埋め合わせに取り組んでいる。
恥ずかしい話だが、きちんと「埋め合わせに取り組む」と意識してやったことがなかった。
日々コミュニケーションを避けず、関係を良好に保ち続けるよう努力してれば、それでステップ9を踏んだと思っていた。
日々の安定した暮らし、落ち着いた関係こそが埋め合わせだ、と。
でも、やっぱりそれだけでは不十分だ。
自分の中の大掃除をやらなければ。
そうでなければ、いつまでも心の中にがらくたを抱えたままだ。
まず、同僚に対して行うことにした。
ときどきこのブログでも書いている、男性同僚A。
彼は飲んでいたころに傷つけた人ではない。
自分のこころの中には、彼に対する蔑みがあった。いまもある。そして実際に彼をないがしろにしたり、彼に相談すべきことを相談しなかったり、無視したりした。
忙しくてできなかったこともある。が、彼に対する怒りや蔑みから、意識的にそう振舞ったこともあった。
彼に対するネガティブな感情、囚われがいま現在、ぼく自身にあるのだ。
月曜の夕方、彼と二人きりになる機会があった。
いいチャンスだ。
率直に、彼に対して無礼な振舞いがあったことを詫びた。
配慮が至らず、非礼があったことを謝った。
自分の言葉遣いや態度が不快を与えているのではないか、申し訳ない、と。
彼は笑って、謝るにはおよばない。そう言った。
ぼくの方が忙しいんだろうから、余計な気遣いをさせてかえって済まなかった。そう言った。
その言葉を聞いた時、何とも形容のしようのない変化が起きた。
彼はもう、蔑みの対象ではなかった。
使えないやっかいものではなく、敬意を払うべき、愛すべき人物だった。
他人と自分のおろかさを許せる度量の深さを持つ、ひとりの人間だった。
そしてぼくの中から囚われが消えた。
彼に対する怒りや蔑みが消えた。
もう表面的に調子を合わせる必要はない。
彼とぼくは、より近しい関係になったと感じた。
これはすごいことだ。すばらしことだ。
彼との関係が改善しただけじゃない。囚われが消えたのだから。
うれしくて、涙が出そうなくらいだった。
彼に対するグチを、何時間妻に聞かせたことか。彼さえいなければいかにマシな職場になるかとどれだけ空想したことか。彼の病気が再発することさえひそかに願ったことか。そんなことを考える自分にどれだけ幻滅したことか。でもまた同じことをグルグルと考えずにはいられなかったことか。
そんな囚われが、わずか30分ほどの埋め合わせ、謝罪で解決したのだ。
すごい!
これは自己満足か?
そうかも知れない。
でも、この一歩がなければ彼との関係の本質的な改善はあり得ないだろう。
日々彼と仲良くしていても、ぼくの心の中の囚われは区切りがつかないままだったろう。
ステップ9のこの一歩が、新しい関係の礎となるんだ。
ぼくは愚かだ。
きっとまた同じ過ちを繰り返すだろう。
日々の暮らしの中で、彼に対する感謝と尊敬の念を忘れて、また蔑みはじめるだろう。
だから日々の棚卸しを続けよう。
日々の自分を振り返り、自我の暴走を見張るんだ。
まだまだ埋め合わせは始まったばかりだ。
「この行程を労を惜しまず念入りにやっていると、半分も終わらないうちにあなたはビックリするようになる」
その通りだった。
半分どころか、第一歩にして驚いた。
このまま勢いに乗っていこう。ステップ9をやり続けるんだ。恐れずに、徹底して。
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