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2009年10月18日 (日)

ヴィヨンの妻、感想

ヴィヨンの妻、見てきました。
おもしろかった。
浅野忠信が情けなくてかっこ悪くてかっこいいのと、松たか子がきれいなのと、戦後の東京の風景がきもちいいのと、いろいろ。
これはね、もう全てのアディクトさんとその家族が見るべきでしょう。
太宰治の「ヴィヨンの妻」映画化ってだけでワクワク。
根岸吉太郎は、忠実に、淡々と、自己愛におぼれるアル中、太宰治の姿を描ききっていました。

破滅的な作家に翻弄されつつも明るくけなげに生きる妻の姿、愛。
そう言う見方もあるでしょうが、典型的なアル中さんの共依存パターンでもある。
夫が浮気相手と逃避行した挙げ句に心中未遂をやらかしても、迎えに行ってあげて、弁護士を頼んで獄中から救い出す妻。
さすがにキレかける妻に「勝手なことを言うようだが、いまは責めないでくれないか」とホントに勝手な台詞を口にする主人公。
妻は夫の尻ぬぐいを延々と続け、夫が盗みを働いた飲み屋で女給として働き、借金を返す。
でもそのうれしそうなことと言ったら。
この妻を「それでも明るく生きる女性」とか「けなげな夫人」という見方もあるでしょう。
でもねー、共依存って楽しいのよ。気持ちいいのよ。
「あの人はダメなひとだから、私がこうしてあげなくっちゃ」って世話焼きするのは、快楽なのよ。
主人公(ほぼリアル太宰治)が回復できずにアディクションざんまいでいるのは、奥さんが尻ぬぐいしてくれるのと、この奥さんの気丈さ、私がやってあげてるのよ感にプレッシャーを感じるからなのよ。

監督の意図はともかく、共依存パターンを描ききった、アディクション業界の新テキストとなりうる映画だと思う。

しかしこの映画。
この太宰像。
20代前半から30代くらいの自分とあまりに相似形で、笑ってしまった。
自己憐憫と破滅願望。繰り返す自殺未遂。
酔いから醒めるたびに延々と続く生に倦み飽きて、また破滅を求めて酒におぼれていく。

太宰が果てしなくふらふら、ふらふらしながら酒に酔い、自己憐憫の台詞を吐き続けるのは、ほんとうにもう、昔の自分を見ているようだった。

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