青山ROCK'N ROLL SHOW'09.05.09
忌野清志郎の葬儀式。大勢の人がブログで取り上げている。参列者は43000人。美空ひばりを上回ったそうだ。
たしかにすごい人出だった。
ぼくは11時くらいに現地に着いたが、その時点で長蛇の列。あとからあとから、途切れなく列が伸び続ける。
なんだか3年前の荒吐の入場みたいだ。あのときも清志郎が出たっけ。
そんなことを思いながら、妻とふたりじっと待ち続ける。気温は上がり続け、行列は進まない。それでも大きな混乱はない。みな紳士的にじっと待ち続けている。
やがて行列が少しずつ進み、青山斎場に入る。
マスコミの飛ばす低空ヘリの音がうるさくて聞こえづらいが、清志郎の歌声がかすかに聞こえ始める。
会場に入ると、巨大なヒトハタウサギのバルーン。
斎場の敷地に入ってからもディズニーランド式に行列が折り返して、なかなか進まない。
黒いドレスで高価そうな花束を抱え泣きじゃくっている一団は、ファンクラブだろうか。
斎場の敷地に入ると、不思議に暑さを感じない。外よりも人口密度は高まっているはずなのに。
われわれも係の人に花束を渡し、さらに行列に並んで会場に入る。
泣くつもりはなかった。
遺品を見たとたん、嗚咽がこみ上げてきた。
映像でもよく見かけた改造テレキャス。
愛用の自転車オレンジ号。オレンジのアンプ。そして清志郎のステージに置いてあった人形。
傍らには、ここ最近のステージで登場していたマント係が。
清志郎の愛用のマントを片手に、じっと立ち尽くしていた。
ああ、清志郎の肉体は、あの最高のロックンローラーの体は、いま目の前の小さな骨壺に入っている。
そう思った瞬間、涙があふれてきた。
何とか正気が保たれているうちに、と、お祈りの言葉をつぶやく。
bonziさんとfragisさんからのお別れも伝える。
外に出ると、ヒトハタウサギの足下にポスターが飾ってあるのが目に付いた。
いけないルージュマジック。レザーシャープ。タイマーズ。みなよく憶えている。
そしてタイマーズのヘルメットが。
あああ。
タイマーズのヘルメット。
あのサヨク風のスタイルにあこがれて、ぼくも当時組んでいたバンドでヘルメットをかぶったんだ。
スプレーで黒く塗ったヘルメットとジョンレノン風の丸いサングラス。
ヒットスタジオで「東京エフエム、腐ったラジオ」と歌ったヘルメット。
デイドリーム・ビリーバーのシングル盤のジャケットのヘルメット。
主を失ったヘルメットは、こたつの上で寂しそうだった。
何とも言えない気持ちがこみ上げてきて、胸が潰れそうだった。
献花も済ませた。お別れも済ませた。でもとても立ち去る気持ちになれず、ずっとヒトハタウサギの足下で立ち尽くしていた。会場から流れるヒット曲の数々。君が僕を知ってる、デイドリームビリーバー、ダーリン・ミシン・・・。
だんだん立ち止まっている人数が多くなり、係員にせき立てられて会場を後にした。
あれから4日が経った。
けど、気持ちの整理なんてつきやしない。
気がつくと清志郎のことを考えている。初めてRCの曲を聞いた時のこと。新譜のカセットテープを買ったらオマケでイヤリングが付いてきたこと。5分刈り頭でそれを付けて歩いていたら笑われたこと。でもすごく強くなった気がしたこと。煙草を吸いながらRCの曲を聞き続けていた時のこと。
レザーシャープやRC後期のころのこと。
ジョギングをしていたら、いきなり涙がこみ上げてきた。
同僚と会話していたら、突然泣きそうになった。
どうしたんだオレ。
少しずつ、少しずつ、日常に帰って行かなきゃ。
変えられないものを受け入れる落ち着きを。
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コメント
私にとっては、何も変わっていません。
ずっと同じ距離感で清志郎は存在し続けていますし、
これからもそうでしょう。
いつか、清志郎の新しい歌を聴けないと改めて知った時に
愕然とするのかもしれませんが…。
22日は青山へチャボを見舞ってきます。
最も長く、最も近い大切な人を失った彼を少しでも
勇気付けられたらいいのだけれど…。
投稿: haco | 2009年5月14日 (木) 13:56
hacoさん
コメントありがとうございます。
そうか、なるほど。勇気づけられました。サンキュー!
チャボは沈黙を守っていますね。いまどんな気持ちでいるのか、気になります。
レポ待っています。
ぼくは17日、三宅のライブに行ってきます。
投稿: カオル | 2009年5月14日 (木) 16:29
この度は盆爺の分までお別れをして来て頂いてありがとうございます。7月に上京する予定がありますが、もし清志郎さんのお別れするところが東京ならば行きたいです。お墓は何処なんでしょうね。
投稿: 盆爺 | 2009年5月14日 (木) 19:35
bonziさん
bonziさんの分のお別れもしっかり言ってきましたよ〜。
清志郎のお墓、どこなんでしょうね。
ネットで調べてみたけどよく分からないんです。
いずれそのうち、ファンの聖地になるんでしょう。けどいまはまだナゾのようです。
投稿: カオル | 2009年5月15日 (金) 23:41
ひいらぎさんのページからここに来て、ずっとロムしていました。
AAメンバーです。
アルコール関係のブログの中で、音楽(フェス等)の記事が有るので、楽しみに読んでいました。
ここしばらくはネットで清志郎関連しか見ていなくて、
ふと思い出して覗いてみたら、
カオルさんも9日に参加されたとの事。
本当に同じ想いで初めてコメントさせてもらいます。
あまりのショックに2日間は涙流す事も無かったのに、
チャボの記事で泣き崩れました。
悩んだ挙げ句私も参加を決めてOSM終了後、青山に駆け付けました。
騒いだり泣いたりはしたくなかったんです。
さようならも言えないと思って行きました。
でも
式場に入りあの濃密な悲しみと愛の空気の中、
小さな骨つぼを見てしまい、会場でスローバラードがかかった時に、
あのパワフルな肉体がもうこの世には無いのだと、
分かったつもりで居たのに、痛烈な痛みとともに初めて実感し、
嗚咽しながら小さな声で一緒に歌い献花しました。
その後も自覚無いままにかなり不調が続いています。
治まっていたパニック発作は出るわ、
ミーティング会場で過呼吸で倒れるわ・・・
今は現実の事として受け入れはじめています。
でも清志郎は私の中ではますます鮮やかに生き続けています。
ダーリンミシン、大好きな曲です。
好きな男の子のお正月の赤いコール天のズボン、
縫ってあげたいと思っていました。徹夜でミシン踏んで。
カオルさん。ありがとう。
また少し自分の気持ちの整理がつきました。
投稿: クミ | 2009年5月21日 (木) 22:36
はじめまして、クミさん
おお清志郎の葬儀式に足を運んだAAメンバーが、ここにもひとり!
密葬の時のチャボの記事は、ぼくも読んでて胸が締め付けられました。
>式場に入りあの濃密な悲しみと愛の空気の中
そうですね、ほんとうに、そうとしか表現できない空間でした。
静謐さと高揚が入り交じったような。
ふしぎなことに、清志郎の死を通じて、今までにないくらい彼の存在や歌が身近に感じられます。クミさんと同じく、ますます鮮やかに。
ぼくと同じ思いのAAメンバーがいたと知り、とてもうれしいです。
こちらこそ、ありがとう。
ところでミシンを「踏む」って、いい表現ですね。そうか。あの頃はまだみんなミシンを踏んでいたんだ。。。(遠い目)
投稿: カオル | 2009年5月22日 (金) 00:10