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2010年12月13日 (月)

希望の分かち合い

底つきの話の補足です。

われわれ依存症者は、自尊感情が低い。
それゆえ、すぐに他人の言動や外部の状況に反応してしまう。
他人の言動、ふるまいに、容易に怒りや反発心が沸き立ってくる。
ぼくがAAに来たばかりのころ「アル中を飲ませるのなんてカンタンだ、怒らせりゃいい」と言う言葉を聞いた。まさに真実だと思う。
アル中はすぐに怒るし、激高しやすい。そうなると、飲酒まであと一歩だ。
ぼく自身、自分の意見を否定されると、割とすぐムッとする。そう言う自分に気が付くたびに苦笑いだ。
すべてとは言わないが、そういう依存症独特の感情の動きは、自尊感情の低さに由来するところが大きいと思う。
自信がない。自分が変われる気がしない。他人の言葉や意見がすぐに自我を侵食するので、自我の防衛機制(怒りや否認)が働きやすい。
要はすぐにビビったり、ひがんだりいじけたりしやすいってことだ。
他人は他人の考えがあり、自分は自分の考えがある、と言う当たり前の常識が、知識としては分かっていてもじっさいのコミュニケーションの場ではまるで使えない。

そう、われわれは(て言うかぼくは)、まるで思春期の中学2年生のようだった。
不安に悶えながら、他人におびえ、イラついている。

そんなわれわれが底をつくには、問題の認識と回復の希望と、両方がなければならない。

重大な問題を抱えている、という認識だけ持つように患者に働きかけておいて、同時にそれに対して何とか対処することができると言う希望と自信を患者に生み出さなかったのならば、そのような治療は失敗に終わって当然である。
物質乱用患者達の多くは、自分たちの行動などどんなにがんばっても変えられるはずがない、という感覚を持っている。

「アルコール・薬物依存臨床ガイド」(2010.小林桜児・松本俊彦 訳)

その通りだ。
問題の認識とともに、自分は変われるんだ、変わることができるんだ、という「変化の可能性」の感覚がなければ、変わりようがない。

そしてそれは、共感の温かさの中で生まれるものだと思う。
人は「変われ」と言われて変われるものではない。
ステップ2を踏め、変われると信じろと言われたからって、ハイそうですねとはいかないモンである。
「変わることができるんだ」という希望。変化の予兆。それを持つには、自分一人ではムリだ。
中学2年生がオトナに変わっていくためには、いくら口でオトナになれと言っても始まらない。
ひがみっぽい中学2年生でも魅力的に感じる、そんな兄貴・姐御の群れに交じるのがいちばんだ。

そう言う意味でも、ステップとミーティングは、どちらも不可分だと思うわけなのです。

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