火事や飛行機の墜落から身を守るために、強固な地下シェルターにこもるしかない。それでも運動不足による心疾患リスクや閉所環境での精神的な悪影響のリスクからは逃れられない。

それはもはや健康な生活でも何でもなく、病んだパラノイアでしかないだろう。

ことし、われわれの暮らしに新たなリスクが加わった。
そのリスクをゼロにして暮らすことは、もうできない。その日を境に、われわれの社会は変わった。
100%の安全なんて、どこにもない。最初からなかった。
できることは知識を得、リスクを知り、リスクを管理し、リスクとともに生きることだ。
思えばこの国は、あまりにもゼロリスク神話がまかり通ってきた。ゼロリスクを社会に要求し、達成されている社会だと思って生きてきた。
でもこれからは、ベクレルだのシーベルトだの、聞きなれない言葉と共生していくしかない。
ゼロリスクを信奉してきた人は、リスクを飼い馴らすということに戸惑うだろう。基準値付近で揺れ動く数値に頭を悩ませ、翻弄されるだろう。
ゼロリスク神話に基づく要求を叫んでも、その要求に応えることは、おそらく誰にもできない。
交通事故やがんや通り魔をゼロにできないように。
でも、いずれわれわれは混乱を乗り越え、このリスクを受け入れて行ける。ぼくはそう思っている。

まずは正しい知識を得ること。
十分な説明と理解の上で、あとは自分で判断すること。それは結局、「何を信じ、何を納得して生きるか」と言うことだ。

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